(これも記憶があやふやなところがあります。)
五島で(長崎で?)最初にクリスチャンになった人は、
自分の子供が病気で、それをなおしたくて、
どうしても異国の医術をうけたかったかららしい。
キリスト教ってやっぱり、自分の大切なものとひきかえにしてもいいくらいの、
何かがある。
それがほしいんだ、っていう何か。
今の私には、医術ではないかもしれないけど、生き方に関する、強烈に欲しいものが、キリスト教にある。
それは、自然科学ももっているものかもしれない。
そして、それは、わたしのためだけじゃないなにかにつながるだろうか。
Tuesday 30 August 2011
Monday 29 August 2011
覚え書き
また別の教会にあった本の中に書いてあったこと。
(記憶があやふやな部分があります。)
五島のキリスト教徒の方々が改宗をせまられ、あまりにもひどい拷問を受けたりするなかで、
隠れているのが卑怯だと思って自ら出て行き、自分がキリシタンであることを告白した人々と、
長く弾圧されていた間に独自の信仰形態ができていき、教会には戻らない決断をした人々とがいること、
時間の流れの中での双方の、聖なる決断を知った。
それから、
長崎の大浦天主堂に外国からある時だけなんとかさんがやって来るということで、必死に会いに行って、
そこから帰ったら、もうとても隠れては居られないと、みんなで出て行くことを決めた人達がいたと書いてあった。
ある人にあったら、もう戻れなくなった、というそういう経験って、ほんとうにすごいと思う。
(記憶があやふやな部分があります。)
五島のキリスト教徒の方々が改宗をせまられ、あまりにもひどい拷問を受けたりするなかで、
隠れているのが卑怯だと思って自ら出て行き、自分がキリシタンであることを告白した人々と、
長く弾圧されていた間に独自の信仰形態ができていき、教会には戻らない決断をした人々とがいること、
時間の流れの中での双方の、聖なる決断を知った。
それから、
長崎の大浦天主堂に外国からある時だけなんとかさんがやって来るということで、必死に会いに行って、
そこから帰ったら、もうとても隠れては居られないと、みんなで出て行くことを決めた人達がいたと書いてあった。
ある人にあったら、もう戻れなくなった、というそういう経験って、ほんとうにすごいと思う。
五島列島 野崎島
信仰の人々の住んだ、その痕跡の島。
フェリーから下りると、すさまじい風景が広がっていた。
風雨に晒され灰色になり、崩れ落ちた木造の家々、瓦の屋根の重みで潰れた神社、
陶器などの残骸、真っ赤な土の段々畑の跡、そこに草が茂り、それを野生の鹿が食べる。
歩きすすめる度にギチギチ、シャーシャーと耳元で蝉が迫り、真っ黒いお腹をひたすらに振動させている。
尋常でない量のトンボが低空飛行してきては、何の油断もない野生の鹿の目線を感じ、その足音を聞く。
無人島だとは知っていたけれど、かつて人がここに住んでいたことをしらなかった。
(この日は、私達と、私達が宿泊するから一緒に滞在して下さる管理人の方と、水質管理にやってきた方の4人だけだった。)
そんな風に軽トラックの一台やっと通れるくらいの細い山道を20分ほど進んでいくと、
唯一今でも大切に大切に管理されている、教会と、かつては学校だった宿泊施設にでる。
本当にすさまじいが、人間がいなくなってしまった跡がすさまじいだけではない、
人がいなくなるとはどういうことか、だけではなくて、
ある人がいかに生きたか、ということが輝いてくるような島。
この教会はもう使われていないから、とても、とても、静かで、
でも元々ほんとうに、華美なところがいっさいなく、
だけれども、わたしは初めて、ステンドグラスってこんなに美しいものだったんだと知った。
複雑な模様、細工、とかで勝負されたものではなくて、
木造の床の四角い空間の真っ白い壁に、どういう光が入るか、
ここを訪れる人にどういう体験をさせるか、
そういうところでものすごく、丁寧に丁寧に、ものすごい信念を持って作られた教会であることがわかる。
とにかく精神に満ちてた。
自分に依頼した人達の気持ちにはっきりと答えるような、
そして、
ここを訪れる人にどういうことをつたえたいか、
そういうはっきりとした意思のあるような、
何か大切なものをはっきりと示されるような、
でもそこで、ゆっくりと私は眠り込めるような。
(ここがあまりにも衝撃的なところだったので、私達は今回、他の島に移った後も、この教会を造った、与助さんという方の教会をめぐる旅をすることになったのだった。)
(それから、このステンドグラスの感じは、私は、マリーナ・アブラモビッチの作った新潟の「夢の家」を少し思い出したりした。)
作った人、依頼した村の人々、
(友人が調べてくれたところによると、この人に作ってもらうしかないと、
この村の人達は、自分たちの食事を削って、自分たちでお金を工面して頼みに行ったらしく、
そういう人達にものすごく強い影響を受ける。)
そして、この何も行われることのなくなった教会を、今大切に管理している人達のことや、
色々なことを抱えて遠くから訪れる人達のことが想像されてくる。
永遠に残り続けるってこういうものなんだ、こういうことなんだ、
そういう風に思った。
そして今ここにいる私達のこともまた。
本当に静かな姿をしているけど、
永遠に残り続ける息の音を聞くようだった。
本当に美しかった。
五島列島の他の島も幾つか移動して、今回見た教会達は、
一つ一つが、一つ一つの人生が匂ってくるような、
そういう風に作られて、守られてきた、本当に個性的な教会達だった。
でもこの野崎島は、私一人では絶対来られなかった。
友人に感謝。
Thursday 11 August 2011
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