Thursday 22 December 2011

Slides and Swings 開始

Slides and Swingsというサイトに文章を書かせて頂きました。

最初植田君がやっているメールマガジン、
Tanzen and Mirrorで書かせて下さい、と私の方から立候補してしまったのだけれども、
いざ文章を、ということになったら、
人からどう見えるかが気になって気になって、
自意識の塊、みたくなってしまっていた。
自分の文章は「成立」してないんじゃないか、
「成立」ってどういうことだろう、と
うじうじ、ぐだぐだ。

だけど、急に、植田君が、多様な人が、色々なことを言って、議論する場を作ってくれて、
こんな場所ってすごい、と思った。
「成立」ということも、この場所で考えていける。
私が特別じゃなく、この場でいろいろなことを考えていける、
私が暗いことをいっても、別の人の音楽が流れている。
すごく幸せな気持ちです。
出来る限りのチャレンジをしたいです。

Wednesday 21 December 2011

この間、内田樹さんらの『現代人の祈り』という本を読んだ。
祈りというのはそのままを記述することだ、というようなことを内田さんがおっしゃっていた。

「「国誉め」という儀礼がありますけれど、あれも別に美辞麗句を並べ立てるわけではないんです。
ただ「ここに高い山がある。その横に深い河がある。そのかたわらには大きな森がある・・・」
というふうに、そこにあるものをただ列挙的に記述してゆくだけなんです。
祝福するというのは、本来そういうことだと思うんです。別にことごとしい形容詞を並べ立てる必要なんか無い。
目に見える一つひとつのものを「その名で呼ぶ」ということが祝福なんだと僕は思います。」

「仮面を被る人というのは、自分自身の素顔に対して、一種の劣等感があるんですよ。
その人自身が、自分の素顔を愛せない。それに対してはその人自身の現実、具体性を読み上げてあげる。
「右に見える競馬場、左はビール工場」でいいんです。
「あなたのこのへんが、こういうふうに、こうです」と、具体的に「あなたはこういう人でしょう」と言ってあげる。
僕はそれだけで「呪い」は部分的に解除できると思います。」

その時、その場所にあったものを、ただ記述するだけで、
それがなくなった後から見た時、
具体性を与える手がかりとなる、
ということも書かれていて、
なんだか、そうか、と思った。

今ここにはこれがあって、これがある。
おじいちゃんはいついつに、これこれをした。
確かにすごい祝福に思えた。

わたしは今、とても文章を書きたくて、
それが人にはどう届くのかを知りたがっている状態にあって、
あなたのこのへんが、こういうふうに、こうです、というのを実際すごく欲しているから、
なんだかよくわかる、という気持ちがしたのも確かである。

事実を言うことってとても難しいことだけれども、
この辺にわたしがもし科学的精神をもっているとするなら、それが関わる余地もある気がして、
私の道は、「讃」だと思った。

私は震災後、『北の国から』のDVDを全巻買って、
今に至るまでほぼ毎日見ている。
こんなにも必要としたのは、
「ただこうなる」ということをいっぱいみたかったからじゃないかと言う気がする。

Wednesday 14 December 2011

今日のオスカー

キリストの中に、完璧なるものに近づいた人格を見ることができるだけでなく、彼の性質のその根本は、芸術家の性質の根本と同じものである。――強烈な炎のような想像力が彼の根本にあるのである。彼は人間関係のありとあらゆる領域で、その想像力にとんだ思いやりを示したのである。それは、芸術の領域においては、唯一の創造の秘訣ともいうべきものである。彼は、ハンセン病患者のハンセン病、盲人の暗闇、快楽に生きる人々のすさまじい不幸、金持ちの奇妙な貧困を理解した。ある人が窮地にある私に「あなたはあなたの台座の上にいなければ、面白くないですよ。」と手紙を書いてきました。この書き手は、マシュー・アーノルドが「イエスの秘密」と呼んでいたものから、なんて遠いことでしょう。アーノルドかイエスのどちらかが、誰かに起こることは何でも自分自身に起こるのだと、彼に教えていたでしょうに。それから、もしあなたが、夜明けに、夜更けに、喜びのため、あるいは、苦しみのために、読みたい碑文があるとすれば、家の壁に、太陽が金色に、月が銀色に輝かせる文字で、「自分に起こることは何でも誰かに起こる」と書くのがよいでしょう。



オスカーワイルド『獄中記』より拙訳

11月

Saturday 26 November 2011

最近

劣等感により曲がった世界の見え方をまっすぐにするプロジェクトの実行中。

できなかったことによって、世界がそういう風に見えるようになってしまったなら、できるようになればいいし、
わからないことによって、世界がそういう風に見えるなら、わかるようになればいい。
新約聖書、旧約聖書、資本論と読書をしている。
人と比べて、15年くらい遅れているかもしれないけど、よい。

岸田劉生は、1914年(劉生23歳)頃の日記に
「自分の中にはまだまだはっきり生きて来ない自我がたくさんある。自分はその為めに苦しい日を過ごしている」
と書いていたそうで、
展覧会では、絵のモードの多様性に本当に驚いた。
大阪市立美術館の岸田劉生展は、本当に本当に行って良かった!

自分の感受性を誇りにするばかりに、
そうでないことを受け入れられなかったり、傷ついたり、脅かされたり、
はっときづくと、過度のルサンチマン。
だったら自分も身につけようとしてみるのが一番真っ直ぐなんじゃないかと思った。

そういう気持ちで始めたけれど、
なんて面白い本なんだろう。

Thursday 6 October 2011

毛深き人たち

昨日、授業の帰り、伏見で降りて、なんとなく名古屋市美術館によった。
地下の小さな部屋で『毛深き人たち』とかいう展示がやっていた。

ゴリラの展示である。
展示といっても、ゴリラの写真と名前があるだけ。
このゴリラはどこで暮らした、そういう紹介があるだけ。
写真といっても模造紙みたいな紙への印刷。
なんだろう?呆然とした気持ちで奥へすすんだ。
ビデオの部屋があった。
繰り返し繰り返しエンドレスに流れているから
途中からみることになった。
ゴリラが何か金属製のものにやるきなくよじ登ろうとしている。
ゆっくり手をかけてははずし、足をかけては、立ち止まる。
その進み具合ったらあくびが出るほど遅く、
私は重い荷物でくたくただったから、少しでも座っていたくてそのビデオの前にいる、という感じだった。
そのうち突然彼はバタンっとおおきな音を立てて地面に落下した。
重力になんの抵抗もしていないように見えるほどに、
おおきな音を立てて受け身も取らずに、ばたりと落ちる。
落ちては、痛みの声もあげずに、その落ちたままの姿でぴくりとも動かない。
なんなんだこの映像は、ゴリラってなんかすごい、
おかしさがこみあげてきた。
また、静止画と区別がつかない感じでのぼりはじめる、
そして
ばたりと落ちる。物のように落ちる。
そのまま動かない。
の繰り返し。
しばらくして、字幕が入った。

「ゴンはもう一度彼の定位置である棚の一番上に座りたかった。」

笑った口元が自分で悲しかった。

「崩落を繰り返し、二日後彼は死んだ。」

「ゴンは最後まで生きた。」

それで終わった。そういう映像だった。

途端にさっきの模造紙写真がなんだか遺影のように見えてきて、
途端に一人一人の区別が私についてきて、
ああ、毛深き人たち、そのタイトルをつけた気持ちがわかったような気がした。

命拾い

昨日ノーベル化学賞の発表を生でみていた。
電話が繋がらず本人はまだ受賞したことを知らない中で、
受賞理由の説明として、
その仕事の素晴らしさが、その研究を本当に理解している人によって、
語られていった。

本人以外の、別の誰かが、その人の仕事を熱をもって語ること、
それを、「命拾い」というのだろうと最近思う。
だって気づかれないままに、それどころか迫害されたままに、
消えていってしまうことだって
あるのだから。

私の愛するもの達は、やがてしんでしまう。
マリーナがもし、死んでしまったら、
私は命拾いをしていきたい。
命拾いの仕事をしたい。

今は授業をする中で、
自分が教えてもらったもののなかで、
私の中にしっかりと息づいているもの、
それをみんなに伝えることくらいしかできないという気持ちもあって、
そんな風におもうようになったのかもしれないけれど、
だから私は、自分で何かを見つける努力をしていきたいと思うけど、
命拾いのお仕事をするんだという思い付きは
とても大切な思い付きであるきがした。

Saturday 17 September 2011

おばあちゃんの物語

ある日、日帰り温泉に行こうと、おばあちゃんの家に車でよったら、
車乗るなり、おばあちゃんがいった。
「人生長いようで短いというけど、やっぱり長いよ。つらいことがね、いっぱいあるよ、それだけはね、やっぱり絢ちゃん、仕方がないよ。」

おばあちゃんの言葉は、毎回心に刺さる。

今日、敬老の日のプレゼントを渡してきた。
「こんなふうにお金使わせてしまって済まないねえ。いっぱい、いまほしいものあるときなのに。」
おばあちゃんは、私が渡すと、なんだか、逆に、たくさんのお返しをしてくるので、本当に、やめてほしいというか、
そんなのいらないよ、といつもおもうのだけれども、
それに関連するような、しないような話をしていくなかで、ぽろりと、
「プレゼントは、もらうばっかりじゃなくって、渡しあっていくうちに、色んなことを勉強していくんだよ。」
といった。

おばあちゃんと夕飯のお買い物にいって、二人で歩いているとき、
急に、ぎゅっと手を握ってきて「あやちゃん、かわいいねえ。自慢の孫だよ。」とまぶしそうに言った。
私がごまかして笑っていると、
今度は急に小さな声になって、少し恥ずかしそうに、「ママは、自慢のママかえ?」と言った。
なんだかどきっと、うるっときてしまって、「うん」
というとほっとしたような、すごくうれしそうな顔をした。

Tuesday 30 August 2011

旅の間に友人と話していたこと (覚え書き つづき)

(これも記憶があやふやなところがあります。)

五島で(長崎で?)最初にクリスチャンになった人は、
自分の子供が病気で、それをなおしたくて、
どうしても異国の医術をうけたかったかららしい。
キリスト教ってやっぱり、自分の大切なものとひきかえにしてもいいくらいの、
何かがある。
それがほしいんだ、っていう何か。
今の私には、医術ではないかもしれないけど、生き方に関する、強烈に欲しいものが、キリスト教にある。
それは、自然科学ももっているものかもしれない。
そして、それは、わたしのためだけじゃないなにかにつながるだろうか。

Monday 29 August 2011

覚え書き

また別の教会にあった本の中に書いてあったこと。
(記憶があやふやな部分があります。)

五島のキリスト教徒の方々が改宗をせまられ、あまりにもひどい拷問を受けたりするなかで、
隠れているのが卑怯だと思って自ら出て行き、自分がキリシタンであることを告白した人々と、
長く弾圧されていた間に独自の信仰形態ができていき、教会には戻らない決断をした人々とがいること、
時間の流れの中での双方の、聖なる決断を知った。

それから、
長崎の大浦天主堂に外国からある時だけなんとかさんがやって来るということで、必死に会いに行って、
そこから帰ったら、もうとても隠れては居られないと、みんなで出て行くことを決めた人達がいたと書いてあった。
ある人にあったら、もう戻れなくなった、というそういう経験って、ほんとうにすごいと思う。

五島列島 野崎島



信仰の人々の住んだ、その痕跡の島。

フェリーから下りると、すさまじい風景が広がっていた。
風雨に晒され灰色になり、崩れ落ちた木造の家々、瓦の屋根の重みで潰れた神社、
陶器などの残骸、真っ赤な土の段々畑の跡、そこに草が茂り、それを野生の鹿が食べる。
歩きすすめる度にギチギチ、シャーシャーと耳元で蝉が迫り、真っ黒いお腹をひたすらに振動させている。
尋常でない量のトンボが低空飛行してきては、何の油断もない野生の鹿の目線を感じ、その足音を聞く。

無人島だとは知っていたけれど、かつて人がここに住んでいたことをしらなかった。
(この日は、私達と、私達が宿泊するから一緒に滞在して下さる管理人の方と、水質管理にやってきた方の4人だけだった。)
そんな風に軽トラックの一台やっと通れるくらいの細い山道を20分ほど進んでいくと、
唯一今でも大切に大切に管理されている、教会と、かつては学校だった宿泊施設にでる。

本当にすさまじいが、人間がいなくなってしまった跡がすさまじいだけではない、
人がいなくなるとはどういうことか、だけではなくて、
ある人がいかに生きたか、ということが輝いてくるような島。

この教会はもう使われていないから、とても、とても、静かで、
でも元々ほんとうに、華美なところがいっさいなく、
だけれども、わたしは初めて、ステンドグラスってこんなに美しいものだったんだと知った。
複雑な模様、細工、とかで勝負されたものではなくて、
木造の床の四角い空間の真っ白い壁に、どういう光が入るか、
ここを訪れる人にどういう体験をさせるか、
そういうところでものすごく、丁寧に丁寧に、ものすごい信念を持って作られた教会であることがわかる。
とにかく精神に満ちてた。
自分に依頼した人達の気持ちにはっきりと答えるような、
そして、
ここを訪れる人にどういうことをつたえたいか、
そういうはっきりとした意思のあるような、
何か大切なものをはっきりと示されるような、
でもそこで、ゆっくりと私は眠り込めるような。

(ここがあまりにも衝撃的なところだったので、私達は今回、他の島に移った後も、この教会を造った、与助さんという方の教会をめぐる旅をすることになったのだった。)
(それから、このステンドグラスの感じは、私は、マリーナ・アブラモビッチの作った新潟の「夢の家」を少し思い出したりした。)

作った人、依頼した村の人々、
(友人が調べてくれたところによると、この人に作ってもらうしかないと、
この村の人達は、自分たちの食事を削って、自分たちでお金を工面して頼みに行ったらしく、
そういう人達にものすごく強い影響を受ける。)
そして、この何も行われることのなくなった教会を、今大切に管理している人達のことや、
色々なことを抱えて遠くから訪れる人達のことが想像されてくる。
永遠に残り続けるってこういうものなんだ、こういうことなんだ、
そういう風に思った。
そして今ここにいる私達のこともまた。

本当に静かな姿をしているけど、
永遠に残り続ける息の音を聞くようだった。
本当に美しかった。

五島列島の他の島も幾つか移動して、今回見た教会達は、
一つ一つが、一つ一つの人生が匂ってくるような、
そういう風に作られて、守られてきた、本当に個性的な教会達だった。

でもこの野崎島は、私一人では絶対来られなかった。
友人に感謝。

Thursday 11 August 2011

Saturday 9 July 2011

カウアイ島の星空は

カウアイは本当に素敵だった。
空全体に、はじめてみるくらい、ものすごく大きな星で、
なんだか、無数の、他の星の存在がはっきりと感じられて、
空一面に広がった蜘蛛の巣がどくどく脈打ってるようだった。

ハワイに行ってきた


















Thursday 16 June 2011

なんかわからない日々

今日、養老さんの『希望とは自分が変わること』(新潮社)を読んでいた。

ーーーーーーーーー
人について関心があるのは、だから無意識である。解剖学で扱う身体は、まったくの無意識である。
本人の意識はとうの昔に消えてしまっている。でも身体は残っている。
なんとも不思議じゃないですか。

(中略)

世界観そのものを吟味するより、その世界観の成立の背景を見ようと私は思う。
それが身体で、その身体は語らない。
語らないものを相手にするなら、こちらが「考える」しかない。
どうせわかりはしないと思うけれども、どこかまでは、つまりわかるところまでは、わかるはずである。
そう思って考える。

(中略)

「考える」ことは、自分の意識の中に埋没することではない。
そこからなんとか出ようとする作業なのである。
ーーーーーーーーー



この間、ASSCという意識の学会が京都であったので久しぶりに行った。
色んな人がいた。
一番すごいな—と思ったのは、ハンフリーだった。
次から次へと新しく面白い実験を考案して、どんどんどんどん進んでいく、というような人達も居れば、
ハンフリーのような人もいて、
不思議なことに、ハンフリーは、誰かのトークを聞く度に手を挙げて質問する人だけど、
「消費」という概念からはとても遠いところにいる人の気がして、
なんだか、色んなモノからそれぞれの人がとってる距離みたいなのがあって、
私は英語が聞こえなくなる度に、そんな方へ意識を飛ばしていた。

梅雨の京都は、本当に気持ちが良いんだなあ。
こんな最高のときって知らなかった。
雨が降っていたけど、
夜なんだか晴れ間が出て、上弦よりも少しだけ太った月がのぞいた。
哲学の道に蛍が出るときいて、
夕方、小俣さんと石川君と出かけていった。
まだ明るいときで、ほんとうに蛍なんているの、とかいいながら歩いて、だんだん暗くなって、
一番星ならぬ、一番蛍が、ゆら ゆら と飛んだのは、本当にこの世のものじゃなかった。
後からタクシーで追いかけてきて、哲学の道の南禅寺側の終端から歩いてきた柳川さんが、
俺、もう20匹くらいみたけど、と自慢した。


すっごい脈略のない話。

Tuesday 31 May 2011

村へは帰るな

奥田知志さんのお話を聴いた。
聖書に次のような話があるらしい。
(私の記憶から書いているので曖昧な部分があります。)

ーーー
ある村に盲人がいた。
キリストが盲人を村の外へ連れ出し、両目に唾をかけた。
何か見えるか、と聞くと、なんちゃらかんちゃらが見える、と言う。
キリストは、また、目に手を当てた。
どんどん見えて来た。全てがはっきりと見えるようになった。
キリストが言った。「おまえはもう村には戻るな。家へ帰れ。」
ーーー

その盲人の家は、その村にあるはずである。
なのに、「もう村には戻るな、家へ帰れ。」
見えるようになった後は、元の村へは帰るな。
すごい話だなあ、と思った。


このところ、トルストイといい、奥田さんといい、
佐藤優さんといい、
キリスト教が体に染みこんだ人、
行動というところで信仰のある人、行動というところで、自らを試している人たちを見て、
信じられないくらいの感動を覚えている。


オスカーワイルドの『de profundis』には、キリストのことを述べた次のような箇所があった。

世界は完全なる神に最も近づこうとして、いつも聖者を愛してきたのだが、キリストは、自らを完全な人間に最も近づけようとして、いつも罪人を愛してきたように思われる。彼は、人を改心させたいなどとは思っていなかった。面白い泥棒を、退屈で正直な男に変えるのは、彼の目指したところではないのである。彼は罪や苦難を、それ自体で美しい、神聖なものとして、また完全な人間に近づく手段として、見ていたのである。

(中略)

キリストの道徳、それはひたすら、「共感」なのである。道徳とはまさにそうあるべきなのだ。彼がもし「彼女の罪は許された。なぜなら彼女は本当に愛したのだから。」という言葉しか残さなかったとしても、それは、それが言えたとしたら死んでも良いというような言葉である。彼の正義、それはひたすら、詩的な正義なのである。正義とはまさにそうあるべきなのだ。「その乞食は天国へ行くだろう。なぜなら彼はずっと不幸せだったのだから。」私はその人が天国に送られる理由としてこれ以上の理由など考えることはできない。

(以上私の拙訳。原文は以下。)

The world had always loved the saint as being the nearest possible approach to the perfection of God. Christ, through some divine instinct in him, seems to have always loved the sinner as being the nearest possible approach to the perfection of man. His primary desire was not to reform people, any more than his primary desire was to a relieve suffering. To turn an interesting thief into a tedious honest man was not his aim. He would have thought little of the Prisoners' Aid Society and other modern movements of the kind. The conversion of a publican into a Pharisee would not have seemed to him a great achievement. But in a manner not yet understood of the world he regarded sin and suffering as being in themselves beautiful holy things and modes of perfection.

His morality is all sympathy, just what morality should be. If the only thing that he ever said had been, 'Her sins are forgiven her because she loved much,' it would have been worth while dying to have said it. His justice is all poetical justice, exactly what justice should be. The beggar goes to heaven because he has been unhappy. I cannot conceive a better reason for his being sent there.

また、大澤真幸さんと、橋爪大三郎さんの、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)という本を読んだら、
どんなに無神論者だと西洋の哲学者や科学者が言っても、彼らにどれほどキリスト教が染みこんでいるか、ということが書いてあって、
それはそうだなあ、と思った。
キリストという人をとてつもないひとだと思うのに、
また、
キリスト教の神は、目に見えない、絶対的な、神で、
良いことをした人間が必ずしも救われる訳じゃないということ、
本当に理不尽な、なんの言うことも聞いてくれない神、
それでも神を愛するということが成立しているところが、
私は、自分がせいふぁうたきで感じたことと全く同じだと思うのに、
どうしてこれほど違うのか。

神学の勉強を始めようと思った。

Thursday 19 May 2011

Friday 15 April 2011

奏さんの作品「投石」

今日から根津のギャラリーで、矢木奏さんの展覧会「投石」がはじまった。
どうかみなさん、見に行ってください。
http://kanadeyagi.jimdo.com/


以下、私の思いです。
見に行く前の人は読まないで頂きたいと思います。

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Dear Kanade,

奏さんの写真は、知らない人のことを好きになります。
あのレポーターの女の人や、あの悪石島の男の子や、カメラマンの人達。
それから、何枚もカメラの写真をとったり、
いっぽんいっぽんのとげとげだったり、日食に対してあなたがもった執拗さ。
その執拗さが、もしかしたら、その人達を、その瞬間を、特別なものに変えるのかもしれなかった。
あの写真達を見ていると、本当に、知らない人達が、かけがえのない人になってくる。

その執拗さというのは、
あなたが、あなた自身を誇示しようとするような種類のものではなくて、
まさか発揮されるときが来るとは知らずに集結した、
でも、もしかすると出番を待っていた、みたいな形の執拗さ。

あなた自身の気配を最大限に消しているなぞの眼差し。
まるで死者が生者をみるようなその目を通して、
生者が、生が、そこにくっきりと感じ取られてくる、みたいな感じ。
いつもと変わらない一日が、誰かが、私が、完全に祝福されてしまったような。
なんとも愛を感じることでした。悲しいくらいでした。優しいのでした。

その誰かや、ロサンくんや、セガールに挑戦した過去のあなた、
その年月、その空間、その人々、かなでさん自身、が全てつながって、
そういうものがいまこそここに、形をなして、ぴかりとする、みたいな、
そういうことを見ました。

日月山水図屏風のことまで作品になっていて、本当にびっくりした。
でもかんがえてみれば、日月山水図屏風は、かなでさんのこの作品にぴったりだった。

ロサンくんのことも、日食の企画も、わたしは聞いていた。
あなたの日記で、ロサンくんの文章をずっとずっとまえによんでいた。
あなたの過去もいま改めてぴかりとした。

そう、友人として、を離れて、新しいあなたに会いました。
でもそれは一貫したあなたでした。

ああ、そうか、執拗さ、というのは、潜んでいた一貫性、みたいなものだろうか。

モノの運命はモノに任せる、とかいういつものあなたの態度。
そうして集まったものたち。また、集めたものたち。それが今日ある形を取って、ぴかりと光りました。
「私は実際自分の意思でそれを見に行ったのですが、招かれてあの場に立つという体験をしたような気持ちだったからです」

あなた自身が最大限に消えながら、最大限の愛と、あなた自身を感じた日でした。

本当に胸がいっぱいです。


私は作品を見て、このひとがだいすきだなあ、と思いました。

このひとがいきる、ということと、作品は、やっぱり、わたしにとってはおなじことのようです。

恩蔵絢子

Monday 4 April 2011

2011年4月1日



研究室のお花見の日。
復興に向けて人生初のことをしようと、ちらし寿司を作った。
10人くらい分のちらし寿司の入ったお重を持って一人鎌倉を歩く。

婚礼行列のおなーりー みたいなかけ声 人力車に乗った白無垢の花嫁さんと黒い袴の花婿さん。
八幡さんの上を白と黒のとりが群れを作って飛び立つ。

お参りに来た観光客の顔が、
知らない二人を喜んで、一輪かそこらの桜の開花を喜んで、その空を喜んで、
待ちわびたお祭りの日みたいに、
晴れ晴れと、晴れ晴れと、本当にその日を喜んでいるように見えた。


ああ、晴れ晴れ!そんな日がくるように。

Monday 14 March 2011

鳥を。

今日はずっと絵を描いていた。

沖縄で一度だけ見たことのあるズアカアオバトの絵。
ずっと描きたいと思ってた。
金色にぴかぴか光って、左手を振り上げ、夢のような低い声で鳴いていた。
「あの鳥の声が、おもろ(神へ捧げる思いの歌)になったのです」
とその場にいた方に教えてもらった。
神様にしか見えない鳥だった。
あまりにもきんぴかだったので、私の中ではキンバトとインプットされてしまい、
youtubeで検索しても、googleのimage検索しても、どうも、あのときとちがうなあ・・と
あのとき1回だけのお姿だったのだろうか、などと思っていた。
それもそのはず、名前が間違っていたそうだ。

でも、それ以来わたしは、鳥で心がいっぱいになって、忘れられない。
今は、イメージ検索をして、wikipediaなどから写真を拝借して、うつすだけの状態だけど、
いっぱいいっぱい描いていたら、いつかあのときのイメージを描くことが出来るようになるだろうか。

Tuesday 1 March 2011

Gospel in Brief

トルストイ『The Gospel in Brief』を読み始めた。

編集したFlowersさんの書いた序章には、
Both Wittgenstein and Tolstoy understood that the question of the meaning of life was not an academic question
and that words were inadequate to explain the meaning of life.
とある。

そしてトルストイ自身の書いた序章には、
ソクラテスも大衆の前で話をしたことを忘れるな、とある。

トルストイは、生きる意味が感じられなくて、いつ自殺してもおかしくない状態だった。
知識を得れば生きる意味がわかるはずだ、いろんな学問に必死で取り組み、有名な人達に生きる意味について手紙で質問する、
なんにもわからない、それで、その嘘に目覚める。
彼は自分なりに読むということを開始する。

彼は色々な宗教(というより教え)を検討して、最終的に、聖書に生きる意味を見出すのだけれども、
教えられてきた通りに読むのではなく、
たった一人で、キリストの教えだけに注目して読み込み、自分で解釈をする。
それで、教会が立場を保つために強調して、歪めてきたこと(これだって、彼が「そう見た」ということだ。)を取り除いて
キリストの教えに目を見開けば、生きる意味が見える、と確信した。
それで彼は、生きる意味の書として、ギリシャ語のオリジナルの4つの福音書から、キリストの教えに注目して翻訳編集するのだが、
このとき、キリストの起こした奇跡、キリストの生まれ、キリストの復活etcについてはどうでも良いものとして扱わない。
奇跡が真実かどうか(みんなこればかりを気にして、己の正当性を競う)、そんなことでなく、
彼は自分で、キリストの声だけを、なんとかこの弟子達によって書かれたものから、聴こうとする。
己の翻訳に対する、信念に対する、彼の確信っぷり、責任の取り方が見事だった。

For these readers there are only two issues:either to make humble submission, and renounce their deceits; or, to persecute those who arise to accuse them of the evil they have done and are doing.
If they will not renounce their deceits, it remains for them to take the only other part, that is, to persecute me.
For which, in now completing my writing, I am prepared, with joy and with fear for my own human weakness.

でこの文章は終わる。
ゴーゴーという嵐の夜の音がしてくる気がする。
一行一行がなんだか、これ書かなきゃ死んじゃう、書いても死んじゃう、みたいな感じがする。

もういろいろいろいろたくさんだ。
ベルトコンベアに運ばれず、今をとめるために。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1. Man is the son of the Infinite Source of Being; he is the son of this Father, not by the flesh but by the spirit.
2. And therefore, man must serve the Source of his being, in the spirit.
3. The life of all men had a divine Origin. This Origin only is sacred.
4. And therefore, man must serve this Source of all human life.This is the will of the Father.
5. Service of the Will of the Father of Life is life-giving.
6. And therefore, it is not necessary to life that each man should satisfy his own will.
7. This present life in time is the food of the true life.
8. And therefore, the true life is outside time; it is in the present.
9. Time is an illusion of life; the life of the past and the future clouds men from the true life of the present.
10. And therefore, one must aim to destroy the deception arising from the past and future, the life in time.
11. The true life is that now present to us, common to all, and manifesting itself in love.
12. And therefore, he who lives by love now, in the present, becomes, through the common life of all men, at one with the Father, the source, the foundation of life.

(from 『The Gospel in Brief』Leo Tolstoy, Translated by Isabel Hapgood, Edited and with preface by F.A.Flowers III.)

Monday 28 February 2011

サロメ

茂木さんのTwitterに影響され、二期会オペラ『サロメ』を見に行った。

聖人は聖人で、俗人を無視し、
俗人は俗人で、聖人を軽蔑した。
どちらともいえないような人ばかりがいた。
みんなどこかに盲点があった。
「顔を見つめてはいけない」
何度もその詞が出てきた。

そして、演出にあった、ドアのこと。
聖の人も、俗の人も、どの人もみんなシェルターの灰色の壁にチョークでドアを描いて、
悲鳴のような音楽の中で、どんどんどんどん叩いてた。
でもどのドアも、決して開かなかった。
それで人が死んだ。

でも、この演出の中では、ヨカナーンの首が切られるのは象徴で、実は生きてた、
象徴を殺すことによって、
二人は愛し合うことが出来た。

理想を殺すのでなく、また現実を殺すのでなく、
「どうせ」と「そうでなければならない」を殺せばいいんじゃないか、
そんな気がした。

(こういうところ、オペラって、(っていうかこの演出をした人って)本当にすごいなあ、と思った。
音楽も、歌詞も変えることなく、演出で、意味が180度変わること。
ヨカナーンは首を切られてしまったことになっているけれど、
舞台上で矛盾無く存在させることが出来るんだ。
意味というのは、本当にどんな風にも変えることができるんだ。
ここに対峙ということがあり、一人一人の戦いがあるんだ)

『愛の神秘は死の神秘よりも深い。』

とにかく興奮冷めやらず。

Monday 21 February 2011

About Face イラスト大会





About FaceというJonathan Coleの本を翻訳させて頂いた約二年。
各章の扉絵を、なんとなくイメージしながら、落書きした。

ぽろり1

好きな人を、場所を、遠くから思うとき、何か作ろうと思うのだろう。
神々を思うときもまた。

Thursday 13 January 2011

久高島のこと



私は、久高島という場所がとても大切である。
斎場御嶽から見える島なのだが、はじめてみたときに、
ああ、私がこの島を知らなくても良い、知らなくても私はこの島を愛する、
と思ったのだった。
しかしそんな風に決めても結局、どうしても知りたくて、過去5度尋ねてしまった。
最初の2度はほんの数時間寄るだけ、後の二度は一泊、最後の一度は二泊、という感じである。
あまりにも緊張する気持ちが強すぎて、とても泊まれるなんて思わなかった。
でも、だんだん図々しくなっている様が現れている。

不思議なことに、私は、この島のことを一人の人のように愛している。
むしろ、一人の人の愛し方を、この島から教わっているような感じがするのである。

私とは関わりなく、私はこの島を、この人を愛する。
そんな風な信心をもちつづけること、
それがわたしにとって一番大切なことのようだ。

Wednesday 5 January 2011

2010年12月



なんとなく、言葉や行為、すなわち外に出すまでに掛ける時間、
下手すると言わないで済んでしまうことになるその内なる時間、
それが短くなるような気がした。

「面白い」では私は生きられない。
面白かろうと無かろうと、決めたら愛す、
捧げる人間として。
年末、そういう人に出会った。

あけましておめでとうございます!


椿を見たら、一気に明けた気がした。
今年は「試」の年にする。