Tuesday 27 February 2007

光の水たまりのような音

Glenn GouldのGoldbergがやたらぴったりくる。
最終審査が終わったときとは違って、今日は
ピアノの音に混じってGouldが歌っちゃってる声のほうへ心が向く。
この人、多分孤独でたまらなかった。

生のコンサートの一回性に対して疑問を感じて、
recordingが多くなったというけれど、
Glenn Gould、その人、という感じが失われずにこんなにも伝わってくるということは
やっぱり、普遍性というのとuniquenessが矛盾しない関係にあることがよくわかるよ。
誰だったか、universalというのとgeneralというのは違うのだ、といっていたなあ。

自分が背負ってるものを捨てたりするのはやだな。
自分の手を汚さないで、
人のせいにしていて、
既にある規範で動いたって
真理に到達なんかするわけないんだ。
正しい正しくないは、既にある規範のことだから、
それで動いたって新しいのが生み出されるはずがないのは自明だし、
だったら、もう生まれ持っちゃった私のこの体と頭の制限を持って、
十分に試してみるしかない訳だし。
間違ってるも何もないよなあ。
むしろ、この制限こそが、私しかもってないものであるわけだし。
こんな風にうたっちゃうGould君の魂に殉じようと思います。
多分、変な人がすごく優しいのは、
どうしようもなさをしっているからだとおもう。

Sunday 25 February 2007

重さの霊

私は、好きとか嫌いで動こうと思う、正しいとか正しくないとかではなく。
そしてどういうものを好むかという自分の趣味を高めていこうと思う。
これは私の性質。

ただ、もっと軽くなる必要がある。

趣味や美意識は原理主義となる危険と常に隣り合わせ。
ならば、軽さを持とう。
重く重く美意識を突きつければ、災難が起こる。
芯を持ってなお、軽く軽く身をこなせればいいのだ。

日高 敏隆さんの話を伺って2晩たって
自分で気がついたことはそれだった。
どんな生き物も、どんな個人も、その世界を持っている。
愛を持って、本当に生きていこうとするならば、
軽さがなくてはならない。
今の私は愛も深けれど憎しみも深い。これじゃ、ほんとの深みにいけない。
本当にやりたいことをやろうとするには軽さが必要だ。
というか本当にやりたいことというのは一個一個の出来事ではなくて
私の生全体としてどうあるかに関することなんだから。
それがやっとわかった。

ニーチェは、
重さの霊に抗して軽くなり鳥になろうと望むものは、己自らを愛さなくてはならない
といった。
自分に憎しみ、恨み、妬み、固執を持てば重くなる。
そういう重いこと、しちゃったこと、全部しっかり受け止めてしっかり愛して、
覚悟を決めれば、次から次へと軽く軽く飛び回っていくようになるはずだ。
愛を重いままで止めないで、軽いところまで持っていこうと思う。
これからの課題はそれなんだな、と発見できた。

Tuesday 20 February 2007

月の覗き見

今日は修士の人のポスター発表会と専攻の卒業パーティがあった。

そのパーティの場で博士論文の審査をしてくださった先生が
にこにこしながら”君は本当にこの先哲学をやるの?”とお声をかけてくださった。
”君は最初からそういう傾向があったような感じだったしな。”
”僕は、思うのだけど、茂木研にいる学生さんは、
なんというか「科学」に満足してない人が多いのではないかって。
科学を根底から変えたいというような。”
ー”うーん、でも、
やはり「科学」のところできっちりなさってる方からみると
危うくみえるということなのかもしれません。”
”まあでも、僕は人類で、君は超人類かもしれないし、
だから僕が同意しようと同意しなかろうと、
遠慮しないでやりたいことをやりたいといえばいい。”
ー(超人!!なんだかニーチェみたいだ)
”だけどそう言う限りは、それをちゃんと作り上げないと。
でも君にいっておかなくちゃ、と思うのは、
そういうことをやるひとは、悪いカルトとかにはまらないように気をつけないと。”

そして、大久保さんの研究が、
自分にとって切実なことをやりたいっていってはじめたもの、という話が出たら、
”そうだよな、僕だって、エントロピーにこだわるのは、
僕自身が曖昧なことが大嫌いだからなんだ!!”
ー”ああ!そういわれてみると、まさにそういう感じですね!”

なんだか、月が後ろで笑っている気がする。

4年ぶりくらいに、学校の研究室に夜9時を過ぎるまでいてしまった。
みんながいて、それぞれのことをやっているようで、がやがやしゃべってて、
どこか遠くの、遥かに大きなことに見守られながら、かけがえのない一瞬がすぎていくような気持ちがした。

Sunday 18 February 2007

思うことは1つで

"Johohoe! Traft ihr das Shiff im Meere an"

「酷い風 嵐が激しいとき
彼はある岬を巡ろうとした
向こう見ずにも誓ってしまった
”永遠に諦めはしないぞ” 」

「それを悪魔が聞いて
真に受けてしまった!
彼は呪いを受けてさすらう
海を休みもなく憩いもなく!」

を聞くと元気になる。
ほんとにほんとに好き。

前半部は自分の理想の人を称えるように恍惚と
後半部は正しいことばかり欲しがって勇気も覚悟もない大衆に対して絞り出すように
瞬間変化して歌う感じが本当に素晴らしくて。
ただ異常な強さで信じてる、他の人にとっての幻想を。
明るい方に向かって執拗に飛ぶ一匹の白い蛾みたい。

歌われてる男の人のような人と一緒にいたいし、
歌っている女の人のようでいたい。

Thursday 15 February 2007

今日の詳細

朝9時からの審査で、しかも非公開なのに、
石川君が、審査前に顔を出してくれて、
”君ならできる”と書いてあるイチゴ味のお菓子をくれた。
また、審査中に、なんだか変に緊張して、気が遠くなりそうになってるとき、
教室の開いた後ろのドアに野澤君が立っているのが見えて
思わず笑ってしまった。
チラリといつもの私のコイツマタイッテシマッタ系の発言が顔を出したら、
茂木さんがジョークに変えたりしてフォローしてくださった。
審査員の先生でいつも、”君の研究は危うい”という非常に手ごわい先生は、
今日もまた、”3度君の話を聞いたけど、やはり、ずっと僕はその印象を抱いている”と率直に言ってくださり、
私も毎回ご指摘いただいて真剣に考えたが、自分の方も意見が変わらなかった、ということを伝えたら、
納得はされなかったけれど、ちゃんと尊重してくださった。
他の先生方も、同じようにしてくださった。
もう、いろいろな人にお礼が言いたくなってきてしまったのだけれど、
それは直接言うとして。
今日のことを記しておきたいと思った。

昼間の帰り列車

審査が終わって、本当に天気が良いなかを歩いて駅に向かい
みんなと別れて、一人で昼間の帰り列車にのったらば
頭の中でGoldberg Variationsが鳴り出した。
今の気持ちにこんなぴったりの音楽ってない。

Wednesday 14 February 2007

明日は

博士の最終審査。

やっぱり少し、ドキドキする。

梅が満開で、少し暖かな気温と共に、少し冷たい雨が降って、
もう春なんだということを、認めないといけないかな、と思った。

私の思い込みと現実が接したときに激しい感情が生じても
相手の頭と自分の頭に春の息吹が吹き込むように。

相手を認められないのは
自分の要求が強すぎるから。
でも、この要求を消す代わりに、
それと正反対のことを言う人を頭の中に育てよう。
矛盾だらけの人になろう。
豊かな林檎がなるように。

Sunday 11 February 2007

ある晴れた日に

お昼ごろ、山手線に乗っていたら、
目の前に座っていたおじさんが、
深刻な顔をして何事か考え事をしていた。
頭を抱えて、ポツリとつぶやき、しばらく考え込み、隣の人の顔を見て、
何事か耳打ちし、うなずき、遠くのほうを見てまた頭を抱える。
しかし時には冗談を言って、一瞬緊張を解いた後
また元の話に戻っていくようだった。

だけど、おかしなことは、その人の隣には誰も座っていなかったこと、
それから、私の耳を幾度となく疑ったけど、その人の口からは音が何も発せられてないことだった。
筋肉の動きからして、隣が空席なこと、声がでていないことを信じる方が難しかった。

その人は多分ホームレスの人だった。
となりはずっと空席だった。
私のよく知っている人に似ていて
太陽は窓からさんさんと降り注ぐし、
動悸がおさまらなかった。

Friday 9 February 2007

確率がキライ



この間池袋をぞろぞろ歩いていたら、
”見て!”という踊る声が飛んだ。

猫ちゃん。

この猫ちゃんのような、
出会えたことが嬉しい、っていうようなこと、
遠くのsoul mateの発見、
そういうのが待ってる気がするこのblog。
私自身もこの猫ちゃんのように、このblogを1つのself-portraitにしたい。

一回しかない出来事、”その人”という感じ、唯一性は
触れたとき、学習、変化を要求する。
どんな痛みがあったとしても、どんな方向にむかっちゃっても、
少なくともそれを消化する覚悟は持ちたい。

uniquenessから遠い確率論が学習理論で支配的ってどういうことなんだろう。
確率論(に基づいた学習理論)の
例外の扱い方、それから、
不確実性の扱い方(まるで現在から過去を見るように、未来から現在を見ている気がして)
が気になります。
そこをなんとかすることが私の課題です。

Thursday 8 February 2007

The first performance

The idea of this performance came from the experience in a house created by a great artist of lights, James Turrell.
There is a dark bath in that house.
There's no light in that bath except the light fiber implanted in the bathtub.
The fiber made only my body parts in water luminous.
I couldn't see anything but the parts.
Like a firefly, it might be beautiful for an observer (if s/he was there).
But "I" was very scared.

If we do not have any means to confirm our own (physical/mental) form,
and have to put ourselves in public...

It was the moment at which I decided to be free from self protection.


http://www.youtube.com/watch?v=nTactslSYis

---20 Dec 2003

Tuesday 6 February 2007

こんにちは!

子供の頃、雨が降って数日後の小さな水溜りに
いつのまにか、どこからか、アメンボがやってきました。

私も、ここにいるよ!と叫びをあげてみたくなりました。
どこからかの飛来を楽しみにしていようと思います。