Wednesday 30 December 2009

年末日帰り箱根旅

知り合いの人に紹介してもらった日帰り温泉に友人と行ってきた。
昔の木造の建物のすてきな場所で、冷たい空気もまた清らかで、
まるで小さな教会の中にいるようで、
湯に浸かりながら話していると、なんだかとっても素直な気持ちになっていった。
言語というものが、いつになく私にとって大切になっている感じがして、
また、それが愛から発せられるように、なりたいんだなあ、と思った。
そしてそれに関しては極めて誠実でいたいなあ、と思った。


温泉を出るとまだまだ時間があったので、
ずっといってみたかった箱根神社(九頭龍神社)を目指した。
芦ノ湖の畔に赤い鳥居が立っていた。
湖から、山の中の社まで、真っ直ぐ貫く階段があり、
風がびゅうびゅう吹いて、湖の波も荒く立っていて、
名前の通り、そこに住む龍が、一気に上まで風と共に駆け上がってもおかしくない気配がした。





まだ青空に出ていた白い月が、ぴかぴか輝くのを見るまで、
友人が準備よくもってきてくれていたほっかいろをお腹に張って、
風の中耐えていた私たちは、
小田原に出て、炉端焼きごはんであったまり、
とっても優しい気持ちになったのだった。


みなさま、ほんとうにほんとうに一年、ありがとうございました。

Saturday 26 December 2009

受容2

依存でなく、本当に、その人を、自分の心の中に存在させること。

愛する人。
理不尽なもの。
自分が心の中で否定している人。

その人を否定しなくてはならないのは、
その人の何かで自分が否定されてしまう(ような気がしている)からで、
すなわち、私の存在がその人に依存しているということだ。

「本当」の意味で、人を、自分の心の中に存在させること。
人を自分の中にたくさん、たくさん、存在させること。

その「本当」がどんな感じなのかを「魔女仰臥図」で見たのかもしれない。
ものすごく怖かった。そして、ものすごく大切に思った。

Friday 25 December 2009

受容

上野の森美術館でやっているチベット展を見に行ったときの
「魔女仰臥図」に出会ったときの自分の心の動き方を見て、
「受け入れる」ということは私にとって重大なことなんだなあ、と思う。
この絵は、土着信仰が仏教を受容した図だそうで、
なんだかものすごくこわい想いがして、なかなか立ち去れなかった。



(「魔女仰臥図」九州国立博物館のサイトより)

Tuesday 15 December 2009

永遠の輪

かなでさんから30歳のバースデープレゼントが届いた。



大きな箱を緊張しながら開けていくと、
いつまでも頭に残るような、すごく豊かな香りと共に、
このリースが現れた。
かなでさん自身が作ってくれた生葉のリース。
月桂樹、ラベンダー、ユーカリ...全てが緑の輪。
あまりにも素敵で、
どうしたらこの子達にとって良いのだろうと聞くと、
これは乾燥していく運命だから、
その過程も楽しみにしてね、という。
開くかも知れない実と共に。
今年の始まりは、かなでさんと沖縄に行って、植物の話をした。
本当に素敵で、そして、私にとっては本当に特別なプレゼント。

あまりにも素敵なので、ここに。
本当にありがとう。

Sunday 13 December 2009

冬の歓喜


2009年11月27日撮影

言葉

もし、近い場所に、友達が存在しなかったとしても、
遠くの場所には必ずいるはず。
過去の人かも知れないし、未来の人かも知れないし、チベットの人かも知れないし、
どれくらい時間的に、空間的に隔たっていたとしても、
いる(もしくはいた)ということを信じて、
その人に対する言葉のようなものを、言葉と呼ぶのだと思う。

The definition of words: it blesses the life of a person who needs it, when delivered.

自分の存在に根拠がないように、
無限の広がりを友達にすること。

青空

20代の終わりに、大きな風邪を引いた。
何の前触れもなく、8.9℃の熱がでて、3日間8℃以下にはならなかった。
8℃を超える熱がでるとしたら、インフルエンザ以外に経験がなく、
間違いないと思って病院に行ったら、陰性だった。
咳も、鼻水も全くなく、極めて頭がすっきりしていて、
ただただ背骨から何から激痛の三日間だった。
熱が下がり始めたら咳が出始め、
なんだか今回の風邪は、悪いところ悪いところを順々に、
Aが治ればBという感じで、総なめしていった感がある。
何か精神のわだかまりまでさらっていったようである。

私を支配しそうだった、正体の分からぬ不安。
なんかすっきりと受け入れることができていた。
30になることも、仕事のことも、何もかも。
表現したいことがないと思っていた気持ちも。
あっさりとしたものである。
熱が上がって下がっただけなのに。

台風一過の如く。
大風邪バンザイ。

Wednesday 18 November 2009

Tuesday 17 November 2009

最近の出来事色々

The limits of controlをみた。

他にもたくさんある中で、そこに立ち止まって、
ウンわかった、と確信する。
その確信っぷりが見事だった。

何でもあり得る中で、
何でも決められた中で、
ふとそこに立ち止まって、それを信じる。

主演の人の、顔や発音が、好きだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
那智の滝図をみた。

すごかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
葉っぱが死んで、上から斜めに降り注ぐ。

風にもてあそばれていることを忘れて、異様に生き生きとして、
異様に色っぽかった。

この、時の止まった、しかし、植物だけが生命を持ったかのような体験は、
前にも経験がある。

通常最も意識から解き放たれているように見える物たち。
枯れ葉。
以前の経験では、岩の割れ目に生える小さな植物たち、蝶々。
その彼らだけが存在感を放つ瞬間。
全ての物があべこべにされ、私は死ぬ。

朝と夜のように。
空に星々が透けてくるとき、それまで見えていた物が姿を消すように。

そしてその体験は必ず、気持ちの良い体験である。

Sunday 15 November 2009

根付き

心が動いた原因とか、意味とかを考える、
そこには嘘が混じるけど、
心が動いたことは不動である。

油断も隙もなく、頭が偽り続けるから、
そしてそれがバレるのを恐れ始めるから、
そしてそれらは揺らぐから、
誰にも内緒の行為を二つ始めた。

見られることを前提としない行為。

一つは、
心動いた瞬間にシャッターを切ること:写真。


今日は一番身近で大切な場所を通ってお散歩をした。
家の近所の菅原神社。
学問の神様。菅原道真さんの神社。

この小さな神社で、小学生の時告白しようとしたけれども、
相手は来てくれなかった。





菅原道真さんは教科書にも出てくる人なので、昔は、神様には二つあるんだと思っていた。
元が人間であまりにも素晴らしいお方だったために死後祀られた方。
そして、
元々神様の方。

小林秀雄さんの講演「勾玉」で小林さんが言っていた。
ご自分のお持ちの勾玉のことを
「僕はこれは、天照あたりが首から提げていたと思っている。」
それで死ぬほど驚いた。
この人の「信じる」には、私がネックレスを首に付けるというような、あまりに日常の行為が現れることに。
天照が人間で彼のすぐそばにいるかのようだった。
私の「信じる」は、それまで、あまりに抽象的すぎた。だから揺らいだ。
全ての神様が人間であったことの意味を考えてみようと思った。

Thursday 12 November 2009

Wednesday 11 November 2009

Tuesday 27 October 2009

奈良へ

正倉院展を見に奈良へ。
今日は泊まっても良いし、帰っても良い。
近鉄に乗りながら、駅でもらった近鉄沿線マップを眺めていたら、
どこにでも行ける気になった。
明日は伊勢にも、吉野にもいけちゃうんだな。
今日はとりあえず、奈良。

正倉院展では、子日目利箒に感動した。
蚕室を掃き清めて蚕神を祭る儀式に用いられた箒。
キク科の、節にも蕾にも見えるいくつもの球のある細枝が束ねられ、
その枝の先にはところどころ青い小さな小さなガラス玉がはめられている。
見えない無数の花が咲き乱れるようだった。

そして伎楽面の呉女と十二支彩絵布幕。
この人たちの、儀式というのは、毎日の一挙手一頭足。
にもかかわらず、太い。芯の通った太い、大らかさ。
面を見ていたら口が開いてしまった。



春日大社に行ってみようと思った。



何のお導きか、春日の山。
出会った、と思った。

そして帰った。

Monday 26 October 2009

母帰国

まっしろく、ゆげがほわっとでて、
ごはんのにおい、
これで体も治るだろ

Saturday 24 October 2009

Sunday 4 October 2009

Dynamics of emotion, digesting everything.

起こった/起こした出来事の処理に関して
意識のコントロールはどれだけ貢献するだろう。
嘘をつくだけ。
放っておけばよい。

月のように在ればよい。 
雲の中に沈んで。

Saturday 3 October 2009

十五夜騒ぎ



最近、満月を見ると母親が
「月が笑っている、月が笑っている」
といつも騒ぐので、
この人は。
と思っていた。

十五夜の今日、夕飯時に母親が一旦外に出て、私たちを呼ぶので
父と一緒に外に出て行くと、
例によって
「ほら、にこーーって笑っているでしょう」という。

両親が先に家に入り、私一人で残されたとたんに、
なんだかおかしくなってきた。
確かに月は笑っているんだろう。

Wednesday 30 September 2009

一方通行の思いとは。確認のこと。

私が認知科学とかやっているのは、結局、真実というものは知り得ないのだけれども、
そういう見えないものを”指し示す”<私>、”志向する”<私>、という問題を考えたいから。
直接真実というものをあつかうなんていうことはできるはずがないけれど、
”志向”するというのはどういうことだろう。と。
見えないから”志向”できるんじゃないかと。神はなにも指し示したりしてくれないもの。ただ、絶対的に”在る”だけ。
人間だからこそ、”志向”したり、もっといえば、”創造”したり、できるんじゃないかと思う。

Tuesday 22 September 2009

大山

大切な友達と、大山へ。
金木犀が入り口で香り、深い霧に包まれた。
遙か昔の、旅人になったような気持ちがした。





秋の霧特有のヒンヤリとした空気。水がとても美味しかった。
なんだか元気がでて山頂まで色々な話をしながら登った。

目が奪われ、はっとした瞬間に、
心奪われた瞬間に、
自分の心の在処を知る。
夏目さんの、そんな文章にすっかり影響されて、
写真を撮ろうとおもった。
初めての一眼レフ。

どこまでも開きたい。どこまでも。

Saturday 19 September 2009

離れていたもの

私は、日記を書いても、うだうだ考えて結局アップロードできなくなってしまう。
そうして、アップロードできなかった物を眺めてみると、こうして距離が出来た後では
なんでもないもののようにみえた。

感情、とか、本心、とかそういうものってなんだか、
自分でもどれがホントなんだってわからないものばっかりで、
だからギスギス考えたりすることや、
今すぐ全てを!っていう心から離れたいと思った。
本心などというものは、
誰にも見てもらえなくても、
自分からさえ遠くなっても、
大丈夫なのかも知れない、と思った。

--隠れていたpostたち--
今日一日
無限の偽り
昨夜の夢
ある日の夜
お地蔵さんのお守りに祈ったこと
はやく、答えを、と

Friday 18 September 2009

コオロギの泣き声

東京国立博物館で見た伊勢の展示以来、
なんとなく、霧をまとったような温かな木像の姿と、
伊勢参詣曼荼羅の民の表情を見て、
「朗らか」ということが心の中にあった。
こうでなくてはならない、というようなギスギスした信仰でなく、
「朗らか」な。
朗らかな芯を。

竹富にいって、変な力が抜けていった。
なんだかすっきりしている。
ただ、秋だ。
虫の声なんかを聞いてると、
私の体の膜なんか飛び越えて、芯に響いて
心がリリリと云ってるような気がして
はっとする。

草枕続き

「草枕」の最後ではほんとうに衝撃を受けた。

以前抜粋したように、浮世離れした女とのすがすがしいやりとり。
男はその美しさに翻弄されながら、途中から、
その女の顔を画にするには何かが足りない。それは「憐れ」の表情だと考える。

   憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。
   御那美さんの表情のうちには憐れの念が少しもあらわれておらぬ。
   そこが物足らぬのである。
   ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。
   然しーー何時それが見られるか解らない。
   あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする薄笑いと、
   勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。
   あれだけでは、とても物にならない。
    (新潮文庫「草枕」p.129)

最後の最後にその「憐れ」が表れる。その描写の仕方が怖かった。


女のいとこが戦争に向かう、それを見送りに行く。
その道すがら、画家と女はこんな会話を交わす。


  「先生、わたくしの画を描いて下さいな」と那美さんが注文する。
  「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない。」
    (p.172)

駅まで行っていとこを乗せた汽車が出るとき
老人は「いよいよ御別かれか」といい
その女は「死んで御出で」という。
汽車が動き出していとこの顔が小さくなっていく。
するともう一つの顔が現れる。
その恐ろしい列車に別れた夫の顔。
その時画家は女の顔に「憐れ」を見ていう。


   窓は一つ一つ、余等の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、 
   最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、又一つ顔が出た。
   茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜しげに首を出した。
   そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合わせた。鉄車はごとりごとりと運転する。 
   野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。
   その茫然のうちには不思議にも今までかつて見たことのない「憐れ」が一面に浮いている。
   「それだ!それだ! それが出れば画になりますよ。」
   と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。
    (p.178)

こういう男の人の態度が、私に最も足りない物の気がする。

斎場御嶽の植物ばかりが頭の中に浮かぶ。

Tuesday 15 September 2009

人々編


トモダチ


With ツグ (at 米原ビーチ in 石垣, exceptionally)


With マキさん


福木さん

竹富島









Saturday 12 September 2009

夏の気配

が完全に去った気がした。

顔、行為、言葉が一致した人になりたい。

Wednesday 2 September 2009

今日一日

もうすっかり秋で、
ひんやりとして、何もかも澄んで、色が極めて美しく、
虫の声がずっとずっと響いている。


今日は、仕事に行こうと電車に乗ったけれども、
どうしてもいきたくなくて、
結局、そのまま国立博物館へ行った。
「伊勢神宮と神々の美術」
八月の初めに一度いったのだけれども、もう一度。
伊勢参詣曼荼羅の上の方には、天岩屋が描かれていて、
天照さんがちょろっと顔を出してしまっているし、
天照さんのみならず、
全ての人たちがかわいく朗らかに描かれていて
その朗らかさがやけに印象に残った。

最後にあった男神立像は、
人間よりもちょっとだけ大きいおじいさんの神様で、
この人が今私の前に現れて、話を聞いてくれたらいいのにと思った。

前に見た夫須美大神坐像はなくなってしまっていたけれども、
ここにある神様の像はどれも本当に本当に、眠気を誘うほどに穏やかで、温かいのだった。

神様の姿というのは、
こんな風だと思っていなかったよといつも思って、驚くけれど、
神だなんだと片意地を張らず、押しつけがましくもなく
こんな風に朗らかで、眠りを誘う、
日本の森の空気(そう、なんか熊野の辺り)をまとったような、
「信じる」ということが、
なんだか今日の私には本当に素敵に映った。

Sunday 30 August 2009

秋晴れ

表現したいことも特別にはない。
私の意見などというものも特別にはない。
「好き」ということだけがあって、それがなくなれば何にも残らない。
受容することだけが得意。そんな気がしてくる。
だったらその受容ということを天下一品にするのがいいのではないか、と思う。

表現しなくてはならない、
何かにならなくてはならない、
そんな気持ちの中で
私は好きなもので生きてる、そう言い切った瞬間に晴れ晴れとした想いがした。

中身は好きなものなのに、自分なんてものに囲われていることの居心地の悪さよ。



今日はまた、晴れ晴れとした文章に出会った。
夏目漱石「草枕」

「然し東京に居たことがありましょう」
「ええ、居ました、京都にも居ました。渡りものですから、方々に居ました。」
「ここと都と、どっちがいいですか?」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、却って気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ち様一つでどうにでもなります。
蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引越しちゃ、何にもなりません」
「蚤も蚊も居ない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出して頂戴」と女は詰め寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、
女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち--無論咄嗟の筆使いだから、画にはならない。
只心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊も居ません」と鼻の前へ突き付けた。
驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、一寸景色を伺うと、
「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹ね」と云って退けた。余は
「わはははは」と笑う。軒端に近く、啼きかけた鶯が、中途で声を崩して、遠き方へ枝移りをやる。
両人はわざと対話をやめて、しばらく耳をそばだてたが、一反鳴き損ねた咽喉は容易に開けぬ。

「昨日は山で源兵衛に御逢いでしたろう」
「ええ」
「長良の乙女の五輪塔を見て入らしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」
と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何の為か知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に・・・・」
と云いかけて、これはと余の顔を見たから、余は知らぬ風をしていた。
「私がまだ若い自分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。
うただけは中々覚えなかったのですが、何遍も聴くうちに、とうとう何も蚊も暗誦してしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。--然しあの歌は憐れな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は詠みませんね。第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「成程つまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「成程それじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹の様な思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
 ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯が、いつ勢いを盛り返してか、時ならぬ高音を不意に張った。
一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆まにして、ふくらむ咽喉の底を震わして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうー
と、つづけ様に囀ずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。

Friday 21 August 2009

油壺



色々な出来事、色々な想い、友達。



色々な人たち。

Friday 14 August 2009

木漏れ日の坂

やたらと色々なものがとげとげしく映って
休む必要がある。そう思った。

駅の向こう側、
小学校への通学路。
家から、子供の足で40分くらいの距離。
真夏は、東名高速の高架の下で一休みするのが習慣だった。
小学校3年生の時、とても暑い日、
禁止だった、買い食い。
初めて、下校途中、缶ジュースを買った。
オレンジジュース。
その1回だけ。

最近、数日に一度ランニングをする。
今日は小学校へ行く道の坂をのぼりたくなった。
駅を挟んで、家とまったく反対の場所にある小学校までの坂。
少なくとも、10年ぶり。
あの頃と同じままだった。少し、開けて、少し、荒れていたけれど。
その曲がり角に座ってスケッチしたのを覚えてる。木の。

最近、ずっと、怖いとおもうことをやらなかった。
海も怖い、なんとなくあっちはいかないほうがいい, etcで
知ってるところばっかり。
ランニングを始めたら、いつもぐるぐる家の周りを回っているのに飽きて、
少しずつ違う道。
ほぼ30年いる場所だから、ほとんど知っているはずだけど、ずっとずっと通っていない道ばかり。
それとか、車で通る道ばかり。
まだ、ここを曲がってみようと、記憶にない道、記憶が薄い道へはいけない。
そして記憶が濃すぎるところも。

自分の感覚を確かめるように。
それにたよって生きていけるように。

Friday 7 August 2009

無限の偽り

行動主義とか、いやだけれど、
でも、
行動に全部表れるっていうのは、
本当な気がする。
というか、
こんな行動をとったことの言い訳、
もしくは、
自分は本当はこうなんだっていうアピールのための言葉
そういう、
無限の偽り。

でも、自分の大きさは、
他人の方がよっぽどよっぽど、知っている。
全部ばれてる

自分は、自分で気付かずに、何重にも嘘をついてる

行動が語るのに
顔が語るのに
自分が一番知らない部分が、
全く素直に語ってるのに


自己欺瞞、消えないのはなぜかな

Thursday 6 August 2009

おばあちゃんの涙

高熱が続いて入院していたおばあちゃんが退院したので、
家を訪ねた。

信じられないよう、とおばあちゃんが言う。
自分は70年以上生きてきて、一度も病気をしたことがない。
そんな人がイキナリ病気になるなんてないでしょう?
ただ、熱がでただけなのにさあ、先生が、心臓が悪いなんて言うんだ。
という。

ママが
なにいってるの、病気はいきなりなんだよ
ある日突然そうなっちゃうのよ
というと、

エエ?
あやちゃん、病気が、ある日突然なんてことないでしょう?
そうでしょう?
ほんとうかい?
あやちゃんは博士だから知っているでしょう?

と本当に信じられない真剣な顔でいうので
返答に困って笑っていた。

お昼ご飯のタイミングにいってしまったから
食べていきなよう、食べていってよう、
といって、
おかずや、メロンを出してくれていた。
ご飯を食べ終えて、
メロンをみんなで食べ始めたら、
おばあちゃんのスプーンの使い方が震えている。
あれ?
と思った。
あれ?と思っておばあちゃんをしばらく見ていると
おばあちゃんが口を開いた。

「お父さん(私のおじいちゃんのこと。おばあちゃんはおじいちゃんをこうよぶ)が何度も病気して
入院したりしてきて、私は生まれてから一度も病気をしたことがない丈夫な体だから、
私がお父さんを面倒を見るんだと思ってきた。
なのに、反対になっちゃった
面倒を見ていただくことになっちゃった」

ぼろぼろ涙を流してしゃくりあげながら言った。


心臓の動きが悪くなっているというようなことを
10年も前から近所のかかりつけのお医者さんに言われていたけど、
悪いけど、大丈夫だからね、と言われてきたらしい。
でもこの間、熱が出て、豚インフルエンザかとおもって大病院に行ったら、
点滴をいっぱいされて、1ヶ月も入院して、
疲れているとき、本人にとって弱いところ(すなわち心臓)が菌にやられて熱が出た、というストーリーらしいのに、
できれば手術した方がいいんだけれどなあ、というようなことを
言われて脅かされ続け、退院するときもそういわれた。
だからといって、
お医者さんは入院している間一日に一度見回りにくるということもなかった。
手術の理由はなんでなんだといっても理由がよく分からない。
もう退院してるのに
心臓のことだけに、頭の中が不安でいっぱいになっていて
かかりつけのお医者さんは大丈夫だっていってきたのに、
あの人は手術だなんていうんだ、
とほんとうにくやしそうに言っていた。

弁膜というのは、年をとると動きが悪くなるらしい、
あまり深刻でなければ、何もしなくていいものも多いらしい、
とどこかで聞いたことがある。
なんだか、よくわからないけれど、
腹が立ってきて、おばあちゃんに、
「おばあちゃんが信じたくないものは信じなくて良い
おばあちゃんを10年以上もずっとずっとみてくれてる
おばあちゃんのことをよく知ってくれているお医者さんの方がずっと信用できる。」
といってしまった。

私はそのお医者さんのことを両方とも(かかりつけの人も大きな病院のその人も)知らないから
そんな風に言い切って・・・と不安でいっぱいになったけど、
いわずにはいられなかった。

おばあちゃんが出してくれたメロンのスプーンは、
スイカの種の模様がついて先が三つに割れている、銀の、
私が子供の時いつもつかっていたスプーンだった。
全部全部、大事に思った。
くやしくって涙が出た。

Tuesday 4 August 2009

青空を眺めてる気分

書きたいこと、言いたいこと、なんとなく言葉を無くしている時期。

神様への贈り物をしようと思ってからなのか、どうなのか、
なんだか具体的なことが抜け落ちている感じ。

どこか頭でっかちにまたなってるのかな。
なんでこんなにも何も浮かばないんだろう。

Thursday 23 July 2009

Translucency

雨でむずかしかった日食。
最大日食の直前、
黒い雲がぐんぐん動いて、みんな去っていった。
青い空と白くて軽い綿みたいな雲の世界が広がった。
青がそのままどんどん暗くなっていった。
爪の先でなぞれるかどうかの細い細い三日月の光。
このまま、宇宙とつながるということではないだろうか。
光はドアを閉じるようにどんどんどんどん細くなる。
青い空はどんどん透けていって宇宙の色になる。
森はどんどん灰色になる。
幹、枯れ葉、椿の実、蜥蜴の体の水滴と艶。
雨に濡れて、このまま世界がとまるみたいに。
雨の日の色でもない。夜の色でもない。

最後の光、漏れて、溜まって、金色の光。
目を開けていられないほどの。

最大を迎えたのか、雲が覆ったのか、
静かな時間。
その灰色の時間。
肌が少しひんやりした気がした。

森も、空も、赤かった。


約一時間、恍惚の時間。硬骨の時間。
まぶしすぎるのか、何なのか、目から涙がいっぱい出たけど
何を感じているのかも分からなかった。
肉眼で見えた、淡い水色の空の白の三日月の太陽が忘れられない。
姿を現しては消して、現しては消して。
太陽は月になっちゃった。
でも時々、まんまるの時と同じくらいの光を出して、
やっぱり自分は太陽で、まんまるであることを思い出させながら。
そういうときに日食眼鏡で見ると、
真っ黄色のとろけそうな卵の色の三日月になった。

ただただ、許容量を超えた日。
ただただ、奇跡の日。


宇宙に手が届きそうな日の、
淡い淡い空に浮かぶ真っ白な月。

Sunday 19 July 2009

昨夜の夢

ちょっとずつ色んなことがずれてて、
でもみんな当たり前に列に並んでいる。
私も列に並んでいる。
私が感じていることを言えるときになって、
一生懸命英語で訴えているんだけれども
肝心な一番いいたい言葉が出てこない。
そして誰も聞く人はいない。
どうしてこうなんだと叫ぼうとして
口をぱくぱくしていたら、
看護婦さんにネギの束で殴られる、
という夢。
太い白ネギの束とかじゃなくて、
細いニラのようなネギの束。

目が覚めて、思い当たることがあって、わーっとー泣きして、さっぱりした。


今日は、上野の国立博物館へいって、
伊勢神宮と神々の美術
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6503
を見た。

Saturday 11 July 2009

ある日の夜

木曜の夜、くたくたに疲れて帰ってきて、
眠りにつくとき、ゴーゴーいう風の音がしていた。
目をつぶっていたら、脈略のないイメージが次から次へと現れ始めたので、
ああ、今日は眠れそうだ、と思ってほっとしていたら、
しばらくすると
ゴーゴーいう音が私の感情の蠢きの音に聞こえてきた。
「ああ、これは私の感情の音だったか!今日は色んなことがありすぎた」
と確信した瞬間に、
逆に、頭がはっきりさえて、夢から覚めてしまった。

Saturday 20 June 2009

同じ日の三つ

書きっぱなしで、アップしていなかった日記を、ここに。

一方通行
June 6, 2009

評価を下すこと、意味だけを拾うこと、ものをいうこと、
そういうのはなんか全部疲れた。
面白がる、ことにさえ、疲れた。

私は、自意識の扱いに困ってる。

相手に命令するようなもの
feedbackをもとめる気持ち

私の判断というのが、どれだけ簡単に変わって、
どれだけ間違うか、ということ
正しいことなんて誰も分からないのに、
どうして、こうであれ、なんてことがあるんだろう。

そこへ行くと、神様はえらい。
こうであれ、とも、こうしたらいい、とも言わない。
何にも言わない。
祈っても、何にも、答えない。


私たち兄弟はどこかでおじいちゃんのことを尊敬して、恐れていて、
どんなに悪いことをしても、子供の時おじいちゃんが見てるよ、っといわれると
隠れて後からお線香をあげていた。
いまでもその習性は残っている。

おじいちゃんは戦争に行った。シベリアに行った。狼にあった。
いつでも畑にいた。さつまいもを作っていた。栗畑で遊んだ。
耕耘機を運転していた。おもちつきをした。
入院しても、点滴を引きながら別室に移動して習字を教えてくれた。
退院すると畑にいっていた。
習字で失敗したところをうえからなぞる二度書きのずるをした1回、
おじいちゃんにこのよのものとはおもえないほど怒られた。
怒られたのはそのたった1回だけだった。

こういうことは大事な思い出だけれども、
どうしてか、こういうことと、お線香をあげちゃうこととは何となく別かもしれない。
と思う。

feedbackと無縁になりたい。強靱な。
「意思」のようなものだけになりたい。

--------------------------
感動してしまうのは、
特別覚えようとしていなかったことなのに、
あるときばっと思い出されてしまうこと。

自分にとって大事だって特別思い入れがあった訳じゃないこと。

どうしても忘れたくないこととかを
本当にあの時こうで、こうなってって、
絶対忘れないように、
本当にすり切れるほど何度も何度も思い返して、
忘れないようにしていることがある一方で、
些細な一瞬が、どういう風にか切り取られて、今こうして復活すること。
どんな風にその一瞬が選ばれるのか、
だって、この時っていうマーキングを全くしていないことが、
なぜかある長さで切り取られて出てきてしまうんだから、
覚えているってどういうことなのか、全然分からない。

何気なく、通り過ぎていった全てのこと。
私が覚えているって思っていることとは
なんだか別のことが動いている気がする。

---------------------------------------
本当のこと、というのはなんだろう。

自分の推定を超えているようなこと。

言語で追える事実というのと違っていてもいいこと。
「事実」というのはなに?
誰々がどこで何をした。
それを支え、背景となるものはおそろしく深い。
事実と整合性がなければ、本質的なことではない、というのは間違い。

Friday 19 June 2009

届かない贈り物

遠くにいる人を思う。
決して人をコントロールしたりすることはできないから、
勝手に贈り物をしたい。
届かなくても贈り物。
心の中だけの贈り物。

仏壇のご飯を見ていつも思う。

私は、同じ時代に、素敵な人がいっぱいいて良かったな。

Monday 4 May 2009

植物の呼吸

ちょっとまえのことになったけど、
草彅さんのニュースをやっていて、
目撃者のインタビューで、外国の方が答えていて、
草彅さんが歌を歌っていた、と言った。
インタビュワーがどんな歌でしたか?と聞くと
彼は、"very happy...happy song."と微笑んだ。

黒澤明の「生きる」が浮かんだりして、
なんかすごく素敵だと思った。

善いとか悪いとかを決めようとする試みは嫌だ。
神様は善いとか悪いとかは考えてないと思うな。
私は、決して手の届かないなにかに徹底的に寄りそうことがしたいな。
月のような。
距離というのはなにかな。
植物のように、相手がどこにいようと、そこにいて、はらはらと必死で呼吸していることかな。

最近夜がとても綺麗だ。

Sunday 3 May 2009

みどりいろの気配


庭でブーゲンビリアのように咲き乱れていたツツジも、
終わりの気配。

極めて意識上は静かで、穏やかではあるけれど、
なんとなく夢の記録をつけることにした。

今日は、沖縄でコンピューターをなくす夢をみた。


もう春でなく、夏の香り。
夏がひたすら待ち遠しくて
窓をずっと開けている。

出てきた蛙は一度寒さでひっこんでしまったけれども、
今度こそコンスタントに合唱を始めている。
夕飯は冷やし中華にした。
キュウリを刻む、匂いが好き。
ああ、このにおい、夏だ。

Saturday 18 April 2009

太陽を求めて

新宿へ。それから、友達と沖縄料理屋さんへ。
広い板張り、四角いテーブルがひろびろおかれてる。
空間からして素晴らしくって、
オリオンビール、ゴーヤチャンプル、おいしーおいしーとたべてたら、
店のお姉さん達の民謡タイムが始まった。
三線も、唄も、めちゃくちゃうまい。
次、あそこに座ってる何とか先生のために「ボケない小唄」うたいましょ〜ね〜
とはじまった唄に衝撃を受ける

  酒も煙草も のまないで
  歌も踊りも やらないで
  人のアラなど  さがす人 
  他人の3倍 ボケますよ~~

この、他人の3倍 ボケますよ〜というところは
その前の歌詞によって、ぜったい、ぼけますよ〜、に変わったり、
ぜったい、ぼけません〜、とかになる。
死ぬほど大らかなメロディーで、太陽のような高音で、
すっごいたのしくなっちゃった。

ぜったいぼけますよ〜♪というフレーズが頭を全然離れない。

Thursday 16 April 2009

お地蔵さんのお守りに祈ったこと

具体的に、今すぐかなえてほしいことなんかないから、
generalにいのったら、
実際には、あのことを祈っておいたら良かった、ということがいっぱいでてきた。
私自身にはどうにもできないこと、
時間を止めるようなこと。
ゆっくりにしてもらうこと。
何で思いつかなかったんだろう。

今すぐ、っておもってたからかな。
離れていることだからかな。
それだったら可能だということを気が付かなかった。
祈りとはそういうもののためにあるのに。

もう手遅れだったから、
(お地蔵さんには一個だけだから)
空に向かってお願いしてみた。

お風呂に入ったら、
蛙の声が聞こえた。
昨日まで気が付かなかったのに、
大合唱だった。

Sunday 12 April 2009

はやく、答えを、と。

はやく、はやく、と思ってる。
早く結果を、早く意味を、手にすること。
何かを読むときには
自分の役に立つことや、
「意味」ばかり追って、
誰かの感情にすら、
答えをもとめたがる。
私は何者にもならないと、決意しながら、
心のどこかで、何も形のないことをすっごくすっごく恐れてる。
どうなっちゃうのかとおもってる。

共感能力ばっかり高くって、
いつのまにか、自分もそうであるような気がしている。
行動として、何にもとれないのに。
恐れているのに。
激しく人を攻撃するのに。

Friday 10 April 2009

阿修羅

興福寺の阿修羅ってほんとうに美しい。
この人が祈れば雨も降るだろう。

手がいっぱいあるって、手がいっぱいあるんだと思ってたら
違うんだな。
変わる全ての中の一個の強すぎる芯、炎、そんな感じ。
巫女さんのよう。

素敵な人だなあと思って大好きになった。

母親が、京都に行って、お守りを買ってきてくれた。
1個だけお願いをすると、お地蔵さんがやってきて、願いを叶えてくれるらしい。

昨日は急に全ての感触が無くなって、
というよりも、肌触り、というか、
そういうようなものがなくなって
神がどこかへいってしまった、ような気がした。

デカルト、方法序説を読んでいる。
この人の言い方は好きだな。
というより確信が好きだな。

Tuesday 7 April 2009

コウモリの効



恩蔵家コウモリの糞事件勃発。

小さい頃の写真などとにかく色々詰まっていた納戸部屋に
コウモリが住んでいたらしく(推定一匹、一ヶ月以内)
惨憺たる現場から発掘された一枚。

絵の右上の母親のメモによると
2才1ヶ月の時の絵

Wednesday 25 March 2009

おもろ

久高島でキンバトを教えてもらった。

「みなさん、あれを聞いてください。あの声を聞いてください。
あの声がおもろ(神の歌)になったのです。」

神女の方がいった。

「ほら、羽も広げてくださいました。ありがとうございます。」

緑色の羽を片方、弧を描くように広げて閉じた。

その方が教えてくださらなければ、
出会えなかった。

低い、ゆっくりとした、遠くでなるような音。
夢の中で聞くような歌。

復唱しようと思うと、どんどん頭の中で変わってしまって、
全然思い出せない音。

なのに、どういう風にか頭の中に残る音。

Saturday 7 March 2009

気配と存在

ここのところ私史上最強の鬱に襲われていた。
(とはいっても、幸運にもチケットを頂いて、喜んでWBCの中国vs日本を見に行ったりしていた。)
春は大体いつも自分の膜が薄くなったかのように、過敏にあれやこれやと反応しては、
神経をギリギリ巻いては緩め、と、とにかく感じやすい時期のようで、
疲弊していた。
それで、勝手に寂しい気持ちがしていると、
どうも、真実というものと仲良くなりたい気持ちがしてくる。
真実が友達である限りは、寂しい気持ちは取り除かれるからである。

ラーゲルクヴィストの「巫女」で印象に残ったことは、
神が憑依し神の言葉を継げる巫女すらも、神の姿を見ていない、ということと、
そして、その巫女すらも、
自分は本当に神に選ばれたのか、人の都合で選ばれたのにすぎないのか、はたまた、自分の思いこみなのか、と苦悶するところだった。

私はいままで、色々な場所で神の気配を感じてきた。
日本人だったら多くの人が普通に感じるように、
たとえば深い森の中で。
たとえば、その木は、太陽は、神様のようだった。
そして、そのそれぞれは私にとって大事なものになっているのだけれども、
どこかで、神の姿そのものは見たことがない、と思っていた。
「ああ、ここにはおはします」
その気配のみがあって、
私にとっては、神様は、どこかで、知り得ないものでなくてはならないようだ。

それはとても「私」ということに似ていて、
私とは何かという答えととても似ている。
まだ見ぬ何かのことを、真実である、神である、と私は信じていて
「私」というものも、いまだ掴めないまだ見ぬものという側面があった。

だからこそ、徹底的に、志向しなくてはならないものである。

姿が見えないということと、いないということは別のこと。
「私」というものは確かにある、そういう感じだけがしているのだった。
なにか別のことによって自分を定義して、その中に安住することは、
どうしても嫌なことであって、
まだ見ぬものである、と信じたいのだった。
そう信じていられる限りは精神は安定するのだった。
でも容易に信じられなくなるのだった。
何か別の物の中に安住したいと思うときほど、精神は崩れていくのだった。

考えてみればあたりまえのこと。
例えば、誰か好きな人が出来て、その人に自分の根拠の全てを求めてしまったら、
重すぎて重すぎて、きっと、駄目になってしまうだろう。

神様がどうの、などというと、
特に科学者においては失格のように思われるけれども、
私にとっては、真実のことを神と呼ぶのであり、それは自我の問題と直結している。

Monday 2 March 2009

光の中に

窓から。
爽やかな朝。久しぶりの晴れ。冬晴れのような春晴れのような。
薄い淡い青の空に白金の太陽。
薄ピンクに色づきいくらか花の落ちた梅の木が見える。
ひんやりとした、でも朝日を映した風が入って、白いカーテンを揺らす。
風の音、鳥の声、ストーブ、その上のやかんの音。

ラーゲルクヴィストの「巫女」を読んでいたら朝になった。
ここのところ、神のことばかり考えている。
私は特定の宗教を持たない。

「霊?では、あの方の霊って何じゃ?崇高さと偉大さだけなのか?高貴?ただそれだけなのか?
もしそうなら、もしそんな単純なことなら、じゃあ、なぜあの方のものになるのがあんなに苦しかったのだ?
それならなぜ苦しみ、苦痛で悲鳴をあげにゃならんかったのじゃ?
それじゃ、なぜあの方の愛は優しく穏やかでは
ーそう、わしが愛とはこうあってほしいと思うようなものではなかったんじゃ?
なぜその愛は安心感を、わしがいつも願っておった、心の奥底で願っておった安心感を与えてくれなかった?
あの方の愛は素晴らしく、救いであるのに、なぜ恐ろしく、不安をそそり、残酷で節度を欠いているんじゃ?
なぜ同時にそうなんじゃ?なぜ至福で満たしておられる最中にこの首を絞められた?
そして、もっとも近くに思われたときに、一番あの方を必要としたそのときに、このわしめをお見捨てになったんじゃ?
  あのお方は誰だ?一体どなたなんじゃ?」

(岩波文庫「巫女」より)

Sunday 1 March 2009

機械君の日々

私が小学生の時、駅の近くにあった母親のピアノのレッスン室に、
塾の鞄がおいてあって、小学校の帰り道、そこでランドセルととりかえて、塾に行っていた。
ところが、その日、もっているはずの鍵がなくて、ピアノの部屋のドアの前に立ちつくしていた。
もちろん、本当の家自体の鍵も一緒にセットになっているから、家に帰ったって同じことである。
母親の車が置いてあったので、電車でどこかにでかけていること、そして、
まちがいなく、母親はここに帰ってくることを意味したので、
車のボンネットの上に座ったり、
あんまり同じ箇所にいると不審がられると思って、
車の陰に隠れて座り込んだりしていて、
もうすぐ帰ってくる、もうすぐ帰ってくる、と思っていた。
踏切の音が鳴るたびに、実際に駅まで行って、すれ違う可能性が絶対無いところで待つ
ということを繰り返し初めて、
だんだん、その踏切の音が上り電車なのか下り電車なのかということは区別がつくようになった。
私が母親の行き先を知っていたのか、覚えていないのだけれども、
下り電車の時に母親が来るということを知っていたように思う。
下りの音がすれば必ず走っていった。
夜10時過ぎになって、また、下りだ!と判断して駆けつけて待っていると、母親たちの姿が見えて、
ああ、よかった....と思った。
母親は相当驚いたらしく、
今でもたまにこの話になると、泣いてしまう。
母親は兄の遠足か、修学旅行の準備ということで、兄とその友達の一家と
新宿に買い物に行っていて、
まさか鍵がないなんて思わないから私が塾から帰ってくる時間までは大丈夫と
ごはんをみんなで食べてきて、
そしたら、あんたがいるじゃない、といって
泣いてしまう。

どうして、近くに知っているおじさんもいたし、叔父叔母の家もあるし、いつも行くやおやさんもあったし、
交番に行ってお金を借りて、隣の駅まで行けばおじいちゃんおばあちゃんの家もあるのに、
なんであんたは、ずっとそこにいるの〜、という。
お兄ちゃんは、実際にそういうことをして、苦難を見事乗り切ったことがあるらしい。

こういう風に、機転も利かず、ただただ、
その「絶対」(=母が帰ってくるときに絶対すれ違わない)のルートを繰り返すだけな自分の特性が
今でも全然変わっていないことに気が付く。

CSLにいくとき、これをやらなきゃ!ってことがあればなんなくいけるけど、
何もないとき、自分でなにか動機を作って、ということができなくて、
止まってしまう。
一日中、家にいて、しかも決まった場所にいる。
居間の左の角にコンピュータを置くスペースがあって、
かなりの確率でそこにいるので、
幼なじみが1歳の子供(あおくん)を連れて、うちにあそびにくると、
「あおくん、あれねえ、インテリアじゃなくて、あやちゃんだよ。動くんだよ、ほんとうは。」
とかいっている。

働いている責任も果たさず、
思いつくこともできず、
もうだめだ、とても生きてけない、と思う。
そんな機械君の日々。

今年ははじまってからほぼお隠れになっている。
(*お隠れ=いわゆるひきこもりのこと。)
人生の8割くらい、隠れてるんじゃないかと思う。

Saturday 28 February 2009

お隠れdays

なんだか元気が出ずに、ぼんやりすごしている。
私が「お隠れdays」と名付ける習慣(いわゆるひきこもり)が私に今年頻発している。
(こう呼ぶのはなんとなく気分が明るくなるからです。)

私の大好きな、天岩屋戸の話を読んで以降、こう呼んでいる。
天照大神が、弟の須佐之男命のあまりの振る舞いに、絶望してしまって、
天の岩屋にお隠れになってしまったときのこと。
天照大神は太陽の神様なので、岩屋に引きこもってしまったら、
世界は真っ暗になってしまった。
みんなが困って、神様は会議を開いて、どうしたらいいか話し合う。
一番頭の良い神様が、思いつく。
岩屋の外で、女の神様たちが裸で踊り狂って、鶏が鳴きまくり
みんな面白すぎてゲラゲラ笑う。
天照大神はその騒ぎを聞いて
ちらりと岩屋の戸をあけて、
「私が隠れて、世界は真っ暗なはずなのに、どうしておまえたちはそんなに踊って楽しそうなんだ」
という。
そうすると、
「あなたよりももっと貴い神様がいらしたので、みんな嬉しくって騒いでいるのです」といって、
鏡を天照大神に向ける。
これは誰だろう、もっとよくみたい、とちょっと身を乗り出したところを
戸の横で待ちかまえていた一番力持ちの神様が天照大神を引きずり出して、
他の神様がその瞬間にその戸にしめなわを張り渡して、
世界に太陽が戻った、
という。

神様の絶望や、
あなたより素晴らしい神様といって、鏡を向けるところと、
「私が隠れて、世界は真っ暗なはずなのに、どうしておまえたちはそんなに踊って楽しそうなんだ」というところと
だれ?だれ?もっとみせて、とうっかり身を乗り出してしまうところで力ずくで引きずり出されるところが
お気に入りなのだけれど、
天照大神については、私にとってもっと大事なことがある。

それは小林秀雄の勾玉という話の中で、
小林秀雄が自分の持っている勾玉について
「僕はこれは天照あたりが首にかけていたって信じてる」
といったのをきいて、
私はひっくり返るような思いがした。
それは、突然天照が目の前に現れたような気持ちだった。

私は、簡単に「信じる」という言葉を使ってきたのだけれど、
それが、首にかけていた、というところまで、
信じることが実体を帯びること、だった。

神女たちは、どういうことを祈るのだろう、と思う。

Monday 23 February 2009

匂い

昔、兄に
「おまえは平安時代だったら美人だったな」と言われたことがある。

小野小町の絵を見たときの衝撃ったらなかった。
どうしてみんな目が細いのだろう、こんなにも今と昔は違うものかなと思ってた。

柳田国男の「妹の力」を読む。
「結局は大きくも小さくも出来る目を、・・・
本来の形状はなんとあろうとも、力めて之を丸くする機会を避け、
始終伏目がちに、頬とすれすれに物を見るようにして居る風が流行すれば、
誰しも百人一首の女歌人のごとく、今にも倒れさうな格好を保たしめて、
その目を糸に描かねばならなかったのである。」
(柳田圀男全集11 筑摩書房)

写真に目を広げて写るが如く。

桜がどこかで香った。

Sunday 22 February 2009

時刻み

確定申告とやらのための、色々をやる。
無理だった。どうでもよくなった。

心がどうも、落ち着かない。
軽さを、軽さを、と思ってやきそばをつくった。
我が家では麺の担当は私。
にんにくを沢山入れる。
粒のそろったみじん切りにするために心を砕く。
刻みすぎて、怒られる。

昨晩はお兄ちゃんが今のアパートメントから
新居への引っ越しもろもろで、
お姉ちゃんと一緒にやってきた。
結婚式の服装のことで、
沖縄の空の色にあうような、綺麗な色の服にしてね、とのことで、
二人はあーでもないこーでもない、といっている母親を、
好きなの着たらいいよ、あっそれいいね、と見守っていた。
私には、おまえ汚い、片付けろ、片付けられない女は最悪だ、と手厳しかった。
だからおまえは、アレもない、コレもない、・・と続くので、
私は、フフン、と強がった。

お兄ちゃんとお姉ちゃんの結婚式が今から楽しみ。

柳田国男を読もう。

Friday 20 February 2009

春風

春っぽいピアスがほしくなって、検索してたら、
何年か前に竹富島の春に見たブーゲンビリアのようなピアスに出会って、
他のピアスとともに、購入することにした。

そしてそれが今日届いた。

ピアスは予想よりもずっと繊細で、かわいらしくて、
幸せな気持ちになった。
そればかりか、手書きのお手紙と、
黒糖のシーサー型のちんすこうが添えられていた。
すっごく嬉しくなっちゃったので、ここに。


右のピンク:(記憶の中の)ブーゲンビリア。

Thursday 19 February 2009

今日

あったかいofficeにいたのに、体がどんどん冷えてって、
ダウンのコートを着ても寒い
お腹が痛い
冷や汗
死ぬ
そう思って即座に帰った。

母親に帰りにメイルした。
「冷や汗が出るほどお腹が痛いから迎えにこれる?」
母親は来てくれたけど
「どうして冷や汗が出るほどお腹がすくまで食べないの。」といって
車の中でパンを差し出してくれた・・・
ママ、ちがう。

最近、異常に眠かったり、おかしいなー

昨日の夢

体を微生物が分解し、どんどんどんどん、土や葉っぱに溶ける中で、
心臓ができあがる夢を見た。

身体が時間的に、空間的に、他の何かと隔離されていることは
制約じゃなくて、祝福っていうのかな、とか思って眠ったら。

Tuesday 17 February 2009

距離の取り方2

斎場御嶽のことばかり考えてしまう。
あそこにいくと、久高島は
私がみなくてもいい、私が知らなくてもいい、
そんな風に、圧倒的な存在になる。
私の中にどすんと、一個の島ができるかのごとく、
私を乗っ取った。
乗っ取ると言うよりは、初めて、
心の中にそんな領域ができた、そんな感じだろうか。
はじめて、アルということを、感じられる、
そんな感じだった。
手の中に石があって、たしかに、アル、って触れる感じ、
別にその石が、どんな由来をもっていても。

全然知らないのに、大事なものになっちゃうこと、いっぱいあるな。
大事なものになるはじまりは、いつもそんな。

身体があって、時間的に、空間的に、
場所、人と、隔離されていることが
なんだか祝福に思えた。

Sunday 8 February 2009

穏やかな姿を。

それに比べて、私は今もなんとおどろおどろしいことか。

はじめていったときには、
私の自意識が強すぎて、
その植物たちのあり方のあまりの存在の強さに、
私がまるで逆に存在していないかのような。
殺されたかのように
はげしく泣いた。
彼らのあり方が「許す」と言うことなんだと思った。

優れたものは、穏やかな姿をしている。
ほんとにほんとにすごいものは。

訪れ

かなでさんからgiftが届く。

昨年末からお正月にかけての沖縄旅の写真を
手作りのアルバムにいれて、送ってくれた。
信じられないほど、綺麗。
手元に届いた瞬間から、つまり、郵便物の装丁からして美しく、
それをあけての驚き、
かなでさんのgiftには常に、さりげなく、驚きが永遠と入ってる。

旅中に、出会ったものたち、それについての二人の会話、
そして大事な場所など、
ありありと蘇ってくるような写真たち。
かなでさんが見ていたものたち。

まさか、もう一度、あの時の旅が、
こんな形で、私のところにきてくれるなんて。

斎場御嶽の最後に行くといつも、
そこに生える植物たちの、ありかたに、大変なショックを受ける。
自意識が消え、さわさわと時々風の音がきこえる。
死後の世界のごとく。
やさしくも、きびしくもなく、存在する。
小さく。
はじめて訪ねたとき、目の前であさぎまだらが2匹ひらひらと舞った。
軽く。
透き通るほど軽快に。

かなでさんのgiftには、小さな一匹のテントウムシがとまっていた。

Wednesday 28 January 2009

思い出すこと

最近は色々なことを思い出す。
私は人が大好きで、人を好きになると、
作品一つ一つの良し悪しがまったく関係なくなってしまう。
例えばマリーナは作品を通して愛すようになって、
でもいまやマリーナが例えこれからどんな作品を作っても愛している。
結局人だな、ということ。

それから、私は機嫌がよくなったりわるくなったり、激しくて、
たまたま機嫌が悪い日に一度だけ会えた人に対してもひどい態度だったこと。
そして、次も会えるはずだったのに、その人がなくなってしまったこと。
その人は私が機嫌が悪かったあの日にはもう自分の命の長さを知っていたこと。
そのことをなくなるまでみんなにいっていなかったこと。
それ以来、心に大きな石をおいて、
何を外に出すかということに対してちゃんと鍵をかけようと決めたこと。
それでこそ、染み出す水が透き通ってくるだろうこと。

大事な友人のかなでさんが、
”作品ってプレゼントなの”といったこと。
そして、そもそもかなでさんとの出会いがそういうものであったこと。

など。

Saturday 24 January 2009

真実の実在

私は高校生の時、物理を通して真実に近づける。そう思った。
大学で物理学科に入って、卒業する頃には、
逆にその物理の「無菌」が、真実とは遠い気がした。
我々の日常の、このうごうご蠢いて、変化し、そして雑多な
この豊穣さを扱わなくてはならないと思った。
そして認知科学や、脳科学に移って、
人間の行為を、また、人間の意識を、
肉体が主体的に「創り出す」という視点から、捉えたいと思ってきた。

オーストラリアの哲学者Alan Hajekさんとお話をしたときに、
私は、人間の創造性ということを考えたいが、
今は、例えば学習ということを考えてみても、
予め決められた目的に対していかに最適にそれが達成されるか、というようなことだけが問題とされて、
「統計」という、母集団を予め設定しなければ扱えないような、考え方が支配的である。
ここには創造性は入る余地がない、
それが私の嫌なことだ、というようなことをいったら、
彼は、
「君は何を専門にしていたんだっけ。認知科学?それなら、(そういう言葉を使うことは)わかる」
といった。
"creative"という言葉に関する、この反応が、なんだかずっと心に引っかかっていた。

真実の実在、ということが問題だったのではないか。
「真実なんて誰にも分からない」だから、「ない」、だから、「創る」のようになってはいないか。
そんなにゆるいことなら、したくない。
真実をあきらめている。

「例の、賃銭をもらって個人的に教える方の連中、ーーこの連中のことをしも、彼ら大衆はソフィストと呼んで、
自分たちの競争相手と考えているのだが、そのひとりひとりが実際に教えている内容はといえば、
まさにさっき話したような、そういう大衆自身の集合に際して形作られる多数者の通念以外の何者でもなく、
それが、このソフィストたちが「知恵」と称するところのものにほかならない、ということだ。

それはたとえば、人が、ある巨大で力の強い動物を飼育しながら、そのさまざまの気質や欲望について、
よくのみこむ場合のようなものだ。この動物にはどのようにして近寄り、どのようにして触れなければならないか。
どういうときにいちばん荒々しく、あるいはおとなしくなり、何が原因でそうなるのか。
どういう場合にそれぞれの声を発する習性があるか。逆に、こちらからどういう声をかけてやれば、
おだやかになったり、猛り立ったりするか、等々。

こういったすべてのことを、長い間いっしょにいて経験を積んだおかげで、よくのみこんでしまうと、
彼はこれを「知恵」と呼び、ひとつの技術の形にまとめ上げたうえで、それを教えることへと向かうのだ。
その動物が考えたり欲したりする、そういったさまざまのもののうち、
何が<美>であり<醜>であるか、何が<善>であり<悪>であるか、
何が<正>であり<不正>であるかについて、真実には何一つ知りもせずにね。
こうした呼び方の全てを、彼はその巨大な動物の考えに合わせて用いるのだ。
つまり、その動物が喜ぶものを「善いもの」と呼び、その動物が嫌うものを「悪いもの」と呼んで、
ほかにはそれらについて何一つ根拠を持っていない。
要するに、必要やむを得ざるものを「正しい事柄」とよび「美しい事柄」と呼んでいるだけのことであって、
そういう<必要なもの>と<善いもの>とでは、その本性が真にどれほど異なっているかについては、
自分でも見極めたことがないし、他人にも教え示すことが出来ないのだ。

(中略)

それでは、種々雑多な人々の集まりからなる群衆の気質や好みをよく心得ていることをもって、
<知恵>であると考えている者ーーそれは絵画の場合でも、音楽の場合でも、それからむろん政治の場合もそうだがーー
そういう者は、いま述べたような動物飼育者と比べて、いささかでも違うところがあると思うかね?
実際、もし誰かがそういう群衆と付き合って、自分の詩その他の制作品や、国のための制作などを披露し、
その際必要以上に自分を多数者の権威にゆだねるならば、そのような人は、何でも多数者がほめるとおりのことを
為さざるを得ないのは、まさに世に言うところの「ディオメデス的強制(必然)」だろうからね。
けれども、その多数者がほめることが、ほんとうによいことであり美しいことであるという理由付けの議論となると、
君はこれまでそういう連中のうちの誰かから、噴飯ものでないような議論を聞いたことがあるかね?」

(プラトン著 「国家」 藤沢令夫訳 岩波文庫から抜粋)

この本は本当に激しい。激しい愛に満ちている。

目に見えないけど、真実は確かにある。
そのように生きることが問題で、
私が揺らぐのは、真実への愛がいまだ、確固としたものになっていないからだ。

Saturday 3 January 2009

再会

お兄ちゃんとおじいちゃんおばあちゃんの家に行く。
お兄ちゃんがおじいちゃんとおばあちゃんに会うのは20年ぶりくらいになるらしい。
小さい頃誰よりもかわいがった孫のおにいちゃんに
ずっと会えずにいて、
足が悪くなったり、耳が悪くなったり、おじいちゃんとおばあちゃんは80を過ぎた。
優は元気なのか。元気でいてくれたらいいよ、と、私たちにはずっといっていたが、
細かったお兄ちゃんは、あのころより太って、ひげを生やして、
結婚して、ようやく目の前に現れた。
おばあちゃんと楽しく会話しているお兄ちゃんを見て、
おじいちゃんはときどき真っ白なハンカチを出して目にあてていた。
その静かな姿に胸がいっぱいになってしまった。

おばあちゃんは、まぶしそうにお兄ちゃんを見て、
あっちからこっちに話を飛ばしていた。
写真を見て、素敵なお嫁さん、とまたまぶしそうにいった。

今度結婚式のために、みんなで沖縄に行く。

Friday 2 January 2009

銀色と灰色

初日の出に見た太陽は、銀色をして、銀の剣を一面に放射しながら
まるで、衝突しに近づいてくるかのごとくだった。
一目で、目が眩み、
太陽の銀がしんしんと浸みて
その他のものは光をなくし、
真っ暗になっていった。
反射的に体ごとよけると
神女が祈りをささげにやってきたので、
そのままその場を去った。
おばあさんは、
自然な動きの中で膝を折り
自然な祈りを捧げ続けた。

3泊4日の沖縄滞在の中で、太陽の姿をみたのはその時だけであった。
本当の一瞬しかみられなかったけれど、
その一瞬は目を潰した。
神の姿は、
そのようなものであった。

太陽が顔を出すすぐその前には
海は白み、灰と水色と青と緑の
今までに見たことがない穏やかな、
今まで見た中で一番美しい色を見た。
真っ暗な森は緩やかに色付いた。

葉を通して注ぐ、太陽の光は
なんとも穏やかで、優しかった。