Thursday 31 May 2007

新たなスタート

この間の日曜日、AlanとDavidを含め、5人でフットボール(ただしオーストラリア流)を見に行った。
キャンベラの南サイドにあるManuka ovalというところで開かれる
決勝戦みたいなもので、年に3回しかない出来事の一回だったようで、
ファンにとっては待ちに待った日だったらしい。
AlanとDavid以外はルールを全く知らなくて、
Alanはどの選手がエラい選手かとかから細かなルールまで
説明してくれた。
しかし私にとっては、複雑すぎて、そんな顔をしていたら、
Davidが哲学とどっちが複雑?とからかってきた。
Alanは新聞をもって選手をチェックしながらオペラグラスをもって静かにしかし熱中して見ているのに対し、
(私たちは競技場の席の間にある階段に座っていたのだけれど)
Davidは階段にのびーっと体を倒しながら非常にリラックスして
誰かになんかいいながら見ていた。
少年の頃の二人がなんか想像できてしまった。
それでいて、成熟という言葉の意味にここでも出会った気がするような人たちだ。
雲一つない日で、かんかんに日が照る中、ビールをのみながら
本当にリラックスした雰囲気で観戦して、
周りに素敵な人がいて、私はすっごくすっごく幸せだった。
Alanが試合が終わったあと、楽しかった?と聞いてきたので、
ホンットに楽しかったよ!大好きになったよ!といったら、
すっごく喜んで、聞いてよ!アヤコが...とDavidに報告しにいっていた。
あのスーパー早口のDavidも私に話すときは、
すこしペースを緩めたり、簡単な言葉を選んでくれている。
春の日差しのような、芯の芯の方からの優しさを、すごく感じる。
こういう人たちのそばに居たから私の心の中からも優しさと勇気が引き出されてくる感じがした。
宝物のような一日だった。

そしてほんとに、このときくらいからどんどん自分の気持ちが変わってきた。
積極的な気持ちになってきて、
ふと今日気がついたら、
あたしANUが、というか今自分が居させてもらえる環境を愛し始めているかも!と思った。
ただ格闘は続く。

昨日、生物学科の方であるtalkにJohnが誘ってくれて、何人かで聞きにいった。
(多分、蜂のスリニバセンもこのdepartmentのどこかにいるはず。)
カンブリア爆発に関係している要因についてミトコンドリアがどうのこうのという話。
それで、生物学科の人たちにまじってランチをとったけれども、
雰囲気がphilosopherたちのあつまりと全然違う。
生物の人の方がなんとなく、がっつりと勢いがあって、
philosopherの方がなんとなく、かわいくて控えめな感じがする。
なんとなく、カフェで、philosopherはoutsideの席に座って太陽を大事にする感じ(笑
生物の人たちにも会えてまた、感覚がかわった。
だけどどちらにしても、こちらの、なんか、活気の良さと言うか、自由な感じ、それはほんとうに感動的。

今週から火曜日には、consciousnessのreading groupもはじまった。
今週は、horgan, tienson & graham's paper "consciousness and intentionality" .
私にとってははじめてとっつきやすく、どんどんどんどん面白くなってきた。
(私は知らなかったのだけど、philosopherにも、consciousnessとかmindに関しては興味を持たない人がいて、びっくりした。考えてみれば当たり前なのに。)
頑張る気力が湧いてきた。
と思ったらあっという間に2週間が過ぎてて、
あっという間と思える事が嬉しかった。
今日、ホテルからアパートに移る。
名残惜しかったけど、部屋に別れを告げて今大学へやってきた。
はじめての一人暮らしが始まります。

Monday 28 May 2007

うまくいえないけれども。

いつもだったら気にしないような些細な事も100倍ぐらいにして気にしてしまう。
これができなかった、あれができなかったということがたくさんある事がむしろ、足りないポイントを照らしているかもしれない。
素敵だなと思える人たちにこっちでも出会えた。
その人たちに共通するのはどうも、本当の性質と、外に出すときの態度にgapがある感じがする事。
すごくsocialなpartyが多くて、そういうときにすごく感じる。
私は毎日10時半と3時半にtea timeがあって、毎日二度もなんで同じ場所に集まって、みんながchatすることに
非常に戸惑いがあったけれども、なんとなくsocialなpartyの意味を感じ始めているかもしれない。
例えば、昔からよくいわれる、痛みをいっぱいしってるひとほど優しい、とかいうこともそうかもしれない。
たくさんのことを”知って”いるから、人の気持ちがわかって、優しくなる訳ではなくて、
なんらかの飛躍なんじゃないか。分離なんじゃないか。
ますます孤独を深める事による随伴物なんじゃないか。
別に私は痛いです、悲しいです、一生懸命です、ということをそのまんまだす必要はない。
そういうところに他者へのなんらかのアピールがあることを自分の中に発見したような気がする。
安易に同盟を組まないことの何か。

Sunday 27 May 2007

麻痺

変な夢を見た。
小さくて赤い服を着ておかっぱの髪をして
顔がひん曲がって目がやたらに大きく吊り上がった女の子がでてきて、
その子はたった一人で、大勢で仲良ししてる幼稚園児の群の一人にむかって、
あんたの態度は全部自分を良く見せたいってだけじゃない!
と必死の声で叫んだ。
その言葉は私の口から現実に発せられて、その声の大きさで
自分でびっくりして目を覚ましてしまった。

一つ一つの誰かとのやり取りで、
なんでもっとこう答えられなかったんだろうーー!とか
みんなが輪になってるところにはいっていけないで、
遠くの方にはなれて座ってしまって、なんとなく挙動不審になってしまう事や、
JohnとかOleとか声をかけにやってきてくれてほっとすることとか、
そういう、積極的にいけなかったり、受け身な事、
優しくされるのを待ってる事、
いちいちのexcuse、
どんな風にみんなから見えるんだろう、
うざいかな、こんな風にしたらいけないかな、そういうnegative thinking、
それで悲しくなってしくしく泣いて、
かわいそうな気分になるとき、奥の奥のほうで冷めた警鐘が確かに鳴っていた。
その警鐘の音が夢の中でこの小さな女の子の口を借りて、ずばっと示された。
誰かに守られたいだけだという無意識の甘えがばっちり顕在化された。
爽快だった。

お昼あんまり天気がいいのでサンドイッチをかって
クリケットフィールドの脇の木陰にべったり座り込んでもぐもぐ食べた。
誰もいないフィールド。
しかしオーストラリア版カラスみたいな黒と白の鳥
(だけどこの鳥が信じられない美しい、オカリナみたいな声でなく)
が二羽真ん中でくつろいでいた。
何も考えずに食べた。

officeにもどって、音楽をイヤホンで聴きながら、論文の投稿のための調査と本を読む。
しばらくすると同室のOleが土曜日なのにやってきた。
(私はOleと二人部屋。)
しばらくするとDavidまでやってきた。不意打ちすぎて、びっくりした。
ものすごい早くて力のはいった独特の英語でいう、
どう?少し哲学のことになれた?なにやってるの?論文?何について?新しい事?リジェクトされたの?どこに出したの?次はどこに出すの?何を直す事にしたの?だからカーネマンの事調べてるの?カーネマン、僕たちが会ったあの学会に来てたね。覚えてる?クルーズにものってたね。
ところで昨日パーティー来なかったね。疲れてたから?いいパーティーだったよ。景色が良かったよ。55階にある家でやったから。景色が良い家はいいなあ。
(そこで、Oleがgoogle earthをいじりだす)
ちょっと、これで昨日のところみてみようよ、ここだよ。
わあこの3Dはすごいな。ここがあれでここがあれで。。。
絢子の家をみてみよう!住所は?Hadano?で、どこ?どの家?ランドマークないの?探して。眺めはいい?
じゃあ次は僕の兄弟の家は?
とひとしきり遊ぶ。
この疾走感、どこかでみたことがある気がする。

そしてまた、絢子、まだホテル住まい?遠い?どこ?(とまたgoogle earth)
え!ここ?なのに1時間かかるの?
そうしたら「だから僕は思うけど」とOleが立ち上がり
「絶対こんな風にして歩いているに違いないと思うよ」といって、
ふーーむ、ふーーーーーーうむ、と考え込んで部屋を歩き回った。
Davidも一緒になって、ふーーむ、ふーーーーうむと歩き回る。
そこでDavidがはっとして、
そうしたらさ!ホテルからもうすぐアパートにうつるんでしょ!?どこ?(とまたgoogle earth)
それじゃさ、絢子にとっては毎朝2時間だよ!と二人は笑った。

キャンベラはやたらアジア料理の店が多くて、というかそれだらけだ。
今日は夕飯に韓国料理のこじんまりしたお店に一人で入って食べてたら、
日本人の女の子の群れがやってきた。
なんとなく緊張してなるべく平静を保った動きを心がけた。
声をかけようかな、という気持ちもなかった訳じゃないけど、
ただただ耳をダンボにした。
なんとなく心がひんやりした。
目の前の豆腐チゲと白いご飯であったまった。

なんか自分の姿がよく見えない。色々全然解らない。
何も感覚がなくなったような感じもあるし、
全然余裕なようで突然のしゃっくりのような涙にも襲われる。
きっとなんとかこれを乗り越えたら私もきっと変わってる。

Wednesday 23 May 2007

うつカラ一転

今日は朝、ああどうしよう、元気で居ようとしても、
これでよしとして前を見よう、
働きかけなきゃ意味がないから引っ込んじゃ行けない、
笑顔で居れば大丈夫、といくら言い聞かせても、
どうしても一歩が出せなくて、元気で居られなくて、
reading groupにいきたいとおもっても、
近くのofficeの人に声をかけて一緒に行く勇気も、
一人で行ってseminar roomのドアをあける勇気も出なくて、
すごすご帰ってきて、
なんとかDavidから借りた本を自分のofficeでよんでいた。
そこへ、Maireが通りかかって声をかけてくれた。

元気?どうだった?週末は。
goodだよ。美術館行ったよ。
そうなの!それはキャンベラにきたらいくべきとこだもんね、っていうか他にないっていうか(笑
うん。Maireは?
うーん、ただo.k.ってかんじ。
そっか。
どう?色々上手くいってる?
うーん、Maire、なんか私ちょっとうつっぽくなっちゃったよー!
そうなの!ねえ、今からこのofficeからエスケープして秘密のカフェに行くのはどう?大丈夫?
ウン、いくーー!

というわけで、officeのあるCoomb builidingから近い場所にあるのに、
そんなところに!?というような本当に隠れ家感のあるカフェにつれていってくれた。
ちょうどお昼時だったので、ついでにご飯を食べることにした。
おいしいチキンシーザーサラダとコーヒー。
今日はわたしのおごりだよ〜っとMaireがごちそうしてくれた。

Maireのおかげですっかり元気になった私は、
よし!っとofficeに帰ると、途中でDavidに遭遇。
Davidもやさしいよ、ホントに。なんともいえない味わい。
そのあと、HollyやRachelに遭遇。
ねえ、ちょっと私の部屋はいって、そこに座って、ねえねえ、来週末キャンプいく?
野生のカンガルー見に。そんでいっぱいお酒飲んで、チョコレート食べんの。
そりゃいくよ!
よし!いこう!
ってなことになったんだけど、よくよく聞いてみると一人20分くらいで発表するらしい。
してもしなくてもいいっていわれたけど、
自分がどんなことをやってる人間かってのを伝えられないのが
苦しくて苦しくて仕方なかったから、
思わずやるっていっちゃった。
みんなに我慢を強いないように、がんばらんと。

そのあと、今日はセミナー。
火曜日と木曜日はtalkがあるらしい。
LewiseのHumilityについて、premiseがどうの、
supervenience, O Language,がどうのこうのいう発表。
うーーん、ゼンッゼン解んないけど、enjoyableだった。
philosopherがどんな風に議論するのかって雰囲気や、
Davidの態度とか、それだけですごい勉強になった。
他に面白かったのは、なんとかって人がいて、
その人の発言は常に、結局えっとどういうこと?って感じでみんなぽかんとなって
最後にみんなくすくすわらっちゃう。
塩谷さんを思い出して、とてつもなくおかしくなった。

こうやってすこしずつ心から楽しめるようになっていったらいいな。

あっぷあっぷしてるけど、昨日よりはほんの少しだけど良いかも、と思うと、
あっぷあっぷしてる自分をさておき、人間の適応力ってすごいな、と素直に感心する。
すこしずつ、やっていこう。

Monday 21 May 2007

南十字星の輝き

こちらにきて、一番感動したのは、
やっぱり自然。
数年前はじめてオーストラリアに来た時、
一泊して朝が来た時、聞いた事もない鳥の声で目を覚ました。
それで寝ぼけて、
窓から差し込む光で外にある木の陰が部屋の中の壁にできているのをみて、
ジャングルにきてしまったと勘違いしてそのあと奇妙な夢を見てしまった。
本当に木も、道で食べ物をついばんでいる鳥も、全く違うのだ。
きみは、こう、普通に居て、基本的に黒いってことはカラスかね。
しかし、その白い模様は何だい。
あれ!まっかなボディーで青い模様の小鳥がつれだって飛んでる!
おいおい、この白い幹はなんだ。
全く違うのだ。動物園や植物園や奥地じゃなくったって、
普通に生活している環境で、全く違うのだ。
知ってるのは、芝生と鳩くらい。
本当に見知らぬ動植物ばかり。


ホテルから大学までの道にある木の表面。

それに夜。星。星だよ、なんてったって。
まったく知らない配置できらきらきらと輝いている。
まるで神の土地に来たみたい。
ただただ私は
原始人となって、原始の森の中を歩いているみたいなのだ。
この心細い感じ、無知の感じ、
ただただ、感覚を研ぎすまして探りながら歩く、
その上に
南十字星が輝く。



今回では今日がこっちにきて初めてのきれいな星空だった。
天気は悪くなかったのだけどなぜか星が見えるのは今日初めてだった。
南十字星の下を1時間ほどふらついていたら、
なんだかとてつもなく幸せな気持ちになって、
きてよかったんだな、と思った。
一人でレストランでご飯を食べる元気がわいてきた。
Wagamamaというオーストラリアで人気の
日本料理屋に入って、みそラーメンとビールを頼んだ。ひゃっほう。
positive eating+positive lifeと書いてある。
ふむ。

今日重い荷物をしょって、美術館や、植物園にいって
ずっと歩きっぱなしだったので、
めちゃくちゃつかれてて、ろくな事がかんがえられなくなっていたけど、
その初めての星空は、
オーストラリアの神様が、
目標を持ちなさい、高い高い目標を持ちなさい。それを希望にして生きなさい。
そういう目標を探しなさい。
目先の事でいちいちぶれない目標を、そろそろもてるころですよ。
と言っているようだった。


いつも通る大学内のお気に入りの場所。

Sunday 20 May 2007

カンガルーぴょんぴょん

わたしもとまどってばかりいられない。

キャンベラはbush capitalとよばれているらしい。
同い年でアイルランド出身、DavidのAdministratorのバイトをしているMaireが教えてくれた。
Maireは鼻ピアスで見た目ファンキーだけど、話し方や表情、なにをとってもやわらかく、
なんというか繊細だけど、かっこいい女の子だ。
彼女は、パートナーと21歳の時日本にきて中学かなんかで英語を教えて3年暮らし、
オーストラリアにきて3年の学生なんだそうだ。
私を心配して、お茶に誘ってくれた。
論文が大変でキャーーだよ!!みたいな感じで、元気をくれる。
とにかく彼女、素敵。
どうも、ANUのこのキャンパスには、早朝カンガルーが普通にぴょんぴょんしてるらしい。

どうも、どうも、自信なさげになっちゃって、いつもの態度のでかさをだせないでいる。
明るい元気な人の周りには、人が自然とあつまってくるわけで、
すなわち、おどおどしてることが一番よくないわけだけど、
どうもそうなりがちだ。
ここはカンガルーみたいに、なにげなく、気にせずぴょんぴょんするのを心がけよう。

芯が変わらなければ、鈍感に振る舞ったっていいはずだ。

どうも、empiricalなことに興味がある人はそんなにいないかもしれない、と思って
引いてしまう。
tea timeでとなりになった教授とお話をして、哲学の人の意見を聞きたい、と勇気を出して、
自分の実験の話をしたら、途中であきられてしまった。
英語の事もあるだろうけど、ショックだった。
でも、私は私で、哲学のトークにでても、何も発言ができていない。というか全く理解できない。
データもなければハンドアウトもない。
ヒュームがどうのリーズニングがどうの、と永遠と言語だけの世界。
ああ、私はどっぷりと小さな小さな世界で暮らしていたということか、と呆然とした。
私の今までの一切が役に立たない。

ここにいる人たちの事を愛したい。この土地を愛したい。
いいところをたくさんみつけて、
私は私で、こつこつこつこつ一個ずつクリアしていくしかない。
愛しい気持ちと悔しい気持ちをマックスにできたら、きっとなにかできる!

柳川さんが、私の出発前、
考えても見たまえ、僕たちが、途方に暮れていなかった事なんかあるか、というメイルをくれていて、
私は呆然として悲しくなった時、そうだそうだ、と心を奮い立たせてる。
みんなの言葉の一つ一つが薬となり。

今日は日曜日だから、美術館や、植物園にいって、今大学にやってきた。
Andy Warholのelectric chairをみて、衝撃を受けた。
POP Artのコーナーに、エルビスプレスリーと一緒に並んでる。

さあ、がんばれ!

Friday 18 May 2007

オーストラリアからこんにちは。

みなさんこんにちは。
お元気ですか?

こちらの生活が始まりました。
一日目、キャンベラについてすぐ、ホテルにチェックインをして、大学に向かいました。
頂いたofficeは、coomb buildingという建物の中にあって、
これが非常に複雑な建物で、でも、そのおかげか、そこに居る人たちがみんな親切で、
迷ってる人がいたら、目的地まで一緒に来て助けてくれます。
Davidも秘書さんもいなくて途方に暮れていたら、確率が専門のHajek教授が話しかけてくれて、
どっからきたの?日本?見て!僕この間いったんだ、ほら写真。ってな感じでお話をしました。
Hajekとは近いうちに議論しにいきたいなと思っています。
秘書さんのDi(ダイ)はすごく優しくて、あったかくて、お母さんのようです。
困った事はない?疲れた顔してるよ、ほんとうに大丈夫?とかいうので、
思わずうるっとしたら、
風邪引いたら大変。ティッシュね、ティッシュおっきいのもってきてあげるからまってて。
と大きな箱のティッシュまでわざわざ買ってきてくれました。
こちらでは、未だ良く解らないのだけど、
stationaryは例えばいきなり、いる?ノート。ペンは?他には?あ、ポストイットも必要ね、って感じで、
ぽんぽんぽんっと頂きました。
他の人も、あれがないこれがない、とDiにいって、もらっています。
いろいろなことが日本とは違いそうです。

そうそう、Davidはひとなつっこいすごい笑顔で迎えてくれました。
Davidはものすごくかわいくて、変なカラフルな靴下をはいていて、
アボリジニーのもようのTシャツと黒のジャケットを常に着ています。
「僕は、試着する洋服は嫌いなの。買うのはぜーんぶ試着がいらないやつ。ジーンズだけはね、仕方ないから、
前に試着して買ったやつといつも同じやつを買うの。」
とかなんとかいってました。
退屈な話だと、素直に眠くなってしまうようです。それでも一生懸命にチェアをしたりしています。
この人の振る舞いを見ていると
ものすごい人だなあと思います。
socialな場面での振る舞いなど、見てると、きてよかった、って思います。
うまく言えないけれど、とても繊細で、だけど柔軟で、
大きな分裂のある、というか、そういう人です。
どうやって、この人が、この優しさを獲得していったんだろう。

それはさておき、
初日に、Davidが二人で話す時間を取ってくれました。
自分が今までやってきた事、
オープンエンドな学習について、創造性について、
創造性と意識の関係について
自分が思っている事を話して、
いくつか本を紹介してもらって、
それで様子をみることにしました。
科学が苦戦している問題について、哲学がどんなアプローチをしているのかということを
これから探っていけたらな、と思っています。

でもなによりも、英語の問題がやはり一番の鍵です。
同じofficeにいるOlleもほかの学生さんたちも
みんな本当に優しくしてくれるけど、
みんなと同じには全然できません。
ネイティブのsocialなpartyのなかで、ただただ呆然としてしまうけど、
心に留めておこうと思うことは、
なにか話しかけたり、議論をふったりするのをためらうな、ということです。

こっちは本当にsocialな集まりがたくさんあります。
まず、10:30と15:30に毎日みんなでカフェに集まってお茶をする習慣があるようです。
それから、たくさんのtalkやreading groupが毎日開催されます。
reading groupも日本とは全然違って、
ある本に興味のある人たちがどこのdepartmentからも自由に集まって、
発表者は一応いるのだけど、発表はしなくて、
この本のこの章についてなんか疑問があった人は居るか?というかたちで
いきなり議論が始まります。
いつも同じメンバーということはなくて、
常に知らない人と出会います。教授も学生もありません。
私のようなvisitorもたくさん居るようです。
だから、何々研、という感じもないです。
philosophy of ethicsとか、of lawとか、とにかく色んな人たちが、
同じゼミに出ていて、そのあとみんなで飲んで、入れ替わり立ち替わり隣の人と話し、
研究室というものがあるのかないのか未だに解りません。
非常に、”個”という世界に居る気がします。

めげてないで、一個でも何か得る、それ以外に生きる道がなさそうです。

まだ、私がどんな事に興味をもってるのかということをちゃんと伝えられていません。

まだ3日目ですが、既に、2日目から化粧するのをやめました。

Tuesday 15 May 2007

いってきます。

私にとって大事な人たちが、おめでとう、って祝ってくれた。
そして家に帰ったら、母親がお赤飯を炊いてくれていた。

オーストラリアに行く事は、”おめでとう”なんだって、思ったら
すっごく楽しみな気がしてきた。

これは、私にとっては、すっごくいいことなんだ、嬉しい事なんだ。
そうだったよ、忘れてた!

馬鹿に見られたくないから質問しないとか、
そういうような心の壁はとりはらって、
とにかくとにかく、体当たりしてこよう。
石田さんや、ジローや、長島んや、電通の佐々木さんや、色んな方が、
ちゃんと動いてぶつかっていかないと、自分の中での化学反応が起きないよ、って教えてくれた。

ちゃんと、信じるものを信じてよう。
そこだけは揺らいじゃいけないよ!!
まだまだぶれやすいから、そこだけ人知れずしっーーかり信じて。

たった2ヶ月。大事な事は何も変わらない。
がんばってきます。めえいっぱいたのしんでいます。

どうかみなさんおげんきで!

いってきまーーす!

オーストラリアでの予定:
今日出て、明日の朝着。
05/16-06/25 Canberra ANUのチャーマーズの研究室
06/25-06/30 Sydney "norms and analysis"という学会。
06/30-07/07 Armidale ”the australasian association of philosophy"という学会。
07/07-07/08 Sydney
7月8日に帰ってきます。

Saturday 12 May 2007

愛の使いルンルン



オーストラリア前最後のゼミ。
みんなにやさしくしてもらった。

この、ぬいぐるみ (名前:ミツバチの"ルンルン")を高川さんから頂いた。びっくりした。
高川さんの気持ちがすごく嬉しかった。四葉のクローバーの気持ち。
みんなみんな声をかけてくれた。
直接声をかけてくれたり、自身のblogで励ましてくれた人、メイルをくれた人、
髪留め返しにいく予定をおして飲み会に来てくれた人、
色んな形で、
本当に励まされた。
大事にするね。ほんとうにありがとう。

小俣さんが、おまえが秦野にいるのと、オーストラリアにいるのとで、
何の違いがあるのか俺にはさっぱりわからん!(私の研究室への出没率はそもそも低かったから(笑)。)
といってくれたけど、多分本当にそうだ。
田谷さんにも、帰ってきたらまたくるでしょ?「送別」会じゃないじゃん!「壮行会」ね、と。

ああ、変わらないんだなあ、って思って、嬉しかった。

ずっとずっとつきあっていきたい仲間。
人は変わってくかもしれないし、むしろ変わっていきたいし、
だから、色んな事が変わっていくけど、
変わろうが何しようが、ただどこかに”いて”くれること、”存在”してくれるということのこの重みよ。

でもあっちへいって、多分ずっと、ずっとずっと、自分がどんな態度を取ったらいいかって
探っていくと思う。
言語、文化、研究内容、見た目、人格、そういうのを多分、わたしは、最初から、尊敬して、接するだろうと思う。
尊敬というよりも、正当に評価できるほどのサンプルをもちあわせていないから、
ただいたずらにあっちのものを吸収しよう、慣れよう、としてしまうかもしれない。
その際に、自分をどうしようもなく劣等に感じる事だろうと思う。
どうしようもない異物に出会った、その異を、心の中で上とか下とかに分けて、
それゆえ、異を消そうとする動き、同化しようと言う働き。
そういう動きが自分にあることは知っている。
それは非常に危険で、
簡単な例を出せば、
優しくしてくれる、ということの背後にある感情を察することができずに、勘違いしてしまうかもしれない。
同化はできないんだよ。
絶対的に違うんだから。
同化なんて嘘だよ。
絶対的な違いを認め、その上でどういう態度をとるつもりなんだ、とれるんだ。
自分の弱さと戦わなくてはならない。
そのときに、この「存在」は私の自信となって、絶対的な違いの狭間で、踏ん張る元気をくれる。

私の、人との交流ベタも何らかの変化を迫られるし、
多分ひじょーーにつらい目に遭うかもしれないけど、
乗り越えたら悪いことになってるはずがない。
そこで、本来の私がどう生きてくるか、見物だ。

みんなも、各々の場所で、色々抱えてる。
頑張ろうね。なんとか踏ん張ろう。
頑張れ頑張れ、頑張る頑張る、わっしょいわっしょい、そんな気分。

Wednesday 9 May 2007

すごっくいい天気だ。

なんだかここのところ心臓がドキドキしてしまって、
胸に手を当てて寝転がって過ごす事が多い。
胃はメタメタだし涙が意味なくやたらと出る。
何をやるにも元気が出なくて、
チャーマーズの本も、発表の準備も避けてしまっている。
こんなに神経質で、気弱で、どうすんだろ、と思う。

科学の事も本当はよくわからない。
この先続けていくんだろうか。
哲学もしかり。

なんだか、体の表面が熱を持ったようにひりひりしていて、
そのうち皮膚が破れて
体の内に抱え込んだ全てのものが、だらりと流れ出してしまうのではないだろうか。
破綻して死んでしまうのではないだろうか。
何もできないうちに。

ゴールデンウィークにお兄ちゃんがあゆみさん(彼女さん)と一緒に帰ってきた。
前にお会いしたときに、私は密かに、いっぺんであゆみさんが大好きになっていて
だから会えてすっごく嬉しかった!
なんだか、心の奥をすっごく、元気にしてもらった。
お兄ちゃんにも、
「落ち込んでるなんて、おまえ暇だな。」と明るく言い放たれ、励まされた。

私の心の中の、不動の、大事なものは、
科学でも、哲学でもない。
心の中の一番大事な所は愛しいものでできてる。
この大事なものだけはぶれずに、中心外さずにもっていたい。
これを見つめている限り私は大丈夫。
外に開いてみる以上、なんかうまくペースが作れないときはあるだろうし、
気を使いすぎたり、勝手に振り回されちゃう事もあるだろう。
心ががたがたになっちゃったときは
思い出そう。
いつも、これだけは、持ってる。
このひりひりは、きっと大事なものを大事にできるようになるための、「生」のひりひり。

私が帰ってくるのは、7月8日。
今よりきっともっともっと暑くなって、夏になってる。
ぎゅっと濃縮された夏になってる。
オーストラリアは冬だから、
冬真っ只中から、夏真っ只中へワープする。
あっちで楽しく過ごそうとうまく過ごせなかろうと
それを昇華することはできるに違いない。

Thursday 3 May 2007

小学校4年生のころ担任だった先生が、イタリアから帰ってきたばかりの方で、
私たちにとっては、遠い国の、いくつかの言葉を教えてくれた。
それからたくさんのイタリアの歌をギターで歌ってくれた。

その先生の発案で、私たちのクラスは、毎週、"Via Ohne (大根通り)"
(注:昔は私の住んでいるところは「大根(おおね)」と呼ばれていた。)
という紙一枚の通信を作り
クラスのみんなが俳句か詩をいつもいつも作って投稿し、
その中でいいもの数点が選ばれて掲載された。
しかも、その中の逸品、一つだけは紙面の一番上のところにでかでかと載った。
今週は選ばれなかった、今週は選ばれた、すごくどきどきして、
いつも楽しみで楽しみで仕方なかった。
(学年の終わりにそれが文集になった。)

一度だけ、その特別な場所に、私の俳句が載った事がある。
じゃじゃーん

「虫あみで とってみたいな 空の星」

私は知らなかったのだけど、先生は、私たちのものを全国の子供俳句コンテストに出してくださっていたらしい。
一年ほどたって、もうクラスもかわってしまったあと、ある日、先生に呼ばれて、
おまえの俳句が日本で優秀賞にえらばれたんだ、ここにいけることになっているんだけど。。。
と知らされた。

第1回世界こどもハイクキャンプ(広島県瀬戸田町)
http://www.jal-foundation.or.jp/html/haiku/nenpyou/nenpyou.htm


色んな国の俳句をする大量の子供たちが、親からはなれて、
瀬戸内海に浮かぶ生口島というところに集まって、
一週間ほどのキャンプをした。
ほんっとうに色んな国の人たちが小さな木造の小学校の教室で布団を並べてねむった。
南国の肌をして、すごおく目がぱっちりして茶色のきれいな長い髪で、すごおおくかわいい女の子がいて、
はにかむような微笑みを浮かべる
みたことないような美しさだった。
タイの王女様ということだった。
強烈な印象を未だに覚えてる。
地元の子との出会いもあり、
真っ黒に日焼けしてて、半ズボンでショートカットのすごい元気な女の子と仲良くなって
すごく暑いときで、日差しがいっぱいで、ひたすら駆け回って遊んで、
夜には、大人のお兄さんに望遠鏡で土星の輪を見せてもらった。

大人になって、一度その島を訪ねたけれど、すっごおおおおおく素敵な島だった!

子供の頃のこの充実感、濃密感、
なにか、みかんをぎゅうーーーっと搾ったような、この感じってなんなんだろう。
没頭感。

私は当時画家になりたくて、そればっかりかんがえていて、
いつか画家になって外国に行くんだ、って思っていた。
画家にはなっていないけど、
よく考えたら、こういうことが多分、私の外国に行きたい!って気持ちを支えていて
今周りにいてくれる人との出会いを作ってくれたんだなあと思う。
今大事な人たちと、人生の中で巡り会えない人生はやだった。

なにか未来の事を、こうでなくてはならないとか、心の中できめちゃうと
遡って、そんなことできる才能ないかもしれない、とか
それなのになんで生きてんだー、とか
今が苦しくなっちゃって、動けなくなっちゃうから、
楽しみの気持ちで、夢、いっぱい持って、
何にも考えずに没頭したい。
願わくばあのときの気持ちで。


私(大人版)撮影 @生口島

Wednesday 2 May 2007

感情サーフィング

荒れ狂う感情の波。
全然上手く扱えません。
前頭葉発達させたいです。
いらぬ妄想生まれ放題です。

自分を客観的に見られる能力と、
多分この波のコントロール能力は同源かと。

これは五月病か、とおもって、大久保さんにいったら、
”もうですか!?今日五月一日ですけど!”
とつっこまれました。

あたまんなかがオーストラリアの事ばかりだよ、助けて〜

とりあえず、できることをできるだけやることだけ頭に入れてるのがベスト。

きゅっとねじを締める。

ゼミの後の飲み会で、突然、野澤君が、
恩蔵さんに会えるのは、ひょっとしてあと一回か二回なんじゃない!?
というので、
イヤ、帰ってくるし!きちゃだめ?
とふざけていたら、
しばらくたって、また突然、今度はすごく真面目な顔で、野澤君曰く
帰ってきていいんだけど、そういう意味じゃなくて、活躍してほしいよ。

どっきりした。

活躍、という単語に。

覚悟が足りなかった。

常に一生懸命な後輩が、ピィッと気がつかせてくれた。