Thursday, 13 May 2010

旅写真:御柱



今年は7年に一度の大祭、御柱祭りの年である。
どうしてもいきたかったけれど、なかなか、上手くいかなかった。
もう、諏訪大社の上社、下社は終わってしまったけれど、
どうしても、見てみたくて、その姿を見に行った。
ここは、諏訪大社上社前宮。
そのすっくとした立ち姿。まったく異質の姿だった。
命をかけられている、という感じが本当にした。戦いを思わせるほど勇壮で、気高い。
祭りを見たことないのに、命をかけた熱狂がこだまするような、
一目ですぐそれと分かる姿。どうしたらこんな肌になるのだろう。皮をむかれたそのなめらかな、生々しい質感。でも、
その背面の、山からずっと、人によって引かれてきた、その痕にドキリとする。
「御小屋の山の樅の木は里に下りて神となる」
お祭りの時に、木を山から運びながら歌われる、木遣り唄には、そう伝えられるらしい。
この唄を、いつか本当に聞いてみたい。

一つの神社に4本の柱が建てられる。
写真は、前宮一之御柱。
4本はそれぞれ、本当に違った人が立っているような、異なる質感を持っていた。


前宮三之御柱

前宮はなんだか本当に気持ちの良い場所に立っていた。
小さいけど勢いの良い清流が流れている。

昔、沖縄本島のある御嶽でみた看板に、「昔豊かな森だったこの辺りを村人が通る度に、霊気に打たれるので、これはただ事ではないと時の王府に願い出て拝所にしてもらった」というようなことが書かれていた。
人がここは、と思った場所が神の場所になるのであって、
神の場所だから拝むというのではないのであるということを、なんだか思い出した。

どんなところを、ここは、と思うかという所に、土地の精神というのがあるのだろう。
諏訪の土地では、本当に爽やかな、清流の流れる、気持ちの良いところが選ばれていた。



歩いて、上社の前宮、本宮を回ったのだけれども、
このあたりはなんだか本当にすさまじい。
小さなほこらにまで、ちいさな御柱がたてられ、
本当にそこら中にあるのだった。
今年その全ての御柱が、建てかえられるのだろうか。




茅野の駅から前宮までの間にも、小さなものから大きなものまでほんとうにたくさんの柱を見た。
前宮の建てかえられた柱を見て思えば、
それらはまだ建てかえられる前の柱だったのだろう。
それらの姿は本当に静かで(もちろん特別な姿なのだけれども)、
だからこそ、建てかえられたばかりの前宮の一之御柱が目に入ったときに、
本当に、はっとしたのかもしれない。
生々しく、神々しい、本当に人が立っているかのような、命吹きこまれた柱だった。
町中の御柱祭りのポスターの祭りの人々の顔が忘れられない。

本当にいつか行けますように。

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