Wednesday 27 March 2013

夢見るスフィンクス

ベーコン展でとても好きだった絵。
『Sphinx iii』というタイトルで、
できることなら、ここにある質感の全てを、記憶したい、と思った。
一面黒に見えるけど、覚えきれないのはなんでだろう。
いくらでもいくらでも、質感が出てくるのだった。

それに、スフィンクスの目が血が通ってきらきらとして、
希望を持った檻の中のゴリラ、みたいな感じで、
体は固く、頭は大きく柔らかで、
恋しくて、なかなか離れられなかった。
今の自分と重なった。

http://www.allpaintings.org/)より拝借

マリーナとウーライ

Twitterで、マリーナとウーライの再会の映像があることを知った。
マリーナがニューヨークでやったパフォーマンス『Artist is present』は、
椅子に座ったマリーナの前に座って、言葉を一切使わず、
触れることも、まったくしないで、
見つめ合う、というもので、
誰でも、観客が、一対一で、マリーナと向き合うことが出来るのだった。
私も、どうしても、これだけはとニューヨークに行って、マリーナの前に座った。
何時間も待って、やっと自分の番が来る。
なぜなら、一度座ったら、何時間でも、見つめ合って良いことになっているので、
全然、自分の番が来ないのである。

マリーナは、結局、自分が作品になったのだった。
何も喋らず、飽きずに、他人が、ずーーっと見ていられる人間であるというのは、
一体どういう事なんだろう。

でも、Twitterで、このビデオを見たとき、
そんなことはともかく、この瞬間のためにこの作品はあったんだ、という気がした。

ウーライというのは、彼女が若いとき、公私ともにパートナーだった人で、
私は二人の作品が大好きだった。
私が一番好きなのは、マリーナの心臓に矢先を向けて、互いに反対側に体重を掛け合い、弓を引いていく、というもの。
マリーナは、ずっと、パフォーマンスとは、演技じゃないのだ、本当の感情なのだ、といっている。
信頼ということは、お互いがこんなにも緊張状態におかれることかと、震えてしまう。

結婚まで考えて、直前で、ウーライに好きな人が出来て、別れることになった。
そういうことってあるんだなあ、と最も信じられないことだっただけに、信じてしまう。
二人は、それ以来決して会わなくなった。

何十年経った、この日、ウーライは、多分私と同じように列に並んで、順番を待った。
マリーナが目を明けると、ウーライが座っていた。
言葉を頼らず、知らない人と向き合うこと、相手に好きなだけ見られること、
自分のコントロール出来ないことを背負うこと、3ヶ月それを毎日続けるということ、
いろんな考えがあってのパフォーマンスだった筈だけど、
目の前にウーライが現れたとき、
わたしは、このために、この作品はあった、と思ってしまった。
マリーナの意図したことではない。
だけど、この作品の成立はひとつ、ここにあった、と思ってしまった。
例えば、わたしと会うことは、わたしにとっては最上の体験だけれども、
マリーナにとっては、そうではなかったと思うからだ。
わたしには、非対称のつらさがあった。

このビデオは、
一生ないと思っていたことが、起こる。
あきらめていたことが、絶対無理だと思っていたことが、
思っても見なかったことが、実現された、という感じ。

ウーライとだったら、あっと体が反応して、動けない魔法はとけるのだ。

どうにもわからず生きている。
勝手に進行している、流れがあるから大丈夫。



Marina & Ulay, 1980. Rest Energy.
artlinkedより拝借)





記憶

今年の元旦、母方の祖父母が、何十年ぶりに、我が家へやって来た。
父の生家に私たちは住んでいるので、母方としては遠慮があったらしく、
私たちが小さくて面倒を見る必要がどうしてもあるときを過ぎてからは、
ずっと来てなかったのだ。
でも、昨年末、屋根を直したり、色々と家の修復をして、綺麗になったことを知って、
祖母が来たい、と言うことを口にしたので、お正月に呼んだのだ。

元旦、兄もお嫁さんと一緒に帰ってきた。

そして、父母、私が迎えた。

こんなにたくさん家族が集まるのは、なかったことで、
わたしはなんだかその日とても楽しく、
祖父もいつになく饒舌で、たくさん笑って、とても幸せな気持ちになった。

そして、3ヶ月が経って、この間である。
お彼岸で、祖父母の家に行ったときのこと。
普段からちょこちょこ顔を出してはいるが、
お彼岸ということで、この日も、祖父母、祖父の妹夫婦、母、私と、
めずらしく、一家が集まったという感じがあった。
やはり、たくさん笑って、
そうしたら祖父がまためずらしく饒舌になり、
突然嬉しそうに、こんなことを言い出した。
「この間、おまえのうち行ったときよう、久しぶりに繁夫さんに会ったなあ!
奥の部屋から、ちょっと顔出されてよう!
もう繁夫さん、何歳になるんだ?」

私たちは固まってしまった。
繁夫さんというのは、父方の祖父で、私が小学生の時に亡くなってしまっている。
私は、動揺して、
「うん、生きていたら、100歳くらいになるかなあ。。」
と答えたら、
「100けぇ!そうかあ、じゃあやっぱり、俺のことわかんなかったんだべ!
奥の部屋から、すっと顔出されて、すぐひっこまれたみたいだったかんなあ。」

その後も、戦争中、自分が、学徒動員で、炭鉱に行ったら、繁夫さんがそこにいたんだよ、
だから母を嫁に出す前から、知ってたんだ、とかいうことも含めて、
何度も、この話を繰り返すのだった。

私は、なんだか胸がいっぱいになってしまって、
「ねえ、おじいちゃん、繁夫おじいちゃんなんかいってた?
どんな顔してた?」
と聞いたら、
「なんでだぁ?なんかいってたの?」
「ううん、ただ、何か話したのかなあって思って。」
「いやあ、おれのことわかんなかったんだべ、奧から顔をちょっと見せられてよう、
すぐ、入っちゃったみたいだからよ。」

繁夫おじいちゃんが、本当にいたのかどうかはしらない。
でも、繁夫おじいちゃんがいたとしても、
ただおじいちゃんが繁夫おじいちゃんをみたということでも、
どちらでも、涙を堪えることが出来なくなって、私は急いで外に出てしまった。

色んなことを忘れやすくなっているおじいちゃんが、
私の家に来た楽しい時間のことを覚えていて、
その記憶と、繁夫おじいちゃんの記憶とが結びついてしまっただけだとしても、
それはなんとあったかいことだろう。

そして、奧の部屋から顔を出した、おじいちゃん、というのは、
絵が、びゃびゃびゃ、っと一瞬でわたしの頭にも浮かぶのだった。
顔がはっきり描けるのだ。

それに確かに、この日はお彼岸のお中日だった。




桜のもっとも美しい日に


3月22日、ゼミの日、たまたま桜がとっても綺麗だったので、
いつもゼミをやるビルの前の広場で、
極めて親しい人達と、
一本ずつ、缶酎ハイを飲むことになった。
特別な話もせずに、
静かに静かに時間が流れて、
青空に、薄いピンクの花びらがきゅっと、しているのを見上げていたら、
自分の内側で何かがしゅわしゅわといった。

そうだ、わたし、2011年3月11日は、このビルで地震にあって、
やっぱりコンビニで、一本ずつビールを買って、ここで、仲間と飲んだんだ。
その時は頭が完全に興奮していて、落ち着こうと思ってここに出てきたんだけど、
そしたら、火球(かきゅう)まで見ちゃって、あれ、火球だよね、はじめてみたよ、って、
とても落ち着くどころじゃなかったっけ。

へらいくんが、小学校の時、自分が太っていることに気がつかなかった話をした。
保健室に呼び出されてショックだった、
一緒に呼び出された仲間が太っていることには、ずっと気付いていたんだけど、
自分がまさか太っているなんて、思っても見なかった、とかいうんで、
とても幸せな気持ちになった。

うえだくんが、小学校の時、女の子と手をつなぐときに、
なんちゃらだったとかいっていた。


なんとなく、普通のことがまぶしかった。
何でもないいつもが、いつも通り表面静かに、しゅわしゅわしゅわしゅわ音を立ててた。

自分のサイズが、小さく小さくなっていくような、桜マジック。