Tuesday 25 December 2007

歴史, vision, 知性

私の核をなす一つ一つの好きなものが、
心の中でばらばらに散らばっている。
これしかない、と、出会った各々のピースが、
縦横無尽に飛び回っている。
こんなにもはっきりと、ある一つの作品、出来事、人、に対する愛が感じられるのに、
それらを貫く私の中の愛の原理がまだ見えない。
一本の線で結べたら、そのときなにか書けるだろうか。
上滑りのただの「知識」の言葉でなく、
「名前」のための作業でなく、
はっきりとした己のvisionのために。

「あの戦争は何だったのか」という本を一気に読んだ。
私の祖父は戦争に行った。
小さな頃、抑留された寒い土地で毎晩小屋を取り囲むオオカミの話を何度もせがんで聞いた。

私は一度も、歴史というものとしっかり向き合ったことがなく、なんだか、
これが現段階での私の苦しみを作り出している気がして、色んな気持ちをできるだけ想像しながら読んだ。
こんなことが書いてあった。
”大本営はこのアッツ島の全滅を、「玉砕」という言葉を使って国民に発表した。
まるでこの言葉には”潔さ”の美学があるかのようである。
しかし、そこには知性も理性も、国際的な感覚もない、
あるのは”自己陶酔”だけなのである。”
私のことだと思った。

"accessibleなvisionを作り出すことが大事だ”、といわれたことがぞっとする感覚とともに思い出された。

Thursday 6 December 2007

磁石

いままで大学の研究室の中で、ひたすら興味のあることをやってきて、
たまに全然違う分野の人に
”どんなことをやっているんですか?”
と聞かれると、
なんと説明しにくいことか、と思ってきた。
いくら自分が本当に大事な問題と思っていても、
agencyとか、betting rateとか笑っちゃうくらい、ニッチなことだ。
下手をしたら、深遠な哲学的問題だって同じことになって、
そういう機会に、あれ?と自分のいる場所の脆さが心をかすめていた。
でも、そういう問題への心からの挑戦または信仰は消して薄れることはなく、
しっかりと安心しきって身を浸していた。

でも、お仕事をさせていただくようになって、色々な人との出会いが増えたり、
関わる人がまったく違う業界の人なので、
今までの論理が通用しないことが明らかな今、
はじめて、ああ、世界の姿はこうであったか、
と思うのだった。

科学って、なんて、小さいんだろう。

そう思った。

今のままじゃおまえは場をつくれないよ、という友達の言葉を思う。

そんなことを思っていると、小津安二郎の東京物語で、
両親が子供たちに合うために尾道から東京へ出てきたのに、厄介あつかいする冷たい子供たちのことを、
原節子が「でもそれは仕方がないのよ。お姉様ぐらいになると、
お姉様だけの生活というものがあるのよ。みんなだんだんそうなっていくのよ。」
というシーンとか、
でも父親役の笠智衆は、何もかも飲み込んでいてとても穏やかなこととかを思い出して
その父親も同じく、自分たちだけの生活というものを作り上げてきたはずで、
それでああいう穏やかな姿をしていることとかが
なんだか方位磁針のような気がした。

Tuesday 20 November 2007

One of themとして

今日芸大で、BRUTUSの副編集長鈴木さんのTALKがあって、
飲み会に植田君とかきて。
そこで、すっごくすっごく大事なことに気がついた。

科学も、ある偉大な仕事を誰がやったとしても、
世間の人にとっては関係ない、という事実。
ある偉大な仕事の恩恵は誰にも彼にも注がれる。
それでいいじゃないかと。
そんな仕事がしたい、と。

ずっと、私じゃなくちゃできないこと、とかにこだわって、
他の誰でもできる仕事は嫌だな、と思ってきた。
でもそれは違う。

仕事に、私の名前がついてなくていい。

そんなことを思い始めたのは多分、
この一年の全てが詰まってる。

PhDをとれたこと。
オーストラリア。
そしてお仕事。

オーストラリアですごした2ヶ月の中で、
私は自分の中での劣等感が消えず、劣等生として過ごした中で、
うすぼんやりと、ある枠組みの中で優れた人として、色んなことに敏感で、
そうでない人に苛立ちをもって、優れた人ばかりを周りに集めるよりも、
ずっとずっと、色んな人を愛することの方が難しくて大事なことなんだ、と思うようになった。
日本にいた頃の私はまさに、その、気に入った人としかあまり話さない、という人間だったな、と気がついた。
Davidが誰に対しても絶対に嘲笑をしないこと、そしてみんなが常に建設的であろうとするところを見て、
私の中で何かが大きく変わった。

日本に帰ってきて、
色々な方のご配慮で、様々なお仕事に関わらせていただくことになって、
周りに全然違う分野の人がいて、お互いに今までどんな仕事をしてきたかわからない中で、
脳科学者の一人としてお手伝いをさせていただく、ということになった。
誰かの求めてることに対して、どれだけ答えられるかということ、
違うバックグラウンドの人には、どういう風に映るかを考えること、
みんなにとって面白いということを考えること、それを伝えること、
どんな風にしたら面白くなるかをみんなで考えること、
自分の求められているものを知ること、
今までしたことないことばかりで、最初は本当の自分じゃないように感じたけれども、
今は、そういうことでがんばることができるたびに、自分をすこしずつ解放していってるように感じる。
見えなかったものが見えてくる気がする。
できるようになりたい、良い仕事にしたい!人を愛したい!ふかくふかくふかーく。

私は、私が成功することだけを考えていて、そのことが何にも意味を持たないことを知らなかった。
私が知っている、ということには何の意味もない。
なんていう自由な世界だろう。なんて明るい世界だろう。

先日、茂木研の卒業生で、大好きな先輩の、ながしまんと電話で話したら、
ながしまんがいっていた。
”もぎさんがある日いっていたのだけれど、
「本当に大事にしていること以外は世間に合わせる」って。”
なんて覚悟か、と思った。


@Kuruma-ya, Nezu, Tokyo

Friday 9 November 2007

語り得ぬこと

毎年アメリカで開催される脳科学の祭典Society for Neuroscienceに行ってきた。
そんで昨日帰国した。

表に出ていることと、心の奥底で大事にしていること、抱えていること、
そこに大きな分裂を、と思っている。
内緒にしたいからしてるわけじゃなくて、
出し惜しみしてるわけでもなくて、
言葉にしたところで伝わるというものでもないから
言わない。
むしろ、何百手もかけて料理して結局表したその表面の方が
ずっとずっと語るから、
そういう形になっている。
大いに誤解されても、こうしてくれと求められても、
もうそれはどうしようもないことだ。
オーストラリアでつかんだ一番大事なことはそのこと。
私はその道を歩きたいと思う。

静かに静かに深い暗闇へ。
明るい世界に出るごとに。
そんな感じがしている。

Thursday 1 November 2007

Releasing

生まれてからずっと、母親の目、友達の目、異性の目、無関係の人の目、大事な人の目、と経て来たけど、
誰かの目を必要とするのなら、特定の個人でなく、世間に、それから、天に、解放してしまおう。

Tuesday 30 October 2007

Dancing

一番世の中で大事なものは信仰なんじゃないかな、と思う。
信じるということは、永遠愛するということで、長い時間つきあうことを含んでる。

昔、朝日カルチャーセンターで小林秀雄さんをずっと担当なさった編集者の池田雅延さんの講演で、
ある日小林さんを訪ねたら、なかなか出てらっしゃらず、やっと出てきたと思ったら、
”小林さんは今いません!”と本人が出てきて言った。
本人が言うのだからこんなに確かなことはないと思って帰った。
ということや、
また別の時には、小林さんが”僕は今宣長さんと話をしているんだからね。君と話している時間はない。”
といったと言うことを話されていた。
小林さんも、池田さんもなんという信仰か、と思った。

長い時間ある一人の人と向き合うとき、
はじめはこうだとおもっていたけど、こんなところがみえてきて、見え方がこう変わった、
なんてことはなくて、
小林さんはただ精しくなった、と言ったという。

それは、見え方がこんな風に"変わって"、嫌いになったとか、もっと好きになったとか
自分の好き嫌いを左右するなんてことはなくて、
もう絶対的な、永遠の、愛というものが最初からあるからこそに決まってる。

どうして、私の心の中では、こんなにも、消えたりついたり、蝋燭のように、揺れてしまうのだろうか。
どんな風にも耐える火を燃やせないだろうか。

私の心の中で、自由奔放に踊る、制御できないものの正体をつかみたいと思う。

Monday 8 October 2007

小乗から大乗へ

これから先私はどんなことをやっていくんだろうとか、
海のものとも山のものともつかない自分に焦って、
なんとかしなくちゃと必死にたどり着いた先が、
自分に自信をつけるだけだったらどうしよう。

誰かに、
できるだけ多くの人に、
できるなら、
どんな国の言語をしゃべる人にも、
普遍的な、
何か素敵なことができたらいいのに、と思うけれど
それってどんなことだろう。
「わかる」とか「愛する」とかいいながら、
他人の中に、ただ”自分と同じ”をみつけて喜んだり、
なんて”自分”から離れられないことだろう。

一方で、
できるだけ多くの人と仲良くいようとすればするほど、
濃度は薄まって薄まって。
なんて簡単に、”自分”は失われてしまうものだろう。

根拠なく信じるということのなんて険しいことだろう。

この間、京都の相国寺の美術館
「横川景三墨蹟 巫山神女賛」を見た。
内容は、(正確じゃないけど、大体)
ある日男の人の夢枕に、女神が現れて
”私は朝には雲となって夕方には雨となって大地を潤しているのに、誰もわかってくれない”
といってしくしく泣くので、その女神の賛を書いた、
というものだった。
なんだか、大変人生が愛しくなった。

Saturday 8 September 2007

Try to remember

今日、道を歩いていたら、急にさみしくなって、
大好きな親友の由香に電話した。
声を聞いただけで、大丈夫になった。

不思議だなあ。

由香は、一度好きになったら、どんなことが起きようと不動、というところがあって、
私がやらかす数々の失敗に対しても、ただ、”そうか。”といってうなずくだけだ。
この人は何があっても自分のことを好きで居てくれる、信じていてくれる、という絶対的な安心感。
大学で由香と出会って、ある日、大学内の8ピロと呼ばれるpilotiで、由香と植木に埋まったベンチに座っていた時、
愛ってこういうことかあ、と思って、
その時から、この人さえ居てくれれば私はどんなことがあっても構わないと思うようになったし、
私もそんな風に人を愛そうと心に決めたのだった。

今は大学時代とは違って、由香とは1年に1回会うかどうかで、1年に1回電話するかどうかだけど、
今日も、”さみしくなって電話した〜。”といったら、”どうしたの?”といつもの調子で言われて、
その”どうしたの?”を聞いたら大丈夫になったので、
ただ近いうちに会うことにして電話を切った。

そして今日、衝動的にもう一つ、内藤礼さんの作品に触れたくなった。
それで茂木さんと内藤さんの対談の本を買いにいった。

「なにもいえないときも、ただ美しいといえた」

なんか最近、私でも、ちゃんと仕事をみつけなきゃ、私の居場所を自分で作らなくちゃ、と焦っていて、
気心知れた相手じゃない人と話すときも、ちゃんと説明しなくちゃ、表現しなくちゃ、としていたんだけど、
それがオーバーになったり、空回りして噴火したりうまくバランスをみつけられないでいた。

そのままで、あるのに。

昔、暗闇の中、手探りで歩き回って、見つけたものがある。
そこに帰りたい。

脳ってすごいな。
ちゃんとバランスを取り戻す道を知っている。

Saturday 25 August 2007

perfuming

ここのところずっと家に閉じこもって考えていた。
というより、ぼーっとしていた。
オーストラリアのことはやっぱりいつでも頭にあって、
その経験は、心の中の秘宝として、私の中の一番大事な何かになって、
そして、私の人生の太陽みたいにキラキラしている。

キャンベラで毎日片道一時間の道のりを歩いた。
帰り道はいつもたくさんの星が見えた。
空がとても広くてとても近かった。
南十字星のような東京ではみえない星たちの下で、
自分が暮らす銀河の川を眺めながら
てくてくてくてく歩いていると
その一時間の最初がどんな歩き出しでも、
最後には、ただただやるしかないと、心がしんとしていた。
静かな心細さだった。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では
銀河鉄道の乗客は南十字星駅でみんな降り、
ジョバンニは親友のカムパネルラと二人だけになって
でも、そのうち、ふと気がつくとカムパネルラもいない。
この話に南十字星駅がでてくることなどすっかり忘れていたけれど、
銀河鉄道に乗って旅する妄想を何度したかわからない。
私が今欲しいのはあの心細い反復。

なんか最近ぐっとくるのは、こういう言葉。
Go shake hands with as many persons as possible.
Write down their names.
Try in the elevator, tube, escalator, street, toilet, on top of mountain, in the dark, daydream, on the clouds, etc.
Make it a nice handshake by holding a flower in your hand, perfume or wash your hand, etc.
--Yoko Ono (from "Grapefruit juice")

オーストラリアに行って色々な人と出会えて
様々なことが私の中で折り合いがつかなくなった。
一番悩んだことは私自身の表現の仕方について。
でも徐々にだけど、大事にしたいと思ったことは、
あからさまな何かじゃなくて、眼に見えない何か。
信じる強さ。そして柔らかさ。
気持ちがよくて清々しい時間が作れるように。
私から立ち上る匂いが気持ちの良いものであるように。
できるなら、どこに居ても。だれと居ても。

Saturday 4 August 2007

Spirit cooking

Marinaの"Balkan Baroque 1999"という1時間くらいのmovie見つけました。
やっぱり私はこの人が好きです。

Monday 30 July 2007

緑と雨の薫る日

最近、私の世界は、真っ暗で堅くて冷たい世界だったな、とふと思った。
感情を失っていて、荒んだ気持ちだった。
”正しい”世界に足を踏み入れてた。
だけどこういう世界に居るほど、破綻しそうな感じだった。
暴走列車みたいな。
こういうときの、なんかやれそうな気がするって気持ちはなんかすっごく危ない。
何が欠落するとこうなるか、ということは、明らかな気がした。

他人の目は時に自分よりもずっと早く感知する。
心の中の本当の愛に従って動くべきだし、本当の愛に従っていれば
どんどん明るく暖かくぐーーんとどこまでものびていけそうな気持ちで
世界がどんどん明るくなっていくことを知っている。
根本のことでなくて、表層の、なにができるできないで生じたものに従うと
世界はどんどん冷えていく。

あるものへの愛と信心。
気がついたら、身近なものの気配が一斉に薫った。

Thursday 12 July 2007

蜻蛉

てくてく歩いていたら、雨にふられた。
黄色い小さな折り畳み傘はあっという間に役目をなくして、
顔もジーンズも洗ったのと同じになっちゃった。
あっという間にリュックと背中の間に水が流れ始め、
靴の中ではぐしゃっと音を立てて、
水たまりをよける意味もなくなった。
洗い流されちゃって、悲しかった。

それに、きっと、オーストラリアでは相変わらず風が吹いてる。

浮かれてて、大胆で、
今の考えは夢みたいなものかもしれないけど、
今だったら何だってやれる気がして、
夢のために人生かけたい、
賭けに出たい、そんな気分で。
だからなんだか、
現実がゆらゆらしてて、
自分自身を、見失いつつあるのかもしれない。
なんだかlimitationへの意識が希薄で、
だけどこのはじめてもったdriveに従ってみたい。
だけど、すごく薄くなってて、危ない。
おっとっと、っていうことがいっぱいある。
自暴自棄と紙一重。

真の英雄の夢か
若者の自己防衛の強口か。

どう立て直す。
どう決断する。

Wednesday 11 July 2007

さみしくて

私は大事な大事なものを掴んでしまったから
すごくオーストラリアの生活を愛してしまったから
そして今はまだ十分に消化されずに
頭の中で繰り返し繰り返しいつもいつもその生活のことを思い出して必死の抵抗をしている。
英語がわからなくて苦しかったこと、色んな違いの中でなんとかしなくちゃと必死だったこと、
そのなかで見つけた宝物、
あまりにも愛しくて、
すこしでも薄れさせまいと思う。
でも、薄れてく。
離れてればきっと忘れてく。すれちがってく。
だけどその時間の流れは、
記憶を意識からは遠ざけ
だけどしっかりと、
逆にずっと深く定着させ、
血として肉として私の行動の、思考の、全てを作り出すようになる。
だから安心してしっかりと未来を見つめれば良い。

でもさみしくて。愛しくて。必死の抵抗をする。

こんな風に愛することができたこと、本当に幸せ。
支えてくれた日本の人たち、
一緒にいてくれたオーストラリアの人たち、
本当にありがとう。

たった一度しかない人生。
愛で生きていきたい。
心の踊るテーマに身を全部捧げて、
動き、壊れ、流れ、
愛で愛で踊る人生。
まだ見ぬものへの全身全霊の愛。

Monday 9 July 2007

帰国しました

今、これは私の人生だ、というはっきりとした感覚ができている。
環境がこうだから、できないかもしれない、というようなこと一切振り切って、
自分であることをすると決めたら、
そのためならなんだってやろう、と思った。
やりたいことがあるなら、
そのために必要なこと、できること一切をただすればいいだけだ。
目標がはっきりしていれば、やれること、必要なことが何かは自ずと見えてくるし、それもまたはっきりとある。
これは、私の人生だ。
自分にしっかり頼って生きていく。
頼れる自分が見つかった。


with Rachael
みんなと過ごした最後の夜@armidale
忘れられない夜。

Saturday 30 June 2007

プラトンの猫鼠

シドニーで、驚きの出会いが二つありました。

(一つ目)
確率に関係する学会をのぞきにいったら、
塩谷さんが一番前に座っていて、
いつものように、さっと手を上げて質問をしていました。
自分がどこに居るのか一瞬わからなくなりました。

(二つ目)
以前池袋で出会った猫ちゃんは時空を超えてシドニーとつながっていました。


@Ikebukuro in Tokyo


@Glebe in Sydney

Sunday 24 June 2007

お知らせ

明日から、シドニー、アーミデールと移動が続きます。
6/25-6/30: 学会二つ@sydney
6/30-7/7:学会@armidale
7/7-7/8:ラストナイト、完全にフリー!!@sydney
7/8: fly back to JAPAN!
となっています。

インターネットにつなぐのがこれから難しくなる可能性が高いです。
もしつなげたら、その時のことをUPしたいとおもいます。


最後の風景@私の居た研究室
私の滞在の終わりの方はOleとMarkと3人の共同Officeでした。
写真にうつっているのはMark、プリンストンからのやはり2ヶ月のvisitor。
Markの席のとなりが私で、反対側がOle。

今はすっごくありがとうの気持ち。

植物の教え

botanic gardenにいってのんびりケーキとコーヒーを食べ、散策した。
なんでオーストラリアの植物は、こんなにも違うかなあ、
なんていうか、木々自体、緩くて、飾りっ気がない感じで、
理解しがたい姿をしている。
とか思いながら、ぼーーーっと1時間超歩いていた。

アボリジニーの人のアートをみたときと同じ気持ち。
いいな、と思うんだけど、なんか解らないのだ。
どうしてこんな風に細かな点をこんな風にするのか、解らないのだ。
なんか本当に解らない、という感じがするのだ、オーストラリアって。

仕方ないよね、localにここで、育ってきたのだから。
それぞれの場所で、localにみんな環境に適応してきたんだから。
違う姿をしているのはあたりまえなんだなあ、
なんとか必死で生きてきたんだから。
当然脳も一緒で。一人の頭の中に閉じ込められているのだから。
簡単には解らない。
簡単には混じらない。
だけども、出会えた限りは、解るとか混じるとかじゃなくて
その違いをなんとか受け入れたい。
私なりの克服の仕方があるはずだ。
信じる何かを発見したい、この土地で。

今日はANU最終日

明日から学会でシドニーに移る。そして5泊したら、今度はアーミデールに移る。
この数日でキャンベラはほんとうの冬を迎えた。
朝は多分-5度くらいの極寒となり、
手袋を買わないと生きていけないかもしれない。
アーミデールはここ以上の寒さらしい。

冬と同時に、私にとってこの最後の週は本当に苦しくて、
いままでうまくいっていたこともいかなくなり、
色々な誤差が発覚し、違いに苦しんだ一週間だった。
自分でもどうして良いかよくわからなくて、
状況把握さえ難しく、いまだ、混乱状態にある。

私は哲学の事をほとんど知らずに認知科学から来た。
言語の問題もある。
同じようにmother languageが英語でない人はここにはたくさん居る。
ノルウェー、デンマーク、ドイツ、オランダ、シンガポール。
それなのに、彼らはなんなく英語を話す。
そんな中で、なぜ自分はここに居るのかということを、なんとか示さないとならなかった。
自分を主張しなければ、何も動かない世界。
そして、私以外のところではすごい速度で色んな事が進んでく。
気にかけてくれる人はいるけれども、そういう人に頼れば頼るほど、
周りの世界とはかけ離れていく。

日本とこちらの違いというのはとても難しい事だ。
当然、違う事は知っているけれども、
私にはこちらの人の考えてる事を推察する事は難しいし、
こちらの人にとっては私の考えてる事を推察する事は難しい。
理解してくれない、といってふくれるガキみたいな事をやってる場合じゃないし、
私がきたくてきてるのに、理解される事を求める訳には行かないし、
とにかく、なんとかしなければ、と思っているが、
例えば立食パーティーで、
自由に人が動き回り、あちこちで会話をしている中に、
なにか自分で話題を提供し場をつくることができなくて、
こういう事は難しいとか、自分の悩みを打ち明けるばかりでは、
何しにきたんだかわからない。

私にとってみれば、tea timeとかで、そこにただ座り、笑顔でいることだけでも、
最初は精一杯で、
だけど、そんなことは、こちらの人から見れば、多分、
自分からしゃべろうともせず、ただ居るだけで、なにしにきたんだという話だ。

今は、愛したい愛したいと思っても、混乱で、みんなのところへいくのが難しい。
しかし行くけれども。
自分がこの人たちの事をどう思っているのか全然解らなくなってしまった。
だけど、この状況こそが多分必要な一つの大きな試練なんだろう。

それに、くるんじゃなかったなんて思わない。
学んだ事を、明らかにわかってることだけでも、思い返してみれば、
私はとっても重要な事を掴んだ。

例えば、私はいままで、自分のお気に入りの物しかそばに置かなかった。
人もしかり。
そうして、自分の周りの物によって、人を納得させようとした。
気がついてみれば、装飾であった。
偽の装飾。
本当の輝きは、そんな中にはない。

そして、Davidの振る舞い。
ああ、思い出した、
彼はPCで傘でもなんでも、どこかへ置いて忘れてしまう。
周りの同僚が、なんとかかんとか考えて、
"ねえ、Dave, PCのカバーこれにするといいよ、ほらこんなに真っ赤で、絶対忘れないよ、これなら"
とか言いにきて提供している。
それで本人は呑気に、"梯子をのぼるとどうも、bad fortuneなんだ。梯子をのぼったあとにPCをなくして.."
とかいっている。
そして食事のときには注意しないと永遠に食べ続けてしまうために、Susanna
(彼女も4年前のシドニーのクルージングのとき私たちに会っていて、
アメリカの大学の哲学のprofessorだけどちょうどvisitorとしてきていた!)は
気がつくとDavidをただひっぱたいている。
curiosityとあの笑顔、
そういう宝物。

大学内の小さな本屋にはいったら、
なんか足が"asian" cultureのところでとまってしまった。
何冊か日本の事が書かれた本があって、
眺めてみた。
John F Howes著"Japan's modern prophet, Uchimura Kanzo, 1861-1930."
裏表紙に
"Uchimura Kanzo was one of Japan's foremost thinkers, whose ideas influenced contemporary novelists, statesmen, reformers, and relegious leaders. He lived at a time of increasing modernization and rapid social change. Known as the originator and proponent of a particularly "Japanese" form of Christianity known as "mukyokai",
Uchimura struggled with the tensions between his love for the homeland and his love for God. "
と書いてあり、
どうしても欲しくなって買った。

今日はこれをもって、一瞬大学を離れ、
これから、botanic gadenを散歩してランチをとろうと思う。
うん、天才的な思いつき。

昨日(アメリカ時間では今ごろ)はジローの結婚式だった。
ジローはやはり4年前にもぎラボにインターンで一ヶ月やってきたアメリカ人だ。
7,8年つきあった彼女Wenとの結婚式。
心から嬉しい。

Friday 15 June 2007

風化

毎日毎日複数の新しい人が加わって、
いれかわりたちかわり、という感じで
人の流れが非常に激しい。
その人の流れはまるで、風がびゅーーと吹き抜けていくかのごとくで、
常に、風通しの良い場所に居るような気分になる。
私はその風を体験していると同時に風を構成している。

そういえばここのphilosopher達は
実際outsideも好きだ。
tea timeもbeautiful weatherならどんだけ寒くてもoutside.
その意味では私にとっては非常に居心地のいい環境だ。

常に流動している。

人は慣れてしまうな、とおもう。
あんなに毎日驚いた木々や鳥たちも、
いまはもう当たり前になりつつある。
それでもはっと、畏怖をおぼえるときがあるけれども。

ただ何はできなくても、
ずっと触れているだけで変わるということはあるな、とおもう。
あるものが知らず知らずのうちに当たり前になっていて、
そのときには前提が変わってる。

風は長い年月が経って隆起した大きな大きな地の固まりの形をも削る。
そして創る。
私の生命の形。

Thursday 14 June 2007

こっちで進行してる事

(1)consciousnessのreading group
(第1週)Graham, Horgan, ToensonのConsciousness and Intentionality
(第2週)LoarのPhenomenal Intentionality as the Basis of Mental Content
(第3週)LevineのSecondary Qualities: Where Consciousness and Intentionality Meet

(2)Kim Sterelny著"Thought in a Hostile World"のreading group
毎週1chapterずつ。

他にもcontextualism, Ethics etcのreading groupが進行中。
当然全員事前に読む。
reading groupに関しては、私ははじめの2つ以外はなかなか手が回らない。

それ以外に週2回のseminarでゲストが毎回1時間発表、1時間議論、
またirregularにone day conferenceが入る事も多く、
明日は、PHENOMENOLOGY AND INTENTIONALITYのone day conferenceがあります。

私に関しては、それから、Davidに借りた本(Churchlandのmatter and consciousness, Bodenのthe creative mind)
関連論文などなど、
あと自分のpaperを直すことも!
私は楽しくて仕方がないです。
ただただ、みんなに比べてひたすら遅いので、くそー時間が足りないよ!って感じです。
こんなスピードで色んな事が進んでいく、という事に対してほんとうに素直に驚いたし、
それに対して悔しくなったり、かなわない、って素直に受け入れたり、尊敬の気持ちをもったり、
劣等感を持ったり、だからといって私は生きていかなくちゃ行けないし、
おとなしくこつこつやっているうちに、劣等感は押さえられ、
きっといつか、私は今ここにない何かを、という希望を胸に抱いている感じもしてくるし、
でもまた、tea timeなんかでうまく会話に入っていけなかったり、
seminar中に発言する事ができなかったりして、
また、現実と夢とずいぶんな差があり、
今の状況で、自分の中にわき上がってくる感情としては
本当にrichだな、とおもいます。
一人なのでなんとか絶対handleするしかないですし、
それもまたchallengingですが、
違いにぶつかること自体、というか
自分が呆然となる事自体、というか、
そういうことが私は全て好きみたいです。
結果としてすっごい楽しんでる、っていう感じです。

Student conferenceとしてKioloaに合宿に言った時の写真。
こんな仲間と一緒にいます。
上段Ayako, Nic, Carl, Brad
下段Ben, Ole, Rachael

Catherine Flickさん撮影

Wednesday 13 June 2007

生命の水

私たちのフロアでは、なんかみんな自分の顔のデフォルメが
それぞれのオフィスの扉に張ってある。
Davidが通りかかったとき、Ayakoもドアにはりなよ!ねえ、はらないの?
さあ、写真を撮ろう!
Weng Hongのコンピュータでできるよ!さあ!
といって、写真の撮り合いになった。
あははは、今のいいね、今の今の!これだ!とかいって、はしゃぐ。
Davidも自分をとって極度の頭でっかちにうつったその写真を
”意識の研究するから頭でっかち。”とかいって笑ってる。

Davidには嘲笑というのがない。
ゼミのとき、reading groupのとき、
どんなに変なpaperをもってこようと、どんなに不十分な議論をしようと、
ただ、少年のように、天を見つめて考えたり、
僕はこう思うけど、と自分の意見をいったり、
相手の理解が進むような言い方をしたり、
そしてたくさんのジョークをいって笑ってる。
嘲笑というのをみたことない。

頭が切れて、変な人を敏感に察して、嘲笑する人よりも、
少々鈍感であっても、決して嘲笑しない人の方がいいって
思うようになってきた。
(もちろん、Davidのことじゃない。彼の頭の切れ方と敏感さは並じゃなくすごい。)
私は、ずっと鈍感な人に憎悪といってもいいくらいの感覚をもって生きてきた。
そして人を馬鹿にしてきた。

今日はすっごく人を愛したいと思った。

何かできなくても、変でも、それぞれ生まれてから今この瞬間まで生きてきた。
どんなことを蓄えてきただろう。
どれだけのことを抱えているだろう。
どんな風に世界は見えているだろう。
どんな気持ちでいるだろう。
どんな事を夢見ているだろう。
計り知れない。
私が解るか解らないかに関わらず、その人の生がある。
それに、解ってもらえる解ってもらえないも関係なく私の生もある。
私に対する態度が何だ。
敏感って一体なんだ。
「こういう私」なんか人に提供できずに、
変で、どちらかというと機嫌が悪くて、そういう一瞬が切り出されて終わる事だってある。
コントロールできないものだ。態度なんか。もう、信用しない、そんなもの。
そう思った。そうなったら、人に対するrespectということだけが大事なもののような気がした。
それは同時に、心の中に大きなずっしり重い石をたてることでもある気がした。

素敵だから愛するのでもなく、
同じ感じ方だから愛するのでもなく、
ただただ人間に対してなんだか震える尊敬の気持ちになった。
大きな石を心の底において、しみ出す水がやけにつめたい。

Monday 11 June 2007

I hope you are well.

今日はこちらはナショナルホリデー。
静かな静かな大学構内。

今日は特別に寒い朝だった。
なかなか起きられなくてだけど寒くてそのまま眠る事もできずにただただ縮こまっていた。

もう約一ヶ月がすぎ、
こちらの生活には慣れた。
こちらの事をすごく大好きになった。
密かにANUのパーカーをかって夜寝るとき着てるくらい。
月末は学会でシドニーやらアーミデールやらにいくので、
キャンベラに居られるのはあと2週間ほど。
ついこの間までは、あああともうこれしかない、と思っていたのに、
どうも昨日今日はその2週間をつらく思う。
大好きになって慣れてしまった反動なのかもしれない。
日本の事をすごく恋しく思う。

あれをしていいのかな、これをしていいのかな、ああなんかこんなことしてみようかな!
という縮こまりからすこしびゅんと羽を広げる感じまで
さまざまな自分が出てくる。
日本では人にすごく厳しかったな、と思う。
こちらにきて、色々な事ができない、というハンデを背負ったとき、
どんな人でもいい人に見えた。どんな人とも関わりたいと思った。
少しでも知りたいと思った。
期限付き、ということが頭をぐるりと巡る。
もし期限がなかったらどうか。
いいわけができずに生きていかなくてはならないとしたらどうか。
相手にとっても自分にとっても。
そう考えた方がきっと変われる。芯を太める意味で。

自分が宙にぽっかり浮いて感じることもある。
そんなときは、ただただ精神を愛するもののところに返し、信じ、
またやれることを、と目の前の事を見つめる。

National holidayなんか関係なく、
夏を迎えていて、
それぞれの生活を送る仲間の事を思う。
いまどうなっているか、
どうしてこんなにも想像がつかないかというくらいつかない。
色んな事が少しずつきっと変わっている。
こんなときに祈りという言葉はあるんだね。

Sunday 10 June 2007

ある月夜

金曜日は恒例行事で学内のパブで飲んだあと、ピザを食べにいく。
その途中でなんだか歩道の段から足を踏み外し、転んでしまった。
気が動転して、すぐに大丈夫だよ!といってたったけど、
あれ?これは大丈夫ではないかも、と思った。
変な痛み。力が入らない。
なんだかKioloa合宿の時も、合宿所にあったピンポンゲームに熱中しすぎて、
思いっきりこけた。
その時ジーパンの膝に穴があいて、当然膝も穴があいた。
なんだか足下がおぼつかない。

とりあえずカールがゆっくり歩いてくれて、ピザやに到着した。
本当に意味が分からないけど、いつも生物学科の人や、医者や、色んな人と合流する。
カールが心配して、友達のお医者さん(いつも夫婦できてる)に足を見るように頼んでくれる。
ここが痛い?ここをこう押すと痛い?うーん、
そんなにシリアスじゃないとおもうけど、腱をちょっとやってるかもね。一日3回氷で冷やす、いい?
とのことだった。
カールによると彼はすっごく良いお医者さんらしい。
なんか、みょーーな雰囲気のある、千と千尋に出てきておかしくない感じの、ひょうきんさのある人だ。
ピザを食べながら、足が痛いなあ、でも2時間くらいかければ、歩いて帰れるかもしれない、
(タクシーはキャンベラは全然居ない。これ以上迷惑かけたくないから、誰かに呼んでもらうより、歩く方がいいかも。)
とかぼんやり思っていると、
いきなり知らない女の人が、
”ねえ、私が車で運転するからこのあと一緒に帰ろう?足のために本当にそうして?”
と話しかけてきてくれた。
彼女もカールの友達らしい。
”私はこの近くに住んでるから気にしなくていいの、あなたの家はどこ?本当に送るから。”
といって結局彼女に送ってもらうことになった。
彼女は途中薬局により、あなたはここにいて、私が買ってくるから!と
私のために、bandageからaspirinからそろえてくれ、
私の家に着いて、冷凍庫に例のパスタソースのはいったタッパ以外なにもはいっていないのをみて、
また買い物に行って冷凍枝豆を買ってきて、私の足を完全に手当てしてくれた。
彼女の名前はBobby。
メイルアドレスを教えてくれるように頼んだら、携帯の番号も書いてくれた。
”助けが必要かもしれない。助けてほしいときここに電話して。”
また必ずあう約束をして別れた。

私はどんなことをしてあげられるだろう、と思ってただただ目をつぶって眠った。

Friday 8 June 2007

家事でブレイク

一人暮らしを始め、
せっかく台所、お皿お鍋全部そろっているのに、
なにもやらない手はない、と、
中途半端に調味料をそろえ、(塩と醤油だけ。)
ふむ、っとなにやらつくりはじめた。

私は意外ときれい好きらしい。
掃除用具は必要ないものまで買って、ひたすら掃除した。神経質なくらい。知らなかった。
水回りと床は徹底的にきれいじゃないと嫌らしい。
だけど料理はどうでもいいらしい。
なんせ実家でやったことないんで、自分の性質がわからない。

スパゲティを食べたいけど、
オリーブオイルを買うのがめんどくさい、チーズでよし、肉も買ったしとか、
とにかくものぐさ太郎となって、
しかし、なにをおもったか、ミートソースのソースから作り始めた。
もちろん、以前に作った事なんかない。

多分きっとおいしいはず、と
赤ピーマンとたまねぎと、マッシュルームと、
にんにくとハーブのスパイスをかって、
やたらにきっていっきにトマトで煮込んだ。
量とかも残っても困るから、あるだけ入れた。
先にいためたりなんかしない。油がないんだから。
そして後からひき肉をなんとなくばさっといれてみた。
一応塩はした。

火が通ったくらいの感じではなんとなくおいしいけど、
なんとなく足りなくて、
もうちょっと肉かな、ボト、もうちょっと塩かな、バサ、とやって
すっごいすっごい煮たら、なんかおいしくなった。
赤ピーマンから出る味がすごい良いみたい。
あと多分、選んだ瓶のトマトが多分良かった。

そして気がつくと、冷凍してとっておけば、
何日か生きていける分のミートソースができた。
あったまいい〜。

それでも、ひき肉はあまった。だって、量が半端じゃない。
さて、次はこのひき肉を消費しなければ。

のんきに、Rachaelとデックリンに料理作った〜と話したら、
頭を抱えられた。
意外とおいしかったんだけどな〜
こっちの人は男も女もみんな料理ができるっぽい。

Thursday 7 June 2007

Rationality

昨日はAlがランチをとりながら、議論をしよう、といってくれて、
ついに、話すことができた。
Alは確率を専門にしている哲学者なので、
どんな風な反応をするか、非常に緊張していたけど、
私の実験の意味をすぐに理解し私と同じ深刻さで捉えてくれた。
ものすごくあたまの切れるひとで、議論は本当に面白く、
私は集中してしまって目の前にあるご飯をすっかり忘れてしまって
居残りご飯をしたくらい(笑
それに加えて、philosophyのjournalに出すのはどうか、ということから、
誰々を紹介するから会え、ということまで色々suggestionをしてくださった。

Davidに話をしたり、また、飲み会の場で、合宿の場で、
様々な人に聞いてもらったけれども、
どうも、rationalityということを気にする人が多い。

はじめは、これがrationalであろうが、irrationalであろうが、
関係ないじゃん、と思っていたが、
なんでだろうとどっかでずっと気になっていて、
ふと思った事は
rationalityの定義を変える事が重要だ、ということ。
optimal behaviorとrational behaviorを区別することが意外と重要なのではないか。
ある行動が、optimalなものでないからといって、
rationalでないという理由はない。
なぜならば、みんながみんな同じ行動をしていたら、その種は外乱に弱い。
多様である事が種として安定、
すなわち、多様性、個体差というものをひっくるめて"objectively" rationalと定義できるはずである。
そう考えたとき、主観性(それがもしも個体差を生み出す原因であるならば。)
そのものがrationalであると考えられるのではないか。

そのように"collectively" rationalとsubjectivityの関係についてぼんやり考えながら、
研究室の窓からぼけっと外を見ていると、
ぞっとした。
噎せ返るほどの多様性を体が理解した。
種も何も、この世の中には、こんな変な動物が居る!植物がある!
人間だけ、動物だけが、中心のはずがない。
神様が、人間だけが種として安定であるようにつくっているはずがない。
人間が種として生き残るために世界を作っているはずがない。
安定なんて、してもしなくても良かった。
あの鳥がいる、あの草がある、あの生の形、あの形、あの形!
どうしてこんなにもたくさんのものが今こうして存在しているのか。
どれもこれも、この地球に奇跡的に一瞬表れてこの地に触れただけのこと。
種もなにも、どろり、と溶けた。
自分がビリリと音を立てた。

数日前にいったキャンプの、恐ろしいほど美しいプライベートビーチの寄せては返す波の感触が蘇る。
そのビーチでみた満月は空に開いたピンホールのようで、
真っ暗な地球という星の外側は光に満ちた場所であり、
まるで電気の通わぬボロ屋に開いた壁の穴に光が差し込むかのごとくだった。

Thursday 31 May 2007

新たなスタート

この間の日曜日、AlanとDavidを含め、5人でフットボール(ただしオーストラリア流)を見に行った。
キャンベラの南サイドにあるManuka ovalというところで開かれる
決勝戦みたいなもので、年に3回しかない出来事の一回だったようで、
ファンにとっては待ちに待った日だったらしい。
AlanとDavid以外はルールを全く知らなくて、
Alanはどの選手がエラい選手かとかから細かなルールまで
説明してくれた。
しかし私にとっては、複雑すぎて、そんな顔をしていたら、
Davidが哲学とどっちが複雑?とからかってきた。
Alanは新聞をもって選手をチェックしながらオペラグラスをもって静かにしかし熱中して見ているのに対し、
(私たちは競技場の席の間にある階段に座っていたのだけれど)
Davidは階段にのびーっと体を倒しながら非常にリラックスして
誰かになんかいいながら見ていた。
少年の頃の二人がなんか想像できてしまった。
それでいて、成熟という言葉の意味にここでも出会った気がするような人たちだ。
雲一つない日で、かんかんに日が照る中、ビールをのみながら
本当にリラックスした雰囲気で観戦して、
周りに素敵な人がいて、私はすっごくすっごく幸せだった。
Alanが試合が終わったあと、楽しかった?と聞いてきたので、
ホンットに楽しかったよ!大好きになったよ!といったら、
すっごく喜んで、聞いてよ!アヤコが...とDavidに報告しにいっていた。
あのスーパー早口のDavidも私に話すときは、
すこしペースを緩めたり、簡単な言葉を選んでくれている。
春の日差しのような、芯の芯の方からの優しさを、すごく感じる。
こういう人たちのそばに居たから私の心の中からも優しさと勇気が引き出されてくる感じがした。
宝物のような一日だった。

そしてほんとに、このときくらいからどんどん自分の気持ちが変わってきた。
積極的な気持ちになってきて、
ふと今日気がついたら、
あたしANUが、というか今自分が居させてもらえる環境を愛し始めているかも!と思った。
ただ格闘は続く。

昨日、生物学科の方であるtalkにJohnが誘ってくれて、何人かで聞きにいった。
(多分、蜂のスリニバセンもこのdepartmentのどこかにいるはず。)
カンブリア爆発に関係している要因についてミトコンドリアがどうのこうのという話。
それで、生物学科の人たちにまじってランチをとったけれども、
雰囲気がphilosopherたちのあつまりと全然違う。
生物の人の方がなんとなく、がっつりと勢いがあって、
philosopherの方がなんとなく、かわいくて控えめな感じがする。
なんとなく、カフェで、philosopherはoutsideの席に座って太陽を大事にする感じ(笑
生物の人たちにも会えてまた、感覚がかわった。
だけどどちらにしても、こちらの、なんか、活気の良さと言うか、自由な感じ、それはほんとうに感動的。

今週から火曜日には、consciousnessのreading groupもはじまった。
今週は、horgan, tienson & graham's paper "consciousness and intentionality" .
私にとってははじめてとっつきやすく、どんどんどんどん面白くなってきた。
(私は知らなかったのだけど、philosopherにも、consciousnessとかmindに関しては興味を持たない人がいて、びっくりした。考えてみれば当たり前なのに。)
頑張る気力が湧いてきた。
と思ったらあっという間に2週間が過ぎてて、
あっという間と思える事が嬉しかった。
今日、ホテルからアパートに移る。
名残惜しかったけど、部屋に別れを告げて今大学へやってきた。
はじめての一人暮らしが始まります。

Monday 28 May 2007

うまくいえないけれども。

いつもだったら気にしないような些細な事も100倍ぐらいにして気にしてしまう。
これができなかった、あれができなかったということがたくさんある事がむしろ、足りないポイントを照らしているかもしれない。
素敵だなと思える人たちにこっちでも出会えた。
その人たちに共通するのはどうも、本当の性質と、外に出すときの態度にgapがある感じがする事。
すごくsocialなpartyが多くて、そういうときにすごく感じる。
私は毎日10時半と3時半にtea timeがあって、毎日二度もなんで同じ場所に集まって、みんながchatすることに
非常に戸惑いがあったけれども、なんとなくsocialなpartyの意味を感じ始めているかもしれない。
例えば、昔からよくいわれる、痛みをいっぱいしってるひとほど優しい、とかいうこともそうかもしれない。
たくさんのことを”知って”いるから、人の気持ちがわかって、優しくなる訳ではなくて、
なんらかの飛躍なんじゃないか。分離なんじゃないか。
ますます孤独を深める事による随伴物なんじゃないか。
別に私は痛いです、悲しいです、一生懸命です、ということをそのまんまだす必要はない。
そういうところに他者へのなんらかのアピールがあることを自分の中に発見したような気がする。
安易に同盟を組まないことの何か。

Sunday 27 May 2007

麻痺

変な夢を見た。
小さくて赤い服を着ておかっぱの髪をして
顔がひん曲がって目がやたらに大きく吊り上がった女の子がでてきて、
その子はたった一人で、大勢で仲良ししてる幼稚園児の群の一人にむかって、
あんたの態度は全部自分を良く見せたいってだけじゃない!
と必死の声で叫んだ。
その言葉は私の口から現実に発せられて、その声の大きさで
自分でびっくりして目を覚ましてしまった。

一つ一つの誰かとのやり取りで、
なんでもっとこう答えられなかったんだろうーー!とか
みんなが輪になってるところにはいっていけないで、
遠くの方にはなれて座ってしまって、なんとなく挙動不審になってしまう事や、
JohnとかOleとか声をかけにやってきてくれてほっとすることとか、
そういう、積極的にいけなかったり、受け身な事、
優しくされるのを待ってる事、
いちいちのexcuse、
どんな風にみんなから見えるんだろう、
うざいかな、こんな風にしたらいけないかな、そういうnegative thinking、
それで悲しくなってしくしく泣いて、
かわいそうな気分になるとき、奥の奥のほうで冷めた警鐘が確かに鳴っていた。
その警鐘の音が夢の中でこの小さな女の子の口を借りて、ずばっと示された。
誰かに守られたいだけだという無意識の甘えがばっちり顕在化された。
爽快だった。

お昼あんまり天気がいいのでサンドイッチをかって
クリケットフィールドの脇の木陰にべったり座り込んでもぐもぐ食べた。
誰もいないフィールド。
しかしオーストラリア版カラスみたいな黒と白の鳥
(だけどこの鳥が信じられない美しい、オカリナみたいな声でなく)
が二羽真ん中でくつろいでいた。
何も考えずに食べた。

officeにもどって、音楽をイヤホンで聴きながら、論文の投稿のための調査と本を読む。
しばらくすると同室のOleが土曜日なのにやってきた。
(私はOleと二人部屋。)
しばらくするとDavidまでやってきた。不意打ちすぎて、びっくりした。
ものすごい早くて力のはいった独特の英語でいう、
どう?少し哲学のことになれた?なにやってるの?論文?何について?新しい事?リジェクトされたの?どこに出したの?次はどこに出すの?何を直す事にしたの?だからカーネマンの事調べてるの?カーネマン、僕たちが会ったあの学会に来てたね。覚えてる?クルーズにものってたね。
ところで昨日パーティー来なかったね。疲れてたから?いいパーティーだったよ。景色が良かったよ。55階にある家でやったから。景色が良い家はいいなあ。
(そこで、Oleがgoogle earthをいじりだす)
ちょっと、これで昨日のところみてみようよ、ここだよ。
わあこの3Dはすごいな。ここがあれでここがあれで。。。
絢子の家をみてみよう!住所は?Hadano?で、どこ?どの家?ランドマークないの?探して。眺めはいい?
じゃあ次は僕の兄弟の家は?
とひとしきり遊ぶ。
この疾走感、どこかでみたことがある気がする。

そしてまた、絢子、まだホテル住まい?遠い?どこ?(とまたgoogle earth)
え!ここ?なのに1時間かかるの?
そうしたら「だから僕は思うけど」とOleが立ち上がり
「絶対こんな風にして歩いているに違いないと思うよ」といって、
ふーーむ、ふーーーーーーうむ、と考え込んで部屋を歩き回った。
Davidも一緒になって、ふーーむ、ふーーーーうむと歩き回る。
そこでDavidがはっとして、
そうしたらさ!ホテルからもうすぐアパートにうつるんでしょ!?どこ?(とまたgoogle earth)
それじゃさ、絢子にとっては毎朝2時間だよ!と二人は笑った。

キャンベラはやたらアジア料理の店が多くて、というかそれだらけだ。
今日は夕飯に韓国料理のこじんまりしたお店に一人で入って食べてたら、
日本人の女の子の群れがやってきた。
なんとなく緊張してなるべく平静を保った動きを心がけた。
声をかけようかな、という気持ちもなかった訳じゃないけど、
ただただ耳をダンボにした。
なんとなく心がひんやりした。
目の前の豆腐チゲと白いご飯であったまった。

なんか自分の姿がよく見えない。色々全然解らない。
何も感覚がなくなったような感じもあるし、
全然余裕なようで突然のしゃっくりのような涙にも襲われる。
きっとなんとかこれを乗り越えたら私もきっと変わってる。

Wednesday 23 May 2007

うつカラ一転

今日は朝、ああどうしよう、元気で居ようとしても、
これでよしとして前を見よう、
働きかけなきゃ意味がないから引っ込んじゃ行けない、
笑顔で居れば大丈夫、といくら言い聞かせても、
どうしても一歩が出せなくて、元気で居られなくて、
reading groupにいきたいとおもっても、
近くのofficeの人に声をかけて一緒に行く勇気も、
一人で行ってseminar roomのドアをあける勇気も出なくて、
すごすご帰ってきて、
なんとかDavidから借りた本を自分のofficeでよんでいた。
そこへ、Maireが通りかかって声をかけてくれた。

元気?どうだった?週末は。
goodだよ。美術館行ったよ。
そうなの!それはキャンベラにきたらいくべきとこだもんね、っていうか他にないっていうか(笑
うん。Maireは?
うーん、ただo.k.ってかんじ。
そっか。
どう?色々上手くいってる?
うーん、Maire、なんか私ちょっとうつっぽくなっちゃったよー!
そうなの!ねえ、今からこのofficeからエスケープして秘密のカフェに行くのはどう?大丈夫?
ウン、いくーー!

というわけで、officeのあるCoomb builidingから近い場所にあるのに、
そんなところに!?というような本当に隠れ家感のあるカフェにつれていってくれた。
ちょうどお昼時だったので、ついでにご飯を食べることにした。
おいしいチキンシーザーサラダとコーヒー。
今日はわたしのおごりだよ〜っとMaireがごちそうしてくれた。

Maireのおかげですっかり元気になった私は、
よし!っとofficeに帰ると、途中でDavidに遭遇。
Davidもやさしいよ、ホントに。なんともいえない味わい。
そのあと、HollyやRachelに遭遇。
ねえ、ちょっと私の部屋はいって、そこに座って、ねえねえ、来週末キャンプいく?
野生のカンガルー見に。そんでいっぱいお酒飲んで、チョコレート食べんの。
そりゃいくよ!
よし!いこう!
ってなことになったんだけど、よくよく聞いてみると一人20分くらいで発表するらしい。
してもしなくてもいいっていわれたけど、
自分がどんなことをやってる人間かってのを伝えられないのが
苦しくて苦しくて仕方なかったから、
思わずやるっていっちゃった。
みんなに我慢を強いないように、がんばらんと。

そのあと、今日はセミナー。
火曜日と木曜日はtalkがあるらしい。
LewiseのHumilityについて、premiseがどうの、
supervenience, O Language,がどうのこうのいう発表。
うーーん、ゼンッゼン解んないけど、enjoyableだった。
philosopherがどんな風に議論するのかって雰囲気や、
Davidの態度とか、それだけですごい勉強になった。
他に面白かったのは、なんとかって人がいて、
その人の発言は常に、結局えっとどういうこと?って感じでみんなぽかんとなって
最後にみんなくすくすわらっちゃう。
塩谷さんを思い出して、とてつもなくおかしくなった。

こうやってすこしずつ心から楽しめるようになっていったらいいな。

あっぷあっぷしてるけど、昨日よりはほんの少しだけど良いかも、と思うと、
あっぷあっぷしてる自分をさておき、人間の適応力ってすごいな、と素直に感心する。
すこしずつ、やっていこう。

Monday 21 May 2007

南十字星の輝き

こちらにきて、一番感動したのは、
やっぱり自然。
数年前はじめてオーストラリアに来た時、
一泊して朝が来た時、聞いた事もない鳥の声で目を覚ました。
それで寝ぼけて、
窓から差し込む光で外にある木の陰が部屋の中の壁にできているのをみて、
ジャングルにきてしまったと勘違いしてそのあと奇妙な夢を見てしまった。
本当に木も、道で食べ物をついばんでいる鳥も、全く違うのだ。
きみは、こう、普通に居て、基本的に黒いってことはカラスかね。
しかし、その白い模様は何だい。
あれ!まっかなボディーで青い模様の小鳥がつれだって飛んでる!
おいおい、この白い幹はなんだ。
全く違うのだ。動物園や植物園や奥地じゃなくったって、
普通に生活している環境で、全く違うのだ。
知ってるのは、芝生と鳩くらい。
本当に見知らぬ動植物ばかり。


ホテルから大学までの道にある木の表面。

それに夜。星。星だよ、なんてったって。
まったく知らない配置できらきらきらと輝いている。
まるで神の土地に来たみたい。
ただただ私は
原始人となって、原始の森の中を歩いているみたいなのだ。
この心細い感じ、無知の感じ、
ただただ、感覚を研ぎすまして探りながら歩く、
その上に
南十字星が輝く。



今回では今日がこっちにきて初めてのきれいな星空だった。
天気は悪くなかったのだけどなぜか星が見えるのは今日初めてだった。
南十字星の下を1時間ほどふらついていたら、
なんだかとてつもなく幸せな気持ちになって、
きてよかったんだな、と思った。
一人でレストランでご飯を食べる元気がわいてきた。
Wagamamaというオーストラリアで人気の
日本料理屋に入って、みそラーメンとビールを頼んだ。ひゃっほう。
positive eating+positive lifeと書いてある。
ふむ。

今日重い荷物をしょって、美術館や、植物園にいって
ずっと歩きっぱなしだったので、
めちゃくちゃつかれてて、ろくな事がかんがえられなくなっていたけど、
その初めての星空は、
オーストラリアの神様が、
目標を持ちなさい、高い高い目標を持ちなさい。それを希望にして生きなさい。
そういう目標を探しなさい。
目先の事でいちいちぶれない目標を、そろそろもてるころですよ。
と言っているようだった。


いつも通る大学内のお気に入りの場所。

Sunday 20 May 2007

カンガルーぴょんぴょん

わたしもとまどってばかりいられない。

キャンベラはbush capitalとよばれているらしい。
同い年でアイルランド出身、DavidのAdministratorのバイトをしているMaireが教えてくれた。
Maireは鼻ピアスで見た目ファンキーだけど、話し方や表情、なにをとってもやわらかく、
なんというか繊細だけど、かっこいい女の子だ。
彼女は、パートナーと21歳の時日本にきて中学かなんかで英語を教えて3年暮らし、
オーストラリアにきて3年の学生なんだそうだ。
私を心配して、お茶に誘ってくれた。
論文が大変でキャーーだよ!!みたいな感じで、元気をくれる。
とにかく彼女、素敵。
どうも、ANUのこのキャンパスには、早朝カンガルーが普通にぴょんぴょんしてるらしい。

どうも、どうも、自信なさげになっちゃって、いつもの態度のでかさをだせないでいる。
明るい元気な人の周りには、人が自然とあつまってくるわけで、
すなわち、おどおどしてることが一番よくないわけだけど、
どうもそうなりがちだ。
ここはカンガルーみたいに、なにげなく、気にせずぴょんぴょんするのを心がけよう。

芯が変わらなければ、鈍感に振る舞ったっていいはずだ。

どうも、empiricalなことに興味がある人はそんなにいないかもしれない、と思って
引いてしまう。
tea timeでとなりになった教授とお話をして、哲学の人の意見を聞きたい、と勇気を出して、
自分の実験の話をしたら、途中であきられてしまった。
英語の事もあるだろうけど、ショックだった。
でも、私は私で、哲学のトークにでても、何も発言ができていない。というか全く理解できない。
データもなければハンドアウトもない。
ヒュームがどうのリーズニングがどうの、と永遠と言語だけの世界。
ああ、私はどっぷりと小さな小さな世界で暮らしていたということか、と呆然とした。
私の今までの一切が役に立たない。

ここにいる人たちの事を愛したい。この土地を愛したい。
いいところをたくさんみつけて、
私は私で、こつこつこつこつ一個ずつクリアしていくしかない。
愛しい気持ちと悔しい気持ちをマックスにできたら、きっとなにかできる!

柳川さんが、私の出発前、
考えても見たまえ、僕たちが、途方に暮れていなかった事なんかあるか、というメイルをくれていて、
私は呆然として悲しくなった時、そうだそうだ、と心を奮い立たせてる。
みんなの言葉の一つ一つが薬となり。

今日は日曜日だから、美術館や、植物園にいって、今大学にやってきた。
Andy Warholのelectric chairをみて、衝撃を受けた。
POP Artのコーナーに、エルビスプレスリーと一緒に並んでる。

さあ、がんばれ!

Friday 18 May 2007

オーストラリアからこんにちは。

みなさんこんにちは。
お元気ですか?

こちらの生活が始まりました。
一日目、キャンベラについてすぐ、ホテルにチェックインをして、大学に向かいました。
頂いたofficeは、coomb buildingという建物の中にあって、
これが非常に複雑な建物で、でも、そのおかげか、そこに居る人たちがみんな親切で、
迷ってる人がいたら、目的地まで一緒に来て助けてくれます。
Davidも秘書さんもいなくて途方に暮れていたら、確率が専門のHajek教授が話しかけてくれて、
どっからきたの?日本?見て!僕この間いったんだ、ほら写真。ってな感じでお話をしました。
Hajekとは近いうちに議論しにいきたいなと思っています。
秘書さんのDi(ダイ)はすごく優しくて、あったかくて、お母さんのようです。
困った事はない?疲れた顔してるよ、ほんとうに大丈夫?とかいうので、
思わずうるっとしたら、
風邪引いたら大変。ティッシュね、ティッシュおっきいのもってきてあげるからまってて。
と大きな箱のティッシュまでわざわざ買ってきてくれました。
こちらでは、未だ良く解らないのだけど、
stationaryは例えばいきなり、いる?ノート。ペンは?他には?あ、ポストイットも必要ね、って感じで、
ぽんぽんぽんっと頂きました。
他の人も、あれがないこれがない、とDiにいって、もらっています。
いろいろなことが日本とは違いそうです。

そうそう、Davidはひとなつっこいすごい笑顔で迎えてくれました。
Davidはものすごくかわいくて、変なカラフルな靴下をはいていて、
アボリジニーのもようのTシャツと黒のジャケットを常に着ています。
「僕は、試着する洋服は嫌いなの。買うのはぜーんぶ試着がいらないやつ。ジーンズだけはね、仕方ないから、
前に試着して買ったやつといつも同じやつを買うの。」
とかなんとかいってました。
退屈な話だと、素直に眠くなってしまうようです。それでも一生懸命にチェアをしたりしています。
この人の振る舞いを見ていると
ものすごい人だなあと思います。
socialな場面での振る舞いなど、見てると、きてよかった、って思います。
うまく言えないけれど、とても繊細で、だけど柔軟で、
大きな分裂のある、というか、そういう人です。
どうやって、この人が、この優しさを獲得していったんだろう。

それはさておき、
初日に、Davidが二人で話す時間を取ってくれました。
自分が今までやってきた事、
オープンエンドな学習について、創造性について、
創造性と意識の関係について
自分が思っている事を話して、
いくつか本を紹介してもらって、
それで様子をみることにしました。
科学が苦戦している問題について、哲学がどんなアプローチをしているのかということを
これから探っていけたらな、と思っています。

でもなによりも、英語の問題がやはり一番の鍵です。
同じofficeにいるOlleもほかの学生さんたちも
みんな本当に優しくしてくれるけど、
みんなと同じには全然できません。
ネイティブのsocialなpartyのなかで、ただただ呆然としてしまうけど、
心に留めておこうと思うことは、
なにか話しかけたり、議論をふったりするのをためらうな、ということです。

こっちは本当にsocialな集まりがたくさんあります。
まず、10:30と15:30に毎日みんなでカフェに集まってお茶をする習慣があるようです。
それから、たくさんのtalkやreading groupが毎日開催されます。
reading groupも日本とは全然違って、
ある本に興味のある人たちがどこのdepartmentからも自由に集まって、
発表者は一応いるのだけど、発表はしなくて、
この本のこの章についてなんか疑問があった人は居るか?というかたちで
いきなり議論が始まります。
いつも同じメンバーということはなくて、
常に知らない人と出会います。教授も学生もありません。
私のようなvisitorもたくさん居るようです。
だから、何々研、という感じもないです。
philosophy of ethicsとか、of lawとか、とにかく色んな人たちが、
同じゼミに出ていて、そのあとみんなで飲んで、入れ替わり立ち替わり隣の人と話し、
研究室というものがあるのかないのか未だに解りません。
非常に、”個”という世界に居る気がします。

めげてないで、一個でも何か得る、それ以外に生きる道がなさそうです。

まだ、私がどんな事に興味をもってるのかということをちゃんと伝えられていません。

まだ3日目ですが、既に、2日目から化粧するのをやめました。

Tuesday 15 May 2007

いってきます。

私にとって大事な人たちが、おめでとう、って祝ってくれた。
そして家に帰ったら、母親がお赤飯を炊いてくれていた。

オーストラリアに行く事は、”おめでとう”なんだって、思ったら
すっごく楽しみな気がしてきた。

これは、私にとっては、すっごくいいことなんだ、嬉しい事なんだ。
そうだったよ、忘れてた!

馬鹿に見られたくないから質問しないとか、
そういうような心の壁はとりはらって、
とにかくとにかく、体当たりしてこよう。
石田さんや、ジローや、長島んや、電通の佐々木さんや、色んな方が、
ちゃんと動いてぶつかっていかないと、自分の中での化学反応が起きないよ、って教えてくれた。

ちゃんと、信じるものを信じてよう。
そこだけは揺らいじゃいけないよ!!
まだまだぶれやすいから、そこだけ人知れずしっーーかり信じて。

たった2ヶ月。大事な事は何も変わらない。
がんばってきます。めえいっぱいたのしんでいます。

どうかみなさんおげんきで!

いってきまーーす!

オーストラリアでの予定:
今日出て、明日の朝着。
05/16-06/25 Canberra ANUのチャーマーズの研究室
06/25-06/30 Sydney "norms and analysis"という学会。
06/30-07/07 Armidale ”the australasian association of philosophy"という学会。
07/07-07/08 Sydney
7月8日に帰ってきます。

Saturday 12 May 2007

愛の使いルンルン



オーストラリア前最後のゼミ。
みんなにやさしくしてもらった。

この、ぬいぐるみ (名前:ミツバチの"ルンルン")を高川さんから頂いた。びっくりした。
高川さんの気持ちがすごく嬉しかった。四葉のクローバーの気持ち。
みんなみんな声をかけてくれた。
直接声をかけてくれたり、自身のblogで励ましてくれた人、メイルをくれた人、
髪留め返しにいく予定をおして飲み会に来てくれた人、
色んな形で、
本当に励まされた。
大事にするね。ほんとうにありがとう。

小俣さんが、おまえが秦野にいるのと、オーストラリアにいるのとで、
何の違いがあるのか俺にはさっぱりわからん!(私の研究室への出没率はそもそも低かったから(笑)。)
といってくれたけど、多分本当にそうだ。
田谷さんにも、帰ってきたらまたくるでしょ?「送別」会じゃないじゃん!「壮行会」ね、と。

ああ、変わらないんだなあ、って思って、嬉しかった。

ずっとずっとつきあっていきたい仲間。
人は変わってくかもしれないし、むしろ変わっていきたいし、
だから、色んな事が変わっていくけど、
変わろうが何しようが、ただどこかに”いて”くれること、”存在”してくれるということのこの重みよ。

でもあっちへいって、多分ずっと、ずっとずっと、自分がどんな態度を取ったらいいかって
探っていくと思う。
言語、文化、研究内容、見た目、人格、そういうのを多分、わたしは、最初から、尊敬して、接するだろうと思う。
尊敬というよりも、正当に評価できるほどのサンプルをもちあわせていないから、
ただいたずらにあっちのものを吸収しよう、慣れよう、としてしまうかもしれない。
その際に、自分をどうしようもなく劣等に感じる事だろうと思う。
どうしようもない異物に出会った、その異を、心の中で上とか下とかに分けて、
それゆえ、異を消そうとする動き、同化しようと言う働き。
そういう動きが自分にあることは知っている。
それは非常に危険で、
簡単な例を出せば、
優しくしてくれる、ということの背後にある感情を察することができずに、勘違いしてしまうかもしれない。
同化はできないんだよ。
絶対的に違うんだから。
同化なんて嘘だよ。
絶対的な違いを認め、その上でどういう態度をとるつもりなんだ、とれるんだ。
自分の弱さと戦わなくてはならない。
そのときに、この「存在」は私の自信となって、絶対的な違いの狭間で、踏ん張る元気をくれる。

私の、人との交流ベタも何らかの変化を迫られるし、
多分ひじょーーにつらい目に遭うかもしれないけど、
乗り越えたら悪いことになってるはずがない。
そこで、本来の私がどう生きてくるか、見物だ。

みんなも、各々の場所で、色々抱えてる。
頑張ろうね。なんとか踏ん張ろう。
頑張れ頑張れ、頑張る頑張る、わっしょいわっしょい、そんな気分。

Wednesday 9 May 2007

すごっくいい天気だ。

なんだかここのところ心臓がドキドキしてしまって、
胸に手を当てて寝転がって過ごす事が多い。
胃はメタメタだし涙が意味なくやたらと出る。
何をやるにも元気が出なくて、
チャーマーズの本も、発表の準備も避けてしまっている。
こんなに神経質で、気弱で、どうすんだろ、と思う。

科学の事も本当はよくわからない。
この先続けていくんだろうか。
哲学もしかり。

なんだか、体の表面が熱を持ったようにひりひりしていて、
そのうち皮膚が破れて
体の内に抱え込んだ全てのものが、だらりと流れ出してしまうのではないだろうか。
破綻して死んでしまうのではないだろうか。
何もできないうちに。

ゴールデンウィークにお兄ちゃんがあゆみさん(彼女さん)と一緒に帰ってきた。
前にお会いしたときに、私は密かに、いっぺんであゆみさんが大好きになっていて
だから会えてすっごく嬉しかった!
なんだか、心の奥をすっごく、元気にしてもらった。
お兄ちゃんにも、
「落ち込んでるなんて、おまえ暇だな。」と明るく言い放たれ、励まされた。

私の心の中の、不動の、大事なものは、
科学でも、哲学でもない。
心の中の一番大事な所は愛しいものでできてる。
この大事なものだけはぶれずに、中心外さずにもっていたい。
これを見つめている限り私は大丈夫。
外に開いてみる以上、なんかうまくペースが作れないときはあるだろうし、
気を使いすぎたり、勝手に振り回されちゃう事もあるだろう。
心ががたがたになっちゃったときは
思い出そう。
いつも、これだけは、持ってる。
このひりひりは、きっと大事なものを大事にできるようになるための、「生」のひりひり。

私が帰ってくるのは、7月8日。
今よりきっともっともっと暑くなって、夏になってる。
ぎゅっと濃縮された夏になってる。
オーストラリアは冬だから、
冬真っ只中から、夏真っ只中へワープする。
あっちで楽しく過ごそうとうまく過ごせなかろうと
それを昇華することはできるに違いない。

Thursday 3 May 2007

小学校4年生のころ担任だった先生が、イタリアから帰ってきたばかりの方で、
私たちにとっては、遠い国の、いくつかの言葉を教えてくれた。
それからたくさんのイタリアの歌をギターで歌ってくれた。

その先生の発案で、私たちのクラスは、毎週、"Via Ohne (大根通り)"
(注:昔は私の住んでいるところは「大根(おおね)」と呼ばれていた。)
という紙一枚の通信を作り
クラスのみんなが俳句か詩をいつもいつも作って投稿し、
その中でいいもの数点が選ばれて掲載された。
しかも、その中の逸品、一つだけは紙面の一番上のところにでかでかと載った。
今週は選ばれなかった、今週は選ばれた、すごくどきどきして、
いつも楽しみで楽しみで仕方なかった。
(学年の終わりにそれが文集になった。)

一度だけ、その特別な場所に、私の俳句が載った事がある。
じゃじゃーん

「虫あみで とってみたいな 空の星」

私は知らなかったのだけど、先生は、私たちのものを全国の子供俳句コンテストに出してくださっていたらしい。
一年ほどたって、もうクラスもかわってしまったあと、ある日、先生に呼ばれて、
おまえの俳句が日本で優秀賞にえらばれたんだ、ここにいけることになっているんだけど。。。
と知らされた。

第1回世界こどもハイクキャンプ(広島県瀬戸田町)
http://www.jal-foundation.or.jp/html/haiku/nenpyou/nenpyou.htm


色んな国の俳句をする大量の子供たちが、親からはなれて、
瀬戸内海に浮かぶ生口島というところに集まって、
一週間ほどのキャンプをした。
ほんっとうに色んな国の人たちが小さな木造の小学校の教室で布団を並べてねむった。
南国の肌をして、すごおく目がぱっちりして茶色のきれいな長い髪で、すごおおくかわいい女の子がいて、
はにかむような微笑みを浮かべる
みたことないような美しさだった。
タイの王女様ということだった。
強烈な印象を未だに覚えてる。
地元の子との出会いもあり、
真っ黒に日焼けしてて、半ズボンでショートカットのすごい元気な女の子と仲良くなって
すごく暑いときで、日差しがいっぱいで、ひたすら駆け回って遊んで、
夜には、大人のお兄さんに望遠鏡で土星の輪を見せてもらった。

大人になって、一度その島を訪ねたけれど、すっごおおおおおく素敵な島だった!

子供の頃のこの充実感、濃密感、
なにか、みかんをぎゅうーーーっと搾ったような、この感じってなんなんだろう。
没頭感。

私は当時画家になりたくて、そればっかりかんがえていて、
いつか画家になって外国に行くんだ、って思っていた。
画家にはなっていないけど、
よく考えたら、こういうことが多分、私の外国に行きたい!って気持ちを支えていて
今周りにいてくれる人との出会いを作ってくれたんだなあと思う。
今大事な人たちと、人生の中で巡り会えない人生はやだった。

なにか未来の事を、こうでなくてはならないとか、心の中できめちゃうと
遡って、そんなことできる才能ないかもしれない、とか
それなのになんで生きてんだー、とか
今が苦しくなっちゃって、動けなくなっちゃうから、
楽しみの気持ちで、夢、いっぱい持って、
何にも考えずに没頭したい。
願わくばあのときの気持ちで。


私(大人版)撮影 @生口島

Wednesday 2 May 2007

感情サーフィング

荒れ狂う感情の波。
全然上手く扱えません。
前頭葉発達させたいです。
いらぬ妄想生まれ放題です。

自分を客観的に見られる能力と、
多分この波のコントロール能力は同源かと。

これは五月病か、とおもって、大久保さんにいったら、
”もうですか!?今日五月一日ですけど!”
とつっこまれました。

あたまんなかがオーストラリアの事ばかりだよ、助けて〜

とりあえず、できることをできるだけやることだけ頭に入れてるのがベスト。

きゅっとねじを締める。

ゼミの後の飲み会で、突然、野澤君が、
恩蔵さんに会えるのは、ひょっとしてあと一回か二回なんじゃない!?
というので、
イヤ、帰ってくるし!きちゃだめ?
とふざけていたら、
しばらくたって、また突然、今度はすごく真面目な顔で、野澤君曰く
帰ってきていいんだけど、そういう意味じゃなくて、活躍してほしいよ。

どっきりした。

活躍、という単語に。

覚悟が足りなかった。

常に一生懸命な後輩が、ピィッと気がつかせてくれた。

Sunday 29 April 2007

葉っぱの穴から。

昨日はお友達とゆうごはん。
その人はいつもなんか独特のポリシーがあって、面白い。私は安心してぼけーっとついていってしまう。
連れて行ってくれたスペインの洞窟の中みたいなこじんまりした、でもspatialな、
(多分)イタリアンレストラン(すごくいい感じという意味。)で食べたピザがおいしすぎて感動した。
女同士の話をしていたら、その人が「小津映画の杉村春子の帯がいつも曲がってるのが気になる」ということをいっていた。

そして今日、一日快晴で、
畑の農作業のお手伝いをした。
草をひっこぬいたら、細かな蟻がわあっとでてきたり、
ビニールをめくったらもさもさした虫がさーっと逃げたり、
土に顔を近づければ近づけるほど、
目が慣れれば慣れるほど色んなものをみつける。
地面に這ってジャガイモの葉っぱの茂みを覗き込んだら、穴の開いた葉っぱの上に大きな蟻が一匹のって、
しきりに自分の体を隅から隅までなでてなにかを体に塗っていて
なんだか鏡の前のヨーロッパの貴婦人のようで優雅だった。
こんな風に土に近づくのが久しぶりなんて、なんてことだ。

変なズボンをはいて、黄色い割烹着みたいなのを着て、麦わら帽子をかぶって、眼鏡をして、やっていたら、
私はとても目が悪くて(右目も左目も0.05くらい)普段、コンタクトをしたり眼鏡をしたりしないことはないことに気がついて、
そういう矯正をしていたくなくなってきて、眼鏡を外した。
最初は、みようみようとして目を細めたりしてがんばっていたけど、
日高さんのいってた、環世界を思い出して
作業に差し支えない限り見えない感じのままいてみることにした。

”のらちゃんな”の枝を抜こうとしてがんばっていたら、
近所のおじさんがやってきて、
「ハイハイ、どきなさい、お嬢さんにはできないさ〜」
といってひょいひょい抜いていくし、
母親や母親の友達やそこにいた、あたし以外は
すごいテキパキしていて、
なんだかすごい自分がうすのろな気がして悔しかった。

ふと、思い出して、ねえ、火曜日って晴れかなあ?と聞くと、
母親の友達は、雨!火曜日と水曜日は雨!と即座に答えてくれる。
娘がいつも今日は天気どうかな、とかいうので、
気にするようになって予報士並みに詳しくなってしまったらしい。

今日そういえばいきなり、母親が、保育士になろうかな〜、というようなことをいいだしたんで、
そんな事考えていたんだと思ってびっくりした。
是非やってほしい。

葉っぱの穴から世界をのぞいた気分がした。

Friday 20 April 2007

車窓から見える小さな黄色い花が畑を満たして揺れるのが好きで。

はっ。また、更新せずに日が経ってしまった。

春だから、きれいな色の服が欲しくなって、飛行機を調査しにHISにいくついでに、
新宿でふらっとお買い物。菜の花みたいな色のカーディガン。

家にずっといるのはなんとなく気がめいるので、
外の空気に触れるために喫茶店に行く事が多くなった。
歩けば、MP3を聞く時間ができるし、電車に乗れば、本が読める。行き帰りで別の本を読む。
喫茶店でも別の本を読む。
チャーマーズのをよまなきゃいけないとおもってよむと、全然進まないんで、
気が向くままに移り変わるのをよしとした。

その中の一つ、「人生の鍛錬ー小林秀雄の言葉」
読んでいて、決意を新たにした。

まず始めに信じよう。自分に安心を与えてくれる事が確かめられてから、信じるのではなくて、
まず始めに信じよう。直感の指差した人を、ものを。
私が信じる人が、ものが、素敵であればあるほど、
それらを本当に感じる事は、私自身が素敵にならねば無理だろう。
だから、まず信じて、どうなることも恐れずに、飛び込んでいこう、と、
(だって、こうなろうと思ってなにかすれば、こうなろう以上の実現はできないのだから。)
それで、「信じる」を死ぬまで成長させていきたい。

今はなんか全部が全部心配で、全部全部心配。何から何まで、しつこいくらい。
だけどころっと忘れたり。
春はゆっくりと茂る。今日家では筍の初物がとれた。


以下「人生の鍛錬ー小林秀雄の言葉」より抜粋。

「経験というものは、己れの為にする事ではない。相手と何ものかを分つ事である。
相手が人間であっても事物であってもよい、
相手と何ものかを分って幸福になっても不幸になってもよい、
いずれにせよ、そういう退引きならぬ次第となって、はじめて人間は経験というものをする。
そういう点に心を留めてみると、経験は、場合によっていろいろな事を、教えたり教えなかったりするだろうが、
たった一つの事は、あらゆる場合にはっきり教えているという事が解る。」

「風景に対する愛や信頼がなければ、風景画家に風景というものは存在しない。
そうして出来上がった風景画は、見る人に愛や信頼を要求している。
かような要求に共鳴するからこそ、美しい形の知覚は、動かしがたく、堅固なものになるのである。
かくの如きが、美しい形の持つ意味なのであり、意味を欠いた美しい形は、忽ち安定性を失う。」

Sunday 15 April 2007

八重桜の季節

昨日久しぶりに大学のときからの友達とあってあれこれ聞いてよー!っと話をしてて、
色んなことを話してるときの自分の心の動きに目がとまって、
ふと
私はあれがいやだとかこれがいやだ、誰はどうだとか、とか
そういうことから開放されつつあるかもしれない、と思った。
そういうことが関係なくなってきてるかも、自分を守らなくても良くなってきてるかも、と。
自分のまとってる防御の膜をできるだけ薄くしたい。
不安を勝手に埋めようと急いだりすることが今の私の欠点だけど、そういう無理矢理のエネルギーより、
今ないならないで、そうか、と認めるほうが、
そうして、永久になかったらそれならそれで、と思う方が
なんかよっぽど悲しくないのはどうしてだろう。
もっともっと信じられるようになる気がするのはどうしてだろう。
このままほんとに変われたら。
ぎゅーっと凝縮されていく夏に向かって。
本当の栄養をと、心が太陽に向かう。
ああ、春は良いな、春は好きだな。

Friday 13 April 2007

春セミナー

今日はいつもの場所がとれなかったということで、
研究所の外に出て、
神田の美しい場所を茂木さんが予約してくださり、そこでのセミナーの日となった。
昔のお家そのままの甘味所。竹むら
私が研究室に入ることが決まったまだ学部生の頃、
偶然ここでなにかの研究会があると、先輩のみんなにまじって誘っていただいて、
初めて来たのだけど、その時の感動をまだ覚えてる。
なんか小俣さんの着てた服とかまで覚えてるかも。夏だった。
それに、ふみちゃんとの衝撃の出会いの場所だし(その頃は桜の頃)、ほんととても思い出深い場所。

今日は、てくてく歩いて向かって、その建物が見える角を曲がったら、
2階の窓があいてて縁側というかベランダというかに、柳川さんが腰掛けていて、
なんとも粋だった。
うらやましくなって急いで中に入って私も早速腰掛けた。
気もちいー!

みんなそれぞれ自分の今考えてることを自由に書いたA4一枚のレジュメをもって発表して議論した。
それぞれのことを聞くと、いつも話してたのに、ヘーそんなこと考えてたんだーっていう驚きがあったり、
その人らしさがみえて楽しかったし、
色んな話題で議論ができたり考えられたりするのが楽しかった。
私は、「新しい学習理論のために」ということで話した。
変化と唯一性と主体性の関係、この辺もうちょっと整理したい。
ここには既に主観性が前提となってしまっている気がするから。
関係性と比較も。

とてもさわやかな春の風が吹いてた。

Wednesday 11 April 2007

positive energy

今日はひょんなことからCSLによって
柳川さん、関根君、篦伊くんと韓国料理の「チェゴヤ」でご飯。
関根君が、蚕の炒めたのを頼んだ。
関根君が今日、象の気持ち悪いダンスを踊ってくれたからか
私は見た目が変わった食べ物やクセのある食べ物がわけへだてなく苦手なのに、
ぱくりと一匹食べてしまった。
きっと後にも先にもこれ一回のことだと思うけど、
濃厚な味で、でも頭の中の衝撃の方が大きすぎて、しっかり記憶することができずに、
その味はもはや、そしてなぜか、美化されて心の中に刻まれることとなった。
楽しかった。

最近マリーナの講演を久しぶりに聞いていたら、
なんかいろいろはっとした。

「私には制限が必要です。私の人生の全ては制限を破ることにあります。
だから私は、私自身の心や体の制限を見つけて、簡単には克服できない課題を自分に課すのです。
私がやろうとすることは自分が苦痛で苦痛で仕方がないと思うことです。
自分の好きなことばかりをやることは、簡単であるが故に、
常に同じ状態に居続け、同じ間違いを何度も何度も繰り返すことになります。
だから未知で怖いことをしなくてはなりません。
私は、そのような反復が嫌いなのです。
パフォーマンスとは変化についてのことなのです。
(中略)
予想不可能な事態に晒され、リスクを引き受け、
精神的にも肉体的にも自分を限界においたら、その時、
どんな場所にあなたがいたって、アイディアはsurpriseとしてやってくるのです。」
(私の訳)

ならばリスクをとることも、失敗することも、結局、神の祝福。

私はなんとなく、
自分に正直でいたい。
Australiaにいって、私はどんなことをChalmersと話したいかな、とか
多分みんなのまえでトークをしなくちゃいけないだろうな、とか、
自分が本当に心の底から大事だと思ってることを話さなきゃ意味がないなと思って、
自分の考えを整理しているのだけれども、
自分に嘘のないモチベーションってなんだろうって真剣に向き合ってみると、
意外とその姿はぼやぼやしていてることに気がついて、
甘えなく、あらゆる仮面を取り除いた姿をみなくては、と思うようになった。
そして全体像は過渡期かなにかいっそう混乱してきてしまったけれど、
なんだか色々足りないパーツや誤摩化してるパーツは既にたくさん見えてきた。
こうなると勉強が楽しくなってきた。
鏡を通さずに、勉強って自分の心の姿をみようとすることなんだな、と何となく思った。
Marinaの魂に殉ずれば、ありのままの姿は制限であり、克服されるべき実体なんだろうと思う。

友達の言葉や態度のパワーってすごい。
根底の優しさってすごい。
そのpositive energyで
のびのびのびーっと風船のように天高くまでいけるきがした。

Friday 6 April 2007

ベタの地団駄


http://ikimono.ciao.jp/beta/beta.html

少し前、私のことをよく知る人に、
オマエ、ベタに似てるな、とつぶやかれる。

・・・闘魚らしい。

血の気がおおくて、この口、この上目遣い、そっくりではないですか。。
私がちょくちょく落書きしてた自画像にも似ている気がします。

今は沈黙だけど、
なんかいろんなことが悔しくて仕方ない。

私は学生を卒業したばかりで、今職探し中で、いわゆるニートとかフリーターとかいうやつだけど、
だからこそ(かどうかはしらないが)息苦しいほど思うことがある。
私は、なぜか、でも絶対的に、存在してしまっている。
この先どうやって食べていったらいいのかわからないのに、
存在してしまっている。
定期が学割じゃなくなったり、銀行から今後の身の振りを聞かれたり、
あらゆる書類の所属欄を見たりして、前よりも多めに、
ぽっかりと、何者でもない自分を意識せずにはいられなくなってくるけど、
この息苦しいほどの、存在してしまっているという事実に向き合うのにはちょうど良い。
ニーチェやマリーナが示してることは、
ただ、呼吸して、どんどんエントロピーの広がる方向へ、弛緩していくんじゃなくて、overcomeが必要だということだ。
この存在の重苦しさに等しいくらいの自分になるためには。

私のこの息苦しさが、もっともっと深まって、「それから」でくるくるくるまわる「赤」の時を迎えればいいのに、と思う今日この頃。

Tuesday 3 April 2007

自戒

ニーチェに出会って、変わったことは、
私、この人のこと感じたい!っていうような気持ちになったってことだった。
死んでしまって、決して問いただしたりできない相手の気持ちを
とことん感じたいという衝動が起こったことだった。
でもほんとは、
死んでるから断絶してるんじゃない。
生きてたって完全な断絶があるんだ。
だから、同じ。
対、他者だって、対、自分だって、未来だって、
生きてるから、ついつい
こうだったらいいのに、とか、こうじゃなきゃいやだ、
上手くいかなかったらどうしようとかいう気持ちが生じちゃう。
そういう気持ちが、いき過ぎて強くなって暴れ出したら、
ニーチェへの愛をしっかり心に抱きしめればよい。

前の日記の、私の家の目の前にある一本の桜の木は、どうやら、
変な時期に枝が切られてしまったために、
調子が狂って、いつもとちがう咲き方をしているみたいだ。
枝に少しずつの固まりで咲いて、満開とはほど遠いのに、既に葉っぱがたくさんついている。

Sunday 1 April 2007

桜の灯

体が先か、心が先か、なんだかメタメタになっている。
どうしてこんなに疲れてるんだろう。
なんか背中から魂がふーーっとぬけて、体がどさっと落ちちゃうんじゃないかっていうくらい。
。。脱皮じゃないんだから。
なんだか若干、中心崩壊状態。
寝るのが一番大事かも。

今日は花見だった。
東京は上野。満開の桜。たくさんの人手。いろんな人の顔。揺れる赤い灯、花吹雪。
私の家の目の前の桜は、すこしずつ咲いてる固まりが枝にぽつぽつついてきて、
夜、その木を見たら、花の固まりがほわっと白んで、雪の降る中にたつ木みたいだった。
私もしっかりたたないと。

Wednesday 28 March 2007

ちんどんやさん

五反田を歩いていたら、ちんどんやさんに遭遇。
マーメイドというパチンコ屋さんの看板を背負っているからびっくりした。
ちんどんやさんって、ひょっとして何かの宣伝をするための職業だったの?
私は、音楽をならして、funnyな格好をして、ただ歩く、という職業だとずっと思ってた。
小学生の頃から、ちんどんやさんは、自ら見せ物になることを選んだ、壮絶な人生というか、
どこか非日常的な空気のある、ただならぬ魅力を感じさせる職業だと思っていたので、
びっくり。

狭い路地だったんだけど、彼らがゆっくり歩くから、なんか追いついてしまって、
どうしよう、彼らの方をみていいのかな、とどきどきしていたら、
先頭の人が、コンニチハー、マーメイドでーす、といって話しかけてくれ、
私がすこしだけ!ほっとして(そしてびくびくと)そっちをみると、
私の目を見て、ニャー、といった。
猫ちゃんのメイクで、ニャーといった。
たまらなくおかしくなって、笑ったら、
アーウケタ、ウケラレタ、ハハハー
と3人のちんどんやさんは笑った。
あの人間笑ったよー、みたいな、どっちが見せ物かよくわからなくなってきて、
やっぱり、なんだか、どこか猫ちゃんの惑星の人たちみたいで、素敵だった。

受胎告知

今上野の国立博物館で公開してる
ダヴィンチの受胎告知
で私はなんだか、
こういうことを感じていたのかもしれないな、と思った。
でもまだよくわからないんだけど・・・

私にとっては、
天使の方がマリア様よりもずっと重みがあるように感じられた。
そう思ってみていると、ふと、マリア様の手元の旧約聖書に目がいった。
あれ。これから読むページが透明の紙の上に文字が書いてあるようになってる。
あれ。すでに読んだページは重厚感があって描かれてる。
なんか、このことが変に頭に残ってた。

数日たって、今お風呂に入りながら、ぼけーーーっとしてたらふと思った。
ああ、この時のダヴィンチにとっては仮想の方がリアルだったんじゃないかな、
生きてる人間の、すなわち自分の、不確かさを持ってたんじゃないかな。
私の、植物や、蝶々や、岩のほうが自分よりずっと確かに感じて、
この世のものと思えない痛みと祝福を感じた斎場ウタキでの体験みたいに、
死に希望を見た人なんじゃないかな。
(っていうか私、あの一瞬死に希望見てたんだ!?恐ろしいよ、斎場ウタキ...)
それは、死んだら楽とか早く死にたいとかいう意味じゃなくって、
むしろ生命力とよぶべきものじゃないかな。
ほんとうのリアリティを感じていた人なんじゃないかな。
それから、あの絵は、人間が死に出会った瞬間の絵なんじゃないかって。

そういう風に思ったら、google上でしかみたことないけど、
ブノワの聖母とか、モナリザとかがすごい怖い(畏怖の意味)気がしてきて。

私今まで、ダヴィンチってなんか、どうなんだろ、と警戒気味だったけど、
受胎告知は、上に書いた私が今感じてることが馬鹿らしくなるくらい
ただ、素晴らしかったです。すごいです。

Tuesday 27 March 2007

春の疑問集

卒業式の昨日、桜がふわふわ開花してて、少ないけれど、美しかった。
修士卒業の子たちと一緒に渋谷にいって大久保さんとの思い出のタイ料理でランチ&プチ打ち上げして、
CSLにいってベルグソンの「道徳と宗教の二つの源泉Ⅱ」を少しよんだ。
その中の”偶然”という章の中で、
岩の破片が落っこちてきて、人に当たって、その人が亡くなった。
前から岩に割れ目が入ってて、強風によって破片が落ちて、その人の頭蓋を潰した。
そういう物理的原因が確定されたとしても、一人の人間が亡くなった、という我々にとって重要なこの一事の説明はなされていない。
だから原始の人は神秘の原因(死者の霊とか妖術とか)によるものだと考える。
原因は、結果に釣り合っていなくてはならないというごく自然の考えに従って。
という感じのことが書いてある。
すばらしいな、ベルクソン。
どうして私は、これを大事と思うんだろう。

なんか私、すごく、ぼんやりしているきがする。
やりたいこと、とか言われてもよくわからないし、
そういうこと思うとなんか自分に嘘ついてる気がする。
なんかもっと外部を取り入れる必要性は感じてる。
大好きなものや、大事なものをもちながら、それにただ所属するんじゃなくて、
凝り固まらずに、嘘をつかずに
どうやったらいられる?
なんか変。変な感じ。

卒業式では、
学長さんや壇上にお座りになられるwithマント先生方の入退場の時だけブラスバンドが演奏して、
彼らが恭しく卒業生たちの間を通って退場なさった後に、
司会の人が卒業生に曰く、”じゃ、速やかに退室してください!”。うん。なぜ?

Sunday 25 March 2007

ゆっくりの時間の流れる

卒業式は明日。
なんだか嘘みたいだな。
お嫁に行く前の晩の気分ってこんな感じじゃないかしら。
5年間、茂木さん、みんな、本当にありがとうございました。

明日は桜、どれほど咲いてるだろう。
ずっと眠っていたので、外がどんな天気だったかも全然わからない。
緊張するな。

最近なんだか緊張してばっか。

哲学の道

以前京都の哲学の道を歩いていたら、
おじいさん、おばあさんと孫二人(小学生低学年と幼稚園くらい)が反対側から歩いてきていった。
おじいさん「ここは哲学の道っていうんだよ、知ってる?」
孫「知らない。でも哲学は知ってる。」
おじいさん「哲学は知ってるの?」
孫「うん、哲学はねえやっちゃいけないんだって。」
おじいさん「そうだよ、やっちゃいけないんだよ。」
孫「自殺しちゃうんでしょう?だからやっちゃいけないんだよ」
おじいさん「そうだよ、何で生きてるのか、とかはね、絶対考えちゃいけないんだよ。」

おもしろすぎて、倒れそうになった。

Saturday 24 March 2007

いもむし太郎となった

昨日は”一応”最後のゼミで、
茂木さんに”最終講義”させてもらった。

5月から、2ヶ月間くらいオーストラリアに行く。
重い気持ちと裏腹にとんとん拍子で決まっていったことだから、
きっとこれはいいことなんだ、って確信してる。
あらゆる懸念材料が足を引っ張る暇もなく、とんとんとんと。
重い気持ちだって本当にあるんだかないんだか。
この心のうわつきを信じよう。

私は、愛するものをみつけたんで、今度はこれと誠心誠意向き合うフェーズに入ってく。
オーストラリアに行くことは、洗礼、みたいなものかもしれないな、と思う。

私、自分が今までやってきてしまったこと、見せてもらったこと触れさせてもらったこと
何一つ消えないと思う。
そのすべてを乗り越える何かをできたらいいな。
全部血として肉として、背負って背負って。
そうやって、ひょっとして誰かにとっての祝福になったら。

だけどめまぐるしく日々が過ぎてく。
ただただ高速で。

昨日家に帰ったら、お兄ちゃんが結婚することになってた。

今日目を覚ましたら、熱が出てて、
のどにタオル巻いて、布団体に巻き付けて
アイス食べたりする一日となった。
いもむしとなって何にも考えずに目をつぶっていた。

Tuesday 20 March 2007

粉雪の祝福

毎日upするってほんとに難しい。

今日大岡山に行って、佐々木さん、柳川さん、小俣さん、関根君、野澤君と一緒に遅くまで飲んでいた。
ラーメンまで、食べた。
東工大生活で、初めての、大岡山ご飯。
ゲラゲラ笑って、外に出たら、雪が降ってた。
粉雪。
心強いくらいたくさん。
うれしくなって駆け回った。

一昨日から昨日にかけての合宿は、
真鶴、湯河原、江ノ島の特に海辺でみんなで過ごした。
新入生の子や植田君、ずっと一緒に過ごしてきた仲間、
自分でもよくわからないけど、
ああやって過ごしている時間が、
暖かい透明の毛布みたいに感じて、
手放しがたかった。
ふみちゃんと夜布団を並べて二人で眠りながら話していると、
一人一人の影がうごうご動いて波のように夢へと落ちた。

さあ明日から始動。

Friday 16 March 2007

general movement in life

すごく久しぶりに、人生で数回めの朝まで飲み大会をやってしまった。
かなり飲んでしまって、
おぼろげな記憶では、私はこういうことが好きだ!とかひたすら言ってた気がして、
思い出すとつい、ひゃあ!とかなんとか叫んでしまう。

最近は色んなことがあって、バタバタと色んなことが過ぎてく。
私の人生はどういう風になっていくんだろうなあ、と思う。
子供のように、あっち向いたり、こっち向いたり
わけもわからずしてるうちに、なんだか、通り過ぎてく。
重大な決定ほど、ぱっとひらめいた思いつきで、あっという間に過ぎてく。
胸の中をのぞいて宝物を確認する。
なんだか正体不明の宝物を抱いてて、
自分でも、これをずっと持っていけるか、捨てたりしないか、不安で、泣きたくなるわ、やめたくなるわ、
感情もあっちゃこっちゃしてるけど、
体にしみ込んだ何かを信じて、このままバタバタバタバタしていこうと思う。

色んなことが愛しい。

Saturday 10 March 2007

回顧

斎場御嶽のあの何の対立もない、私も、一つの生き物も、一つの粒子も同じく
感情の消え去った、だけどそれ故に、
その一粒一粒が自分の中に出入りして噎せ返ってしまうような存在感のあの場所と、
日々の自分を比べてみる。
なんで、あんな祝福の場所で、許された場所で、私はどうしようもなく苦しくなったのだろう。
どうしようもない理不尽さを感じたのだろう。
私にとっては大事な問いなので、何度でも立ち返って考えてみたい。

ーー以前書いた斎場御嶽に関する日記

Friday 9 March 2007

花ひらく

ほぼ毎日更新しようと思っていたのに、
こんなに滞ってしまった!

昨日早足で街を通り抜けたら、
そこかしこの花屋さんが賑わっている。
赤やピンクの大きな大きな花々がいきなり、すっごい並んでいて
まるで、世界中で春だよ!と一斉に開花したようで
わあ、と思った。

昨日の朝は、まさに目が覚めた瞬間に、一昨日のことが腑に落ちるというような日で、
ずっと寝不足が続いていたからかすっごいとにかくぱーーーっと目が開くような感覚で、
なんだかすごく世界が輝かしく見えたんだけど、
それは愛しいものをより愛しく思うような気付きで、
こういう存在が私の心を潤して元気にしてくれるんだなあと思う。

誰がわかってくれなくても、自分のほんとに信じてる人たちが喜んでくれるようなことをしよう。
生きてる死んでるに関わらず、私が愛している人は、
自分自身を守ろうとしない人たちだから、
自分で動いて、自分をさらして、引き受けて、
痛い目を見て、責任を自分で取って、
自分独自の判断基準を一生かけて作り上げようとする人たちだから、
私も、私固有の問題を探りつづけて自分自身を作り上げていく。
死ぬまで格闘。
それがいいな。
そういう生き方が良いな。

Tuesday 27 February 2007

光の水たまりのような音

Glenn GouldのGoldbergがやたらぴったりくる。
最終審査が終わったときとは違って、今日は
ピアノの音に混じってGouldが歌っちゃってる声のほうへ心が向く。
この人、多分孤独でたまらなかった。

生のコンサートの一回性に対して疑問を感じて、
recordingが多くなったというけれど、
Glenn Gould、その人、という感じが失われずにこんなにも伝わってくるということは
やっぱり、普遍性というのとuniquenessが矛盾しない関係にあることがよくわかるよ。
誰だったか、universalというのとgeneralというのは違うのだ、といっていたなあ。

自分が背負ってるものを捨てたりするのはやだな。
自分の手を汚さないで、
人のせいにしていて、
既にある規範で動いたって
真理に到達なんかするわけないんだ。
正しい正しくないは、既にある規範のことだから、
それで動いたって新しいのが生み出されるはずがないのは自明だし、
だったら、もう生まれ持っちゃった私のこの体と頭の制限を持って、
十分に試してみるしかない訳だし。
間違ってるも何もないよなあ。
むしろ、この制限こそが、私しかもってないものであるわけだし。
こんな風にうたっちゃうGould君の魂に殉じようと思います。
多分、変な人がすごく優しいのは、
どうしようもなさをしっているからだとおもう。

Sunday 25 February 2007

重さの霊

私は、好きとか嫌いで動こうと思う、正しいとか正しくないとかではなく。
そしてどういうものを好むかという自分の趣味を高めていこうと思う。
これは私の性質。

ただ、もっと軽くなる必要がある。

趣味や美意識は原理主義となる危険と常に隣り合わせ。
ならば、軽さを持とう。
重く重く美意識を突きつければ、災難が起こる。
芯を持ってなお、軽く軽く身をこなせればいいのだ。

日高 敏隆さんの話を伺って2晩たって
自分で気がついたことはそれだった。
どんな生き物も、どんな個人も、その世界を持っている。
愛を持って、本当に生きていこうとするならば、
軽さがなくてはならない。
今の私は愛も深けれど憎しみも深い。これじゃ、ほんとの深みにいけない。
本当にやりたいことをやろうとするには軽さが必要だ。
というか本当にやりたいことというのは一個一個の出来事ではなくて
私の生全体としてどうあるかに関することなんだから。
それがやっとわかった。

ニーチェは、
重さの霊に抗して軽くなり鳥になろうと望むものは、己自らを愛さなくてはならない
といった。
自分に憎しみ、恨み、妬み、固執を持てば重くなる。
そういう重いこと、しちゃったこと、全部しっかり受け止めてしっかり愛して、
覚悟を決めれば、次から次へと軽く軽く飛び回っていくようになるはずだ。
愛を重いままで止めないで、軽いところまで持っていこうと思う。
これからの課題はそれなんだな、と発見できた。

Tuesday 20 February 2007

月の覗き見

今日は修士の人のポスター発表会と専攻の卒業パーティがあった。

そのパーティの場で博士論文の審査をしてくださった先生が
にこにこしながら”君は本当にこの先哲学をやるの?”とお声をかけてくださった。
”君は最初からそういう傾向があったような感じだったしな。”
”僕は、思うのだけど、茂木研にいる学生さんは、
なんというか「科学」に満足してない人が多いのではないかって。
科学を根底から変えたいというような。”
ー”うーん、でも、
やはり「科学」のところできっちりなさってる方からみると
危うくみえるということなのかもしれません。”
”まあでも、僕は人類で、君は超人類かもしれないし、
だから僕が同意しようと同意しなかろうと、
遠慮しないでやりたいことをやりたいといえばいい。”
ー(超人!!なんだかニーチェみたいだ)
”だけどそう言う限りは、それをちゃんと作り上げないと。
でも君にいっておかなくちゃ、と思うのは、
そういうことをやるひとは、悪いカルトとかにはまらないように気をつけないと。”

そして、大久保さんの研究が、
自分にとって切実なことをやりたいっていってはじめたもの、という話が出たら、
”そうだよな、僕だって、エントロピーにこだわるのは、
僕自身が曖昧なことが大嫌いだからなんだ!!”
ー”ああ!そういわれてみると、まさにそういう感じですね!”

なんだか、月が後ろで笑っている気がする。

4年ぶりくらいに、学校の研究室に夜9時を過ぎるまでいてしまった。
みんながいて、それぞれのことをやっているようで、がやがやしゃべってて、
どこか遠くの、遥かに大きなことに見守られながら、かけがえのない一瞬がすぎていくような気持ちがした。

Sunday 18 February 2007

思うことは1つで

"Johohoe! Traft ihr das Shiff im Meere an"

「酷い風 嵐が激しいとき
彼はある岬を巡ろうとした
向こう見ずにも誓ってしまった
”永遠に諦めはしないぞ” 」

「それを悪魔が聞いて
真に受けてしまった!
彼は呪いを受けてさすらう
海を休みもなく憩いもなく!」

を聞くと元気になる。
ほんとにほんとに好き。

前半部は自分の理想の人を称えるように恍惚と
後半部は正しいことばかり欲しがって勇気も覚悟もない大衆に対して絞り出すように
瞬間変化して歌う感じが本当に素晴らしくて。
ただ異常な強さで信じてる、他の人にとっての幻想を。
明るい方に向かって執拗に飛ぶ一匹の白い蛾みたい。

歌われてる男の人のような人と一緒にいたいし、
歌っている女の人のようでいたい。

Thursday 15 February 2007

今日の詳細

朝9時からの審査で、しかも非公開なのに、
石川君が、審査前に顔を出してくれて、
”君ならできる”と書いてあるイチゴ味のお菓子をくれた。
また、審査中に、なんだか変に緊張して、気が遠くなりそうになってるとき、
教室の開いた後ろのドアに野澤君が立っているのが見えて
思わず笑ってしまった。
チラリといつもの私のコイツマタイッテシマッタ系の発言が顔を出したら、
茂木さんがジョークに変えたりしてフォローしてくださった。
審査員の先生でいつも、”君の研究は危うい”という非常に手ごわい先生は、
今日もまた、”3度君の話を聞いたけど、やはり、ずっと僕はその印象を抱いている”と率直に言ってくださり、
私も毎回ご指摘いただいて真剣に考えたが、自分の方も意見が変わらなかった、ということを伝えたら、
納得はされなかったけれど、ちゃんと尊重してくださった。
他の先生方も、同じようにしてくださった。
もう、いろいろな人にお礼が言いたくなってきてしまったのだけれど、
それは直接言うとして。
今日のことを記しておきたいと思った。

昼間の帰り列車

審査が終わって、本当に天気が良いなかを歩いて駅に向かい
みんなと別れて、一人で昼間の帰り列車にのったらば
頭の中でGoldberg Variationsが鳴り出した。
今の気持ちにこんなぴったりの音楽ってない。

Wednesday 14 February 2007

明日は

博士の最終審査。

やっぱり少し、ドキドキする。

梅が満開で、少し暖かな気温と共に、少し冷たい雨が降って、
もう春なんだということを、認めないといけないかな、と思った。

私の思い込みと現実が接したときに激しい感情が生じても
相手の頭と自分の頭に春の息吹が吹き込むように。

相手を認められないのは
自分の要求が強すぎるから。
でも、この要求を消す代わりに、
それと正反対のことを言う人を頭の中に育てよう。
矛盾だらけの人になろう。
豊かな林檎がなるように。

Sunday 11 February 2007

ある晴れた日に

お昼ごろ、山手線に乗っていたら、
目の前に座っていたおじさんが、
深刻な顔をして何事か考え事をしていた。
頭を抱えて、ポツリとつぶやき、しばらく考え込み、隣の人の顔を見て、
何事か耳打ちし、うなずき、遠くのほうを見てまた頭を抱える。
しかし時には冗談を言って、一瞬緊張を解いた後
また元の話に戻っていくようだった。

だけど、おかしなことは、その人の隣には誰も座っていなかったこと、
それから、私の耳を幾度となく疑ったけど、その人の口からは音が何も発せられてないことだった。
筋肉の動きからして、隣が空席なこと、声がでていないことを信じる方が難しかった。

その人は多分ホームレスの人だった。
となりはずっと空席だった。
私のよく知っている人に似ていて
太陽は窓からさんさんと降り注ぐし、
動悸がおさまらなかった。

Friday 9 February 2007

確率がキライ



この間池袋をぞろぞろ歩いていたら、
”見て!”という踊る声が飛んだ。

猫ちゃん。

この猫ちゃんのような、
出会えたことが嬉しい、っていうようなこと、
遠くのsoul mateの発見、
そういうのが待ってる気がするこのblog。
私自身もこの猫ちゃんのように、このblogを1つのself-portraitにしたい。

一回しかない出来事、”その人”という感じ、唯一性は
触れたとき、学習、変化を要求する。
どんな痛みがあったとしても、どんな方向にむかっちゃっても、
少なくともそれを消化する覚悟は持ちたい。

uniquenessから遠い確率論が学習理論で支配的ってどういうことなんだろう。
確率論(に基づいた学習理論)の
例外の扱い方、それから、
不確実性の扱い方(まるで現在から過去を見るように、未来から現在を見ている気がして)
が気になります。
そこをなんとかすることが私の課題です。

Thursday 8 February 2007

The first performance

The idea of this performance came from the experience in a house created by a great artist of lights, James Turrell.
There is a dark bath in that house.
There's no light in that bath except the light fiber implanted in the bathtub.
The fiber made only my body parts in water luminous.
I couldn't see anything but the parts.
Like a firefly, it might be beautiful for an observer (if s/he was there).
But "I" was very scared.

If we do not have any means to confirm our own (physical/mental) form,
and have to put ourselves in public...

It was the moment at which I decided to be free from self protection.


http://www.youtube.com/watch?v=nTactslSYis

---20 Dec 2003

Tuesday 6 February 2007

こんにちは!

子供の頃、雨が降って数日後の小さな水溜りに
いつのまにか、どこからか、アメンボがやってきました。

私も、ここにいるよ!と叫びをあげてみたくなりました。
どこからかの飛来を楽しみにしていようと思います。