Wednesday 8 July 2015

『頭は「本の読み方」で磨かれる』三笠書房

編集協力させて頂いた本、『頭は「本の読み方」で磨かれる』が発売になりました。

この本には、
「一冊の本が全部わからなくてもいい。
わからなくても、読み切ってみれば、雰囲気だけは伝わってくる。
その雰囲気を知っていることと、知らないことは全然違うことなんだ。」
というメッセージがあります。

本はわからないでいいのであって、
わからないから自分は馬鹿なんだと思う必要も無いし、
赤ちゃんが周りの大人たちからわからない言葉のシャワーを浴びるように、
一冊で一つぶんシャワーを浴びられたんだと思えば良い。
難解な問題集や、難しい本を読むのが勉強なわけではなくて、
ありとあらゆる本を読んでいい、そして、本当は、それこそが勉強である。
いろいろ読むからこそ、本当に良い本というのもわかってくる。
本でもなんでも、
素晴らしくなかったら存在価値がないのかというとそんなことはないのであって、
どんなにつまらない本でも、いいところは必ずある、
それを見つけていく方向に私自身人生の舵が切られた感じがしています。
いままで読めないで放り投げていた本の存在感が急に増しました。

良いとか悪いはそんなに簡単に決まるものではないのであって、
私の好き嫌いとまったく関係なく生きる本当の他者が、「わからない」グレーな存在が、
私の中に少しずつ住み着いてくれるようになったと感じています。

手伝わせて頂いたことを感謝している本です。

ご一読頂けると幸いです。



Saturday 4 July 2015

アラスカの夏に思いを馳せて

2013年アラスカの冬、はるなちゃんとわたしは、森に入りたいとおもっていた。
それでアラスカ在住の河内牧栄さんという方についていって、
針葉樹のふかふかに雪の積もった森の中を歩かせてもらった。
スノーシューをはいて。
一歩一歩沈み込んでしまうことに疲れて、ついつい人の歩いたあとを歩いていると、
牧栄さんに「ほらほら!人の後ろじゃなくて、まだ誰も歩いていないところを歩きなよ!!
いつも君は人の後ろをついてくだけの人生なの?」とけしかけられた。

転がったって実際なんにもいたくない。後ろ向きに倒れたって平気。
気温が0度以上になることがないから、
雪は降ってから何日経ったって、一度溶けて固まった「アイスバーン」にはならないで、
ふかふかなままなのだ。
それが冬の分だけつもりつもって、私の足の下に何メートルになるのだろう。

一方、夏になれば、永久凍土の地面がゆるんで、
木々があっちこっちを向いてしまう、
だから葉っぱの茂り方を見て方角を当てるというようなことはできないんだよ、
と牧栄さんが言った。

ゆらゆらの土。ふわふわの雪。
ちいさくて軽いかんじきうさぎが、それでも足跡を残して駆け抜けていく。
私は、大根でも毎回引き抜くように、がしがし歩いて行く。
気付くとはるなちゃんと子供のように競っていた。
黒くて細い針葉樹の先だけが寂しく突き出ていた白い森が、
たったの二時間で人間の足跡でいっぱいになり、
太陽は早くも沈む気配を迎えた。
はーはーはーはー。
一日はこんなにも短い。

牧栄さん撮影


















街では、バスの運転手さんが、
歩いている人はいないか、残っている人はいないかと
ものすごく気を配って運転をしていた。
そういえばこの滞在中ホームレスの人は一人も見かけなかった。
もしもいらっしゃたら、生きていられるはずがないのだ。

朝11時くらい。日の出する街。はるなちゃん撮影


















私たちはなんとかして野生動物に会いたいと思っていた。
こんな厳しいところを生きている動物ってどういう動物なんだろう。
どう過ごしているんだろう。

クリーマーズフィールド(野鳥観察所)にて。
冬だから鳥には出会えなかった。
動物のおしっこをみつけたけど、
もしかすると地元の人の犬の散歩なのかもしれない。
おそらく14時過ぎ。もうすぐ日が暮れる。






















私のあこがれが、肉を帯びて目の前に表れたのは、意外にも博物館でのことだった。
剥製の姿で立っていたoxだった。








(つづく)