Sunday 30 August 2009

秋晴れ

表現したいことも特別にはない。
私の意見などというものも特別にはない。
「好き」ということだけがあって、それがなくなれば何にも残らない。
受容することだけが得意。そんな気がしてくる。
だったらその受容ということを天下一品にするのがいいのではないか、と思う。

表現しなくてはならない、
何かにならなくてはならない、
そんな気持ちの中で
私は好きなもので生きてる、そう言い切った瞬間に晴れ晴れとした想いがした。

中身は好きなものなのに、自分なんてものに囲われていることの居心地の悪さよ。



今日はまた、晴れ晴れとした文章に出会った。
夏目漱石「草枕」

「然し東京に居たことがありましょう」
「ええ、居ました、京都にも居ました。渡りものですから、方々に居ました。」
「ここと都と、どっちがいいですか?」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、却って気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ち様一つでどうにでもなります。
蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引越しちゃ、何にもなりません」
「蚤も蚊も居ない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出して頂戴」と女は詰め寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、
女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち--無論咄嗟の筆使いだから、画にはならない。
只心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊も居ません」と鼻の前へ突き付けた。
驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、一寸景色を伺うと、
「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹ね」と云って退けた。余は
「わはははは」と笑う。軒端に近く、啼きかけた鶯が、中途で声を崩して、遠き方へ枝移りをやる。
両人はわざと対話をやめて、しばらく耳をそばだてたが、一反鳴き損ねた咽喉は容易に開けぬ。

「昨日は山で源兵衛に御逢いでしたろう」
「ええ」
「長良の乙女の五輪塔を見て入らしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」
と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何の為か知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に・・・・」
と云いかけて、これはと余の顔を見たから、余は知らぬ風をしていた。
「私がまだ若い自分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。
うただけは中々覚えなかったのですが、何遍も聴くうちに、とうとう何も蚊も暗誦してしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。--然しあの歌は憐れな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は詠みませんね。第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「成程つまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「成程それじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹の様な思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
 ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯が、いつ勢いを盛り返してか、時ならぬ高音を不意に張った。
一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆まにして、ふくらむ咽喉の底を震わして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうー
と、つづけ様に囀ずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。

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