Saturday, 10 November 2012

遠野(1)

遠野へ向かう

新幹線を新花巻駅で降りて、釜石線に乗り換える。
時刻表を見ると、電車がくるのは、一時間十分後だった。

釜石線のホームは、とても小さい。
そこに立っていると、景色の中にそのまま立っているような感じがする。
小さな待合室があって、おばあさんとおばさんが二人座って楽しそうに話していた。
なんとなく入りづらくて
私は、ホームに一人で立っていた。

電車がもうすぐくるという時間になって、二人は出てきた。
遠くに離れて立っていると、
津波が 津波が
という単語が聞こえてくる。

ああそうか、この電車は、釜石まで行く電車なのだ。

私ははっとさせられて、何となく身構えた。

実は私の母も亡くなったんです。

そんな声が聞こえた。

まあ、かわいそうに・・そうよねえ、と
おばあさんは声をつまらせた。

名前はなんというの?
母のですか?
いいえ、あなたの。

二人は見知らぬ人同士なのだった。



私は、物語の生まれる場所や時のことを考えていた。

新幹線の中でインターネットを見ていたら、
遠野物語には、津波の話があると知って、読んでいた。
それはこんな話だった。

明治の津波である人の奥さんが亡くなった。
それからしばらく経った、ある日の晩、
その旦那さんが、トイレに行くため海岸に出ると、
その奥さんが、別の男の人と歩いていた。
驚いてよくよく見てみたが、
やっぱり妻だと思って、話しかけると、
その女の人は、
私は、あなたと結婚する前に、別れさせられた、
本当に愛した人と今は一緒にいるのだ、と言った。
戻ってこいというと、
行けないといって、二人で消えて行ってしまった、
という話。

昔話だけじゃなく、結末の分からない物語が
いまここにあった。

私が聞いた会話の断片は、
私の中に大切にしまわれた。

私はなんだか釜石線にゆられている間
色々と動揺していた。
いつのまにか、コートのベルトがなくなっていた。

夜、語り部さんのお話を聞きにいった。
内田芳子さんという。
内田さんは、遠野にはどうしてそんなにたくさんの物語があるのかというと、
遠野は、七七十里といって、例えば、海側は、大槌、釜石、大船渡、内陸側は花巻など、
七つの土地からちょうど七十里、いまでいうところの、40キロくらいの距離にある場所で、
昔は一日で移動できるのが、ちょうどそのくらいだったから、
それらの場所からやって来たいろいろな人達が一晩泊まり、
夜、言葉を交わしていったからなのだ、とおっしゃった。

そして、
遠野の語り部達は、今、大槌に物語を語りに行っているのだけれども、
遠野物語にも津波の話があるから、まずその話をしましょうね、
と、上に書いた物語を語って下さった。

他には、おしらさま、柿売りとなんとか売りの話、迷い家、座敷童の話をして下さった。

内田さんは、語り部たちは、個人個人、自分の言葉で話すようにしているのだが、
自分は、自分のおばあちゃんなんかが夜寝る時に話してくれたのと同じに、
語っているつもりだとおっしゃった。

寝る前におばあちゃんが話してくれる話というのは、
いったいどういう種類のものなんだろう。
内田さんは好きな話とかがやっぱりあって
そういうのは繰り返し繰り返し聞きたがったとおっしゃった。
それは、私にしてみれば、おじいちゃんの戦争の話だ。
やっぱり肌で感じている話だから、
おばあちゃんが孫に繰り返し語るのだろうと思った。

外に出たら真っ暗だった。
旅館に戻って、夕ご飯を頂きに食堂に行くと、
男の人達がもくもくとご飯を食べていた。
どうやら観光客は私一人のようだった。
後で聞けば、建設会社の人達で、一年間ここに滞在して、仮設住宅や宿舎を作っているのだという。

次の日の朝、
曲がり屋と呼ばれる、昔の農家のおうち(菊池家)をそのまま移築した、
伝承園という場所に向かった。
私にとって、その場所は衝撃だった。
馬小屋が家の中にあった。
トイレは外なのに、馬小屋は、家の中にあった。
しかも、馬小屋と行っても、土間の端に、ただ柵が作られているだけという感じで、
台所と私の部屋と馬の部屋、といわんばかりで、
この馬と人との距離をみたら、
おしらさまは、やっぱり本当の話なのだとつくづく感じられた。

しかもその家の奧の奧には、御蚕神堂というものがあって
1000体ものおしらさま人形が納められていた。


昨夜、内田さんのはなしてくださったおしらさまは以下のような話だった。

ある家に白い馬がいた。
その家の娘さんはその馬が大好きで、いつも馬小屋に潜り込んで一緒に眠っているほどだった。
大きくなって、お父さんが、そろそろお嫁に行きなさい、というと、
私はこの馬がいるから行かない、この馬と一緒にいるから良いのだと言った。
娘があんまり聞かないので、お父さんは怒って、
馬をひきずりだし、桑の木にくくりつけて、その皮を剥いでいった。
娘さんは泣きさけんだが、お父さんはやめなかった。
半分くらい剥ぐと馬は死んで、後はするりと剥けた。
すると、その皮はひらりと娘さんを包んだ。
娘さんも死んでいた。
お父さんはもちろん悔やんだが、取り返しが付かなかった。
ある日の晩、娘が夢に現れた。
親孝行もしないで死んでご免なさい。
お詫びといってはなんだけど、3月何日にどこどこの土を掘って下さい。
白い虫がわんさかでるから、それに桑の葉を食べさせて、育てて、
何何すると糸がとれるから、それで織物をおって売って下さい、と言った。
隣で眠っていたお母さんも同じ夢を見ていた。
これはと思って、3月何日が来るのを待って、土を掘ると
言われたとおりに白い虫がわんさかでた。
言われたとおりにしてみると、宝の糸がとれた。

それで、お父さんとお母さんは、桑の木の枝で、
馬の頭を掘ったものと、娘の頭を掘ったものを作って
毎年一月に、おしら遊ばせといって、
その二つを遊ばせることになったのだ、という話。

その、おしらさま人形には、布に人という形の切れ目を入れて、かぶせるのだと内田さんはいっていた。

今と昔がちかちかした。今も物語がうごめいている感じがした。
今はなんだか、とっても、とっても、わからなかった。

(つづく。)

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