Saturday 15 June 2013

小野雪見御幸絵巻

サントリー美術館のもののあはれ展で、
小野雪見御幸絵巻を見た。

乱暴きわまりない言い方をしてしまうと、
大好きな男の人が、雪の日に自分のところへ通ってくることがわかって、
おもてなしをする絵。

真っ白な雪の庭に、彼が車でつく。

女の人は、それを想像して、
御簾の下から、真っ赤な袴の、女の人の足下がたくさん並んで見えたら、きれいなんじゃないかと思う。

女の人をたくさん並べてみる。それでも、まだ足りないような気がして、
袴を半分に破って、二倍にかさ増しして、並べてみる。

その光景は、ほんとうにきれいだった。
私は、車で到着したばかりの男の人になって、その光景を見たようだった。

それに、私だったら、大好きな人には、できるなら他の人のところへ行って欲しくない。
いくら足下だけだって、他の女の人をたくさん並べたりしない。
女の人をそんなに並べて、もてなして、それはもうなんていうか、
心意気があっぱれ、っていうか、想像を超えている。

もちろん、いやらしさなんてなんにもない。
その光景が、美しいってことが全てだった。
ふかふかの雪の庭に、真っ赤な足下。

目の前に、最も美しい光景を用意して、待っている。
それって、なんだか、大好きな人に映画を見せてあげるような感じというか。

大好きな人にみせてあげたい光景。
それがフィクション。
なんだか、ものすごいものを見てしまったと思った。

(東京芸大美術館所蔵。このサイトより拝借














Sunday 9 June 2013

紙風船のお腹


昨日突然思い出した。幼稚園の時に一度、
夏休みに近所の大学のプールに水泳を習いに行った。
その最終日、試験があって、ある距離を泳げたら何級合格という感じになっていた。

わたしは必死で泳いでいた。
泳いでいたが苦しくて苦しくてたまらなかった。
まだかまだか、もうだめだ、というとき、
横について水の中を歩いてきてくれていたコーチのお兄さんが、
泳いでいる私のお腹を、突然に触った。
まるで紙風船か何かのように、下からぽん、ぽん、と叩くのである。
私は、どきーーーっとして死にそうだった。それでも体は浮くのだった。
その後お兄さんは私がゴールに着くまで、
ずっと、ぽんぽんやっていて、
私はいつのまにか六級合格の旗の下にたっていた。
私にとってそれは人に言えない恥ずかしい記憶となった。

それで、いままで封印して、思い出すこともなかったのだが、
ふと、昨日テレビでプールの映像を見たら突然に、
あのお兄さんの手の感触が鮮明に蘇ったのである。
それで、よくよく思い出してみて笑ってしまった。

あのお兄さん、優しい人だったんだなあ。
はじめてわかったけれども、そうだよね、幼稚園の女の子、六級合格したっていいよね。
いじわるなことをしたわけでも、いやらしいことをしたわけでも、なんでもないのが、
33歳になった私が眺めたら、わかったのだった。

それでなんかおかしくなって、思い出すまま両親に話したら、
「ああ、あのお兄さん、まるでウェイターさんみたいだったなあ、
グラスののった銀の大皿片手で運ぶみたいにお前のこと、すーって水の中でなあ」
と大笑いされてしまった。
私の頭のなかの、秘事は、全然秘事じゃなかったのだった。