Monday 25 April 2016

私が見る世界がある

朝6時くらい、布団の中で目が開けられないまま、
先生のラインブログに上がっていたこの映像をかけていた。
でも、塩谷さんが「神は認識した瞬間に作っちゃう」と言ったとき、
ばっちり覚醒したのだった。

最近、映画をみても、どこへ行っても、本を読んでも、かならずそれを文章にするのだ、
少なくとも感想を言うのだ、という気持ちで見るようにしているのだが、
それだけで見方が変わってきた気がしている。

だからなのか、この言葉を聞いた瞬間に、
作ると見るが一体の脳の状態は確かにあるんだろう、と想像した。

作ると決めた瞬間に
世界から何を拾えるのか
試される。
人間である私にとっては、
ようやく脳の総力戦になってきた。

「わたしが見る」と
「世界がある」が
ようやく関係してきた感じがしています。

軽く軽く軽くなりたいです。

Saturday 16 April 2016

第二言語は赤ちゃんの雲

母語以外の言語を習得するというのは、
大人になってやってきた、赤ちゃんの雲を意識的に体験するチャンスなのだなあ、と思う。

中学校から大学までコンスタントに英語の授業を受けてきて、
ホームステイの経験もあるのに、
聴き取りが難しかったり、話せなかったり、長い長い苦しみの期間が続いた。

大学院を卒業した後、心の哲学のデイビッド・チャーマズさんのところへ行きたくて、
三ヶ月留学したのはいいけれど、
英語の哲学の世界は地獄だった。

ディビッドと、私の重要なコミュニケーションの一つは、
「今日のトークは何パーセントわかったか?」
20、とか、30、とか一言で終わるコミュニケーション。
デイビッドはその報告を本当に楽しそうに聞いてくれた。

もう三ヶ月たつというある日、
私は50、と報告した。
「みんな、あやこが50だって!!!!すっげー。三ヶ月で本当にあやこは上手くなったよね」
と大騒ぎ。

(ディビッドは、少なくとも、私については、
「その人」の中で一生懸命努力していれば良い、というポリシーをつらぬき、
「その人」と一緒に喜べることを大切にしてくれる人だった。
哲学が出来なければ来るなとか、英語が出来なければ来るなとか言う人ではなかった。)

だけどその時私は、確かに前より聞き取れた気はしていたのだけれども、
話し手が掲げた問題のstatementがあるとして、
それを正しいと言っているのか、間違っていると結論づけたのか、
そこがうやむやで、
つまりは、哲学的議論としては、さっぱりわかっていないと同じ事で、
W. Schultzの言っていた、50%は一番uncertaintyが高い、
ということを実感していたのである。

その三ヶ月、英語をどっさり浴びていても拾えることは少なくて、
例えばnotが聞き取れなくて正反対の答えをしては落ちこみ、
まさに雲の中で、全然世界が見えないような感じで、
最後の日々の「50%」の時間は、そのもやがもっと激しく感じられただけだった。

そんな私がまた何年もの時間が経って、
茂木さんとのお仕事で『頭は本の読み方で磨かれる』という本を作らせて頂いたとき。
茂木さんが驚くべきことを言った。
「本の中に書いてあることの全部がわからなければならないという気持ちで読むのは間違いだ。」
難しそうな本でも、スキミングをして拾える分だけ拾えばいい。
全部はわからなくても、雰囲気だけはつかんでいるものだ。
それに、全部がわかった、と思った本だって、
読み返してみればまた新しい発見があるものである。
本も自分も成長するものなのであって、「全部わかる」なんてことはないんだ。と。

私は英語の本を、全部わからなくても、最後まで一冊をめくり通す、ということを始めて、
毎日一章読むことを習慣にした。拾える分だけ拾って。
一月に平均二冊くらいは読める計算だ。それで二年が過ぎた。

「人の話を全部わかることなんてない」ということが当たり前になってきて、
ようやく36歳の今、もやが晴れてきた。
知らない単語が少々混じっていても、雰囲気をつかむ能力が長けてきているから、
全然それが邪魔にならないで物語をたどっていくことができる。
書く人が違えば全然違う味がする。

あーあ、長いことかかったなあ。。。
赤ちゃんはたった二年ほどで、言葉を話し始めるけれど、
その間の雲のかかった時間を、大人は忘れてしまうどころか、
大人になったからこそ、意識的に経験できるものなのだなあ。


Thursday 14 April 2016

高橋由一館

朝八時半のオープンに合わせて、丸亀のホテルを出た。
琴平駅に降りると、平日ということもあって人はまばら。
桜が満開の、真っ白な傘の下、飴売りの女性たちが支度を始めていた。
既に支度を終えた一人の人が、「これ食べていってください、楽に上がれますよ-。」
と黄金に透き通った飴を一カケ下さった。
砂糖です!という味が口に甘ーくひろがるのかな、と思っていたら、
全然違って、どこまでも透明な味、遠くの方に柑橘の味、
天国にでも来たみたいだ。

お姉さんの言うとおり。楽々階段が上がれちゃう。
ああ、桜がこんなに咲いて、と顔をあげると、参道の左手、黒い馬が目に入る。
その横には、白い馬。
きゅっとこちらを緊張させる、異質な姿。

参道の右手は高橋由一館
藝大美術館にある由一の鮭がすごい、と美術のお友達から何度も聞いていた。
それでも私は一度も目にしたことがなかったのだけれども、
この金刀比羅宮には、由一の奉納した油絵が27点もあると知る。
行きに寄るべきか。帰りに寄るべきか。
この天国のような流れで歩いて行くのも良いけれど、
帰りは違う道になったらどうしよう?
行きに寄ることにした。

係の方はまだ、外の掃き掃除をしていらした。
薄暗い館の中で、たった一人、観せて頂く。
全部が由一さんの絵だ。

いくら有名だからと言って、わからないものはわからない、
ぶつぶつ独り言を言いながら、一点目の前に立つ。
二点目、三点目、ときて、桜の枝の入った桶の絵の前に来た、
何かが気になったけれど、とりあえず通り過ぎて、
有名なお豆腐の絵の前に来てしまう。
はー。わからない。

先を歩いて行くと、琴平の絵に目がとまる。
あれ、昨日宇多津を歩いていたとき、まさにこんな気持ちで宇夫階神社の山を眺めたんだった。
このあたりは本当にこうだよねえー、、平らなところをなんとなく途方に暮れながら歩いて、
神社の山が見えて、ほうっとあれかあ、と思うんだ。

一度そう思うと、次の絵次の絵と自分の目を重ねていくことが出来る。
そして桜の絵の前に戻ってきたとき、
これには人が描かれていないけれど、人がすぐに横に居るような絵なんだ。
だからすぐに自分がその桶を置いた人物のような気がしてしまうんだ。
途方に暮れる原っぱの向こうに山があって、私はそこに桜の枝を持ってきた。

なんのため?
誰かのお参り、じゃないのかなあ。
この原っぱへ。

私が自分の目を重ねることが出来るくらいだ。
由一さんは一体いくつの目を持っているのだろう。

由一館をでると、一人一人が目にとまる。
そして実際、色んな人に声をかけられる。
一人で来ている人には、シャッターを頼まれ、
また、下で出会うとさっきのお礼を言われる。
階段がきついから一番上まで行くだけで、
ねーちゃんのぼってきたんかあ!俺はここで留守番や、と褒められる。
物知りの人には、あれみときぃ、あそこに描かれている桜はぜんぶ金で描かれてるんやでぇ。
あれだけで、財産やぁ、と教えられる。
自分に見えているもののことを描きたくなる。人の顔を描きたくなる。
あの景色、この景色、
寄り道しては立ち止まって、なかなかまっすぐ進めない。

お遍路ってこういうことを言うのかなあ。
一番大事な目的に向かってまっしぐらに走るのではなくて、
お祈りなんかどこへやら、
いま見えるものをひろえるだけひろって、それで見えたものを次にやる、みたいな、
寄り道、寄り道、自分で拾ったもので道を作っていくような、
歩いた道が全部体に残っていくような、
歩くこと自体が楽しくなってくる道をいうのかなあ。

ああ、ここは、両親と一緒に来たかった。
だから家へ帰って、沖縄の硬い豆腐を見つけて、
お豆腐のステーキをつくってしまったんだ。





Wednesday 13 April 2016

Aとnot A

音楽会から帰ってきたAに感想を尋ねると、
”前と同じ、上手じゃないの。”
二時間後夕食中に音楽会の話題になると、
”上手なのー。”
まったく困惑するが、
はたと気づいた。
両方本当なのかもしれない。
音楽会って一時間半くらいのもので、
その間には、上手な時間帯も、あまりな時間帯もあっただろう。
どこに目を付けるかで色々かわってくるし、
やっぱり自分の気分次第で、
言うことが変わるというのも本当なんだろう、とおもう。
なぜなら、例えばわたしも金刀比羅宮の高橋由一館を歩いているとき、
最初はよくわからなかったけど、
二回目ははっとしたり、
三回目はまたわからなくなったり
なんのせいだか、
定まらなかった。
一つに、一つの見方なんて、
ロジックを通せなんて、
生なからだとしては、
嘘なのかもしれない。

そういえば丸亀の猪熊源一郎美術館で、
猪熊さんが奥さんの顔を一つのキャンバスに何個も何個も描いているのを見た。
描いているうちに、妻の顔が現れるかもしれないと思って描いた、
というような事が書かれていた。
色んな、色んな顔が描かれていた。

Tuesday 12 April 2016

言葉

ある意味で言葉は人間が生み出す物の中でもっとも圧縮率の高いものだと言える。
自分が見た物は、眼からLGNを経由して大脳新皮質の一番後ろ側に入り、
そこから、複数の経路を通って解析され、言語野に到達し、
我々は何を見たのか、言葉にすることが出来るようになる。

















私はこの間一人、金比羅さんに一日旅をしたのだが、
長い長い階段を上りながら、小学校の頃のように画板を持ってこの景色を写生したい気持ちにとらわれていた。
快晴の平日で、人はまばらで、櫻は満開。
櫻以外の木々の緑に、おおきな造りの、書院、拝殿、寄り道寄り道登っていく。
天国のような景色の中で、この全部を覚えていたいのに、
覚えていたいと思った瞬間からばらばらこぼれおちていく。

「こんなところだった、こんなによかった!」というのを帰ってから人に伝えるのに、
言葉が足りないという経験を誰もがしている。
自分が見た物に対して、とても粗くて、大体でしか言えない、という経験。

いずれにせよ、私たちの体をすみずみ通って、最後にまとめあげられるのが言葉だ。
それがあまりにも粗くて、曲がっちゃうから、
せめてこの景色を手でなぞることでもうちょっとだけわかりたい、というのが
写生したい気持ちだった。

言語は、頭の中だけで作られる物、というイメージは間違いだ。
Michael C. Corballisは、”the gestural origin of language”というのを唱えていて、
彼は言葉の起源はもの言わぬ体にあると言っている。

言葉というのは同じ言葉でも誰が言うかで意味が変わる物だし、
言葉と意味というのは一対一対応しているわけではない。
それに、言葉は今ここにないものまで指し示すことができるわけで、
言葉の重要な一つの性質は、一般性、抽象性だと彼は言う。

声を使ってコミュニケーションをとる猿たちを見てみると、
意外と、この鳴き声はヒョウが近くに居ることを表す合図、
この声は蛇、この声は鷲、という感じで、一対一体応になっていて、一般性に欠けるらしい。
より一般的なのは、彼らがつかう身体のジェスチャーの方で、
ある一つのポーズが、全然違う必要性や意図を表すことがあって、
文脈によって違う意味を帯びるし、
更には、鳴き声には数種類しかないけれども、ポーズにはたくさんの種類がある。
だから人間の言語に近いのは、彼らの言わば物言うコミュニケーションの方ではなくて、
静かな身体のコミュニケーションの方であり、
人間の赤ちゃんも、言葉でしゃべり出す前に、
指で何かを指し示す、という行為が始まるのであって、
言葉の起源は、身体にある、と彼は結論する。

そういう説を見ても、
やはり、手から、足から、内臓から、眼から、耳から、舌から、身体全部からの感覚と、
これまでに蓄えられた記憶とか全部言語野に届いて、
それが最後に圧縮されてある言葉にまとめられる、
という像が見えてきて、
けっして言葉は、頭と頭でやりとりされる便利な物なんかではない、という気がしてくる。
つまりは、
一つの言葉が何を指しているのか解凍するのには、
それを圧縮したのと同じ肉体がいるということにならないか。
誰かが発した言葉を本当に理解するのは、本当に大変で、
一人一人自分の身体が解凍できる分だけ理解しているのではないかなと思う。
誰かの言葉が自分の体でどんな味わいとして展開できるか。
自分の身体を全力で使って、自分なりにどういうことなのか理解しようとすることが大事なのだと思う。

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論文紹介を一つ。

この間見つけて面白かったのは、
という論文。

例えば誰かの顔を覚えるのには、写真を何度か見せられれば覚えることができるかもしれない。
そういう知覚に頼った方法なら簡単に覚えられるのに、
言語を介してしまうと覚えられなくなってしまうと言う。
写真を見せられて、どんな顔か言語で表現してもらう。その後、何枚かの写真を出して、
さっき見たのはどの顔でしたか、と聞くと間違うことが多いようなのだ。

目が二つ、鼻が一つ、口が一つ、は言えるけど、
本当に個性をつくっているもののことを言葉で表現しようとしたら大変だ。
言葉が足りないというものについて、言葉で表現しようとするときに起こる問題が
この論文では取り上げられている。

著者たちは、ワインの味について、
ワインを飲ませて、その味を言語で表現させる場合と、させない場合で
さっき飲んだワインは、これから飲んでもらう4つのワインのうちどれでしたか、と聞いて、
正答率が変わるかどうか、という実験を進める。
ここで面白いのは、(1)ワインを一度も飲んだことのない未経験者と、
(2)ワインはよく飲むけど言葉でそれを表現するということにトライしたことはあまりないという人たちと、
(3)ソムリエのように味の経験も、それを言葉にする経験も両方持っている人たちの
三グループに実験をやっていることだ。

結果はこうだった。
(3)のソムリエたちは、言葉で表現しようとしなかろうと、飲んだワインを当てることが出来た。
(1)の未経験者たちは、言語で表現したほうが、しない場合より、正答率が高かった。
(2)の中間経験者たちは、言語で表現しなければ当てることが出来たのに、言語で表現してしまうと、当てることが出来なくなってしまった。

つまりperceptionのexpertiseとlanguageのexpertiseの釣り合いが重要で、
(3)の、感覚も言葉もプロの人は別に良いのだが、
(2)の人たちは、ワインの味の経験は積んでいるけれども、それについて言語で表現する経験は積んでいない。そういう人たちは、へたに言語化すると、記憶がねじ曲がってしまう。言語なんか通さずに、味だけで勝負すれば、ちゃんと正答できたはずなのだ。
(1)の未経験者たちは、そもそもワインの味の経験が無いので、言葉で粗くでもとらえないと、そもそも区別の付けようがないらしい。

学校のオベンキョウのように、そもそも本の中に言語で書かれているものについては、それを覚えるのには言語でくり返し唱えればいいのだが、
実際の生活の中では、はるかに、言語で捉えられるものを超えた情報があって、そこに言語を下手に介在させてしまうと、学べなくなってしまう物があるということ。
そして、逆に、言語を介さずに学習できる物があるということ。そっちのほうが膨大だということ。

入ってくる知覚の氷山のトップが言語。
さてさて言語のexpertiseっていったいどうしたら上げられるのかな。


丸亀のうどんやさんのこと

4月5日、瀬戸内美術祭で鳩くんの作品がある沙弥島を訪ねて、
夕方宇多津の古街を歩き、丸亀のホテルに入る。
夜7時くらいの丸亀は、静か。
暗い飲食街の赤い明かりの下、おじさんが二人でなにやら言葉を交わしている。
いったり、きたり、
常連さんがすでにいっぱい入っていて、明るい小さな居酒屋さんは、
きっと美味しいのだろう、と思うのだけれども、
一人で入る勇気を出せず。
結局ホテルまでもどってきて、目の前にある物静かなうどんやさんに決めた。
チェーン店じゃないから少しはこの地のものがあるだろうし、
もしビールは飲めなくても、ホテルに帰ってのめばいいんだ。
自分なりに幸せを保つ計算をして、引き戸を開ける。

色黒いカウンターと、座敷席がひとつかふたつ。
カウンターの一番奥に、常連さんらしい壮年カップルが一組、お酒を飲んでいた。
おさけ、大丈夫みたい!と心の中でガッツポーズをして、
カウンターの一番手前、引き戸に一番近いところに座る。
生ビールをお願いした。

メニューには丸亀の街中でたくさん目にした「骨付鳥」の文字もある。
それはなにかと尋ね、あれですよ、と指されたポスターには、
クリスマスに昔食べた、銀紙を足に巻いた照り焼きの鳥の胸肉みたいなものが、
炭火で焼かれてどーんと写っていた。
これは一人では食べられない。
ササミの塩焼き、というおとなしそうなものにしておく。

奥の常連さんたちのうどんやトークが聞こえてくる。
○○チェーン店は高い、あれはありえない、てんぷらうどんがなんとか・・・
讃岐うどんの文法の判らない私はなんとなくどきどきしてしまう。
おなかがすごくすいていて、この後てんぷらうどん食べようと思っていたんだけど、
大丈夫かしら。

おじさんがトンっとササミの塩焼きを置いてくれる。
「これな、まだ赤いように思うかもしれないけれど、大丈夫だからな。
生みたいだけど、こうして食べるものだから。これがうまいからな。」

なんだか薄暗い飲み屋の明かりでまだどきどきしている私には
赤いも何も判定できなかったけれども、
そうかそうかと口に入れる。

やわらかくって、しおとうっすら柑橘系の酸味で、じゅうっと深い味がでる。
うんうん、こうして食べるものだね、おじさん、ほんとにおいしいよ、
とぱくぱくごくごく行きたい。

「どこから来たの?遠くからやろ」

「神奈川県です。」

「一人で?ここに」

「はい」

「仕事かい?」

「瀬戸内美術祭で沙弥島に来たんです。」

すると「それでかあー。」っと奥の常連さんも混じった会話になる。

「瀬戸内美術祭やて。あれなあ。期間限定とかで沙弥島とか色んな島でやってるんよな。
直島が一番有名なんよね。地元の人はあまりいったことないかもしれん。俺らが子供の時に沙弥島は陸続きになったんよなあ。」

「今ちょうどこんぴら歌舞伎でしょ。役者さんたちも昨日ぐらいからこっち来てるのよね。
なんだっけ、あの人、あれあれ、あの人、だめだぜんぜん思い出せない、好きだったのに。」

「丸亀城は見た?ちっちゃいの。見たら、ちっちゃ!って絶対言うわ。プラモデルみたいやもん」
「失礼だけど、あのホテルいくらぐらいするんかな?ずっと不思議だったんだ。
でも、それやったらまだいいね。美術祭のために一泊で来たんかー。あ、でも電車か。そっちは高かったやろー。。。」

不慣れな人を気を遣って、声をかけてくれて、あったかい場を作ろうとしてくれる。

ささみを食べ終わる頃、がらっとほかの常連さんが一人で入ってきて、カウンターの真ん中に座る。
「お酒とうどんねー」
これを機会にわたしも、てんぷらうどんをたのんでみた。
自然ともとの奥の二人は二人の会話、おじさんはてんぷらをあげる、私は私の時間となって、場がおちついていく。

じゅうううっという時間が流れて目の前に出てきたのは、
おっきなエビ一本ののったおうどん。
おもしろいなあ、てんぷらっていうのはえびのことだけを指すのだなあ。

関東の私には、つゆは少しうすく感じもするのだけれども、
てんぷらもおいしいし、おうどんはやっぱりおいしいな。
もくもくと食べる。

ふと顔を上げるころ、
おじさんはもう一人後からはいってきた常連さんのおうどんをつくっている。
水につけて。。
目が合うと、おじさんがにっと笑った。
「しょうゆのうどんたべたことないやろ」
「まってろ」
「これがほんとうのこっちのうどんやからな」

とん、っとだされたのは、たっくさんの小口ネギにおしょうゆがたらっとかけられたおうどん。
「たべてみい」

遠慮なく頂いた。うすい、と感じていたさっきまでのおうどんがうそみたい。
やっぱりどこか遠くで酸味があって、芯の温かいなめらかなおうどんがぴったりの塩分でずるりとはいってきて、
とめられない。
「うそみたい、びっくりです!」
というと、「びっくりしたやろう」とおじさんがニヤリと笑った。
そうか、こっちのおうどんは、おうどんがおいしいから、つゆはやっぱりいらないんだ!
おしょうゆとねぎだけでこんなに成立しちゃうんだ!!!!!!!!
お醤油もネギも、お皿にわずかに残っているのさえもったいなくて頂いてしまう。

一晩でうどんを二杯食べたら、
15キロ近く歩き回ってくたくただったのに、すっかり顔に血が通って元気になってしまった。
それで、ごちそうさまでした、というと、しょうゆうどんが全然含まれていないから、
どうか、こちらも、というと、
「うどんおいしかったやろう。この店のこと覚えておいてくれな」とおじさんがいった。

いつ来るか、また来られるか、わからないような人に、「覚えておいて」。
とっても大切なことに思われて、
できるだけ力を込めて「はい」といった。

小学校の頃、父方のおじいちゃんが亡くなったときのことを思い出してしまった。
まだ小さかった私はおじいちゃんの亡くなる晩、母方のおばあちゃんと家でお留守番をしていた。朝目が覚めて、自分の部屋から階段を降りて居間に向かうと、
おじいちゃんの病院の荷物が廊下に置いてあった。
「おじいちゃん、かえってきたの!」と大声を上げると
ママが居間から出てきて「おじいちゃん、死んじゃったんだよ」と真っ赤な目で言った。

大泣きしている最中に、わたしが一番気にしていたことは、
おじいちゃんの最後に、私だけ居なくて、そのとき、おじいちゃんはわたしのことを思い出していたか、ということだった。

亡くなってしまえば覚えているもなにもないのだが、
私がいるということを覚えておいて欲しい、とあんなに強く泣いた気持ちで、
うどんの味の残る舌に意識を集中させて、
できるだけ強く、「はい」といった。

Sunday 3 April 2016

お花見(2016)

おめでたいことがたくさんあって、
今年は祝祭的なお花見にしたいね、と鳩沼くん。
今の自分でほんのちょっと世界を楽しくする努力をする、
それはできることなんだな、と思う。


一つの事象に対して持つ感情は一つじゃなくて良い。
これはつくづく救いだと思う。
根本的解決がどうしてもできなくて、投げ出したくなったり、いらいらしたり、
してしまうことがあるけれども、
今この瞬間がどうやったら楽しくなるかだけを思って、
次はもうちょっとこれをやってみよう、と努力出来ることを、嬉しいともちゃんと感じる。

手作りの旗がはためく本当に嬉しいお花見だった。