大林監督の『異人たちとの夏』を見た。
主人公の両親は、主人公が12歳の時に事故でなくなった。
しかし主人公が40過ぎたある夏の日、
浅草の寄席に行ったら、お父さんにそっくりなひとがいて、
その人に誘われるままおうちに行ってみると、やっぱりお母さんもいた。
死んだはずの親が、
12の時にまさか教えてやれなかったもんねえ、とかいいながら、
花札教えたり、
アイス食べなさい、
ビール飲みなさい、
きゅうりたべなさい、
上着なんか脱ぎなさい、ズボンも脱いじゃいなさい、なに気取ってるの、スイカ食べる?
とか、言ったりして、
主人公はそれがもうなんだかあたたかくってあたたかくって、離れられなくって、ものすごく楽しい時間を過ごす。
やってもらおうなんて思っても見なかったこと。
それが、ものすごく、自然になされていく。
幽霊の親にとっては、「やってあげられなかったこと」。
叶わなかったことに対する目があまりにも温かくて、むねがいっぱいになった。
多分、誰もが、自分には思っても見なかった人生を歩いている。
そんな風に思ったら、
自分が思っても見なかった人生を、他の人は当たり前に生きている、ということもなんだか頭を回って、
それならほんとうにそれぞれに、私が叶えられなかった人生を生きてくれているんだな、という気がした。
逆に言うと、それぞれに生きること、それは誰かの何かを叶えることになっている。
自分の人生に起こらなくても、どこかに起こっていればいいということはあるのではないだろうか。
どれくらい、その代わりはできるだろう?
Sunday 1 April 2012
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2 comments:
まだこの映画を観ていませんが、
Kaliさんのコメントを読んで興味を持ちました。
自分自身やその生き方だけにしか関心がなければ
他のヒトが自分の想いを叶えてくれる、
そういった広い心を持てないように思います。
他人があってこそ自分がある
世界があってこそこの私がいる
神があってこその私
という風に考えていくと
dualityはなくてeternityを感じます。
興味深いブログです。
いつも世界にこゝろを開いてくれてありがとうございます。
YKKさん
コメントありがとうございます!
そんな風に言って頂けて光栄です。
Facebookで以前、素敵なメイルを下さったときから、
ずっとお礼を言いたいと思っていました。
本当に、ありがとうございます。
すごくはげまされていました。
いつかゆっくりおはなしできますことを!恩蔵絢子
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