Monday 31 December 2018

2018年

年末は、ひたすらお掃除。
1月に買っていた本棚をやっと組み立てた。部屋がすっきり。
大晦日、台所のお掃除。見ないフリしていたところを、ちゃんと開けて掃除。すっきり。
それからさっき母と散歩がてら、お正月のための買い忘れていたものを買いに行って、
今ようやく自分の部屋で落ち着いているところ。

2018年は、表現する喜びを知った。
河出書房新社の高木さんが「やりましょう」といってくださったのが、2017年6月。
「でも、このままでは読者が安心して読むことができません。
科学者としてどっしりと立って、
読者が恩蔵さんにしっかり頼って読むことができるように、書き直してください。」
最初のミーティングでそういうアドバイスをいただいた。
毎日の日記状態で、
私自身が母との生活にマックスに動揺しちゃっているような原稿を、
どう直したら良いか、道筋がばああっと開けたのだった。

書き直しても、つい自分の感情だけのエッセイ風になっているところにはかならず、
「恩蔵さんの思いだけではなくて、科学的にどういうことなのかちゃんと説明して閉めて下さい」というコメントが入って返ってきた。
高木さんのおかげで、「科学者」の部分を文章の中でどんどん積み上げていけた。
何人かの方から、個人としての感情を、科学者としての目で追っているところを褒めて頂いたけれど、それは、高木さんのおかげだ。
文章の中だけでなく、現実生活の中でも、私は、高木さんのおかげで科学者の部分が育って、強靱になれた、と感じている。

そうして最後まで書き上げてからは、
高木さんの周りの方にも入って頂いて、更に直していった。
そして2018年10月、上梓したのである。

こうやって文章を作っていくという楽しさが、忘れられない。
人にはどこがわかりにくいということを教えてもらうこと、
一緒にこれってどういうことだろうと考えること、
細かく細かく自分が思うことを表現して、伝わるように鍛えていくこと、
最高に幸せだった。
楽しくて、楽しくて、だから、母との生活も格段に楽しくなった。
生活が、大丈夫になった。

不思議なんだけど、この本を書いて思うようになったのは、
家族って、年齢も、職業も、バラバラで、
見ようによっては、とっても多様性がある世界だと思う。
その中で、どうやって愛情を育んでいくか、そういう試練は、
やっぱりとっても面白いことだと思う。

もう一つわたしがやっている大事な仕事である、大学の授業も、
ものすごく緊張するし、大変だけど、表現なんだと思うと楽しい。
もし私の話がだめだったら、あきてしまうかもしれない人たちがいて、
反応が目の前で起こる。バックグラウンドの異なる、色んな人がいる。
その人達の顔を見て、個性を感じ取るように心がけながら、
言葉で表現するという試練が、私は本当に好きだと思った。

もっと文章を書きたい。
もっとperformanceをしたい。
public speechを学びたい。

少しでも、世界が平和で、多様性を認められる方向にいく力を持つ言葉を話したい。

本当に楽しくて、本当に幸せな一年だった。
そして来年は、今年とも違う新しい年にしよう。

どうかみなさまの新しい一年も、素晴らしい年になりますように。






Tuesday 27 November 2018

『脳科学者の母が、認知症になる』番外編

『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)が発売になって約一ヶ月が経った。

本の中に入りきらなかったけれど、今でも私の支えになっているいくつかのお話を
ここに書いておこうと思う。

   ハンカチのこと

大学生のころ、教職課程をとっていて、その一環で夏休みにある施設へ介護実習に行った。
そこで出会ったおばあさんが、今考えてみればアルツハイマー型認知症だった。
そのおばあさんの横でお話をするように、職員の方から言われて、隣の椅子に座った。
おばあさんは、若い私に、家族のことを尋ねた。ご両親はどうしているの?一緒に住んでいるの?など。そして、そのうちご自分のご家族のことを聞かせてくれた。戦争中のことがとくに深く刻み込まれているようで、何度も何度もお話になった。
おばあさんは、施設の中で洗濯物をたたむ係に任命されているらしく、白いハンカチなどを、ずっと手を休めずにたたみ続けていた。懐かしそうに、ときに涙ぐみながらおはなししながらも、左側に置いてあるかごから出して、たたみ終わったものは右側のかごへ、せっせとおさまっていった。
しかし、そろそろ洗濯物がなくなる、というときになって、職員の方がやってきて、右側のかごのものを出して、こわして、左のかごへ戻して行った。
折角たたんだものに対してなんてことを、と驚いて職員のほうを見ると、「仕事があることが大事だからね」とただ一言おっしゃった。

その時の私には、おばあさんが崩されていくことに気がつかないでずっとたたみつづけていることや、その職員の方の言葉がとてもショックだったけれど、今ならとてもよくわかる。

なによりも大切なことは、その人が、人の役に立っていると感じられることがあること。そして続けられていること。

ときどき振り返って見る方位磁針のような話。


   汚いのと、怒られるのと。

洗うべきものと、洗い終わって綺麗なもの。
これがまぜこぜにされてしまうことがある。
それが嫌で、お風呂場で、母が着替えを済ませるまで横で見ているようにしていた。
しかし、見張られながら服を脱ぐことは母にとっては嫌なことである。
私にとっても嫌なことである。
嫌な雰囲気の中だから、母は混乱して、着替えが一向に進まなくなる、
それでよりいっそう私がイライラして怒ってしまう、ということが続いた。
ストレスがたまって、友人に相談した。「母にとって、汚いのと、怒られるのとどっちが良いと思う?」
友人は即答した。「そりゃあ、汚いのに決まっているじゃん。」
怒られるくらいだったら、汚いままの方が良い。
私は「毎日綺麗にしてあげたい」「母のため」と思ってしまっているけれども、監視までされて、怒られる、それは本当に母のための良いことなのだろうか。
汚いままの方が良いに決まっている。
あんまり汚い日が続くと問題だけれども、怒ってしまうくらいなら、数日汚い日が続いても別に良いと思うようになった。
「こうでなければならない」と思い込んでしまって、一生懸命になってしまっていることがたくさんある。


お知らせ

☆ 2018年11月11日毎日新聞の書評欄に、養老孟司さんからご書評を頂きました。
    https://mainichi.jp/articles/20181111/ddm/015/070/052000c
    全文はALL REVIEWSさんが公開して下さっています。
    https://allreviews.jp/review/2726

☆ 2018年11月11日読売新聞の著者来店のコーナーに取り上げて頂きました。
    全文公開して下さっています。
    https://www.yomiuri.co.jp/life/book/raiten/20181112-OYT8T50049.html


☆ 2018年11月25日佐賀新聞の書評欄に、中尾清一郎さんからご書評を頂きました。
    全文は電子版では私がログインできないでおりますが、
    またお知らせしたいと思います。
    佐賀新聞のサイトhttps://www.saga-s.co.jp

Saturday 13 October 2018

『脳科学者の母が、認知症になる』をはじめて手にした。

今日できたばかりの見本を
早速届けて下さった。
河出書房新社の大好きな高木れい子さんと。

撮影:戸嶋真弓さん

Thursday 11 October 2018

お知らせ

『脳科学者の母が、認知症になる』の発売日が決まったと、
河出書房新社の高木れい子さんからお知らせいただきました!
2018年10月18日木曜日です。



Sunday 30 September 2018

はじめての本

河出書房新社から、私のはじめての単著を出して頂くことになりました。
もしもお読み頂けたら、また、ご感想いただけたら、幸いです。
現在発売予定はアマゾンでは10月26日となっていますが、
10月中旬ころになりそうです。

























河出書房新社の高木れい子さんには、手取り足取りご指導頂き、
この本の方向性自体を見出して頂きました。
校正を担当して下さった方、イラストレーター、デザイナーの方、
形にして下さった河出書房新社に心より、御礼申し上げます。
ありがとうございます。

またこんな風に形にしていただけるなんて思ってもみない、
もっと、もっと前の段階で、
何度も原稿を読んでくれた友人達に感謝します。
とくに石川哲朗さんには、一部、事実確認を一緒にしてもらったり、
細かな文章の指導までいただきました。
ありがとう。

約三年前、自分に降ってきた現実に対して、
「どうしたらいいんだろう」「いったいなんなんだろう」
と気持ちのやり場がなく書き始めたものでしたが、
(もちろん、今だって同じ気持ちはもっているものの)
最後には、書いている一秒一秒が、楽しく、愛しい、
そんな風になっていました。

認知症と診断された方、認知症かもしれないと不安を持っている方、
またご家族の方、
そして、認知症とは関係なく、「私が私であるってどういうことなのだろう」
と思っている全ての方と、
お話ししたい気持ちです。
楽しく読んで頂けると、とても、とても、嬉しいです。

母の行く道は、私の行く道でもあると思っています。

恩蔵絢子拝

河出書房新社のホームページ

アマゾン

Sunday 23 September 2018

そんなこともしらなかった、と思うこと。

昔、海外を旅行するときなどに、
英語が話せなかったり、
その場の常識を知らなかったりして、
恥ずかしくて縮こまっていた。(いまでもだけれども。)
なにもしないように、目立たないようにしていたし、
なにかやるにしても
この行動、合っているかな?という風に考えていた。
だけど。
ある場所に、自分が適応できるか否か、
受け入れてもらえるかどうか、
と考えるのではなく、
自分の意思であれ、たまたまであれ、
ある場所に行ってしまった以上は、
そこに自分がいてしまうのだから、
自分もその場所の構成員である、
と思うようになったらとても楽になった。(相変わらず引っ込み思案だけれども。)
誰が内部者で、誰が外部者で、というのではなくて、
その場にその瞬間いる、ということで、
一人一人が「その場」を支える責任者なのだ、と思うようになった。



Thursday 14 June 2018

オーストラリアおいしかったもの

Cappuccino (コーヒー ラージ)AUD5 
Little creatures(ビール tapから)AUD7.5
Chardonnay (冷たい 白ワイン グラス)AUD10
Angus burger (牛)AUD22
Tom Yum soup (スープ)忘れた

最近思っていたのは、やらなければならないことに追われて、振り返る暇もなく、とにかく、「あれをやって、次にはあれをして」と、粛々と体を動かしていて、あっというまに毎日過ぎてしまうけれども、
もしも振り返ることができたときには、その時間は濃密に、とても長い時間に蘇ってくるということ。
「ああ一瞬だった」と思う出来事は、思い出の中では「長い」ものになる、ということ。
だから粛々と。思い出すことをいつか必ずやるという条件で。



Wednesday 13 June 2018

Darwin to Kakadu (つづき)


Nourlangie

Ubirrから車で一時間ちょっと、
Nourlangie(もちろんここもKakaduのなかである)もアボリジニーの古い壁画が見られる。
ここの絵は全然、Ubirrのとは違っていた。
Nourlangieの中の”Anbangbang shelter”と呼ばれる場所は、
20000年にもわたって、アボリジニーの方々に使われてきたらしい。

Anbangbang shelter
カンガルーが少女のようにダンス


Anbangbang gallary
Nourlangieの壁画はどれも踊り出しそうだった。


Yellow water

Nourlangieから車で30分くらい。
Cooinda lodgeに宿泊。上のような昆虫の物語の壁画をみてしまったからか、
真夜中、自分たちのコテージに、少し黄色の入った大きな黒い虫が二匹出てうろたえたが、
みなかったことにして共存する。
Darwin一帯は、雨季と乾季があって、今は乾季の始まりで、暑くもなく寒くもない。
雨は降らない。
朝日と夕日が毎日素晴らしい。
wifiもつながらない場所である。
Cooinda lodgeのバーで、little creaturesというオーストラリアのクラフトビールと、
白ワイン(シャルドネ)を飲む。オーストラリアで飲む冷たいシャルドネが好きだ。
なんといっても好きだ。
そのバーの灯りをたった数歩離れたら、満天の星空。
また数十歩離れたらBushがあって、Billabong、 湿原、川が広がる。そこにはambushの得意なワニがいる。

次の日の朝、6時45分発のyellow waterのriver cruiseに。
現実のワニは、格好良かった。本当に恐竜のようなぎざぎざした恐ろしい姿、体長5メートルを超えていて、しかし、体を太陽に当ててあたためながら、とても静かに、なめらかに、蛇のようにしばらく併走していった。
乾季のこの湿原は、鳥の楽園。

White-bellied sea-eagle





























Darter





























Cormorant




























どこに何がいるか、周辺視野が発達しているというか、
動物や植物や昆虫の仕事をしている人特有の目をしたnature guideさん。
二時間のクルーズだが、自分の裁量で、操縦士とやっていて、
ユーモアがあって、すごい知性。
無限なんだろうなあ、と思った。
おきまりなコメントは一個もない感じがした。
広大な土地なことはもちろん、
毎日同じ時間にやっても、同じ日の別の時間にやっても、
興味が尽きることがないのだろうなあ。
だから私もいますぐ全てを、という感じはすてて、
自分に聞き取れる分だけ、見分けられた分だけ、記憶して帰らせてもらおうと思った。

そういえば、アボリジニーの壁画についても、こんなことが書いてあった。
The knowledge associated with many paintings often has a number of levels.
Younger people and balanda (non Aboriginal people) are told the first level known as 'public story'.
Access to the 'full story' depends on an individual's progression through ceremonial life, their interest and their willingness to take on the responsibilities that go with that knowledge.
(Kakaduのサイトより


Darwin to Kakadu


Birds in the wetland

まだ真っ暗の朝六時にDarwin市内を出発して、明るくなってきたときの鳥たち。



Ubirr

Kakadu国立公園の一つの目的地Ubirrは、
5000年前くらいと推定されているものなど、アボリジニーの壁画がある。
"Main gallery"という矢印を目指して歩くと、そこは自然の中の大きな岩場だった。
その岩壁には絵が何重にも上描きされていた。
「The act of painting is generally more important than the painting itself, so older paintings are often covered by younger ones.」(Kakaduのサイトより
その岩場はなんだか、子供部屋に来たような印象だった。
夢を見る場所。色んな祈りと学びが込められた壁紙。
そんな風に感じた。

   
そして"lookout"の矢印を目指して引き続きbushを歩いて、別の岩場に出る。
そこに描かれた絵を見ながら登っていく。
岩場だから日も避けられるところがあるし、高く盛り上がっているから風が気持ちが良い。ワニもいない。私だったら、ここを家にしたいかも。
私が子供だったら、絶対ここは基地になるだろう。
頂上から見た景色はすごかった。
ああ、この広大な土地が彼らの生きる場所なんだ。
全部見渡してしまうこの感じは、このあまりの広さは、
膨大な生と死を見渡しているようで、
なんだか、あまりにも大きすぎて、この場所があるということを知ったことだけで、
自分の魂が大きくなったような。

With Haruna





Monday 11 June 2018

Northern territory, Australia

手前のぎざぎざしているのがワニ
Yellow waterのSaltwater crocodile.





























オーストラリアのビーチはとてもすき。
だけどDarwinではワニにおびえていた。
East pointにて。

Friday 9 February 2018

一月

たまたまこのyoutube映像を見て、完全に惚れてしまって、
この一月から古典フラダンス「カヒコ」を習い始めた。


バックミュージックに合わせてではなくて、
自分の声と、太鼓と笛で踊る。

「一つひとつの動きに意味がある」
なんて陳腐な言葉が出そうになるけれど、
「そう感じるのは当然だけど、意味なんて簡単な言葉を使うな」と
自分で突っ込んでしまざわるを得ない、動き。
その動きによって、みんなの心が同じように動かされている。
私の心も。
ほんとうにすごい。

ダンススタジオは懐かしいのだけれども
実際に習ってみたら、やっぱり、
ダンスって言葉ではどうにもならない、と思って大好きになった。

言葉で、仕事をしていくつもりの一方で、
全身から出てくる言葉を話したいから、
ダンスをずっとやっていたいと思った。

ただ、ただ、趣味で。

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それから、1月の印象深い別のイベントは、
高千穂の夜神楽にうかがったことだった。

友人のはるなちゃんが、オーストラリアから一時帰国するので
どこか旅しよう、ということで、
自然好きな彼女が高千穂に行きたい、と言ったのだけれど、
神話好きな私の性質を熟知していて、
「あやさん、夜神楽があるよ」と教えてくれた。

一晩中踊るらしい。
高千穂の各地で、秋から冬にかけて行われるらしかった。
はるなちゃんの帰国日に合わせると、
1月22日。
二つの地域でやっていて、どっちにいこうかと思うと、
一つは「公民館」で、一つは「甲斐勲さま宅」。
ええ?個人宅にお邪魔するということか。
敷居が高い、、、
どういうことになってしまうのだろう、、、
公民館なら、外部者がいても、トイレも、大丈夫だろうとそっちを選びそうになってしまうが、
ここはやっぱり、
一晩中の踊りをみせていただくなんて、これまでの人生でなかったし、
万全の防寒対策が必要らしく、
もしも寒い中で一晩中外ということでも大丈夫な体力なんて、
今しかないかもしれない、
やっぱり、一生に一度ならば、個人宅の方に伺わせていただきたい。
それで、甲斐勲さま宅にお邪魔した。

高千穂の中心街から、
山の中、決して私たちの運転技術ではすれ違うことのできない細い、
電灯のない道を、手作りの「夜神楽こっち」の看板だけを頼りに、
(心理的には)どこまでもどこまでも登っていった。

駐車場50台、と書いてあったけれど、
「駐車場」があるわけではなくて、
いろいろな空き地を上手く使って止める、ということらしかった。
こまっていたら、
「あっちにいったらとめられるかもしれないよう。東京からきてくれたのう。
ありがとう。」
と地元の方におっしゃっていただいて、心の底から安心した。

山中神社というところから、夕方、神様をおうちにお連れするらしかった。
私たちは後からこっそり入り口で、何にも慣習を知らないことをお詫びして、
それでいて図々しく正面の、畳に上がらせていただく。
少年からおじいさんまで、10人くらいの様々な年齢の舞手が
かわるがわる、33の演目を舞う。
全てが、自分の声と、太鼓と笛で、踊られた。
どこからはじまりで、どこがおわりなのか、はじめての私にはわからない
円環のリズムで。
特に印象的だったのは、
地元の神社の山中様の踊り、
夜中12時を過ぎてはじまった、「田植え神楽」。
そして、朝始発で家を出てきて、座って拝見しつづけていた私に睡魔がやってきて、
限界をむかえてすこしうとうとしてしまった朝3時か4時の「地潜り」。
何もしていない私でもきつい、と感じている時に、
この方々は、もう9時間以上舞っている、
特にこの演目では、刀を持って、小走りするようにずっと踊り続けていらっしゃって、
苦しいのではないだろうか、とお顔を見たら、
もしかして、これは地中深く、私たちの知らないところまで、潜っていく踊りなのではないだろうか、
という気がした。
戦慄が走った。
そして朝、本当に太陽が昇り明るくなると同時に、
家の扉が開け放たれた後、
天照大神が天の岩戸からお出になる演目がはじまった。
そうして出てきたのは、仮面をつけた小さな小さな子供だった。

こうして、自分たちの一生を眺めさせてもらったら、
本当に苦しい時間帯を、私は人生の中でこれから乗り越えられるのではないか、
という気持ちがした。

おうちの方々も、常連の方々も、本当にやさしくしてくださった。
常連の方の、
「みんな仕事もあるし、学校もある、だから、この本番が、若い子供達に伝える大切な練習の場でもあるんだよ」
という言葉をとても覚えている。

また、舞の方々が、自分の出番でないときに、見ている人を気遣って声をかけて下さったり、
また、自分たちでお酒などのんで、くつろがれている、
そんな神と人、人と人が行き交うのが、夜神楽だった。
一人ひとり、この方々が舞っていて、つないでいるのだと、
体の温かさを感じた。
自分たちの一生、という風に感じたのは、自分を重ねられるこの温かさがあったからなのかもしれない。

疲れたり、笑ったり、気遣ったり、休んだり、して、
こうやるんだよ、っていいながら、みんなで作っている、
百年、千年の単位で、マラソンしている場、
そこに神様が宿る、
すごく素敵な場所だった。



Tuesday 30 January 2018

おいしい水

昔、とても尊敬しているひとに、
発達障がいのある子供が、
どうやっても、
身体にいいからと、
あなたのためだと説得しても、
なかなか水をのんでくれないときに、
あきらめて自分がおいしく水をのんでいたら、
のんでくれた、
という話を聞いた。
それを今日の朝もおもいだしている。

Tuesday 2 January 2018