ある吹き抜けの空間の大理石のようなツルっとした床の表面が、
白いテープで四角く区切られていた。
その中心に、机を挟んで向かい合わせになるように椅子が置いてあった。
その片方に、真っ赤なドレスを着たマリーナが座っていた。
もう片方には、年配の女性が座っていた。
ニューヨークで過ごせる三日間、毎日少しでも見に来ようと思っていた。
初日、元気を出すために私の一番お気に入りの服を着て、朝、外に出て、
美術館の開館一時間前についたら、もうチケットを買う列が出来ていた。
何が何でも、マリーナに今日会えないということだけは、避けたかったので、
その列が、マリーナ目当ての人たちなのかどうかもわからないけれど、
並ぶことにした。
続々と人が集まってくる。入り口に続々と人が溜まっていった。
「マリーナは何階にいるの?」と色々な係員さんに何回も何回も聞いた。
「2階と6階よ。」
「マリーナ本人は2階にいるわよ。過去のマリーナの作品の展示も別の階でやっていて、そっちがみたいなら6階よ。」
気持ちが逸って逸って仕方なかった。
開館した瞬間に、人混みをすり抜けて、早足で、まっしぐらにマリーナの元へ向かった。
透明でものすごく清らかな明るさの中に、
真っ赤な色が飛び込んできた。
マリーナだ・・
顔を見た。
キレイ!
マリーナ、本当に美しい。
息をのむほど。
一人、一人、座るんだ・・・マリーナの、前に!
その列は、どこ?きっと、あれだ!
白い線の外側のある一画。
走った。
その場所は丁度、マリーナの顔を正面に眺められる場所だった。
美しい。
そこにいるどんな人とも違って見えた。
誰よりも美しい。
ただただ美しくて、心が震えた。
向き合っている二人は何も喋っていない。笑いもしない。
きっと、ルールはないんだろう。
無言で見つめ合うということだろう。
いつまででも座っていて良いのだろう。
最初の人が終わったのは、多分、30分くらいたった後のことだったと思う。
私に見えるのは、マリーナの顔のほんの少しの筋肉の変化。
静かな時間がひたすらに流れ、観客が席を立とうとすると同時に、マリーナは目をつぶる。
次の人が白線の外側からまた、入ってきて椅子に座るまで、ずっとずっと目を閉じて顔を伏せている。
そうして、互いに準備が出来ると、すっとそのまま顔を持ち上げて、目を開ける...
みんな、ずっとずっと座っている。
そうして、満足そうに微笑んで帰ってくる。
私の番まで回るかどうかもわからなく思って、どきどきした。
私の隣の人は、誰かと会話していて、
今日で来るのが3回目で、今まで、一度も自分の番が来たことがない、と言っていた。
だから、今日は朝から来たのだ、と。
一時間、二時間座る人もいる。
でも、私たちの場所からはマリーナの顔がハッキリと見える。
マリーナと向き合っている人の方は、後ろ姿しか見えないけれど。
特等席だと思った。いくら、待っていても、まったく苦には思わなかった。
どきどきしてずっと立っていた。
だんだん足が疲れてきた。
でもこのまま自分の番まで立っていようと思った。
マリーナは一度も席を立たない。
美術館の開館前から、閉館後まで、
水も、食事も、何にもとらず、
トイレも行かずに座り続けている。
ひたすらに、前に座っている人の顔だけ見ている。
あるふくよかな年配の女性と向き合っているとき
突然マリーナが涙を流した。
静かな涙だった。
白線の外側では、私のようにあの席に座ろうと並ぶ人の他に、
たくさんの観光客が通り過ぎていく。
携帯電話も鳴り、フラッシュもたかれ(写真は禁止されていたのだけれども。)、がやがやと、団体客が次から次へと通り過ぎ、
笑われ、不審がられ、また、真剣に見られ、座り込まれ、スケッチされ、吹き抜けのその空間にはがやがやがやと、音が鳴り響いていた。
でも白線の内側は、まるで別世界みたいに、
4隅に大きな大きなライトが立っているせいか、
輝かしく、清浄な空気が満ちているかのように、静まりかえっている。
マリーナの魂がそこを満たしているかのようだった。
なんだか永平寺のようだな、と思って周りを見渡しているとき、
マリーナの背中側の壁に、
線がいっぱい引いてあるのに気が付いた。
マリーナは3月14日から、5月31日まで、
毎日毎日、毎日毎日、こうやって座っているのだ。
何時間もたって、足も痛くて、集中が切れ、辺りを見回して、
また、マリーナを見ると、はっとする。
周りの音に気をとられるとか、そういうそぶりは全くなく、ただただ静かに前の人を見つめている。
美しい赤のドレスのドレープが足下で本当にキレイで、その中の足の置き方の見事さにも感動したりしていた。
色んな人がいた。
毎日毎日開館前にやってきて、走って並んで、毎日向き合うことを自分の作品にしようとしているアーティストの人(推定)とか、
わけもわからず座る人、
挑戦的に座る人、
神を拝むように座る人。
自分がどんな気持ちなのか分からなくなった。
私も崇拝しているだけなのか、何がしたいんだっけ、なんなんだったっけ、と。
(でもちょっと話が前後するけれど、
私がNYで遊べる最終日にそこに行って見たのは、その場で警備員をしていたおじさんが、
私服でやってきて、列に並び、マリーナの前に座っていた。
その日は非番だったけれど、自分も向き合ってみたくなったのだろう。
そうして、顔を真っ赤にして、戻ってきた。
それはとても素敵だった。)
私の番が来たのは、開館(10時半)から5時間後のことだった。
ものすごく緊張して、ひたすらに、マリーナに愛していると(無言だけど)伝えること、
それから、押しつけるだけじゃなくて、マリーナのことをしっかりとみること、完全に自分を開くこと、
そういう思いだけが頭の中をぐるぐると回っていた。
白線の外側で、先頭に立つと、そこに小さなボードがあった。
" Visitors are invited to sit silently with the artist for a duration of their choosing. "
それから、"白線の内側に入ったら、ビデオカメラで撮影されることになります。
また、それをどのように使用することにも同意することになります。"
と書いてあった。
はい。
歩き出した。
椅子に座る。
マリーナがゆっくりと顔をあげ、目を開けた。
不思議そうな顔をしている、と思った。
どこかぼーっとしているような、人形のように静かで、
でもやけに目の色が飛び込んできて、深い緑色だと思った。
やっぱりとにかく美しい!
突発的に涙が出た。堪えるのに必死だった。ものすごく悲しい気持ちと似ていた。
マリーナは表情を変えなかった。
ただただ、私の目をのぞき込んでいた。
同情もせず、慰めるような顔もせず、意地悪な顔もせず、怒りもせず、悲しみもせず、
ひたすらに静かに、そこにいた。
こんな時に、泣いている場合ではない、と思って、目を伏せ、
気持ちを落ち着けてから、
もう一度見た。
マリーナの目を見た。目の奧を見た。極めて静かな心の奥。
マリーナも私の目を見た。私も一瞬だけ心が極めて静まった気がした。
ああ、それで十分だと思った。
それで、席を立った。
多分、5分もたっていない。
私が白線の外側に戻ると、並んでいる人たちが、やった!と沸いていた。
この作品のタイトルは「THE ARTIST IS PRESENT」。
アーティストというのは、美しい魂のことを言うのだろう。
美しい、というのは、清らかな、ただ、無垢なものというものではなくて、
ひたすらに鍛え、「美しいものを作る」とか「面白い物、新しい物を作る」と言うこととは全く別の論理で動いてきた、
「人生を作る」という人の、
誰にも到達しえない彼女の、美しさを見たのだ、と思った。
魂がそこにある。
私はそれを見たんだ、と思った。
この奧にマリーナは座っていた。
Monday 19 April 2010
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