池田塾に入塾した。
小林秀雄さんのおうちで、
ここはいつも小林先生がお座りになっていた席だから、とその椅子に見守られながら、
塾生は池田先生を中心にまるくなって座った。
はじまりの日、おうちの玄関の門の前に、
初対面の塾生達は緊張しながら並んでいた。
約束の時間に、茂木さんが坂を上がってきたその時、
梅の花咲く快晴の空に、はらはらと雪が舞った。
花吹雪のようだった。
池田さんが、小林先生に会われるときは、
80%くらいの確率で、雨が降っていたそうで、
小林先生がにやりと笑って「きみ、ふったねえ。」というのが聞こえるようだと、池田さんはおっしゃった。
そうして、池田塾は始まった。
(特に強く衝撃を受け、また、今の私にかけるものだけを、
順々に書いていこうと思います。また、記憶から書いているため不正確な部分があります。)
第一回(2月19日) 「訓詁注釈」
小林秀雄さんがいる、ということで、文壇だけでなく、社会全体が引き締まってたようなところがやっぱりあるのです、
とまず池田さんはおっしゃった。
小林さんの全集は、新潮社が本当に総力を挙げて、本当に一流の職人さんをあつめて作られた。
でもそうしたら当然の如く、一巻、一万いくらになってしまった。それが一巻ではないのである。
それでも、そのように全力を尽くしたものをつくる意味はあって、
どうしても作りたかったから、本当に素晴らしいものが作られた。
でも、そうすると最も頭の柔らかい、最もよんでほしい時期にある学生達には、とても買えないし、届かない。
だから、学生達の買えるハンディーな全集を、でもすごく力を込めて池田さんが作ることになった。
小林さんの文章は本当は全部、旧カナ遣いで書かれている。
しかし、それは、日常で使われる言葉とは異なってきており、
新しい全集では、現代遣いが用いられることになった。
そのようにした理由は、今もう使われていない言葉で書いて、誰に届くだろう、ということだった。
しかし、小林さんのファンというのはすごくて、
先生の言葉を崩すとは何事だ、というものすごい抗議がどっと届くらしい。
しかし小林さん自身は、
「僕は旧カナ遣いでしかかけないからそうしていただけで、
当然現代遣いにするべきだ」とおっしゃっていたそうである。
(*ここに貫かれているのは、「俗」への眼差し。
大切にしている、読むべきひとは、小林秀雄オタクでも、文学専門の人でなく、一般の人達。)
そして全集には、同様の配慮から、注釈もつけることにした。
(注釈なんてけしからんとこれも抗議がたくさん来るらしい。)
「訓詁注釈」という言葉があるけど、訓詁と注釈は全然違う言葉なんだ、と池田さんはおっしゃった。
訓詁は、単語の意味、単語の語彙に関することで
注釈は、文章の意味である。
池田さんは、訓詁ばかりをやってきたのだという。
「自分は、単語の意味を説明することばかりに徹してきた。
単語と単語がつながったときに、文章の意味みたいなものが、単語の方から本当は訴えかけてくるはずではあるが、
自分には、その文章の意味、つまり、注釈をつけることは、難しすぎてできなかった。
ある文章について、こういうことであろうかと、自分が思ったことは、自分のノートだけに書くことにしていた・・・」
(といっても、10回くらいよんでようやく、そういう感想がわくこともあった、という感じだったという。)
そのようにしていたら、ある日ノートが膨大に溜まっていた。
そのノートをもとにやっと60を過ぎて、小林さんにこれから十年かけて向き合うことにした、
やっと、世に向かって、注釈をやるのだとおっしゃった。
訓詁ばかりをやってきたのは、「低いところから始めろ」という教えに従ったとのことだった。
池田さんは、自分の解釈、
自分が思ったことは、人には言わずに、ただ書き留めてきた。
言えるものじゃないから。
そういうところにものすごく感動した。
私は、はっきりと何かを経験するということ、
要するに、
「私の経験」を持つことにすごく幸せを感じるのだけれども、
それと普遍性との関係が気になっている。
そして、それがどれほど、また、どうやったら、他の人に通じるのかということも。
でも、その「経験」について、池田さんが、すなわち、自分のノートだけに書いてきたってこと。
そのことと池田さんの姿とが相まって、ものすごく強い印象を受けたのだった。
Monday, 2 April 2012
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