Wednesday 25 March 2009

おもろ

久高島でキンバトを教えてもらった。

「みなさん、あれを聞いてください。あの声を聞いてください。
あの声がおもろ(神の歌)になったのです。」

神女の方がいった。

「ほら、羽も広げてくださいました。ありがとうございます。」

緑色の羽を片方、弧を描くように広げて閉じた。

その方が教えてくださらなければ、
出会えなかった。

低い、ゆっくりとした、遠くでなるような音。
夢の中で聞くような歌。

復唱しようと思うと、どんどん頭の中で変わってしまって、
全然思い出せない音。

なのに、どういう風にか頭の中に残る音。

Saturday 7 March 2009

気配と存在

ここのところ私史上最強の鬱に襲われていた。
(とはいっても、幸運にもチケットを頂いて、喜んでWBCの中国vs日本を見に行ったりしていた。)
春は大体いつも自分の膜が薄くなったかのように、過敏にあれやこれやと反応しては、
神経をギリギリ巻いては緩め、と、とにかく感じやすい時期のようで、
疲弊していた。
それで、勝手に寂しい気持ちがしていると、
どうも、真実というものと仲良くなりたい気持ちがしてくる。
真実が友達である限りは、寂しい気持ちは取り除かれるからである。

ラーゲルクヴィストの「巫女」で印象に残ったことは、
神が憑依し神の言葉を継げる巫女すらも、神の姿を見ていない、ということと、
そして、その巫女すらも、
自分は本当に神に選ばれたのか、人の都合で選ばれたのにすぎないのか、はたまた、自分の思いこみなのか、と苦悶するところだった。

私はいままで、色々な場所で神の気配を感じてきた。
日本人だったら多くの人が普通に感じるように、
たとえば深い森の中で。
たとえば、その木は、太陽は、神様のようだった。
そして、そのそれぞれは私にとって大事なものになっているのだけれども、
どこかで、神の姿そのものは見たことがない、と思っていた。
「ああ、ここにはおはします」
その気配のみがあって、
私にとっては、神様は、どこかで、知り得ないものでなくてはならないようだ。

それはとても「私」ということに似ていて、
私とは何かという答えととても似ている。
まだ見ぬ何かのことを、真実である、神である、と私は信じていて
「私」というものも、いまだ掴めないまだ見ぬものという側面があった。

だからこそ、徹底的に、志向しなくてはならないものである。

姿が見えないということと、いないということは別のこと。
「私」というものは確かにある、そういう感じだけがしているのだった。
なにか別のことによって自分を定義して、その中に安住することは、
どうしても嫌なことであって、
まだ見ぬものである、と信じたいのだった。
そう信じていられる限りは精神は安定するのだった。
でも容易に信じられなくなるのだった。
何か別の物の中に安住したいと思うときほど、精神は崩れていくのだった。

考えてみればあたりまえのこと。
例えば、誰か好きな人が出来て、その人に自分の根拠の全てを求めてしまったら、
重すぎて重すぎて、きっと、駄目になってしまうだろう。

神様がどうの、などというと、
特に科学者においては失格のように思われるけれども、
私にとっては、真実のことを神と呼ぶのであり、それは自我の問題と直結している。

Monday 2 March 2009

光の中に

窓から。
爽やかな朝。久しぶりの晴れ。冬晴れのような春晴れのような。
薄い淡い青の空に白金の太陽。
薄ピンクに色づきいくらか花の落ちた梅の木が見える。
ひんやりとした、でも朝日を映した風が入って、白いカーテンを揺らす。
風の音、鳥の声、ストーブ、その上のやかんの音。

ラーゲルクヴィストの「巫女」を読んでいたら朝になった。
ここのところ、神のことばかり考えている。
私は特定の宗教を持たない。

「霊?では、あの方の霊って何じゃ?崇高さと偉大さだけなのか?高貴?ただそれだけなのか?
もしそうなら、もしそんな単純なことなら、じゃあ、なぜあの方のものになるのがあんなに苦しかったのだ?
それならなぜ苦しみ、苦痛で悲鳴をあげにゃならんかったのじゃ?
それじゃ、なぜあの方の愛は優しく穏やかでは
ーそう、わしが愛とはこうあってほしいと思うようなものではなかったんじゃ?
なぜその愛は安心感を、わしがいつも願っておった、心の奥底で願っておった安心感を与えてくれなかった?
あの方の愛は素晴らしく、救いであるのに、なぜ恐ろしく、不安をそそり、残酷で節度を欠いているんじゃ?
なぜ同時にそうなんじゃ?なぜ至福で満たしておられる最中にこの首を絞められた?
そして、もっとも近くに思われたときに、一番あの方を必要としたそのときに、このわしめをお見捨てになったんじゃ?
  あのお方は誰だ?一体どなたなんじゃ?」

(岩波文庫「巫女」より)

Sunday 1 March 2009

機械君の日々

私が小学生の時、駅の近くにあった母親のピアノのレッスン室に、
塾の鞄がおいてあって、小学校の帰り道、そこでランドセルととりかえて、塾に行っていた。
ところが、その日、もっているはずの鍵がなくて、ピアノの部屋のドアの前に立ちつくしていた。
もちろん、本当の家自体の鍵も一緒にセットになっているから、家に帰ったって同じことである。
母親の車が置いてあったので、電車でどこかにでかけていること、そして、
まちがいなく、母親はここに帰ってくることを意味したので、
車のボンネットの上に座ったり、
あんまり同じ箇所にいると不審がられると思って、
車の陰に隠れて座り込んだりしていて、
もうすぐ帰ってくる、もうすぐ帰ってくる、と思っていた。
踏切の音が鳴るたびに、実際に駅まで行って、すれ違う可能性が絶対無いところで待つ
ということを繰り返し初めて、
だんだん、その踏切の音が上り電車なのか下り電車なのかということは区別がつくようになった。
私が母親の行き先を知っていたのか、覚えていないのだけれども、
下り電車の時に母親が来るということを知っていたように思う。
下りの音がすれば必ず走っていった。
夜10時過ぎになって、また、下りだ!と判断して駆けつけて待っていると、母親たちの姿が見えて、
ああ、よかった....と思った。
母親は相当驚いたらしく、
今でもたまにこの話になると、泣いてしまう。
母親は兄の遠足か、修学旅行の準備ということで、兄とその友達の一家と
新宿に買い物に行っていて、
まさか鍵がないなんて思わないから私が塾から帰ってくる時間までは大丈夫と
ごはんをみんなで食べてきて、
そしたら、あんたがいるじゃない、といって
泣いてしまう。

どうして、近くに知っているおじさんもいたし、叔父叔母の家もあるし、いつも行くやおやさんもあったし、
交番に行ってお金を借りて、隣の駅まで行けばおじいちゃんおばあちゃんの家もあるのに、
なんであんたは、ずっとそこにいるの〜、という。
お兄ちゃんは、実際にそういうことをして、苦難を見事乗り切ったことがあるらしい。

こういう風に、機転も利かず、ただただ、
その「絶対」(=母が帰ってくるときに絶対すれ違わない)のルートを繰り返すだけな自分の特性が
今でも全然変わっていないことに気が付く。

CSLにいくとき、これをやらなきゃ!ってことがあればなんなくいけるけど、
何もないとき、自分でなにか動機を作って、ということができなくて、
止まってしまう。
一日中、家にいて、しかも決まった場所にいる。
居間の左の角にコンピュータを置くスペースがあって、
かなりの確率でそこにいるので、
幼なじみが1歳の子供(あおくん)を連れて、うちにあそびにくると、
「あおくん、あれねえ、インテリアじゃなくて、あやちゃんだよ。動くんだよ、ほんとうは。」
とかいっている。

働いている責任も果たさず、
思いつくこともできず、
もうだめだ、とても生きてけない、と思う。
そんな機械君の日々。

今年ははじまってからほぼお隠れになっている。
(*お隠れ=いわゆるひきこもりのこと。)
人生の8割くらい、隠れてるんじゃないかと思う。