劣等感により曲がった世界の見え方をまっすぐにするプロジェクトの実行中。
できなかったことによって、世界がそういう風に見えるようになってしまったなら、できるようになればいいし、
わからないことによって、世界がそういう風に見えるなら、わかるようになればいい。
新約聖書、旧約聖書、資本論と読書をしている。
人と比べて、15年くらい遅れているかもしれないけど、よい。
岸田劉生は、1914年(劉生23歳)頃の日記に
「自分の中にはまだまだはっきり生きて来ない自我がたくさんある。自分はその為めに苦しい日を過ごしている」
と書いていたそうで、
展覧会では、絵のモードの多様性に本当に驚いた。
大阪市立美術館の岸田劉生展は、本当に本当に行って良かった!
自分の感受性を誇りにするばかりに、
そうでないことを受け入れられなかったり、傷ついたり、脅かされたり、
はっときづくと、過度のルサンチマン。
だったら自分も身につけようとしてみるのが一番真っ直ぐなんじゃないかと思った。
そういう気持ちで始めたけれど、
なんて面白い本なんだろう。
Saturday 26 November 2011
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