いままで大学の研究室の中で、ひたすら興味のあることをやってきて、
たまに全然違う分野の人に
”どんなことをやっているんですか?”
と聞かれると、
なんと説明しにくいことか、と思ってきた。
いくら自分が本当に大事な問題と思っていても、
agencyとか、betting rateとか笑っちゃうくらい、ニッチなことだ。
下手をしたら、深遠な哲学的問題だって同じことになって、
そういう機会に、あれ?と自分のいる場所の脆さが心をかすめていた。
でも、そういう問題への心からの挑戦または信仰は消して薄れることはなく、
しっかりと安心しきって身を浸していた。
でも、お仕事をさせていただくようになって、色々な人との出会いが増えたり、
関わる人がまったく違う業界の人なので、
今までの論理が通用しないことが明らかな今、
はじめて、ああ、世界の姿はこうであったか、
と思うのだった。
科学って、なんて、小さいんだろう。
そう思った。
今のままじゃおまえは場をつくれないよ、という友達の言葉を思う。
そんなことを思っていると、小津安二郎の東京物語で、
両親が子供たちに合うために尾道から東京へ出てきたのに、厄介あつかいする冷たい子供たちのことを、
原節子が「でもそれは仕方がないのよ。お姉様ぐらいになると、
お姉様だけの生活というものがあるのよ。みんなだんだんそうなっていくのよ。」
というシーンとか、
でも父親役の笠智衆は、何もかも飲み込んでいてとても穏やかなこととかを思い出して
その父親も同じく、自分たちだけの生活というものを作り上げてきたはずで、
それでああいう穏やかな姿をしていることとかが
なんだか方位磁針のような気がした。
Thursday, 6 December 2007
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