Wednesday 13 June 2007

生命の水

私たちのフロアでは、なんかみんな自分の顔のデフォルメが
それぞれのオフィスの扉に張ってある。
Davidが通りかかったとき、Ayakoもドアにはりなよ!ねえ、はらないの?
さあ、写真を撮ろう!
Weng Hongのコンピュータでできるよ!さあ!
といって、写真の撮り合いになった。
あははは、今のいいね、今の今の!これだ!とかいって、はしゃぐ。
Davidも自分をとって極度の頭でっかちにうつったその写真を
”意識の研究するから頭でっかち。”とかいって笑ってる。

Davidには嘲笑というのがない。
ゼミのとき、reading groupのとき、
どんなに変なpaperをもってこようと、どんなに不十分な議論をしようと、
ただ、少年のように、天を見つめて考えたり、
僕はこう思うけど、と自分の意見をいったり、
相手の理解が進むような言い方をしたり、
そしてたくさんのジョークをいって笑ってる。
嘲笑というのをみたことない。

頭が切れて、変な人を敏感に察して、嘲笑する人よりも、
少々鈍感であっても、決して嘲笑しない人の方がいいって
思うようになってきた。
(もちろん、Davidのことじゃない。彼の頭の切れ方と敏感さは並じゃなくすごい。)
私は、ずっと鈍感な人に憎悪といってもいいくらいの感覚をもって生きてきた。
そして人を馬鹿にしてきた。

今日はすっごく人を愛したいと思った。

何かできなくても、変でも、それぞれ生まれてから今この瞬間まで生きてきた。
どんなことを蓄えてきただろう。
どれだけのことを抱えているだろう。
どんな風に世界は見えているだろう。
どんな気持ちでいるだろう。
どんな事を夢見ているだろう。
計り知れない。
私が解るか解らないかに関わらず、その人の生がある。
それに、解ってもらえる解ってもらえないも関係なく私の生もある。
私に対する態度が何だ。
敏感って一体なんだ。
「こういう私」なんか人に提供できずに、
変で、どちらかというと機嫌が悪くて、そういう一瞬が切り出されて終わる事だってある。
コントロールできないものだ。態度なんか。もう、信用しない、そんなもの。
そう思った。そうなったら、人に対するrespectということだけが大事なもののような気がした。
それは同時に、心の中に大きなずっしり重い石をたてることでもある気がした。

素敵だから愛するのでもなく、
同じ感じ方だから愛するのでもなく、
ただただ人間に対してなんだか震える尊敬の気持ちになった。
大きな石を心の底において、しみ出す水がやけにつめたい。

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