Monday 23 July 2012

会話

ある日、目の見えない人たちがおしゃべりをしていた。
おまえにとって、月ってどんな?
おれはねえ、ボールだよ、ボール。 
私も混ぜてもらって言った。
一度だけ、オーストラリアの真っ暗な海で月を見た時、 実は、この地球の外側が光に満ちていて、 地球自体は真っ暗な球で、その地球に空いた穴、それが月で、そこから光が差し込んできているんじゃないかって、思ったことがある。
えーーー!

 本当に通じ合うってこういうことっていう気がした。 
私は、その人のボールがどんな感じなのかわからない。
私の、地球の穴が、どんな風にイメージされたのか、あるいは聞こえたのか、わからない。
けれども、 互いに驚いて、 何かを交換した。

Saturday 14 July 2012

霞海城隍廟にて




















三つ目の廟となった、問屋街の真ん中にある小さな霞海城隍廟にて、
はじめてお線香を買って、自分もお参りをさせてもらう。
ここは恋愛の神様だそうで、
アナタ、ダイジョウブー。ゼッタイダイジョウブヨー。ガンバッテー。
と、すごくかわいいかおでいってくれたお母さんのお写真です。

作法を教えてもらったら、
まずは、外で、空に向かって、自分の名前をいって祈るところから、
始まるところがとっても印象的でした。

龍山寺


羽田から、台北に向かった。
フライトマップをみていたら、石垣や与那国のすぐ隣という感じで、
こんなに近いということに驚きながら、
台北についてすぐに、一番行ってみたいと思っていた
龍山寺へ向かった。

気温は36度もあって、かんかん照り。
なのに、
門を一歩はいると、
とにかくたくさんの人がいた。
お経か何かを各々読んでいる人々のまとまり、
おっきなお線香を持って祈っている人達、
なんだかわからない、果物やお菓子のセット、
おっきな紅い蝋燭、
そこで人が各々手を合わせていて、
だけど、反対の方からもこっちをむいて手を合わせている人達がいて、
何が起こっているのかぜんぜんわからなくって、
色んなことが起こりすぎていて、
もう私は驚きすぎて、
ほとんどパニックを起こしかけていた。

何が何だか分からなくて、
段々分かってきたときには、
これはわたし、感動しているのかも、と思った。

色々な神様の像があって、50センチくらいのお線香を持って
あっちを向いたり、こっちを向いたりして、順々に回っていく。
おばあさんも、若い女の子も、若い男の子も、子供も、
派手な格好の人も、地味な格好の人も、
誰でも、
毎日、
各々、という感じで、祈っているのだった。

特別なときに来ているという感じでは全然ないのだった。

カランカランカランという音が時々するのでなにかとおもったら、
二つの紅い木片みたいのを、地面に落として
何か占っているのだった。
たった一人で、何度も何度も落として、
没頭しているのだった。
とにかく、みんな、勝手に、とにかく祈っているのだった。

私は、ただひたすらそこにいさせてもらった。

外に出たとき、建物の細部や、神様などにまったく注意が向けられていなかったことに気が付いた。
とにかく私は人に感動していた。
まったく初めての体験をした。


(下の写真は、「行天宮」という廟でとった写真です。
龍山寺の衝撃で、いくつか廟を回りました。)

Friday 13 July 2012

Sunday 8 July 2012

7月


一冊分

今日、三ヶ月で終わらせると決めた仕事が終わった。
一冊の本の翻訳。
前の本は二年かかった。

終わっても、世界は何にも変わって見えなくて、
ただ、手持ちぶさたになって、
いつものように、なんとなくネットサーフィン始めたら、
友達の日記が更新されてた。

あんまり驚いて、
私はぼろぼろなきました。

(昨日、明日終わるんじゃないかと思うということをメールしたときに伝えていたのです。)



私は英語をうまくしゃべることはできない。引っ込み思案の性格が災いして、あまり人としゃべれないので、留学しても、したらなおさら、恥ずかしくて言葉を発することができなかった。直近のオーストラリアの哲学科の体験は地獄だった。私が学んだのは、素敵な人の佇まいと、三冊分の英語と哲学。自分のやった分だけ。

今回の本もそういう意味で、一冊分。やれたこともやれないことも一冊分。

Wednesday 4 July 2012

夢の大きさ

ロラン・バルトの『明るい部屋』
これは、写真論なのだけれども、バルトのお母さんが亡くなったことで、書かれた本である。
彼は、悲しみの毎日を過ごしていて、
しかし、なんとなく時がやってきて、写真を整理することになった。
色々な写真が出てきた。
しかし、バルトはどれをみても不満だった。
写真の中の母親は、確かに母親だということはもちろんわかるけれども、
自分の知っている母親、大好きな母が、写っていなかった。
どれをみても、確かに母親ではあるが、不足である。
母の本質を捉えた写真がない。
やっぱり、彼女は永遠に失われてしまったと、うちひしがれる。
さらには、母親が若い頃の写真も出てきて、
自分の知らない服を着ている母親をみて、
なんとなく落ち着かない気持ちも味わう。
しかし、最後の最後に、彼女が子供の頃の、
彼女の兄と手を繋いで写っている写真が出てくる。
それを見た時、
バルトは、
これだ、これぞ、母親だ、
この目の、純粋さ、そう、
自分がこんなに悲しいのは、「母親」が死んでしまったからではなくて、
「母親がこんな人」だったからなのだ、
母親が一番小さな頃の、
自分が知っている母親とは最も遠い姿の写真に、
本当の母親が写っている、といって
彼は、涙を流す。

バルトが知っている、母親。
私は感激してしまった。

私は、
鏡の中の自分が自分であるということが気になってきた。
私は、鏡の前に立って自分の顔を見るとその瞬間に飾っている気がする。
カメラだって、向けられた瞬間にポーズを取っている。
人にどう見られているかわからない。
そのことがずっと怖かった。
もちろん、鏡の中の自分は、自分であるとわかる、
写真に写った自分も自分であるとわかる、
けれども、それでは知った気にならなかった。

バルトのこの話を読んで、
ああ、当たり前だったのだ、と思った。
私は、私と等価になるものを探していたのだな、
それは、鏡に映れば良いという問題ではなくて、
そんなの簡単に見つかるわけない、
自分の母親と例えば、何が等しいと言えるだろう、
そんなの簡単に見つかるわけない、
見つかって良いかどうかもわからない、
そう思った。

私がこの本を読んでいたちょうどその頃

池田塾の池田先生が、
小林秀雄さんは、自分を託すに足るものがないから、
文芸批評をやめて、美の世界へ行ったのだ、というお話をされていた。
「自分を託すに足るもの」
その言葉を聞いたこともきっと影響していただろう。

作品というのはきっと、そういうものなんだろう。
植田君の、展示を見て、
ああ、たしかに植田君そのものだなあ、と思った。
私の理解できるところも理解できないところも全部、作品の中にあるなあ、
そして、植田君本物はあっちこっちへいってしまうけど、
作品だったら、ずっと、好きなだけ向き合って良い。

作品を見ることが私は大好きだなあ、と思った。

そして、今日、植田君と話していたら、
「茂木さんの書生」っていって終わるんじゃなくて、
じゃあ、それは一体何なんだ、っていったときに、
そこにあるよ、ってことを示したいと思った、
だからとにかくいまはいっぱい絵を描いているんだ、というようなことをいった。

人間ってとても小さい。一人ってとても小さい。
現在はいつも怪しげ。
だけど生きてる。

民話

『秦野のむかし話』という本を、本屋さんで見つけた。
小学校の頃に、怖がった、タクシーにのっていて、あるトンネルで消えるおねえさんの話が
動物などが出てくる、知らない昔話に混じってのっていた。
このトンネルの話は、うわさ話のような感じで、あそこのトンネルにはでるんだよね〜、
あのトンネルは夜通るのやだね〜、みたいに大人達が話していて、
みんな信じているんだか、信じていないんだかわからないような、
浮ついた気持ちになる話だった。
まさかそれが、民話という物になって、今私の目の前に表れるなんて思っても見なくて、すごく驚いてしまった。
民話という物はそういうものなんだろうけど、
私の周りから、民話がうまれるなんて思ったことがなくて、
なんだかそれは感動ですらあって、
もしかしたら、
おじいちゃんがシベリヤにいって、毎日、小屋の外を狼がうろつくから、
天井の梁に逆上がりをして登って過ごした夜もあった、という
私が子供の頃に、おじいちゃんに何度もせがんで聞いた、大好きだった話、
戦争の話なのに、ただただ面白くって、
英雄の話のように聞いていて、
何か誇張があるのかなんなのか、
それにもう記憶の中で、本当なのか嘘なのかわかんなくなってしまった話
これだって民話になるのかもしれない、
何度も繰り返し繰り返し、頭の中でしゃべったから、
これはもう民話になったのかもしれない、という気がした。

話は変わるが、私は、
私が感じることは、私も人間の一人なのだから、
人間の根っこにつながっていることであって、
どんなに小さくても、自分の感じることなんて、と馬鹿にしてはいけないのだ、と思うことがある。
おじいちゃんが人間の根っこにつながるなら嬉しい。

それから、もう一人の、母方のおじいちゃんはまだ生きていて、
この人はとてもとても心配性で、
何時に行くよ、といって、その時間に付かないと、道端に出て待っている。
文句を言ったり、怒ったりすることはまったくなく、
ただただ、私達の姿が見えるとほっとして笑う。
私が大学生の時も、おじいちゃんの家の近くで夜家庭教師をしていたら、
終わる時間になると必ず、私がその家から出てくるのが見えるところまで、
来てくれていた。
この間、家に帰るとき、ちょっと暗かったけど歩けるので、
たまたま母に、今駅だから歩いて帰るよ、と連絡して帰ったら、
家の庭の、一番遠くが見渡せるところに、ぼんやりと母の影が立っていた。
暗闇の中で、手を振る母の姿を見たら、
ああ、おじいちゃん、ちゃんとママの中に生きてる、って思った。
多分この心配性は、私の中にもしっかり生きてるから、
こっちのおじいちゃんもきっとずっと生き続ける。