Friday, 9 February 2018

一月

たまたまこのyoutube映像を見て、完全に惚れてしまって、
この一月から古典フラダンス「カヒコ」を習い始めた。


バックミュージックに合わせてではなくて、
自分の声と、太鼓と笛で踊る。

「一つひとつの動きに意味がある」
なんて陳腐な言葉が出そうになるけれど、
「そう感じるのは当然だけど、意味なんて簡単な言葉を使うな」と
自分で突っ込んでしまざわるを得ない、動き。
その動きによって、みんなの心が同じように動かされている。
私の心も。
ほんとうにすごい。

ダンススタジオは懐かしいのだけれども
実際に習ってみたら、やっぱり、
ダンスって言葉ではどうにもならない、と思って大好きになった。

言葉で、仕事をしていくつもりの一方で、
全身から出てくる言葉を話したいから、
ダンスをずっとやっていたいと思った。

ただ、ただ、趣味で。

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それから、1月の印象深い別のイベントは、
高千穂の夜神楽にうかがったことだった。

友人のはるなちゃんが、オーストラリアから一時帰国するので
どこか旅しよう、ということで、
自然好きな彼女が高千穂に行きたい、と言ったのだけれど、
神話好きな私の性質を熟知していて、
「あやさん、夜神楽があるよ」と教えてくれた。

一晩中踊るらしい。
高千穂の各地で、秋から冬にかけて行われるらしかった。
はるなちゃんの帰国日に合わせると、
1月22日。
二つの地域でやっていて、どっちにいこうかと思うと、
一つは「公民館」で、一つは「甲斐勲さま宅」。
ええ?個人宅にお邪魔するということか。
敷居が高い、、、
どういうことになってしまうのだろう、、、
公民館なら、外部者がいても、トイレも、大丈夫だろうとそっちを選びそうになってしまうが、
ここはやっぱり、
一晩中の踊りをみせていただくなんて、これまでの人生でなかったし、
万全の防寒対策が必要らしく、
もしも寒い中で一晩中外ということでも大丈夫な体力なんて、
今しかないかもしれない、
やっぱり、一生に一度ならば、個人宅の方に伺わせていただきたい。
それで、甲斐勲さま宅にお邪魔した。

高千穂の中心街から、
山の中、決して私たちの運転技術ではすれ違うことのできない細い、
電灯のない道を、手作りの「夜神楽こっち」の看板だけを頼りに、
(心理的には)どこまでもどこまでも登っていった。

駐車場50台、と書いてあったけれど、
「駐車場」があるわけではなくて、
いろいろな空き地を上手く使って止める、ということらしかった。
こまっていたら、
「あっちにいったらとめられるかもしれないよう。東京からきてくれたのう。
ありがとう。」
と地元の方におっしゃっていただいて、心の底から安心した。

山中神社というところから、夕方、神様をおうちにお連れするらしかった。
私たちは後からこっそり入り口で、何にも慣習を知らないことをお詫びして、
それでいて図々しく正面の、畳に上がらせていただく。
少年からおじいさんまで、10人くらいの様々な年齢の舞手が
かわるがわる、33の演目を舞う。
全てが、自分の声と、太鼓と笛で、踊られた。
どこからはじまりで、どこがおわりなのか、はじめての私にはわからない
円環のリズムで。
特に印象的だったのは、
地元の神社の山中様の踊り、
夜中12時を過ぎてはじまった、「田植え神楽」。
そして、朝始発で家を出てきて、座って拝見しつづけていた私に睡魔がやってきて、
限界をむかえてすこしうとうとしてしまった朝3時か4時の「地潜り」。
何もしていない私でもきつい、と感じている時に、
この方々は、もう9時間以上舞っている、
特にこの演目では、刀を持って、小走りするようにずっと踊り続けていらっしゃって、
苦しいのではないだろうか、とお顔を見たら、
もしかして、これは地中深く、私たちの知らないところまで、潜っていく踊りなのではないだろうか、
という気がした。
戦慄が走った。
そして朝、本当に太陽が昇り明るくなると同時に、
家の扉が開け放たれた後、
天照大神が天の岩戸からお出になる演目がはじまった。
そうして出てきたのは、仮面をつけた小さな小さな子供だった。

こうして、自分たちの一生を眺めさせてもらったら、
本当に苦しい時間帯を、私は人生の中でこれから乗り越えられるのではないか、
という気持ちがした。

おうちの方々も、常連の方々も、本当にやさしくしてくださった。
常連の方の、
「みんな仕事もあるし、学校もある、だから、この本番が、若い子供達に伝える大切な練習の場でもあるんだよ」
という言葉をとても覚えている。

また、舞の方々が、自分の出番でないときに、見ている人を気遣って声をかけて下さったり、
また、自分たちでお酒などのんで、くつろがれている、
そんな神と人、人と人が行き交うのが、夜神楽だった。
一人ひとり、この方々が舞っていて、つないでいるのだと、
体の温かさを感じた。
自分たちの一生、という風に感じたのは、自分を重ねられるこの温かさがあったからなのかもしれない。

疲れたり、笑ったり、気遣ったり、休んだり、して、
こうやるんだよ、っていいながら、みんなで作っている、
百年、千年の単位で、マラソンしている場、
そこに神様が宿る、
すごく素敵な場所だった。



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