Wednesday 28 January 2009

思い出すこと

最近は色々なことを思い出す。
私は人が大好きで、人を好きになると、
作品一つ一つの良し悪しがまったく関係なくなってしまう。
例えばマリーナは作品を通して愛すようになって、
でもいまやマリーナが例えこれからどんな作品を作っても愛している。
結局人だな、ということ。

それから、私は機嫌がよくなったりわるくなったり、激しくて、
たまたま機嫌が悪い日に一度だけ会えた人に対してもひどい態度だったこと。
そして、次も会えるはずだったのに、その人がなくなってしまったこと。
その人は私が機嫌が悪かったあの日にはもう自分の命の長さを知っていたこと。
そのことをなくなるまでみんなにいっていなかったこと。
それ以来、心に大きな石をおいて、
何を外に出すかということに対してちゃんと鍵をかけようと決めたこと。
それでこそ、染み出す水が透き通ってくるだろうこと。

大事な友人のかなでさんが、
”作品ってプレゼントなの”といったこと。
そして、そもそもかなでさんとの出会いがそういうものであったこと。

など。

Saturday 24 January 2009

真実の実在

私は高校生の時、物理を通して真実に近づける。そう思った。
大学で物理学科に入って、卒業する頃には、
逆にその物理の「無菌」が、真実とは遠い気がした。
我々の日常の、このうごうご蠢いて、変化し、そして雑多な
この豊穣さを扱わなくてはならないと思った。
そして認知科学や、脳科学に移って、
人間の行為を、また、人間の意識を、
肉体が主体的に「創り出す」という視点から、捉えたいと思ってきた。

オーストラリアの哲学者Alan Hajekさんとお話をしたときに、
私は、人間の創造性ということを考えたいが、
今は、例えば学習ということを考えてみても、
予め決められた目的に対していかに最適にそれが達成されるか、というようなことだけが問題とされて、
「統計」という、母集団を予め設定しなければ扱えないような、考え方が支配的である。
ここには創造性は入る余地がない、
それが私の嫌なことだ、というようなことをいったら、
彼は、
「君は何を専門にしていたんだっけ。認知科学?それなら、(そういう言葉を使うことは)わかる」
といった。
"creative"という言葉に関する、この反応が、なんだかずっと心に引っかかっていた。

真実の実在、ということが問題だったのではないか。
「真実なんて誰にも分からない」だから、「ない」、だから、「創る」のようになってはいないか。
そんなにゆるいことなら、したくない。
真実をあきらめている。

「例の、賃銭をもらって個人的に教える方の連中、ーーこの連中のことをしも、彼ら大衆はソフィストと呼んで、
自分たちの競争相手と考えているのだが、そのひとりひとりが実際に教えている内容はといえば、
まさにさっき話したような、そういう大衆自身の集合に際して形作られる多数者の通念以外の何者でもなく、
それが、このソフィストたちが「知恵」と称するところのものにほかならない、ということだ。

それはたとえば、人が、ある巨大で力の強い動物を飼育しながら、そのさまざまの気質や欲望について、
よくのみこむ場合のようなものだ。この動物にはどのようにして近寄り、どのようにして触れなければならないか。
どういうときにいちばん荒々しく、あるいはおとなしくなり、何が原因でそうなるのか。
どういう場合にそれぞれの声を発する習性があるか。逆に、こちらからどういう声をかけてやれば、
おだやかになったり、猛り立ったりするか、等々。

こういったすべてのことを、長い間いっしょにいて経験を積んだおかげで、よくのみこんでしまうと、
彼はこれを「知恵」と呼び、ひとつの技術の形にまとめ上げたうえで、それを教えることへと向かうのだ。
その動物が考えたり欲したりする、そういったさまざまのもののうち、
何が<美>であり<醜>であるか、何が<善>であり<悪>であるか、
何が<正>であり<不正>であるかについて、真実には何一つ知りもせずにね。
こうした呼び方の全てを、彼はその巨大な動物の考えに合わせて用いるのだ。
つまり、その動物が喜ぶものを「善いもの」と呼び、その動物が嫌うものを「悪いもの」と呼んで、
ほかにはそれらについて何一つ根拠を持っていない。
要するに、必要やむを得ざるものを「正しい事柄」とよび「美しい事柄」と呼んでいるだけのことであって、
そういう<必要なもの>と<善いもの>とでは、その本性が真にどれほど異なっているかについては、
自分でも見極めたことがないし、他人にも教え示すことが出来ないのだ。

(中略)

それでは、種々雑多な人々の集まりからなる群衆の気質や好みをよく心得ていることをもって、
<知恵>であると考えている者ーーそれは絵画の場合でも、音楽の場合でも、それからむろん政治の場合もそうだがーー
そういう者は、いま述べたような動物飼育者と比べて、いささかでも違うところがあると思うかね?
実際、もし誰かがそういう群衆と付き合って、自分の詩その他の制作品や、国のための制作などを披露し、
その際必要以上に自分を多数者の権威にゆだねるならば、そのような人は、何でも多数者がほめるとおりのことを
為さざるを得ないのは、まさに世に言うところの「ディオメデス的強制(必然)」だろうからね。
けれども、その多数者がほめることが、ほんとうによいことであり美しいことであるという理由付けの議論となると、
君はこれまでそういう連中のうちの誰かから、噴飯ものでないような議論を聞いたことがあるかね?」

(プラトン著 「国家」 藤沢令夫訳 岩波文庫から抜粋)

この本は本当に激しい。激しい愛に満ちている。

目に見えないけど、真実は確かにある。
そのように生きることが問題で、
私が揺らぐのは、真実への愛がいまだ、確固としたものになっていないからだ。

Saturday 3 January 2009

再会

お兄ちゃんとおじいちゃんおばあちゃんの家に行く。
お兄ちゃんがおじいちゃんとおばあちゃんに会うのは20年ぶりくらいになるらしい。
小さい頃誰よりもかわいがった孫のおにいちゃんに
ずっと会えずにいて、
足が悪くなったり、耳が悪くなったり、おじいちゃんとおばあちゃんは80を過ぎた。
優は元気なのか。元気でいてくれたらいいよ、と、私たちにはずっといっていたが、
細かったお兄ちゃんは、あのころより太って、ひげを生やして、
結婚して、ようやく目の前に現れた。
おばあちゃんと楽しく会話しているお兄ちゃんを見て、
おじいちゃんはときどき真っ白なハンカチを出して目にあてていた。
その静かな姿に胸がいっぱいになってしまった。

おばあちゃんは、まぶしそうにお兄ちゃんを見て、
あっちからこっちに話を飛ばしていた。
写真を見て、素敵なお嫁さん、とまたまぶしそうにいった。

今度結婚式のために、みんなで沖縄に行く。

Friday 2 January 2009

銀色と灰色

初日の出に見た太陽は、銀色をして、銀の剣を一面に放射しながら
まるで、衝突しに近づいてくるかのごとくだった。
一目で、目が眩み、
太陽の銀がしんしんと浸みて
その他のものは光をなくし、
真っ暗になっていった。
反射的に体ごとよけると
神女が祈りをささげにやってきたので、
そのままその場を去った。
おばあさんは、
自然な動きの中で膝を折り
自然な祈りを捧げ続けた。

3泊4日の沖縄滞在の中で、太陽の姿をみたのはその時だけであった。
本当の一瞬しかみられなかったけれど、
その一瞬は目を潰した。
神の姿は、
そのようなものであった。

太陽が顔を出すすぐその前には
海は白み、灰と水色と青と緑の
今までに見たことがない穏やかな、
今まで見た中で一番美しい色を見た。
真っ暗な森は緩やかに色付いた。

葉を通して注ぐ、太陽の光は
なんとも穏やかで、優しかった。