五月。
かなでさんから小包が届く。
私は、去年の12月から今年の3月までの間、
『劣等感を持つならまっすぐにプロジェクト』の一環で、
オスカー・ワイルドの『De Profundis』を勝手に訳していた。
かなでさんには読んで欲しい部分があったこともあって、メールで原稿を送っていた。
私がこの本の中で、一番愛している部分は、
知らぬ人はいないというほどに、名声を極めたオスカーが、
同性愛の罪で捕まり、牢屋から裁判所に引き出されるとき、
ある人が、見物人に混じり、一人立っていて、
オスカーが手錠を掛けられた姿で、うつむいてその前を通り過ぎるとき、
その人が、厳かに帽子をとった、ということを書いている部分である。
オスカーは、その人に、自分がその行為に気付いていたかどうかすら
いまだに伝えていないし、
もちろん、その行為で自分がどれだけ救われたかという感謝の気持ちなど、
全く伝えていないといっていて、
これは、感謝の言葉を言えるような出来事じゃないのだ
そのほんの些細な、静かな愛の行為の記憶が
いつでも自分を救ってくれたのだ、
それは自分にはとても返すことができないようなものなのだ、と書いていた。
自分のもっているものでは、とても返すことができないのだという、
ある行為が、何とも交換できないのだというところに、
どうしても感動してしまうのだった。
そんなわけで、色んな所を、かなでさんには読んで欲しくなり、
送りつけていたのだが、
5月、この原稿が、ものすごく綺麗に、製本されて、私の所に届いたのだった。
彼女は私のためだけに、本という身体を与えて、届けてくれた。
そんなとき、植田君から、Slides and Swingsで、展覧会をやりたいんだけど、
なんか出さないかといってもらった。
あんまり、綺麗な身体なので、
また、私のためだけに、こんな身体があるというのは、
あまりにも過剰な出来事だったので、
私は、オスカーワイルド著、恩蔵絢子訳、矢木奏製本として、
これを展覧会に置かせてもらうことにした。
展覧会には、一日三人くらいの方がいらして下さった。
もう少し見てもらえたら、と、植田君が、路上に立ってビラを配った。
自分の作品を、知らない人に、みて下さい、といって、嫌がられていた。
植田君は、笑いながら配り続けていた。
私には、自分達の作品を見て下さいと自信を持って笑いながら配る植田君がすごく見え、
私も、せめて一枚だけは、ぜったいに受け取ってもらおう、と思って、
なんとか「私達の作品を見て下さい」といって、路上に立った。
やっぱり、次々に断られるのだった。