Sunday, 5 October 2008

穏やかさもまた

秋がすごい勢いで過ぎてく。
秋らしく高い青空の時は仕事。
約一ヶ月前、中秋の日の、かなでさんのおうちでのお月見パーティを、思い出す。
あの、穏やかで、優しい時間と、優しいオリーブオイルの味の料理もまた、愛しく。

忙しいけど
なぜだか、すごいスピードの中で、とまって見えるみたいに、
愛してる!と思った瞬間瞬間が、ほつ、ほつ、と急に思い出されて。

無限遠の光源



解析三昧の毎日でマリーナにあわなきゃ死ぬと思った。
横浜トリエンナーレへ。
まっしぐらにマリーナのところへいくと、
不安な出で立ち
タイトル「魂の手術台」("Soul operation table")

この人は。
たった一人、高い台の上で鏡の中の自分と向き合う。
その姿を人に見せるための冷たい鏡も横に用意して。
様々な人の目線をまた、feedbackしながら。
下では自由に人が行き交う。
マリーナが不在の手術台のライトが赤い鏡に映るのをずっとみていた。

マリーナの作品は固定化しない。
マリーナがそこにいなくて、ただ手術台があるだけでも。

マリーナの作品を見ていて
私は現実から逃れるためのファンタジーは要らない。
現実を直視して生きる姿を見たいのだ、と思った。

ファンタジーはどこかナルシスティックで、自己弁護的だ。
本当に心を癒してくれるものは、なにか別のもの、ではなくて、
ど真ん中で、逃げない、自己欺瞞をなくそうとする、
自分の一回限りのいいわけのきかない生の中で、魂の鍛錬をする厳しい人。

このような形で、このような条件に生まれついて、
だからこそ、魂の鍛錬は義務。
神にでも近づくような、魂の鍛錬。

愛している。

6時頃家に向かう道では
すっかりと日が落ちて、
空は曇りのためか、均一で、
どこか無限に遠い光源が
確かにあることを知らせる
セロファンのような透き通る濃紺の空だった。




写真 Marina Abramovic, "Soul operation table, 2008"

Sunday, 28 September 2008

不可侵の形

人前で話す、
例えば、今お仕事をさせていただいている会社での研究発表など
例えば、何か、意見を求められるというような経験で、
勇気を出して話し始めれば、
あれ、なんだか、遠い。
頭の中を必死で探索して、正解に近いものを、と、出力すると、
あら、遠い。

知識というものが、言葉にしてみると、
なぜだか、で、なんなんでしょうね、という姿に変身してしまう時、
はあ、これは、私の血となり肉となった何かではないのだなあ、と
話しながら証明される。
結局何を話しても、等身大の自分があらわれてしまうものだなあ、と思う。
だったら、はじめから嘘をつかぬが肝要。

こんな小さなエピソード、だけど私にとっては大きな転機。
本当に信じてる方向へ話をするから、
いいですか?
そう思いつつ話すけど、
話した後いつも、
恥ずかしいのはなんで。
だけど、恥ずかしいというときには、その前から覚悟が決まってるに決まってる。

矛盾を抱え込むから、心の中でひずみを解消しようとする動き。
私の心の中の信仰において、
ご神体の形は、さなぎのように、
中で溶けて、新たな姿に変身する。
外からみればまっしろい繭。
絶対不可侵の形。

Sunday, 21 September 2008

意識について

強烈な自意識を抱えて、
自分を知ろうとしたり、表現しようとしたり、
でも、
鏡を見た瞬間には、無意識のうちに顔を緊張させ、作り、
言葉を発する瞬間には、様々に飾り、
いつのまにか、影が勝手に踊り回り、増殖し、自意識の存在だけが映し出される。
賢いことや、正しいこと、そのようなことばかりに焦点が当てられ、
そのようなことを主張することが、ただ、自分という存在のアピールに感じられて苦しい。

意識の問題を解くことは自己欺瞞をなくすことなのではないか。

生きるということと、意識の問題を解くことも等しい。
そのような形でのみ、意識の問題は存在する。

Saturday, 30 August 2008

BBQ in the rain


初栗

我が家にていつも農業でお世話になっている方々を招いての収穫祭。
 
物置の屋根の下の地面にシートを引いて、お膳をたくさんだして、
青空の下、お膝してみんなで野菜切り。
幼なじみのなおちゃんに久しぶりにあった。

ちょっとあやちゃん、ピーマンの種、とばさないでよ。
なおちゃん、その芋の厚さどうなの。

農業を教えてくれているおじさんたちがてきぱき炭をあつかって、
奥様方がてきぱき周りで動いている。
みんな汗だらだらだった。

落ち着いて、みんなが座って食べ出した頃、
雷が鳴って、雨がざあざあふってきた。
頭上のちょっとした屋根の下、地面に座って、窓枠もなく、
こんなに低い目線で、こんなに直接的に
雨を感じたことってあったっけ?

雨が地面で跳ね返った細かな粒子が充満して、
一気にひんやりとした空気が流れる。
まるでお月見をしているような気分になって
みんなの会話を横に、
一人ぼーぜんとした。

森の中でたくさんの木に守られて雨に濡れずにいるときみたいな一方で、
灰色の雲とたくさんの雨粒が水たまりとなってどんどんどんどん流れてく。

誰が始めたか、いつのまにかみんなは私の死んだおじいちゃんの話をしていた。
死ぬ数ヶ月前、畑で隠れて一升瓶を飲んでいたんだよ。と。
きっと雨と一緒におじいちゃんの魂も一緒に来たんだろう。

おじいちゃんは大事に栗を育てていたからね。


パパとおじさん

Sunday, 17 August 2008

神津島でであった風景

みんなが帰った後のビーチにて

至福の旅:神津島

神津島にいってきた。
昔、神様が集まって水をどう分配するかの会議をした島、という伝説の通り、
気の向くまま歩いた場所場所で、神様に出会った。


阿波命神社


決して持ち帰ってはいけない長浜の石


神様のおうちの前の石



海は透明度が高く、底の底まで見通せる。
島中、湿度はあるのに爽やかで清潔な空気がただよう。
宿のおじさんは、真っ黒に日に焼けて、いうことなすこと力が抜けてて、男らしくて、かっこいい。
素潜りで、かつ、自作の手銛で、魚を突いているらしい。


私は、海が怖い。足が立つ場所以外には絶対に行かない。
海の中は、私にとって、波の力や、鮫、全て、どうがんばったってかなわないもの、という
無意識の恐怖を呼び起こして、頑固なまでに絶対にちょっとでも深い場所にはいかない。

山登りをした。
水の分配の会議が行われたその山の頂上には、砂漠が広がっているらしい。
あまりにも惹かれて、
その宿のおじさんに、
”だめだめ、やめたほうがいいよー、夏はー。それでもいくんなら、ま、がんばってー。”
といわれたにもかかわらず決行した。
宿をでて、一時間がたったころ、私たちが登ろうとする山が姿を現した。
おじさんは、正しかった。
木がない、灼熱の斜面。



かなでさんの体力には感服。
それから、あともうひとつの力にも。
ペースが違うので、どんどん先に行ってもらった。
たった一人になったとき、
途端に心細くなった。
5合目を過ぎてあきらめる決心をして下り始めると
途端に心がすっとした。

かなでさんは、海でもがんがんもぐる。
行ったことのないところ、惹かれたままに登ってみる、いってみる。
私はあまりにも警戒心が強くて、行動範囲を狭めてしまう。
この旅の間、そういう自分と向き合っていた。


例によって宿のおじさんに紹介してもらったお寿司屋さんに向かう。
ビールをたのむと、お寿司屋さんのおじさんは
”にぎりたべる?”
というので、ハイ、というとそれ以上何も聞かない。
しばらくすると、まあるい桶に二人前のお寿司がはいってでてきた。
みたことない魚ばかり。
店主、また謎なことを言う。
”たまご終わっちゃったからね、それ、サービスだから。”
とお寿司が2貫。
二日目の夜にいった居酒屋でも同じことが起こった。
”大葉がなくなっちゃったからね、それ、サービスだから。すごくおいしいから。”
と赤鯖のお刺身が山盛り。
珍しいお魚らしい。マグロのような色をして、お肉のような味がした。
たかべ、というお魚があまりにもおいしかった。
(赤鯖はたかべをたのんだら大葉の代わりに頂いた。)
食べた後いつまでもいつまでもまあるい脂の味が口の中に残り、
いつまでもいつまでも幸せだった。

たかべの味のような、旅だった。