今日芸大で、BRUTUSの副編集長鈴木さんのTALKがあって、
飲み会に植田君とかきて。
そこで、すっごくすっごく大事なことに気がついた。
科学も、ある偉大な仕事を誰がやったとしても、
世間の人にとっては関係ない、という事実。
ある偉大な仕事の恩恵は誰にも彼にも注がれる。
それでいいじゃないかと。
そんな仕事がしたい、と。
ずっと、私じゃなくちゃできないこと、とかにこだわって、
他の誰でもできる仕事は嫌だな、と思ってきた。
でもそれは違う。
仕事に、私の名前がついてなくていい。
そんなことを思い始めたのは多分、
この一年の全てが詰まってる。
PhDをとれたこと。
オーストラリア。
そしてお仕事。
オーストラリアですごした2ヶ月の中で、
私は自分の中での劣等感が消えず、劣等生として過ごした中で、
うすぼんやりと、ある枠組みの中で優れた人として、色んなことに敏感で、
そうでない人に苛立ちをもって、優れた人ばかりを周りに集めるよりも、
ずっとずっと、色んな人を愛することの方が難しくて大事なことなんだ、と思うようになった。
日本にいた頃の私はまさに、その、気に入った人としかあまり話さない、という人間だったな、と気がついた。
Davidが誰に対しても絶対に嘲笑をしないこと、そしてみんなが常に建設的であろうとするところを見て、
私の中で何かが大きく変わった。
日本に帰ってきて、
色々な方のご配慮で、様々なお仕事に関わらせていただくことになって、
周りに全然違う分野の人がいて、お互いに今までどんな仕事をしてきたかわからない中で、
脳科学者の一人としてお手伝いをさせていただく、ということになった。
誰かの求めてることに対して、どれだけ答えられるかということ、
違うバックグラウンドの人には、どういう風に映るかを考えること、
みんなにとって面白いということを考えること、それを伝えること、
どんな風にしたら面白くなるかをみんなで考えること、
自分の求められているものを知ること、
今までしたことないことばかりで、最初は本当の自分じゃないように感じたけれども、
今は、そういうことでがんばることができるたびに、自分をすこしずつ解放していってるように感じる。
見えなかったものが見えてくる気がする。
できるようになりたい、良い仕事にしたい!人を愛したい!ふかくふかくふかーく。
私は、私が成功することだけを考えていて、そのことが何にも意味を持たないことを知らなかった。
私が知っている、ということには何の意味もない。
なんていう自由な世界だろう。なんて明るい世界だろう。
先日、茂木研の卒業生で、大好きな先輩の、ながしまんと電話で話したら、
ながしまんがいっていた。
”もぎさんがある日いっていたのだけれど、
「本当に大事にしていること以外は世間に合わせる」って。”
なんて覚悟か、と思った。
@Kuruma-ya, Nezu, Tokyo
Tuesday, 20 November 2007
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