Monday 30 March 2015

祖母の桜

頭の中に、こうなったらいいな、という理想がある。

例えば、去年のちょうどいまごろ、祖母の体調が悪くなって、
医者にもご家族を集めてください、といわれるような状況で、
「ああ、桜が見られなくて残念だ」
と祖母がほろりと言ったこと。

もうろうとするほど体調の悪いとき、
そんな言葉が出てくることに、私は驚いてしまった。
桜は文化的な風流人だけの物でなく、
私のおばあちゃんの物なのだった。
ぬか漬けがおいしくて、お庭の手入れが好きで、
祖父よりも一日でも遅く死にたいと言っていたおばあちゃんの物なのだった。

祖母は奇跡的にその状況から回復し、
それで一年が経った。
元気になってくれてから、
「おばあちゃん、来年は桜を見に行こうね」と
何か不自由が出る度に言ってきた。

買い物に行くのも大変、お料理をするのも大変になった祖母は、
お弁当を食べることが多くなっていて、
ああ、絶対、お花見のときには、私がちらし寿司を作って、
我が家の目の前に一本立って咲いている桜を見に来てもらうんだ。
あれが一番落ち着いて見てもらえると思うんだ。
桜を見ながら庭で食べるのは無理かなあ、
暖かい日に机といすを出して、外で食べたら最高だと思うけど。
できたら、兄夫婦にもその日はうちに帰って来てもらいたい。
だけど、桜がいつ咲くか、天気がいついいか、暖かいかどうか、
あらかじめ決められないことがいっぱいで、
桜が咲いたと聞いてから、
落ち着かない日々を過ごしていた。

昨日も、自宅から喫茶店まで6キロ範囲の桜を歩いて見て回って、
どこがどのくらい咲いているかとチェックして、うんうん、まだまだ、二分くらい、
きっと4月に入った頃で、お天気のいい日を選べば大丈夫、
いまは仕事の締め切りもあるし、4月に入ってからでちょうど大丈夫・・・
と考えて眠ったら、
今朝、母が興奮しながら「あーちゃん、満開よ!!」と私の部屋に突入してきたのだった。

完全に私は寝ぼけていて、そんなことがあるはずがない、私は昨日見たんですから、それに私今日はやらなきゃいけないことがあるんですから、と思いながら、
もしかして今日とても暖かいなら、一気に咲いてしまったこともありうる?しかも今日は日曜日?少なくとも両親そろっていて、祖母の家まで車を出してもらいやすい・・

「そんなに、満開なの・・・・?」
「満開満開、見てみなさい!」

ああ、じゃあ、今日なのか?ちらし寿司作る準備してない、締め切りは?
締め切りよりおばあちゃんの桜だよ、、
よし、、
と勇気を出してむっくり起きて窓を開け、我が一本の桜を眺めたら、
片腕が見事に見事に咲いていた。

うん、確かに、満開。
でもそれは枝の一つに関してだけであって、
どうしてこんなにも偏っているのか、
これは、三分咲きっていうんじゃないのかな、ママ。
これはね、私が見せたい完璧とは違うんだ。

これはちがうと言おうと思ったら、
母はもう祖母に電話をかけていて、色んな事が進んでいた。

更には父まで午後から雨だから、早く行こう、と言い出す始末で
(私的には、午後から雨なら、そうでない日を選べば良いのでは、と思うのに、話はどんどん進むのだった。)
ちらし寿司も作らずに、とにかく祖母の家に行くことになった。

ついてみると、
なんだか祖母はぼーっとしていた。
どうもあまり体調が良くないみたいだった。
瞬時にこれは、うちに来てもらうのは無理だ、と思った。

でも、祖母の方から、体調が良くないながら、今日は桜をどうしてもみたいんだ、
桜は油断しているとすぐに散ってしまうから、
車の中からでいいから見たいから、連れて行ってくれるかい?
と言うのだった。

桜並木を走る車の中で祖母は、
花が咲いているというよりも、枝だがなんだか赤っぽい、という
二分か、三分の桜を見て、
「見頃だよ」
というのだった。
「きれいだよ、ああ、よかったよ」
というのだった。
「お天気が悪いのか、憎らしいねえー」
というのだった。
「いつ散っちゃうかわからないから、見ておかないと。ああ、きれいだよう」
「あそこは変な時期に枝を切ったみたいだね、馬鹿だねえー」
と絶好調で話すのだった。

そしてはっと思い出したように、
あやちゃんにおいしいものをごちそうしてあげたいから
お寿司屋さんに行こう、といった。

耳が悪いから、本当は私がちらし寿司を作りたくてね、ということをわかってもらうのは大変なのでだまっていた。
みんなでお寿司を食べられるのは嬉しい、と思い直して、
祖母が名前を挙げたお寿司屋さんに向かった。

ついてみたらば、日曜日であり、お昼時であり、お花見シーズン。
ものすごく混んでいた。
でも祖母の出してくれたアイディアだし、ちょっと待つくらいいいのではないか、と思って待っていたら、
その待っている間に、祖母は具合が悪くなってしまったみたいだった。

喜んで、ほがらかにお店で食べる、という状況ではなくなってしまって、
食べたくないけど食べないと、、という感じの中、
祖母は、母の頼んだかき揚げの、
その椎茸みたいなのはおいしいそうだ、といって、
それをもらうと、おいしそうに食べてくれるのだった。
それは、タマネギの焦げたのだった。

「あやちゃん、いっぱいたべなさい。おいしいやつをたべなさい。
あやちゃんにごちそうしてあげないといけない。」
祖母はそればっかりいうのだった。

もっと桜も、天気も、体調も、良い日を選べたかもしれないこと、完璧に用意すること、
それを内心悔やんでこだわる私の目の前に、
三分咲きの桜は見頃であり、
タマネギは椎茸に化ける祖母がいた。

私の完璧を実現したところで、祖母が喜ぶかはわからない。
私はぐったりしている祖母の前で、なるべくにっこりお寿司を口に運んだ。

夢見る理想、こうなったらいいと思うこと、
実際にやれること、できないこと、
こう思ってしまうこと、こうだと思ってもらえること。

白いかわいい花の付く前の、赤い枝の桜道。
これだけは、わたしも、確かに、一緒にきれいだね、と言ったのだった。

(以上2015年3月29日の夜の日記です。)






Monday 16 March 2015

First Northern Lights

**以下は2013年12月26日から4泊6日でアラスカに行ったことを書いた日記です。
大分前に書いていたのですが、少し加筆して、どうしてかいまpublishしようと思いました。

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オーロラの出始めは、空をまたぐ大きな虹のように、半円状にかかる白いもや。
テレビや写真で見たような、空全体に禍々しく広がる緑や赤のカーテンとは全く違った、
普通の、雲と見まごう白いもや。
それが濃く、大きく、高く、なっていけば、
まさしく私たちの知っている「オーロラ」の姿となる。

私がはじめてみたオーロラは、
そういう「オーロラ」ではなかった。

2013年12月26日、アラスカについて一日目、夜の6時くらいから山小屋に向かい、
科学技術の駆使された防寒用のタイツ、スパッツ、
その上にもこもこのズボンに、靴下を二枚はき込んで
さらにスキー用のつなぎのズボンをはいて、
着ぶくれて誰が誰かもわからない姿で、外に立つ。
靴は軍用の、スキー靴よりいかめしいものを借りていた。

空一面に星の輝く夜だった。
オーロラはまだ、出ていないみたいだった。

口をしっかり覆っていないと、
のどにぺたぺた氷が張り付いて、すぐに息苦しくなる。
自分の体液の氷で粘膜が焼け付くなんて事あるのかな。

山小屋の裏の、一面雪の積もった牧場で、
北の空にでるんだよ、といわれて指された方を向けば、
北斗七星があんまり大きくて、手で触れるんじゃないかと思うくらいに近い。
オリオン座は、北斗七星を向いて、右手の山の端に掛かっている。
北斗七星が、反時計回りに高度を高めていくから、
オリオン座は、時間が経てば当然上に移動するんだろうとおもっていたら、
いつまでも上がらないから驚いた。ほぼ同じ高さでうろうろと移っていった。

いくら気合いを入れたって、この寒さでは、いつまでも外にはいられない。
暖を取りにひっきりなしに、山小屋へ入っては出る、
だんだんに、オーロラをみにこの山小屋へやってくる人たちも増えてくる。
そうして午前の一時になった。

今晩は駄目なのかな。
こんなに星の輝く夜でも、でないものなんだ。

でないのも、アラスカの一日。
外に出て1分でひたひたと粘膜にうすい氷がはっていく感触、
マフラーにネックウォーマーにマスクをしていても、
なんだか喉が渇いて息苦しくて、なんどもお湯をもらいに行った。
この、寒さ、この、雪のふかふかさ(雪は0度以下ではとけないから、ずっとふかふかなんだそうだ。つまり、溶けて凍るということがないのだ。)、
この、静けさ、この、星の動き、
ここで出してくれた夕食のサーモンの味、
この、入れ替わり立ち替わりオーロラを見に来る人々と暮らす、山小屋の人達。

山小屋の中は、赤々と燃える大きな暖炉。
オーロラが出ているかどうか、部屋の中からも気がつきやすくするために、
電気はほとんど消えている。
だんだんに、外にわざわざ出て行こうとする人もすくなくなって、
暖炉に向かって、みんな無言で座りこんでいる。
壁に掛かるトナカイの剥製もゆらゆら。
誰かが入ってきたとき、木の床を歩く重そうなスキー靴の足音、
ひそひそ声に、火のぱちんぱちん。
わたしも、なんだか、日本を発って、シアトルで6時間待ちで乗り継いで、フェアバンクスに到着して、
あたり一面真っ白で、ぱちくりしながらバンに乗って、ホテルへ行って、
それから山小屋の人に迎えに来てもらって1時間車に揺られて、、、
と長い長い一日が、火の前でぐるんぐるんまわった。


そういえば、バンの運転手さんのデボーとこんな会話をしたのだった。
(デボーに限らず、アラスカの人達は、オーロラのことを、ノーザン・ライツ、と呼んだ。)

「ずっと聞いてみたかったことを聞いても良いか?
なんで日本人は、そんなにノーザン・ライツが見たいんだ?
この時期に来るのは日本人ばかりだ。こんな寒くて何もないところ。
ヨーロッパ人は来ない。アメリカ人も来ない。」
「ヨーロッパ人はヨーロッパで見られるからかなあ。アメリカ人も来ないの?」
「来ない。でも、こんなにノーザン・ライツに興味を持つのは日本人だけだよ。
まあアメリカ人は、他の何にも興味を持ったりしないのかな。ははは。」
「どうだろう。確かにノーザン・ライツ自体に、日本人は憧れがあるかもしれない。
逆に、興味がないのは何でなの?
デボーにとっては、いつも当たり前にあるからなの?」
「うん。別になんとも思わない。
日本人にとっては、祈る、みたいなことがあるの?宗教?」
「うーん、宗教ではないよ。宗教的感覚ではあるかもしれないけれども、宗教ではない。」
「要するに、spiritualってこと?」
「うーん、なんかそれとも違う気持ちがするんだけど。
例えばね、私たちには、月を拝む習慣がある。
月っていつもそこにあるものでしょう?
でも、私たちの中には、外に出て月に一晩中付き合って、お酒を呑む人もいる。
ただ綺麗だなあ、って思う。
これをやっぱり「文化」っていうんだと思う。何を綺麗と思うかって。
なんでかっていうことを説明することができたらいいんだけど。
何千年も昔から、何億人っていう人が眺めてきたの。
宗教でも、スピリチュアルでもなくって、文化。
そういう習慣がね、ノーザン・ライツのことも見させるんだと思うの。
なんでかっていうことを言えないんだけど。」
「ふう・・・ん。」
「でもさ、それはそれとして、ここは、単純に想像を超えているから。
ノーザン・ライツ、日本では絶対に見られないから、どんな感じか知りたかった。
この-40度っていうのも。ここにいる動物も。森も。
アラスカって、まったく想像できなかったの、私たちにとって。」
デボーはなんだかちょっと納得したような顔をして、一回間をあけてから言った。
「僕もね、一回だけだけど、ノーザン・ライツに驚いたことがあるよ。
子どもの時、家のドアを開けたら、ノーザン・ライツがそこまで降りてきていたんだ。
僕は、ノーザン・ライツの中にいた。
普段はそんな下まで降りてくることは絶対にないんだ。
僕の人生で一回だよ。音がするんだ。ノーザン・ライツのカーテンの音だよ。」
「ええええ?」「それはどういう音・・?」
「なんだろう。うーーん、アルミの板ってわかる?
あれをさ、こう手の中でくしゃって、やった時の音、、、っていうかさ、なんだろう。
なんていったらいいだろう。なんかさ、パチパチって弾けるようなさ・・・」
「アルミ・・・。ノーザン・ライツって、まさに金属のカーテンがしなるっていう感じなのかなあ。
そこにあるものっていうか、触れるものっていうか・・そんな感じなの?
すごいな、私もいつか聞いてみたい。」


なんでかわからないけれど、私の目的は、オーロラを見ること、ではないような気がした。
それはもちろん、見たいし、
こんな着ぶくれた格好をして、はるなちゃんとふたり必死で、もう一度外に出てみるわけだけれども。

そんな風に少し、今日に満足し始めたときだった。
ねばってずうっと外に立っていた、上等のカメラを仕込んでいたおじさんが
「あ!あれ、オーロラだよ!」と声を上げたのだった。

いわれたところに必死で目をこらすと、
山の稜線の一番へこんでいるところに、白いもやがたまっているような感じではあった。
でも、雲なのか、山の向こうにある街の灯りなのか、という感じで、
確かにうっすらあるけどさ・・・と思っていると、
おじさんが、
「あれだよ、あれだよ!ほら、動いているじゃないか!」
というのだった。

そして、そのおじさんの友人達も、
「本当だ、本当だ!」
と騒ぐのだった。

何度見ても、白いもやで、とても動いてはいなかった。

「お父さん、どんだけ目が良いの。。」と奥さんらしき人が言うのでちょっとほっとしたのもつかの間、
その人も
「ああ、ほんとうだ、ほんとうだ、動いているね、あれはオーロラね、見えた見えた!」
と騒ぐのだった。

頭を抱え込みたくなるほど見えなくて、
なんかのまやかしじゃないかと思って、
振り向いて、はるなちゃんの方を見ると、
はるなちゃんも怪訝そうな顔をしていた。
「だよね、みえないよね」といいあわせて、ほっとして、
もう一度空の方に向き直ったら、
急に、もにょもにょと動いて見えたのだった。

一度見えてしまえば、それは、
山の端をくすぐる、神様の白く輝く手のようだった。
もにょもにょもにょと動いていて、その白い手の爪に当たる部分がきらきらと輝いて見えた。
「うわあ」

はるなちゃんにとって、わたしもおじさん達の仲間入りをしてしまった。


はるなちゃんは、怪訝な顔をしつつ、カメラできっちり、その場をおさえてくれた。
(私はー40度でカメラを使うのは不可能だと最初からあきらめてカメラをもっていなかった。)

アラスカにいた4日間、のちのち、
目がちかちかするほどの緑色の絵の具を空に流し込んだようにぐにゃぐにゃと動く、
ダイナミックで美しいオーロラに出会っていく中で、
あれは本当にオーロラだったのかな、という気持ちが、
よぎらないわけではなかったけれども、
一番最初のこの日、見えた!とおもったその時の感動と、
そのもにょもにょと動く指先が、
いまでもはっきりと残っている。
私のはじめてのオーロラ体験は、これである。
あれがなんであったにせよ。

そして、私は人生の中で、確かにそんなアラスカの一日を過ごしたのだった。

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日本に帰ってきて二週間くらいたったある日、
東京で、夕方4時くらいにぼーーっとタクシーの中から、
ビルの向こうに真っ赤な顔を出し、沈んでいく太陽を眺めていたら、
あれ、ずいぶんと、まだ、高い位置にあるな、という気がした。
12月末のアラスカでは、一番高く昇っても、あそこまで行かなかった、
こんなに赤くまぶしく輝いていなかった、
所狭しと並ぶ東京のビルも、すれ違う車も、太陽を受けて金色に輝いて、
私も、顔を背けたいくらいに、ひりひりとまぶしい。
急に道行く人がやけにのんびり動くように見えた。

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何かの目的で旅に出る、ということよりも、
毎日の何かが、いつの日かピースとして繋がって、
自分の世界の見え方を変えることがあるんだよなあ、と漠然と思う。

私たちの過ごしたアラスカ4日間も、
今はまだ、何にもならない、たくさんの質感として、私の中で何かを待っている。


シャンダラー牧場にて。4日目。2013年12月29日の深夜。はるなちゃん撮影。