年末は、ひたすらお掃除。
1月に買っていた本棚をやっと組み立てた。部屋がすっきり。
大晦日、台所のお掃除。見ないフリしていたところを、ちゃんと開けて掃除。すっきり。
それからさっき母と散歩がてら、お正月のための買い忘れていたものを買いに行って、
今ようやく自分の部屋で落ち着いているところ。
2018年は、表現する喜びを知った。
河出書房新社の高木さんが「やりましょう」といってくださったのが、2017年6月。
「でも、このままでは読者が安心して読むことができません。
科学者としてどっしりと立って、
読者が恩蔵さんにしっかり頼って読むことができるように、書き直してください。」
最初のミーティングでそういうアドバイスをいただいた。
毎日の日記状態で、
私自身が母との生活にマックスに動揺しちゃっているような原稿を、
どう直したら良いか、道筋がばああっと開けたのだった。
書き直しても、つい自分の感情だけのエッセイ風になっているところにはかならず、
「恩蔵さんの思いだけではなくて、科学的にどういうことなのかちゃんと説明して閉めて下さい」というコメントが入って返ってきた。
高木さんのおかげで、「科学者」の部分を文章の中でどんどん積み上げていけた。
何人かの方から、個人としての感情を、科学者としての目で追っているところを褒めて頂いたけれど、それは、高木さんのおかげだ。
文章の中だけでなく、現実生活の中でも、私は、高木さんのおかげで科学者の部分が育って、強靱になれた、と感じている。
そうして最後まで書き上げてからは、
高木さんの周りの方にも入って頂いて、更に直していった。
そして2018年10月、上梓したのである。
こうやって文章を作っていくという楽しさが、忘れられない。
人にはどこがわかりにくいということを教えてもらうこと、
一緒にこれってどういうことだろうと考えること、
細かく細かく自分が思うことを表現して、伝わるように鍛えていくこと、
最高に幸せだった。
楽しくて、楽しくて、だから、母との生活も格段に楽しくなった。
生活が、大丈夫になった。
不思議なんだけど、この本を書いて思うようになったのは、
家族って、年齢も、職業も、バラバラで、
見ようによっては、とっても多様性がある世界だと思う。
その中で、どうやって愛情を育んでいくか、そういう試練は、
やっぱりとっても面白いことだと思う。
もう一つわたしがやっている大事な仕事である、大学の授業も、
ものすごく緊張するし、大変だけど、表現なんだと思うと楽しい。
もし私の話がだめだったら、あきてしまうかもしれない人たちがいて、
反応が目の前で起こる。バックグラウンドの異なる、色んな人がいる。
その人達の顔を見て、個性を感じ取るように心がけながら、
言葉で表現するという試練が、私は本当に好きだと思った。
もっと文章を書きたい。
もっとperformanceをしたい。
public speechを学びたい。
少しでも、世界が平和で、多様性を認められる方向にいく力を持つ言葉を話したい。
本当に楽しくて、本当に幸せな一年だった。
そして来年は、今年とも違う新しい年にしよう。
どうかみなさまの新しい一年も、素晴らしい年になりますように。
Monday 31 December 2018
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