Tuesday 10 September 2019

『久米宏 ラジオなんですけど』

久米宏さんのラジオに呼んで頂きました!
『久米宏 ラジオなんですけど』2019年7月27日(土曜日)の
「今週のスポットライト」のコーナーでした。
https://www.tbsradio.jp/393752
「認知症はその人が大事にしていたことが見える病気」というタイトルで、
本当に力を使ってここにまとめて頂いています。
音声も、このページを最後までスクロールすると、オレンジ色のバーがあり、
その上の三角の再生ボタンを押すと聴けますので、
どうか聴いて下さい!

ラジオに出るなんて人生初でしたし、生放送で、本当に緊張していましたが、
久米さんは、もしかしたらラジオを私の母が家で聴いているかもしれない、
お母様が聴いているのに、お母様の話をしてしまって大丈夫なのか、というふうに、
まず母の気持ちを気遣ってくださいました。
そういうお優しさにほっとして、
最後まで、久米さんと堀井美香さんと対話させていただくことができました。
本当に、幸せな時間でした。。。

呼んで下さったTBSラジオの星迅人さん、本当にありがとうございました!!

お知らせ

河出書房新社から、『脳科学者の母が、認知症になる』を出して頂いて、
あとひと月で一年になる。
この本の編集者の高木れい子さんから、増刷決定(五刷)のお知らせを頂きました。
買って下さった方、読んで下さった方、この一年新しい挑戦をさせて下さった方、
本当に、ありがとうございます。

『脳科学者の母が、認知症になる』は、
アルツハイマー型認知症で、その人がその人でなくなるなんてこと、なかった、
ということに私が気が付くまでの、日常で母を細かく観察した記録、科学的分析、物語です。
2015年に、母はアルツハイマー型認知症と診断されました。

認知症が、物忘れ、徘徊などという言葉で語られると、
もしも認知症になったら、自分が自分でなくなるような気がして怖くなる。
だから、ほんとうにそんなことが起こるのか、起こったとしたら、どんな感じで起こるのか、私にとって、世界で一番よく知っている人物である母について、
私は、もっと細かい言葉で語りたいと思いました。

認知症と診断されたばかりのころ、あるいは、病院に行く前は、
この先どうなってしまうのか、不安で私は毎晩泣いていました。
そういう時期を乗り越える力になる本だと、今、私は思っています。

これからも、どうか多くの方に、読んで頂けますように。

そして私は、生まれてからいままでずっと母と暮らしてきました。
診断から四年。母は「初期」という時期を過ぎているのだろうと思います。
能力で人を見るのではなく、ほんとうに「その人」を見ることはどうしたらできるのだろう、ということを、私は母に教えてつづけられています。
本は、診断から二年半の記録ですが、
最近の出来事はここで少しずつ、また書いていきたいと思っています。


Wednesday 4 September 2019

続・母と娘の物語「たまごをといて」

2019年9月3日の日記。

 夕方仕事から帰宅して、料理をする。
私が料理を始めると、父はお風呂に入る。
 この数年、母と私は一緒に台所に立って、料理をしてきたので、
ここからは、父が一人になれる時間が始まる、そんな合図が、私の帰宅だった。
 ところが、2019年の始め頃から、母は一緒に台所に立つことが難しくなった。
すぐはあはあ言って、疲れてしまう。
 色んな野菜を、違う切り方に、一つ一つ切っていくことは、
覚えておかなければならないことがありすぎてちょっと大変かもしれないから、
例えば、大根だけ切ってもらうとか、
あるいは、私が全部切って、あとは全て混ぜて炒めるだけでいい、という準備をして、母に炒め係になってもらうとか、
徐々に、簡単な方へ移行してはいた。
 しかし、その「炒める」のも、いつしか、
ざっと全体を混ぜ合わせるということをせず、局所を控えめにちょんちょんと触るだけだったり、
折角全て混ぜ合わせるようにしたのに、フライパンの中で、
もやしはもやし、ピーマンはピーマン、お肉はお肉にわざわざ分けてしまったり、
(多分お肉やピーマンが嫌いだから、嫌いな物を避けているのだと思われる)
細かく一つ一つを重ならないように広げたり、
(これは必ずしも悪いことではないのかもしれない)
とにかく細部にこだわって、「全体を見ていない」という印象が強くなった。
どうやって手伝いを頼んだら良いのか、なかなかひらめかず、
私はイライラするようになった。
 母が疲れやすくなったのと、私のイライラとで、一緒に台所に立てなくなってしまった。

 しかし、相変わらず父は、私が台所に立ったタイミングでお風呂に行く。
そうすると母は居間に一人になる。そして横を見ると娘が台所で何かをやっている。
「これはまずい」「自分もなにかやらなければ」「一生懸命やってくれているのだから」と思うのだろう。
(それがなぜわかるかと言えば、ときどき、私が機嫌良く母にすり寄って行ったりすると、
「あーちゃんはいいこね」「いいこ、いいこ」「なんでも一生懸命やってくれているじゃない」という
言葉をくれるからだ。
私はあんなに普段怒ってしまっているのにと、こういうときは泣きたくなるのだ。)
 母は台所に来て、私の様子を確かめ、また居間に戻って、
また不安になって様子を見に来て、
また私が無言だったりして、役に立てそうにないと思うと居間に戻って、をくり返す。
 なにかやりたいと思ってくれているのはあきらかなのだから、「手伝って」と言えば良いのだが、
いざ手伝ってもらえば私はイライラしてしまうことがわかっている。だから私は何も言えないでいる。
 そのうちに母は居間の食卓の上を片付け出す。そこには、母の衣服がどっさりのっているのだ。
いつもいる居間のよく見えるところに洋服がないと、自分で着替えられないからだ。
 そこで母は、何度も、衣服をひらいては、たたみ、どこにしまっていいかわからず、右から左へ、左から右へうつして、また、ひらいては、たたむ。
 そのプロセスで、なにかいいものが見付かると、これまで着ていたものを脱いで、それと取り替える。例えば、靴下を履き替える。あるいは、二重に履く。

 今日も母は、私が台所に立つ間、居間と台所を行き来し続けた。
そして、あれ、こなくなったな、と思うと、衣服を整理していて、
「よいしょ、よいしょ」「よいしょ、よいしょ」という声が聞こえてくる。
 最近は、服をたたむことにも「よいしょ、よいしょ」と繰り返しているし、トイレに行っている間も、扉の向こうからずっと「よいしょ、よいしょ」という声が聞こえ続ける。
 何か一つ一つの作業がとても大変そうなのだ。
 しばらくして母がまた台所に来たとき、私は作業がほぼ完了し、あとは、溶き卵をフライパンにながしこむだけ、というところになっていたので、
ひさしぶりに、「ママ、たまごをといてくれる?」と声を掛けた。
 嬉しそうな顔をして、わたしから三つの卵がぷるんとはいった器と箸を渡されて、母はまた「よいしょ、よいしょ」と数分作業をした。
「これでいいのじゃない?」と渡されたたまごは、三つの黄身がすこしずつ潰れただけのものだった。

 この、全然混ざっていない感じ、全体が苦手な感じ、局所だけの感じ。
母の視野の狭さ、母の恐れ、私はいたたまれなくなって、がしがし混ぜた。
「ちょっとでいいんじゃないの」と母は小さく声を掛けてきた。

 世界が小さく、小さくなってしまうなかで、
「あーちゃん」という言葉がものすごく貴重なものに、今は聞こえる。