Thursday 11 September 2014

日記 2014/09/10

8日は雨で、まったく月を見ることが出来なかった。
8日が中秋だったのだけれども、9日が満月という分類になるらしく、
その9日には、ものすごく大きくて赤い、最高に綺麗な月が見られたのだった。

なんとなく嬉しくて、8日にできなかったことを、あり合わせのもので、たくさんやった。
8日に買っていたススキとコスモスを8日とは別の花瓶で居間の窓に飾って
(コスモスはすでにしゅんとしていたけれどそのまま)、
残り物のお団子と、ママのたまたま作っていた豚汁と白いご飯をお供えした。

日本酒もお供えして、家の中から、
暑さよけのためにその窓にかかったままの簾を疎ましく思いながら、取り外そうともせずに、
その簾越しにうっすら月を見ながら、
床に寝転びながら(じゃないと角度的に月が昇るにつれて見えなくなっていったからです。)私も飲んだ。
夏前に買っていた片口と、ペアのおちょこを使って(そえちゃんの手作り)。

とても気楽で、楽しい夜だった。

ベッドに入ってからも、なんとなく眠るのが惜しくて寝転がりながら
iPhoneでいろいろ検索していたら、
可惜夜(あたらよ)という言葉を知った。なくなるのが惜しい夜、ということらしい。

この秋の空気、ひんやりとして、確かに肌に触れている感じ。
そしてこの不特定多数の虫が空間にばらばらに存在し、
四方八方から音が届いて、自分を貫通して行くような感じ。
そういうのに、今夜は身も心も任せてみたくなって、布団を掛けずに、目をつぶった。

この感じを歌にするならとあれこれ頭の中で考え回して、

可惜夜は風のみ纏ひ臥してみむ
奥に深きに誘ふまにまに

というなんちゃって短歌を作って、意図と反してエロくなってしまったかな、とか、
こういうのを凡庸って言うんだろうか、とか思いながらも、
なんとなく満足して眠りに落ちたのだった。

そしたらいつになくたくさんの夢を見た。ちゃんと誘われていったということか。


その一つをここに。


場所はどこかのホール。
客席がいっぱい。

フィクションについてのシンポジウムのようなもので、
私の講演もアサインされているという。

私は何の準備もしていなくて途方に暮れていた。できるわけないと思っていた。
そうしたら、主催者(池田塾の渋谷くん)も、あなたは講演の前に殺されることになっているから大丈夫だ、という。

私も、それなら大丈夫だ、とほっとした。

ところでどうして殺されるんだろう、と渋谷君に聞いたら、
あなたの発言が原因で怒った人があなたを蹴っ飛ばして、
それでそのホールの階段状の客席を飛んで下位の席に頭をぶつけて死ぬ、という。

どうしてそんなことがわかるんだ、といったら、
あなたと同一人物がそうだったから、そうなることに決まっているんだ、
何時何分にそうなる、といわれた。

それで、それならば講演の準備をしなくても良いというほっとしたきもちと、
殺されるということへの恐怖に似た感情がない交ぜになって、
だけど殺されるどうにもできない時間がくるのならばと、
なんとなくトイレに行って気持ちを落ち着けた。

そうして、その時間をむかえる前にその座席のところに戻って渋谷君と会った。
ホールに人はまばらにしかいなかった。

時間はそのまま過ぎて行ったのだった。私は死ななかった。渋谷君と顔を見合わせた。
死ななかったんだな、と思った。

と、いうことは講演の時間が来るのである。


私は、どうやら死ぬよりも講演の方がいやみたいだ、と思った。

だけど、とにかくそのときは来てしまう。
もう数分しかない。
おそろしい焦りで頭が高速回転した。

講演を何分するということも聞いていない。
でもどっちにしろ、何分であっても、この状態でしゃべったとしてほんの数分分しか出来ないだろう。
とにかく、とにかく、頭に何が浮かぶか、フィクションのテーマで私は何が話したいのか、
浮かんでくる物をこねくりまわして言葉にしてみた。
断片的なものが、次々に浮かんだ。
書かないと、前の物を忘れてしまう。それに、次の物とのつながりも、見えない。
書く必要がある!という気持ちと、
とにかくその浮かぶ断片の数をふやさなきゃ!という気持ちで必死だった。

私は何が言いたいのかという核になることを、
あと数分でとにかく見つけなければならないと準備をただただ実行した。

その概念になる前の、あやふやな状態だけど、書いたらしっかり定着できそうな断片は、
ちゃんといくつも浮かんで、
なんだか、私は夢の中で、私考えられるじゃん、ちゃんとあるじゃん、という自信を得てしまったのである。

ああそうか、私はそういうことを思っているのか、うん、そのことを言おう、
といういくつかの種が、ちゃんと思いついて、
それは、現実の、10月からやる授業に使えるはずだし、
12月のかなでさんの公演のための何かになるはずだった。

どこまでが夢でどこからが現実なのか、そんな風に頭の中で思考は、
夢のための講演から、現実に来る講演に移っていって、目が覚めたのだった。

目が覚めてみれば、その思いついたはずの種は記憶から消え、
「考えられるはずである」という根拠のない確信だけが残って、
何にも手についていない授業の準備と公演の準備の壁をじりじりと感じながら、
なんとなくartifitial superintelligenceの勉強に励む今日になったのだった。