Wednesday 14 June 2017

静かな沼で

生物が静かに生きているからといって、何も起こっていないわけではない。
羅臼湖トレッキングで特に印象に残っているのは、羅臼岳がどーんと望むわけでもなんでもない、一番地味な四の沼(あれ、三の沼だったかな?)だ。
アメンボがすいすいと泳いでいた。点のようにすうーっと動くのは、ミズスマシ。
(双眼鏡で覗いたところで、あんまりかわらない小さな丸い点。)
タガメまで現れた。
ガイドのKさん曰く、「日本固有種の日本ザリガニもいるんですよ」
私の気持ちはすっかり子供の頃に帰ってしまった。
雨があがったばかりの水たまりに、子供の頃はよくアメンボが泳いでいて、
どこからくるのか不思議だった。
近所の子供達と一緒に、よく近くの田んぼに入ってザリガニをとった。
誰の田んぼかも知らずにざぶざぶとった。
ザリガニの絵も描いた。
いまは、秦野じゃアメンボはどこにも見かけない。
そんなことしたらただの不審者になっちゃう、といつのまにか田んぼにも畑にも入らなくなった。
隣のおうちも横切らなくなった。
それで今、この静かな静かな高山で、アメンボにあうとは!
「アメンボは羽があって飛ぶのがいるんですよ」
そうだ、そうでなければ、雨上がりにとつぜんいたはずはないのに。
そんなことも知らずに生きてきた。

 「ん?」
Kさんがのぞきこむところを、のぞいてみると、アメンボが二匹重なっている。
「交尾かな、いや」
Kさんの言葉が止まる。
「あ、交尾ですね。共食いかと思ったので。」
「アメンボは共食いをするのですか?」
「ときどき。共食いと言うより、自分以外の個体がすべてエサだと思ってしまうことがあるんです。」

 状況によって、病気によって、自然によって、いままでの景色が変わってしまうことがある。
私たちの神経系だって同じだ。

高所であるが故に、水温が上がらず、水に浸かった植物が分解されずにゆらゆら浮いている。
そんな環境では栄養を取るのに苦労するから、みんな工夫を重ねて、食虫植物モウセンゴケも現れた。
小さな、可憐な体で、粘り気を出して、虫を捕まえて、それを栄養にして生きる。のだそうだ。
モウセンゴケを見られることは、なんだかとても嬉しい気持ちのすることだった。  

Saturday 10 June 2017

熊がこわくなくなった話

66日から8日知床に行く。

<カムイワッカの滝>
知床について、いちばんに向かったのはカムイワッカの滝である。
知床八景のうちの一つとして、知床観光ホームページで紹介されていて、
いちばん気になったところだった。
随分奥深いところにあり、アイヌ語でカムイは神、ワッカは水だという。
その滝の水はPH1.6〜1.8という強酸の温泉で、滝壺の中にまるまる体を浸すことができるらしい。
滝壺までは沢登りをしなければならず、強酸水で岩肌に藻が生えないので、
滝の脇を登るよりも水の中を歩く方がずっと滑らない、ということだった。
ただ、沢登り自体したことがないし、さらに問題なのは熊だった。
「カムイワッカの滝」で検索すると、そこは「熊のよく現れる場所」であり、
「熊鈴」や、「熊撃退スプレー」が必要で、
もし会ってしまったら、「騒がず、落ち着いて、行動しろ」。
知床はどこでも熊が出るけれど、たとえば、知床五湖や羅臼岳トレッキングをしたいと思ったら、
6月は熊の活動期で)ネーチャーガイドをたのんで一緒に行かなければならなかったから、
専門家の方と一緒なら、大丈夫なのかもしれない、と少しは思うことができるのだった。
しかしカムイワッカはそういうわけではなく、自分たちで行って登るだけだ。
せめて途中の観光案内所で熊などの情報を仕入れてから行こうと思っていたら、
友人とレンタカーでおしゃべりしているうちに、いつのまにか通り過ぎてしまっていた。

知床五湖に向かう道との分岐点から、道路は舗装がなくなって、砂利道をどんどんいくことになった。
うっそうとした森の中。ヒグラシに似たような蝉がシャンシャンシャンシャンないていた。

神奈川でも蝉はまだなのに?
もう絶対自分がかなわない領域に入り込んでしまった気がした。
一方、友人は助手席で窓を全開にして気持ちよさそうにしていた。
舗装もない、森の中だもの。満喫すべき。
しかし私は、森から今熊が猛スピードで降りてきたらどうしよう、
窓から手を入れて襲ってきたらどうしよう、と気が気でないのだった。
そこまでおびえていることは恥ずかしくて言えなかった。
ああ、いちばんいきたいところは、同時に、いちばんこわいとこ。
気分を紛らわそうと、ふざけて歌を歌おうと思ったら、
そんなときに限って『森の熊さん』しか思い出せなかった。
どんどこどんどこ、どこへつくのか、森の中の細い一本道をとにかく前へ走らせて、
二、三台すれ違う車があり「ああ、人がいる!」と一瞬の安心を得て、ようやく着いた。
この道はカムイワッカで完全行き止まりの道だった。

世界遺産になってから観光客が激増したと聞いていたが、
オフシーズンなのか、私たち以外の車は、一、二台。
しかもそれは測量の人たちみたいだった。よって騒がしさはゼロだった。
目の前で、硫黄で黄色、クリーム色、エメラルド色になった岩肌を水が滑るように流れていく。
こんな水に足を入れて、登っていかねばならないの?
私は熊鈴をリュックに付けたが、
とぎれとぎれにしか音をたてないことに不安が募った。
熊に人がいることを知らせなければならないのに、

恐怖で友人になにか話を振ることすらできない。
それで鈴を手に持ちかえて、りんりんりんりん振りはじめた。
私はやかましさのもとになった。

誰もいない、静まりかえったこの場所に、身を浸したら、どんなに素晴らしいかわからないのに。

友人はさすがに苦笑いしていたが、途中からわからなくなった。
すべるのか、すべらないのか、熊はいるのか、どうなのか、
10メートルくらいやっと登っただろうか、最初の滝壺が目視できた瞬間に、
これでもういいと思ったのだろう、私の足は完全にすくんでしまった。
「はるちゃん、もうだめ、わたしいけない」

わたしは、多少濡れるのもへっちゃらなほど頑丈な登山靴と、靴下を超特急で脱ぎ、
裸足を滝に差し入れた。
そしてそのまま、やってきたばかりのほんのちょっとの距離を逃げ帰る。
黄色、クリーム色、エメラルド色の表面を水が重さがなんにもないかのように通り過ぎていく。
それなのに、下る私の足はちっとも滑らなかった。

<知床五湖>
なにか見たようななんにも見なかったような、
強酸でチリチリする足だけついてきて、
知床五湖まで帰ってきた。
1時半をまわっていたけれど、
もしかしたらまだハイキングツアーに申し込めるかもしれなかった。
まとまった時間を落ち着いて(!)歩いて、この土地の自然を感じたいと思った。
お願いするとすぐ、
150分からのツアーに参加させてもらうことができた。
そこで早速教えてもらったのはこんなことだった。

熊鈴や、ラジオや、大声を立てて歩き続けるのは、実は危ないことがある。
なぜか。「相手の音を聞かないから。」
「自分の存在を知らそう」と、一生懸命自分のアピールだけを考えて、
りんりんりんりんならしていると、相手の音が聞こえない。
遊歩道のカーブで先が見通せないとき、プロのネーチャーガイドはこうしていた。
ぽん、ぽん、ぽん、と大きく手を数度叩いて、「ほうっ」と通る声を一度立てる、
それを合図に「だるまさんが転んだ」みたいに、全員人間はピタリと静止し耳を澄ます。
そこで熊の踏みならす足音や、笹を抜ける音がしなければ、そのまますすんで大丈夫。

熊の食べている物は、実は植物が多く、
植物が少ないときだけ鹿などをおそって肉を食べることもあるけれど、
幸い人間はまだ「食べ物認定」されずにすんでいて、熊も人間に会いたいわけではないのだった。
私たちが、適度に相手にお伺いを立てて、相手のことを聞いていれば、回避できる危機がある。
自分のアピールだけをしていることは問題で、耳を澄ますことが一番大事ということは、
なんだかとっても大事なことに思われた。

<羅臼岳トレッキング>
次の日はまた別のネーチャーガイドさんをたよって、羅臼岳に登った。
山の中で他の一組にしか出会わなかった、女三人の登山だった。
だけどこのガイドさんはすさまじかった。
その手たたきも、声出しも、一度もしないで行くのである。
彼女は笹のたてる音を聞いて、小さな鳥の種類をあてることができた。
つまり、ものすごく色んな音が聞こえているのだろう。
それだけ耳を澄ましているから、手を叩かなくていいのである。

彼女はとても穏やかで、マルハナバチと花の関係を研究されてきたらしい。
あそこに、と彼女が指す場所を、双眼鏡で覗いてみると、
6月の雪が残る高山に、単独で細い深山桜が咲いていて、ちょうどマルハナバチの女王蜂が、
フワフワの体をモップ代わりに、これから産む子供のためにたくさん花粉をつけまわっていた。

手つかずの自然、ということから、派手な野生動物に会えることを楽しみにしてしまうけれど、それなら動物園こそふさわしい。
高山にはまだ気温が低すぎて餌がないので、ここで熊に会うにはすこし早いらしかった。
そもそも熊も、鹿も、キツネも、ウサギも、ウグイスも、アオジも、モズも、トンボも、タガメも、アメンボも、ミズスマシも、マルハナバチも、小さな音で暮らしていた。
私は、彼女のおかげで、熊が少しだけこわくなくなった。

 


Monday 29 May 2017

Cued recall.

『種の起源』のダーウィンの従兄に、フランシス・ゴルトンという科学者であり探検家である人がいる。
彼は、今では、自分の人生の記憶(*専門的には自伝的記憶(autobiographical memory)と呼ばれる)についての研究で、必ず参照される人になっている。
彼は自分の頭のなかに、気付かぬうちにどれほどおおくの想念が通り過ぎていくかを、把握しようとした。
ぼうっとしていると、それが浮かんでいることにも気付かないが、かといって
覚醒していると、一つのことに集中してしまって、あまり想念が自由に通り過ぎていかない。
覚醒して観察できているものだけが、心じゃない。
彼は、本当はどれくらい多くの、どんな性質のことが通り過ぎているのか知ることで、
思わぬ心の骨格が見えてくるのではないかと考えた。
ぼうっとしつつ覚醒するなんて作業ができるかどうかはわからないけれど、
彼は兎に角やってみることにした。
どうやったか。
彼はよく歩いた。歩いていると、目の中にさまざまな刺激が入ってくる。
植物だって、一カ所でも何種類も生えていて、歩を進める毎に変わっていく。
建物だって、家も見えれば、商店も見える、
子供を連れる母親、馬に乗る紳士、次々景色は変わっていく。
こうして目に入った一つの物体について、自由に心を彷徨わせて、二、三個浮かんでくるまで待って、そしたらそれらを記憶に留めて、次の物体に進む、という形で、300もの物体を通り過ぎたらしい。(すなわち1000もの想念を記憶したことになる。)
後で内容を分析してみると、こうして街中を歩いて目に入ってきた物体により、
自分の人生のありとあらゆる時代のことが思い出せていた、と
彼は論文に書いている(Francis Galton, F. R. S. (1879) Psychometric experiments. Brain(2), pp149-162) 。
こんなことまで覚えていたのかと驚かされたし、
それがなんなのか把握するまでに時間が掛かるようなこともあった、と。
歩いて入ってくる刺激だけで、人生のさまざまなフェーズの出来事を思い出すには十分。

私が幼いとき、祖父や祖母がいて、両親がいて、兄がいて、壊れるなんてことを一ミリも考えない安泰の世界が続いた。
でも37歳の今は違う。少しずつ色んな事が変わっていて、崩れていて、
だからだろうか。
いつもの喫茶店まで歩く道で、最近あまりにも鮮やかに、過去を思い出すことがある。
たとえば、道祖神の前で幼稚園バスを待つ母娘を見たときには、
中学生のころ車で駅まで向かえに来てくれていた母親の顔を思い出した。
「いやいや、これは今起こっていることじゃない」と自分に言い聞かせてしまうほどに鮮やかだった。

好きは体がつくるもの

ちょっと昔の話をする。
神奈川で一番好きな場所はどこかと言ったら、江ノ島だ。
とってもいいところだから、おばあちゃんと一緒に行きたいな、と思って誘ったら、
行きたくないよう、と言った。
足が少し悪くなったから。
行きたいけれど、残念だよ、というよりも、行きたくない、と言ったことは、
なんとなく忘れられないことになった。
好きだったフランスパンが、歯が悪くなって、食べられなくて、残念だ、というよりも、
おいしくない、に変わること。
「好き」から「嫌い」への変化は、体の変化に伴って、あんまり自然に起こることが、
永遠に好きなものは好きだろうという、若かった私にはわからなかった。

Friday 26 May 2017

ハワイ(小説の練習)

「そんで?クカニロコ、どこだよ。」
車のナビが古くて、目的地に該当する場所が見当たらない。私のiPhoneを運転手である兄へ渡した。グーグル・マップはさすがである。
「ノース・ショアに向かう道で、ワヒアワという街を過ぎたら、すぐみたいだよ。そしたらマークが出ているって書いてあったから、私が気をつけて探すよ。」
大事な遺跡であることを意味する、王様の形をした看板が立っているらしい。しかし「王様」ということでついつい大きな看板を想像していたら、私たちは気付かず通り過ぎてしまった。
「ん?なんか通り過ぎたぞ。」iPhoneを見ていて兄が言い、路肩に一時停車した。
「え?ごめん、じゃあ、いまの左にあった細い道が入り道・・・?看板なかったし、車が入れる場所ではなかったよね?」
私が降りて、見に行ってみることにした。どうやらそこで間違いないらしい。小さな王様の絵が道ばたにちょこんと立っていた。その左へ行く道へ曲がると、もうそこは舗装道路ではなくなっていた。ここからすぐに聖地だという気配があった。車をおけるスペースは、大通りに対して約一台分広がっているかどうかで、そこには既に車が止まっていた。心臓がドクドク高鳴って、兄の所へ急いで引き返した。
「やっぱりあそこだった!なんかすごい。でも車止められなかった。」
兄は「じゃあ、俺はここにいる」と言い張った。海外である。路肩に駐車していいかも不安だし、車上荒らしも怖い。
「うん。そうだよね。本当にごめん。わかる。でも、私、絶対行った方がいいと思う。」
「うるせえよ、とにかく先に行け。」

兄の車を振り返りながら、私は前に行く自分の足を止められなかった。ルールがなんだ、泥棒がなんだ、という気持ちだった。みんなに来て欲しかった。私の強引さに両親と、お嫁さんが、不安そうについてきた。「私も、車にいようかな?無理に行かなくても良いのだけれどな」と顔が言っている。
しかし、左に曲がった瞬間、彼らの空気も変わった。
一本の赤土の道である。しかもどんどん赤くなる。両側には緑が茂る。中央に岩。
岩の上にはバナナの皮のような葉につつまれた何かが置かれている。そこを通過したら、誰も口をきかなくなった。
また、中央に岩。また過ぎる。
赤い土の上を一歩一歩歩きながら、挨拶をする。お邪魔します、お邪魔します・・・。

一本道の先に、真っ赤な土の空間が開けた。その周りは背の低い草原である。どこまでもどこまでも草原が続いている。平ら。何もない。車の音も何もしない。エアポケットに入ったみたい。
私はこの広場をゆっくりとまわった。ここに背の低い岩が配置されている。岩の上で王妃達は子供を産んだと聞いていた。
しかし、この重心の低い土地の中で、一つの場所だけに、数本だけ、すらりと背の高い椰子とユーカリの木が立って、揺れていた。立ち止まって見上げると、カラカラカラカラカラ・・葉と葉のこすれる音が上から降ってきた。耳の中ではっきりと響いて、その瞬間、上から私のお腹を通って、足から赤土の遙か下まで、椰子の実が落ちていったような感覚があった。
草原の遙かに、山脈が覗いている。その山々が楯となり、この数本の頼りない椰子とユーカリの木の元に、全てが集められてくる感じがした。王妃達が自然の中で子供を産むなんて、どんな気持ちのすることかと思っていたけれど。ここは全然寂しくない。上から、カラカラ、キシキシと気持ちの良い音が響いてくるから。数本しかないからこそ、はっきりした個別の音になるのだろう。それは確かに人が横に立って応援してくれているという安心感に似ていた。
クカニロコは、クー「しっかりと受け止める」、カニ「産声」、ロコ「子宮」という意味だと後で調べて知った。山々に囲まれたその平らな広がり、細く背の高い椰子とユーカリ。この配置が奇跡のように叶ったところに、誰もがそのような意味を見るのは、当然だと思った。
椰子の木を見上げていたら、母が横に立ったので、つい私は余計なことを言った。
「ママ、ここは王妃たちが、出産してきた場所なんだって。ママも私を産んでくれてありがとう。」
実はこの日は私の誕生日だったからだ。しかし、母は、そんなことは覚えていないらしい。「なんで?」と、私の急な言葉にうろたえた。お嫁さんもすぐそばにたっていて、私は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。人には人のリズムがあって、交わるのは、奇跡の一瞬だけ。

気がつくと兄が来ていた。父は遠く私たちを見守っていた。
「もういくぞ」と言われて兄の後について、後ろ髪引かれながら車に戻り、ドアを閉めた瞬間、兄が言った。
「いい場所だった。」

やっとうれしさがこみ上げた。