![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5vPgBwpp8yj94ISSB3GngUsE1NpUouGV8NwpxIl4YEO90ihWa7IoNH_KdxhIg27bBkS1ZWKkMYcbMyeG7jd4h6w8J6lIsYJAARLIneNjS6mcuNiiPsemYq6MMssK0l2Sck9VpnermCWgj/s400/200810051517001.jpg)
解析三昧の毎日でマリーナにあわなきゃ死ぬと思った。
横浜トリエンナーレへ。
まっしぐらにマリーナのところへいくと、
不安な出で立ち
タイトル「魂の手術台」("Soul operation table")
この人は。
たった一人、高い台の上で鏡の中の自分と向き合う。
その姿を人に見せるための冷たい鏡も横に用意して。
様々な人の目線をまた、feedbackしながら。
下では自由に人が行き交う。
マリーナが不在の手術台のライトが赤い鏡に映るのをずっとみていた。
マリーナの作品は固定化しない。
マリーナがそこにいなくて、ただ手術台があるだけでも。
マリーナの作品を見ていて
私は現実から逃れるためのファンタジーは要らない。
現実を直視して生きる姿を見たいのだ、と思った。
ファンタジーはどこかナルシスティックで、自己弁護的だ。
本当に心を癒してくれるものは、なにか別のもの、ではなくて、
ど真ん中で、逃げない、自己欺瞞をなくそうとする、
自分の一回限りのいいわけのきかない生の中で、魂の鍛錬をする厳しい人。
このような形で、このような条件に生まれついて、
だからこそ、魂の鍛錬は義務。
神にでも近づくような、魂の鍛錬。
愛している。
6時頃家に向かう道では
すっかりと日が落ちて、
空は曇りのためか、均一で、
どこか無限に遠い光源が
確かにあることを知らせる
セロファンのような透き通る濃紺の空だった。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgM2T8VqOUMeE3q0n5GazYaIHD9f7HJSEO6rI3CyKK42UJjBeJx64bjUaODtUKgxQ9WYKnXPF8PqF_07tbr83_gO0is-achgvNY4xibCfDJSQ0X84wmazHXRPpdmfJnbO3bQGUq9VTfKEd-/s400/200810051503000.jpg)
写真 Marina Abramovic, "Soul operation table, 2008"
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