Thursday, 24 January 2008

雪の日の見え方



私にとっての初雪の日に
まるで月でも落ちたかのように。

長年通ったすずかけ台のキャンパスにて。

Sunday, 20 January 2008

赤い筆箱

小学生の頃、自分が持っていた筆箱が、
他の子の持っているキャラクターの絵のカンペンとかびっくり機能おもちゃ付き筆箱じゃない
赤い皮の筆箱で、とても地味なように感じて恥ずかしかった。
缶ペンを買って、といっても、絶対に買ってもらえなかった。

そして自分のランドセルが、他の子はツルツルの赤なのに、
皮で、ザラザラした赤なのがやっぱりとても恥ずかしかった。

今、恩蔵さんと言えば、赤だよね、というくらい、
赤いものが大好きでひたすら色々赤いけど、
気がついてみれば、コンプレックスのような存在だったことに気がついて、
机の引き出しを探してみたら発見。

わたしがなんか色々自由になったのは大学生の後半から。
今は、幼稚園の時の気分。
小学生以降は、人という鏡を手にして、数々の失敗。
熱を出して病院につれていかれて、尿検査なんてそんなこと絶対するものか、と、
尿検査が必要なたくさんの見知らぬ人たちの前で叫んだことがある。
今も数々の失敗。
だけど、
今大事にしているものはまだ存在しない自分(の将来作るもの)の像。
失敗を他者に帰さないようにしよう思うだけ、
随分楽になった。

学習の最終目標は無限遠にあるべきだ。
だからこそその全ての責任は自分に帰すことができる。
そうか、と起こしたことも、起こったことも、ただただ、受け入れると言うこと。

まだ見ぬものを目標としたとき、
果たして今の学習理論は適用可能であるのか。
目標を無限大にとばすことは、
どうなるかわからない未来を受け入れることだ。
来るか来ないかわからない出来事の学習と同型だ。
目に見える何か(例えばベイズタイプ)の学習と見えない何かの学習はどこでどうつながるのか。

今なき何かへの志向性は、
過去を振り返る時にも、
生きてる人を思う時でもきっと同じで、
自分と人の間に断絶を感じるからこそ
無限の愛でいきてこうとするんじゃないか。

そもそもことの始まりに、
信じると言うことがなかったら、
今も昔もこの先も、
全く全然つながらない。



Tuesday, 1 January 2008

Happy New Year!!

みなさま

あけましておめでとうございます。
みなさまにとって幸福な一年になりますように。

恩蔵絢子


Dear All

Happy new year!
Hope 2008 brings you much joy and happiness.

Warmest wishes,
Ayako Onzo

Tuesday, 25 December 2007

歴史, vision, 知性

私の核をなす一つ一つの好きなものが、
心の中でばらばらに散らばっている。
これしかない、と、出会った各々のピースが、
縦横無尽に飛び回っている。
こんなにもはっきりと、ある一つの作品、出来事、人、に対する愛が感じられるのに、
それらを貫く私の中の愛の原理がまだ見えない。
一本の線で結べたら、そのときなにか書けるだろうか。
上滑りのただの「知識」の言葉でなく、
「名前」のための作業でなく、
はっきりとした己のvisionのために。

「あの戦争は何だったのか」という本を一気に読んだ。
私の祖父は戦争に行った。
小さな頃、抑留された寒い土地で毎晩小屋を取り囲むオオカミの話を何度もせがんで聞いた。

私は一度も、歴史というものとしっかり向き合ったことがなく、なんだか、
これが現段階での私の苦しみを作り出している気がして、色んな気持ちをできるだけ想像しながら読んだ。
こんなことが書いてあった。
”大本営はこのアッツ島の全滅を、「玉砕」という言葉を使って国民に発表した。
まるでこの言葉には”潔さ”の美学があるかのようである。
しかし、そこには知性も理性も、国際的な感覚もない、
あるのは”自己陶酔”だけなのである。”
私のことだと思った。

"accessibleなvisionを作り出すことが大事だ”、といわれたことがぞっとする感覚とともに思い出された。

Thursday, 6 December 2007

磁石

いままで大学の研究室の中で、ひたすら興味のあることをやってきて、
たまに全然違う分野の人に
”どんなことをやっているんですか?”
と聞かれると、
なんと説明しにくいことか、と思ってきた。
いくら自分が本当に大事な問題と思っていても、
agencyとか、betting rateとか笑っちゃうくらい、ニッチなことだ。
下手をしたら、深遠な哲学的問題だって同じことになって、
そういう機会に、あれ?と自分のいる場所の脆さが心をかすめていた。
でも、そういう問題への心からの挑戦または信仰は消して薄れることはなく、
しっかりと安心しきって身を浸していた。

でも、お仕事をさせていただくようになって、色々な人との出会いが増えたり、
関わる人がまったく違う業界の人なので、
今までの論理が通用しないことが明らかな今、
はじめて、ああ、世界の姿はこうであったか、
と思うのだった。

科学って、なんて、小さいんだろう。

そう思った。

今のままじゃおまえは場をつくれないよ、という友達の言葉を思う。

そんなことを思っていると、小津安二郎の東京物語で、
両親が子供たちに合うために尾道から東京へ出てきたのに、厄介あつかいする冷たい子供たちのことを、
原節子が「でもそれは仕方がないのよ。お姉様ぐらいになると、
お姉様だけの生活というものがあるのよ。みんなだんだんそうなっていくのよ。」
というシーンとか、
でも父親役の笠智衆は、何もかも飲み込んでいてとても穏やかなこととかを思い出して
その父親も同じく、自分たちだけの生活というものを作り上げてきたはずで、
それでああいう穏やかな姿をしていることとかが
なんだか方位磁針のような気がした。

Tuesday, 20 November 2007

One of themとして

今日芸大で、BRUTUSの副編集長鈴木さんのTALKがあって、
飲み会に植田君とかきて。
そこで、すっごくすっごく大事なことに気がついた。

科学も、ある偉大な仕事を誰がやったとしても、
世間の人にとっては関係ない、という事実。
ある偉大な仕事の恩恵は誰にも彼にも注がれる。
それでいいじゃないかと。
そんな仕事がしたい、と。

ずっと、私じゃなくちゃできないこと、とかにこだわって、
他の誰でもできる仕事は嫌だな、と思ってきた。
でもそれは違う。

仕事に、私の名前がついてなくていい。

そんなことを思い始めたのは多分、
この一年の全てが詰まってる。

PhDをとれたこと。
オーストラリア。
そしてお仕事。

オーストラリアですごした2ヶ月の中で、
私は自分の中での劣等感が消えず、劣等生として過ごした中で、
うすぼんやりと、ある枠組みの中で優れた人として、色んなことに敏感で、
そうでない人に苛立ちをもって、優れた人ばかりを周りに集めるよりも、
ずっとずっと、色んな人を愛することの方が難しくて大事なことなんだ、と思うようになった。
日本にいた頃の私はまさに、その、気に入った人としかあまり話さない、という人間だったな、と気がついた。
Davidが誰に対しても絶対に嘲笑をしないこと、そしてみんなが常に建設的であろうとするところを見て、
私の中で何かが大きく変わった。

日本に帰ってきて、
色々な方のご配慮で、様々なお仕事に関わらせていただくことになって、
周りに全然違う分野の人がいて、お互いに今までどんな仕事をしてきたかわからない中で、
脳科学者の一人としてお手伝いをさせていただく、ということになった。
誰かの求めてることに対して、どれだけ答えられるかということ、
違うバックグラウンドの人には、どういう風に映るかを考えること、
みんなにとって面白いということを考えること、それを伝えること、
どんな風にしたら面白くなるかをみんなで考えること、
自分の求められているものを知ること、
今までしたことないことばかりで、最初は本当の自分じゃないように感じたけれども、
今は、そういうことでがんばることができるたびに、自分をすこしずつ解放していってるように感じる。
見えなかったものが見えてくる気がする。
できるようになりたい、良い仕事にしたい!人を愛したい!ふかくふかくふかーく。

私は、私が成功することだけを考えていて、そのことが何にも意味を持たないことを知らなかった。
私が知っている、ということには何の意味もない。
なんていう自由な世界だろう。なんて明るい世界だろう。

先日、茂木研の卒業生で、大好きな先輩の、ながしまんと電話で話したら、
ながしまんがいっていた。
”もぎさんがある日いっていたのだけれど、
「本当に大事にしていること以外は世間に合わせる」って。”
なんて覚悟か、と思った。


@Kuruma-ya, Nezu, Tokyo

Friday, 9 November 2007

語り得ぬこと

毎年アメリカで開催される脳科学の祭典Society for Neuroscienceに行ってきた。
そんで昨日帰国した。

表に出ていることと、心の奥底で大事にしていること、抱えていること、
そこに大きな分裂を、と思っている。
内緒にしたいからしてるわけじゃなくて、
出し惜しみしてるわけでもなくて、
言葉にしたところで伝わるというものでもないから
言わない。
むしろ、何百手もかけて料理して結局表したその表面の方が
ずっとずっと語るから、
そういう形になっている。
大いに誤解されても、こうしてくれと求められても、
もうそれはどうしようもないことだ。
オーストラリアでつかんだ一番大事なことはそのこと。
私はその道を歩きたいと思う。

静かに静かに深い暗闇へ。
明るい世界に出るごとに。
そんな感じがしている。