(これも記憶があやふやなところがあります。)
五島で(長崎で?)最初にクリスチャンになった人は、
自分の子供が病気で、それをなおしたくて、
どうしても異国の医術をうけたかったかららしい。
キリスト教ってやっぱり、自分の大切なものとひきかえにしてもいいくらいの、
何かがある。
それがほしいんだ、っていう何か。
今の私には、医術ではないかもしれないけど、生き方に関する、強烈に欲しいものが、キリスト教にある。
それは、自然科学ももっているものかもしれない。
そして、それは、わたしのためだけじゃないなにかにつながるだろうか。
Tuesday, 30 August 2011
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