Sunday, 28 December 2008

良いお年を。

明日から、沖縄旅。
一月一日に帰ります。
頭を耕された一年。
無菌の培養の頭にようやく色々生えてきた兆し。
いつか、色んな生き物が往来してくれるといいな。
本当に、本当に、色々な方にお世話になりました。
みなさま、ありがとうございました。
良いお年を。

人間

夏目漱石の「虞美人草」を読んでいる。

 「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋しげに笑った。
勢い込んで喋舌って来た宗近君は急に真面目になる。
甲野さんのこの笑い顔を見ると宗近君はきっと真面目にならなければならぬ。
幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑に入る。
面上の筋肉が我勝ちに踊るためではない。
頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻を起こすためでもない。
涙菅の関が切れて滂沱の観を添うるがためでもない。
いたずらに劇烈なるは、壮士が事もなきに剣を舞わして床を斬るようなものである。
浅いから動くのである。本郷座の芝居である。
甲野さんの笑ったのは舞台で笑ったのではない。
 毛筋ほどな細い管を通して、捕らえがたい情けの波が、心の底から辛うじて流れ出して、
ちらりと浮世の日に影を宿したのである。
往来に転がっている表情とは違う。
首を出して、浮世だなと気が付けばすぐ奥の院に引き返す。
引き返す前に、捕まえた人が勝ちである。
捕まえ損なえば生涯甲野さんを知ることは出来ぬ。
(岩波文庫より抜粋)

煮えたぎった心を抱えていても、終始穏やかに、隠し去れ
鍵をかけて葬れ
自分の奥底へと押し込めて
動かす燃料として燃やせ
火を絶やさないようにどんどんくべろ
使うな
他のことに使うな
見失わないように

Thursday, 18 December 2008

マトリョーシカ




マトリョーシカを作った。
マトリョーシカの一番芯になるやつは
こんなふうになった。


Thursday, 27 November 2008

感激の余韻

下のpostで、
”己を捨てる”って書いたけど、違うな。
どちらかというと自分に”なる”とかそういう感じ。
自分を主張する、とも違う。

ニューヨークにいるときの、あの、楽、な感じ。
そのままでいいんだ、というか、
本来の自分が、自然にあふれ出てくる感じ、
そういう感覚は、本当に自由で、
トラウマが消えていくような、
そういう気さえしたのだった。

私が持っていたマトリョーシカがいっぱい描いてある妙なバッグも
通りがかりの人何人もにほめられた。
変な話だけど、わたしはだいじょーぶなんだとおもった。
ちんちくりんでも、ずんぐりむっくりでも、
変な英語でも、本当に楽しいんだと思った。
洋服も、ブーツも、
いつになく沢山の買い物をして、
本当に解き放たれて帰ってきたのだった。

Tuesday, 25 November 2008

今への目覚め



今回の旅行は、行く前から本当に楽しみで、いつになく興奮していた。

Washington DCでの学会発表と、NYCの自由旅。
結果、アメリカってすっごくいい!と思ったたびになった。
ワシントンもニューヨークも、初体験。

今まで私はどちらかというと、過去の、遠い昔のものが好きだった。
ジローとアメリカで一番最初に出来たというピザレストランでこんな話をした。
イタリアでどこがすき?僕は、ローマ。私はフィレンツェ。
”フィレンツェって街全体がミュージアムみたいで、過去、みたいだ。
僕は、どっちかというと、今生きている、活気のある場所が好きなんだ"

ジローは大阪を好きだといって、私は京都が好きだった。
MOMAに連れて行ってもらったときも、ジローはモンドリアンがすきだといって、
私はゴッホとか生命の傷を感じられるようなものが好きだと言った。
(でも一番よかったのはジョンケージの、なんだか星をちりばめたみたいな、もしくは、地図のような、楽譜。と、オノヨーコの石。)
ジローのいったことが心にずっと残っていた。

ニューヨーク最終日、朝6時に起きて、自由の女神、グランドゼロ、メトロポリタン美術館、MAMMA MIA!を見に行った。
オバマの当選の今の時期、自由の女神をみていたら、なんだかアメリカってすごいな、と思った。
自由の女神に行くフェリーは、ニューヨークへの帰り道にEllis islandという小さな島に泊まる。
ガイドブックのlonely planetの説明では、
"Ellis island. An icon of mythical proportions for the descendents of those who passed through here, this is island and its hulking building served as New York's main immigration station from 1892 until 1954, processing the amazing number of 12,000 individuals daily, from countries including Ireland, England, Germany, and Austria. The process involved getting the once-over by doctors, being assigned new names if their own were too difficult to spell or pronounce, and basically getting the green light to start their new, hopeful and often frighteningly difficult lives here in the teeming city of New York.(後略)"
とある。
とにかく誰でも受け入れて、名前が難しかったら新しい名前にして、つべこべいわずに移民を受け入れて一つの国が出来る。
第一次世界大戦後くらいから、審査は厳しく変わっていったようだけど、
本当にすごいと思ってしまった。
移民達は、船からどんな気持ちでこの自由の女神を眺めただろう。
ところでどうして私は、いつもにまして、こんなに、希望に満ちた予感、というかそんな気持ちでいるのだろう。

MAMMA MIA!のエネルギーもすごかった。
ニューヨークの若いアーティストのあつまるバーでのパフォーマンスを見ているときもそうだったけど、
目をつぶりたくなるほどのエネルギー。
己の捨て方、というか、その”今”に対する覚悟。
はちゃめちゃで、解きはなって、
お客さんも、ゲラゲラわらって、最後には隣に座っていたイギリス人の老夫婦も立ち上がってdancing.
アメリカで、このエネルギーに触れられたことは本当によかった。
なにか今、ということに、はじめて心が開いていくような、そんな気持ちがした。
それはなんだか、心が許されたようなそんな気持ちもする体験だった。

ジロー、ウェン、本当にありがとう。


John Cage


Paul Cézanne


With Giro

Wednesday, 19 November 2008

距離の取り方

私はいつでもどっちかというとどっぷり浸っているような気がする。
だからなぜだか、記憶の中で、そんなに昔とか今とかを区別するようなことが、あまりなされていない気がする。

幼稚園の時、
月に一度とかそういう頻度でなんとかスクールとよばれるクラブ活動のようなものがあった。
いつもいつも、自分がどこに所属しているかがわからなくて
毎回色々な部屋をぐるぐるまわって、
いつも面倒をみていた一つ下の子がいたから、そこにいる、とか
そんな感じだった。
なにか決まっているらしいのにどこにいけばいいかわからない、
だけど、誰にも言えない、
そういう気持ちで走っていたときの感覚はよく覚えている。

その気持ちは、今も昔も時間の貼れないなにかで、
変化と言うことから免れている

(つづく)

Thursday, 6 November 2008

心の底からバンザイ!!

オバマの当選で、一日中、心が沸き立ち、興奮した状態だった。
本当に本当に嬉しい。何かが本当に変わった一日。
アメリカの人たち、ありがとう。

Monday, 27 October 2008

フェルメール

フェルメール展を見に行ってきた。

「マルタとマリアの家のキリスト」を見て、
なんだかキリストの表情を見ていたら驚いた。
知った人の余裕なんかまるでなく。
泣いているようかのような、
傷ついているかのような。
青白く、人生のなかでまるで一個しか言葉を言ってはいけないかのような、
そんな顔。

ルカ福音書10章38−42
さてみなが旅行を続けるうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が家にお迎えした。
マルタにはマリヤという姉妹があった。マリヤは主の足下に座ってお話を聞いていた。
するといろいろなご馳走の準備にてんてこ舞いをしていたマルタは、すすみ寄って言った、
「主よ、姉妹がわたしだけにご馳走のことをさせているのを、黙ってご覧になっているのですか。
手伝うように言いつけてください。」
主が答えられた、
「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、無くてならないものはただ一つである。
マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(岩波文庫 新約聖書 福音書より抜粋)

Wednesday, 22 October 2008

梅の味の日

なんだか気が狂うほど食べたくなったものがあって、
深夜、目的のものの載った本を眺める。
なんだか、見るのをやめられなくて、料理の本数冊を始めから終わりまで、繰り返し眺める。
そして今日、興奮冷めやらぬまま、実行。

ちょっとした加減や、材料の質、タイミング等、色々なことがあるんだろう。
できあがったら、チガウ、と思った。
目指した味の気配をうっすらかぎとったところで、今日はおしまい。

パパは、”珍しくっていいね”、といった。
今日はパパの還暦の日。

Monday, 13 October 2008

神と官能

うまく言語化できない不安で
体内がいがいがしていて。


顔学会の待ち時間に、三四郎池でしばらくぼーっとしていたら、
おじさんが一人、大変うやうやしく鯉にえさをやっていて
どうしても、おじさんが、視線に入ってしまうのが、
なんだかとてもうっとうしくかんじて、
でも
目の前におっきなクモがでっかい巣をつくっていて、
すべてを蜘蛛の巣を通してみていたら、
妙に鯉の動きがなまなましくみえてきた。
はっと気づくと池の表面にたくさんの小さな黒い亀が浮かんでいた。
無意識の底から黒い泡がふつふつ浮かんできたように。

猫が建物の脇から出てきたときも、
なんだか、やけに獣のにおいが一斉に香ったような、なまめかしい姿にうつり
なんか少し心がすっとした。

人生は、
まだ見ぬ、
そして恐ろしく現実的な、
そして官能的な、
神様の真実と共に。

Sunday, 5 October 2008

穏やかさもまた

秋がすごい勢いで過ぎてく。
秋らしく高い青空の時は仕事。
約一ヶ月前、中秋の日の、かなでさんのおうちでのお月見パーティを、思い出す。
あの、穏やかで、優しい時間と、優しいオリーブオイルの味の料理もまた、愛しく。

忙しいけど
なぜだか、すごいスピードの中で、とまって見えるみたいに、
愛してる!と思った瞬間瞬間が、ほつ、ほつ、と急に思い出されて。

無限遠の光源



解析三昧の毎日でマリーナにあわなきゃ死ぬと思った。
横浜トリエンナーレへ。
まっしぐらにマリーナのところへいくと、
不安な出で立ち
タイトル「魂の手術台」("Soul operation table")

この人は。
たった一人、高い台の上で鏡の中の自分と向き合う。
その姿を人に見せるための冷たい鏡も横に用意して。
様々な人の目線をまた、feedbackしながら。
下では自由に人が行き交う。
マリーナが不在の手術台のライトが赤い鏡に映るのをずっとみていた。

マリーナの作品は固定化しない。
マリーナがそこにいなくて、ただ手術台があるだけでも。

マリーナの作品を見ていて
私は現実から逃れるためのファンタジーは要らない。
現実を直視して生きる姿を見たいのだ、と思った。

ファンタジーはどこかナルシスティックで、自己弁護的だ。
本当に心を癒してくれるものは、なにか別のもの、ではなくて、
ど真ん中で、逃げない、自己欺瞞をなくそうとする、
自分の一回限りのいいわけのきかない生の中で、魂の鍛錬をする厳しい人。

このような形で、このような条件に生まれついて、
だからこそ、魂の鍛錬は義務。
神にでも近づくような、魂の鍛錬。

愛している。

6時頃家に向かう道では
すっかりと日が落ちて、
空は曇りのためか、均一で、
どこか無限に遠い光源が
確かにあることを知らせる
セロファンのような透き通る濃紺の空だった。




写真 Marina Abramovic, "Soul operation table, 2008"

Sunday, 28 September 2008

不可侵の形

人前で話す、
例えば、今お仕事をさせていただいている会社での研究発表など
例えば、何か、意見を求められるというような経験で、
勇気を出して話し始めれば、
あれ、なんだか、遠い。
頭の中を必死で探索して、正解に近いものを、と、出力すると、
あら、遠い。

知識というものが、言葉にしてみると、
なぜだか、で、なんなんでしょうね、という姿に変身してしまう時、
はあ、これは、私の血となり肉となった何かではないのだなあ、と
話しながら証明される。
結局何を話しても、等身大の自分があらわれてしまうものだなあ、と思う。
だったら、はじめから嘘をつかぬが肝要。

こんな小さなエピソード、だけど私にとっては大きな転機。
本当に信じてる方向へ話をするから、
いいですか?
そう思いつつ話すけど、
話した後いつも、
恥ずかしいのはなんで。
だけど、恥ずかしいというときには、その前から覚悟が決まってるに決まってる。

矛盾を抱え込むから、心の中でひずみを解消しようとする動き。
私の心の中の信仰において、
ご神体の形は、さなぎのように、
中で溶けて、新たな姿に変身する。
外からみればまっしろい繭。
絶対不可侵の形。

Sunday, 21 September 2008

意識について

強烈な自意識を抱えて、
自分を知ろうとしたり、表現しようとしたり、
でも、
鏡を見た瞬間には、無意識のうちに顔を緊張させ、作り、
言葉を発する瞬間には、様々に飾り、
いつのまにか、影が勝手に踊り回り、増殖し、自意識の存在だけが映し出される。
賢いことや、正しいこと、そのようなことばかりに焦点が当てられ、
そのようなことを主張することが、ただ、自分という存在のアピールに感じられて苦しい。

意識の問題を解くことは自己欺瞞をなくすことなのではないか。

生きるということと、意識の問題を解くことも等しい。
そのような形でのみ、意識の問題は存在する。

Saturday, 30 August 2008

BBQ in the rain


初栗

我が家にていつも農業でお世話になっている方々を招いての収穫祭。
 
物置の屋根の下の地面にシートを引いて、お膳をたくさんだして、
青空の下、お膝してみんなで野菜切り。
幼なじみのなおちゃんに久しぶりにあった。

ちょっとあやちゃん、ピーマンの種、とばさないでよ。
なおちゃん、その芋の厚さどうなの。

農業を教えてくれているおじさんたちがてきぱき炭をあつかって、
奥様方がてきぱき周りで動いている。
みんな汗だらだらだった。

落ち着いて、みんなが座って食べ出した頃、
雷が鳴って、雨がざあざあふってきた。
頭上のちょっとした屋根の下、地面に座って、窓枠もなく、
こんなに低い目線で、こんなに直接的に
雨を感じたことってあったっけ?

雨が地面で跳ね返った細かな粒子が充満して、
一気にひんやりとした空気が流れる。
まるでお月見をしているような気分になって
みんなの会話を横に、
一人ぼーぜんとした。

森の中でたくさんの木に守られて雨に濡れずにいるときみたいな一方で、
灰色の雲とたくさんの雨粒が水たまりとなってどんどんどんどん流れてく。

誰が始めたか、いつのまにかみんなは私の死んだおじいちゃんの話をしていた。
死ぬ数ヶ月前、畑で隠れて一升瓶を飲んでいたんだよ。と。
きっと雨と一緒におじいちゃんの魂も一緒に来たんだろう。

おじいちゃんは大事に栗を育てていたからね。


パパとおじさん

Sunday, 17 August 2008

神津島でであった風景

みんなが帰った後のビーチにて

至福の旅:神津島

神津島にいってきた。
昔、神様が集まって水をどう分配するかの会議をした島、という伝説の通り、
気の向くまま歩いた場所場所で、神様に出会った。


阿波命神社


決して持ち帰ってはいけない長浜の石


神様のおうちの前の石



海は透明度が高く、底の底まで見通せる。
島中、湿度はあるのに爽やかで清潔な空気がただよう。
宿のおじさんは、真っ黒に日に焼けて、いうことなすこと力が抜けてて、男らしくて、かっこいい。
素潜りで、かつ、自作の手銛で、魚を突いているらしい。


私は、海が怖い。足が立つ場所以外には絶対に行かない。
海の中は、私にとって、波の力や、鮫、全て、どうがんばったってかなわないもの、という
無意識の恐怖を呼び起こして、頑固なまでに絶対にちょっとでも深い場所にはいかない。

山登りをした。
水の分配の会議が行われたその山の頂上には、砂漠が広がっているらしい。
あまりにも惹かれて、
その宿のおじさんに、
”だめだめ、やめたほうがいいよー、夏はー。それでもいくんなら、ま、がんばってー。”
といわれたにもかかわらず決行した。
宿をでて、一時間がたったころ、私たちが登ろうとする山が姿を現した。
おじさんは、正しかった。
木がない、灼熱の斜面。



かなでさんの体力には感服。
それから、あともうひとつの力にも。
ペースが違うので、どんどん先に行ってもらった。
たった一人になったとき、
途端に心細くなった。
5合目を過ぎてあきらめる決心をして下り始めると
途端に心がすっとした。

かなでさんは、海でもがんがんもぐる。
行ったことのないところ、惹かれたままに登ってみる、いってみる。
私はあまりにも警戒心が強くて、行動範囲を狭めてしまう。
この旅の間、そういう自分と向き合っていた。


例によって宿のおじさんに紹介してもらったお寿司屋さんに向かう。
ビールをたのむと、お寿司屋さんのおじさんは
”にぎりたべる?”
というので、ハイ、というとそれ以上何も聞かない。
しばらくすると、まあるい桶に二人前のお寿司がはいってでてきた。
みたことない魚ばかり。
店主、また謎なことを言う。
”たまご終わっちゃったからね、それ、サービスだから。”
とお寿司が2貫。
二日目の夜にいった居酒屋でも同じことが起こった。
”大葉がなくなっちゃったからね、それ、サービスだから。すごくおいしいから。”
と赤鯖のお刺身が山盛り。
珍しいお魚らしい。マグロのような色をして、お肉のような味がした。
たかべ、というお魚があまりにもおいしかった。
(赤鯖はたかべをたのんだら大葉の代わりに頂いた。)
食べた後いつまでもいつまでもまあるい脂の味が口の中に残り、
いつまでもいつまでも幸せだった。

たかべの味のような、旅だった。

Sunday, 13 July 2008

江ノ島デー

この一週間家から出ずに眠ってばっかりいて夜になってようやく少し本を読む、とかいう生活。
何読んでも全然面白くなくて、
毎日明日は多分とおもいながら、
目が覚めると、
このだるさを引きずってもやりたいことなんてない、と思って起きたことを後悔する。

一週間が経とうとしていたとき、
夕飯の前ママが言った。
”ねぇねぇ、ひきこもりなの?
かわいそうだから、この牛のたたきあげるね。
パパに内緒で。”
といってこっそり、二枚の牛のたたきをくれた。

今日、友達に朝起こされて江ノ島に。

海で隔たった小さな岩に、黒い鳥が一匹、私が見ていた間、約二時間、
時々羽を広げたり首を伸ばしたりしながら、
一歩も動かず一人で立っていた。

私はもっと自由でいていいはずだ、と思った。
波を見てたら、この2年間の色々なことを思い出した。

折角、なんの所属もないでいるのに、どうして拘束されている気でいるんだろ。
一つ、心の中でこれはもう終わりで、次だ、と思っていることがあることに気がついた。
箱の実験の先に見えるものをどうやって形にするか、
箱のままでも、顔のままでもない、その先。
もう一つには、だんご状態の世界。
団子の核になるようなものがないときでも団子。
そして、ずっと、何かのための今って感じで、
これからどうかなるために本を読むとか、そういう感じだったこと。

のびのびしようとおもった。

日が沈もうとして、帰ろうとした頃、ふとみると
その岩の周りに4, 5羽の黒い鳥が群れていた。

そしてすっかり日が落ちて八坂神社の鳥居をくだってきたら
法被に足袋のおじさんたちがごくろーさーん、と互いに声かけちりぢりになっていった。

Sunday, 6 April 2008

お茶漬けの味

黒澤明ってどんな人だろうと思ってDVDをいくつかみている。
早くて、リズミカルで、情熱があって、頭が良くってとってもいい。
すっごく刺激されるし、何度でもみたい。

だけど、心の奥の芯に触れて、”ああ、この感触だった”という感じがしたのは
昨日見た小津安二郎の「お茶漬けの味」。

普段、色々な人や、ものを、素敵だな、と思うけれども、
こういう感触に出会うと、あーそうか、魂に本当に触れるときはこういうかんじだったよなあ、と思う。
自分の心も触られて、ああ、あった、心がここに、と気がつくということがあるんだなあ。

小津の映画には、良い人、悪い人というのがない。
東京物語で、おばあさんとおじいさんをひどい目に遭わせる子供たちも、そういうのとは違う。
お茶漬けの味の奥さんも、ひどいことするけど、
私はすっごく、うっ、私もしてる、これを、とおもった。
大好きな人には自分のこと全部受け入れてほしくて、生活スタイルやそういうもので相手を試して、
一度、気に入らないとなれば、口も聞かずに音信不通。(その間に旦那様は出張で外国にいかなきゃならなくなって、いってしまうともしらずに。。)
それは外に見える、愛以外のものを拠り所にしてるから、見えないだけで、
本当は異常なほどの愛をもらってる。
夫婦の間、とか家族とか、身近な話だから派手な良いとか悪いにならない、とかそんなんじゃなくて、
良い悪いだと包容しきれないのだ、生命を。

東京物語での、おじいさんの、おばあさんが亡くなった朝の、”今日も暑うなるぞ”は、
私には耐え難いほどの、生と死の生命への賛歌。

愛が蘇った。

Thursday, 3 April 2008

桜花

野澤君の仕切りの素晴らしい花見。
心の底から感謝です。ありがとう。

春の不安と、疲労が、
子供たちの遊ぶ声と葉のない桜に吸い込まれていった。

春は心の膜が薄くなる。神経過敏、心身疲労。
少し長めの休みがほしかった。
しゅわしゅわで透明のシャンパンを飲んで、
装飾のない言葉に触れたかった。
じゃぼんっと何かを浸したかった。

そういえばソメイヨシノは
水を吸った紙のよう。

Saturday, 8 March 2008

最終講義

研究室の石川君の学部時代のsupervisor、
坂井典佑教授の最終講義をひょんなことから聴きに行くことができた。

”最終講義”という言葉を何度か聞いたことはあったけれども、
実際どのような物かは全然知らなかった。

花束を贈呈した後、司会の人が2次会のinformationを与える間の
一瞬間の空白が、なんだか妙に心に残ってる。



私の生命をかける仕事について考える。

Tuesday, 26 February 2008

紫式部賛1

柳川さんに教えてもらって、
河合隼雄の”源氏物語と日本人-紫マンダラ”を読んでいたら、
心がやわらいでいくのがわかった。
こんな本、久しぶり。


最近はなにか分裂した心持ち。
出て行けばあさましく、
出て行かなければ、そのうそや。


そういえば、
この間テレビを見ていたら、売れた本について
苦労、克服、サクセスストーリーへの道で
”女性には新書(教養物)はうれない”
”女性用に一枚当たりの文字数を減らした”
ということをいっていた。

ええ。確かに買いません。


あしき事よき事を思ひ知りながら埋もれなむも、言ふかひなし。
我が心ながらも、よきほどにはいかでたもつべきぞ。

Sunday, 17 February 2008

教えてもらったこと

自分の姿が水面に映って、それが自分の姿であるとわかってしまった一匹の天才動物が、
ひとたびわかってしまえば、それを常に確認できないことと言うのがどれだけ怖いことかを感じてしまった。

私のD論での実験は、自分が世界に対して何か作用できるというillusionが、
人間にとって喜びを与え、行動を劇的に変えるという結果だった。
人間のメタ認知、あるいは自由意志というillusionの発達は、避けられないことであった。

怖くったって失語症になっている場合ではない。
嫌われるのが怖い?認めてもらえなくて悲しい?否。何を守っているのだ。
現状の像が、そんなに価値のあるものか。
自分のことは勝手に自分で愛してればいいのだ。

自分よりも素晴らしいものがある。
圧倒的な智や、圧倒的な美がある。
自分にも、信念がある。鍛えることの出来る信念が。
illusionをもてる能力があるんだから、勝手にもってていいのだ。

死んだときにはっきりとした形となる。
その時まで、ひたすらひたすら試せ。
それは生物の可能性を照らすことになるのだ。

生きている間は、そのバラバラな生の軌跡をしっかり、
信念で結んでいればいいのだ。

だから、そもそも順番が逆で、illusionこそ、自分を生かしてくれるのだ。
こんなにバラバラで、errorばかりだったって、
illusionで貫き通して、生きられるのだ。

illusionを強く持ってる人は多分、
現実の出来事を悲痛なまでに受け入れている人だ。
よっぽど、よっぽど、
現実に即した人だ。

愛情の深い人がときにとてつもなく冷たい人に感じることがあるのは
そのせいだ。
その人の心の墓石に触れて、その覚悟の大きさに、
自分の弱さから疑いはじめるのだ。

現実に即してないから、何の意味があるのか、とかいうな!
なぜ、また今ここにあることだけをみるような自分になったか。

Thursday, 24 January 2008

雪の日の見え方



私にとっての初雪の日に
まるで月でも落ちたかのように。

長年通ったすずかけ台のキャンパスにて。

Sunday, 20 January 2008

赤い筆箱

小学生の頃、自分が持っていた筆箱が、
他の子の持っているキャラクターの絵のカンペンとかびっくり機能おもちゃ付き筆箱じゃない
赤い皮の筆箱で、とても地味なように感じて恥ずかしかった。
缶ペンを買って、といっても、絶対に買ってもらえなかった。

そして自分のランドセルが、他の子はツルツルの赤なのに、
皮で、ザラザラした赤なのがやっぱりとても恥ずかしかった。

今、恩蔵さんと言えば、赤だよね、というくらい、
赤いものが大好きでひたすら色々赤いけど、
気がついてみれば、コンプレックスのような存在だったことに気がついて、
机の引き出しを探してみたら発見。

わたしがなんか色々自由になったのは大学生の後半から。
今は、幼稚園の時の気分。
小学生以降は、人という鏡を手にして、数々の失敗。
熱を出して病院につれていかれて、尿検査なんてそんなこと絶対するものか、と、
尿検査が必要なたくさんの見知らぬ人たちの前で叫んだことがある。
今も数々の失敗。
だけど、
今大事にしているものはまだ存在しない自分(の将来作るもの)の像。
失敗を他者に帰さないようにしよう思うだけ、
随分楽になった。

学習の最終目標は無限遠にあるべきだ。
だからこそその全ての責任は自分に帰すことができる。
そうか、と起こしたことも、起こったことも、ただただ、受け入れると言うこと。

まだ見ぬものを目標としたとき、
果たして今の学習理論は適用可能であるのか。
目標を無限大にとばすことは、
どうなるかわからない未来を受け入れることだ。
来るか来ないかわからない出来事の学習と同型だ。
目に見える何か(例えばベイズタイプ)の学習と見えない何かの学習はどこでどうつながるのか。

今なき何かへの志向性は、
過去を振り返る時にも、
生きてる人を思う時でもきっと同じで、
自分と人の間に断絶を感じるからこそ
無限の愛でいきてこうとするんじゃないか。

そもそもことの始まりに、
信じると言うことがなかったら、
今も昔もこの先も、
全く全然つながらない。



Tuesday, 1 January 2008

Happy New Year!!

みなさま

あけましておめでとうございます。
みなさまにとって幸福な一年になりますように。

恩蔵絢子


Dear All

Happy new year!
Hope 2008 brings you much joy and happiness.

Warmest wishes,
Ayako Onzo