マリーナの体は、真っ赤で神々しく、微動だにしなかったけれど、
マリーナの目は、湖面のようで、さざ波が立っているようで、
でも、もしそこに石を投げれば、ゆっくりとどこまでもどこまでも永遠に落ちていくのが見えるような、
そんな静けさを見た。
私の好きなものは、年を追う毎に増えていって、
わけもわからず、ただその時にこれだ、と心震えて、好きになったものが、
また、新たに好きになった物の中に姿を現すような、そんな感じがする。
今回マリーナを見たときも、
永平寺を思い出し、斎場御嶽を思い出し、そして、今お風呂に入って、マリーナの目のことを考えていたら、
ああ、水面のようだ、そうだ、あの目の緑色、あれはどこかに似ている、と辿っていって行き着いたのは、
下地島の通り池だった。
今年旅行に行ったときに出会った、池で、
そこで、知らない観光客が、石を投げ込んだ。
そうしたら、その池は海につながっており、
どこまでもどこまでもどこまでも石の姿が見えたまま、落ちていった。
斎場御嶽に初めていったとき、
もう怖くて怖くて、一歩一歩が怖くって、
そうして最後に辿り着いた場所が、あの、石をくぐった先の、
静かな場所だった。
小さな植物が岩から生えていて、
静かに静かに植物の呼吸をしている。
最後に辿り着く場所はこういう場所なのかと思った途端に涙が出た。
私の「一番奥」とか、「静か」という言葉は、こういう経験から成っていて、
私は心の一番最後の場所には、物言わない物達が静かに呼吸しているという、
もしくは、小さな白い石ころが、ころり、と転がっている、
そういうことを信じてしまったと思う。
こういう経験が、どれほど普遍的で、
どれほど、人に伝わるのかわからない。
好きなことを繰り返し繰り返し、聞かされるのは、
人は苦痛だろうか。
「通り池」下地島
Friday, 30 April 2010
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