Tuesday 26 February 2008

紫式部賛1

柳川さんに教えてもらって、
河合隼雄の”源氏物語と日本人-紫マンダラ”を読んでいたら、
心がやわらいでいくのがわかった。
こんな本、久しぶり。


最近はなにか分裂した心持ち。
出て行けばあさましく、
出て行かなければ、そのうそや。


そういえば、
この間テレビを見ていたら、売れた本について
苦労、克服、サクセスストーリーへの道で
”女性には新書(教養物)はうれない”
”女性用に一枚当たりの文字数を減らした”
ということをいっていた。

ええ。確かに買いません。


あしき事よき事を思ひ知りながら埋もれなむも、言ふかひなし。
我が心ながらも、よきほどにはいかでたもつべきぞ。

Sunday 17 February 2008

教えてもらったこと

自分の姿が水面に映って、それが自分の姿であるとわかってしまった一匹の天才動物が、
ひとたびわかってしまえば、それを常に確認できないことと言うのがどれだけ怖いことかを感じてしまった。

私のD論での実験は、自分が世界に対して何か作用できるというillusionが、
人間にとって喜びを与え、行動を劇的に変えるという結果だった。
人間のメタ認知、あるいは自由意志というillusionの発達は、避けられないことであった。

怖くったって失語症になっている場合ではない。
嫌われるのが怖い?認めてもらえなくて悲しい?否。何を守っているのだ。
現状の像が、そんなに価値のあるものか。
自分のことは勝手に自分で愛してればいいのだ。

自分よりも素晴らしいものがある。
圧倒的な智や、圧倒的な美がある。
自分にも、信念がある。鍛えることの出来る信念が。
illusionをもてる能力があるんだから、勝手にもってていいのだ。

死んだときにはっきりとした形となる。
その時まで、ひたすらひたすら試せ。
それは生物の可能性を照らすことになるのだ。

生きている間は、そのバラバラな生の軌跡をしっかり、
信念で結んでいればいいのだ。

だから、そもそも順番が逆で、illusionこそ、自分を生かしてくれるのだ。
こんなにバラバラで、errorばかりだったって、
illusionで貫き通して、生きられるのだ。

illusionを強く持ってる人は多分、
現実の出来事を悲痛なまでに受け入れている人だ。
よっぽど、よっぽど、
現実に即した人だ。

愛情の深い人がときにとてつもなく冷たい人に感じることがあるのは
そのせいだ。
その人の心の墓石に触れて、その覚悟の大きさに、
自分の弱さから疑いはじめるのだ。

現実に即してないから、何の意味があるのか、とかいうな!
なぜ、また今ここにあることだけをみるような自分になったか。