Friday 25 June 2010

シルヴァプラーナ湖のほとりにて



ニーチェがシルス・マリアに夏の間暮らし、シルヴァプラーナ湖の畔を散歩していて
永劫回帰のインスピレーションを得たと言われている岩がある、と聞いていた。
その岩を探して、歩いた。
親に一時間くらいでみつかるはずだからと説得して連れてきてしまったのに、
歩いても歩いてもそれらしきものがなく、
さらには、雪の残る湖の風が本当に冷たくて、凍えそうだった。
焦った私は、たまたま通りかかった人に
「ニーチェの岩を知っていますか?」と聞くと、
「????岩?どんな・・」
「わたしも、よくわからないのですが、ニーチェの・・・」
「????ごめんなさいね、私もここの人じゃないの。石?そこらへんにいっぱいあるけれど・・・」
確かにどれってわかるんだろうか・・と思ったけれど、
その人に、
「どっちにしろ、ここまでいったら、引き返すより、隣村までいった方が早いわよ。」
「隣村にいって、サンモリッツまで帰るバスはあるでしょうか・・・」
「大丈夫!バスはね、あそこに見えるお城の横に橋が架かっているから、その横から出てるから!
よくわかんないけど、この先に滝があるから、その辺りなら石はもっといっぱいあるわよ!
みつかるといいね、よくわからないけど(笑)!」
と教えてもらうと、みんなの顔に希望のあかりが灯って、また歩いて行くことができた。
(隣村まであるけば丁度湖を半周したことになるのだけれども、
こっちの半周のどこかにあるはずだと情報を仕入れていたし、
両親も、同じ道をまた引き返していくのが憂鬱だったようで、ほっとしていた。
でも結局2時間も歩かせることになってしまったのだった。)


それで、ああ、これは間違いない、と思った岩がこれである。

ここを境に、風景が一変した。
厳しく(冬だから余計に)寂しい針葉樹の一本道が、がらりと開けて、
まるでハイジにでも出てきそうな草原へと変わる。


ニーチェと同じ場所で、私が全く同じインスピレーションを得られるということはないのだけれども、
この一変ぷりというのはなんだか見事で、
私も覚悟を決めてがんばろう、と思ったのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チューリッヒ、サンモリッツ、ツェルマット、ジュネーヴ、パリ、と移動した9泊11日の旅だった。
親にとってスイスは憧れだったらしく、なんとか企画して、これが親との初海外旅行になったのだけれども、
随分体育会系の旅になり、
親にしてみれば、何で岩?とかそういう感じのことも多かったかも知れず、
更には初めてスリにもあったりして、
本当に反省しているけれど、
ジュネーヴでは大学時代の友達が、卒業以来会っていなかったにもかかわらず、
なんとtwitterで私を見つけてくれたことをきっかけに、私の両親を含めて案内してくれたり、
最後のフランスでは、突然兄が登場し、特別な旅になったのだった。

もう、とっくに日本に帰ってきているのだけれども。。。

Saturday 5 June 2010

ニーチェの家



私は人生の中でニーチェに出会えなければ、悲しかった。
彼に出会って私は、本当の友達というのは、時間的にも空間的にも離れた場所にいるのかもしれない、
と思うようになった。
その考えは、私にとっては大切な生き方になった。

観光シーズン直前ということで、あと一週間たたないと、
ニーチェが夏の間滞在し、ツァラトゥストラの2部を書きあげたという
ニーチェハウスの中はみることはできなかった。
けれども、この家の前まで行き、この緑と白のどこか孤独な、憂鬱の、でもとてもかわいらしい家をじっくり眺めた後、
玄関の前に立って、振り向いたときの景色に、驚愕した。
ごつごつとした切り立った険しさ。
ツァラトゥストラの山。

Thursday 3 June 2010

Wednesday 2 June 2010

サンモリッツ

両親と今スイスに来ている。
今日、チューリッヒからサンモリッツに移動した。

サンモリッツは素晴らしい。
市の中心からすこし離れた場所のホテルにいるからだろうか、
ほんのちょっと観光シーズンに早いからだろうか、
ほとんど人がいない。閑散としている。

雪をかぶった鋭角の岩山に囲まれ、雪の風の吹き込む、小さな土地で、
空は灰色の雲が覆っている。
一周4キロほどの静かな湖を中心に広がっている街。
湖の畔の、たんぽぽと見たことのない種類のクローバーの生えた草原に佇まいの良い教会がたっている。
山の雪が混じっているのか、ミスト状の冷たい空気。
まだ、厚めのコートが必要なくらいに寒い。
孤独に為るための場所、そんな気さえする。

ここでしばらく暮らせたらどんなにいいだろう。