Friday, 18 September 2009

草枕続き

「草枕」の最後ではほんとうに衝撃を受けた。

以前抜粋したように、浮世離れした女とのすがすがしいやりとり。
男はその美しさに翻弄されながら、途中から、
その女の顔を画にするには何かが足りない。それは「憐れ」の表情だと考える。

   憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。
   御那美さんの表情のうちには憐れの念が少しもあらわれておらぬ。
   そこが物足らぬのである。
   ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。
   然しーー何時それが見られるか解らない。
   あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする薄笑いと、
   勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。
   あれだけでは、とても物にならない。
    (新潮文庫「草枕」p.129)

最後の最後にその「憐れ」が表れる。その描写の仕方が怖かった。


女のいとこが戦争に向かう、それを見送りに行く。
その道すがら、画家と女はこんな会話を交わす。


  「先生、わたくしの画を描いて下さいな」と那美さんが注文する。
  「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない。」
    (p.172)

駅まで行っていとこを乗せた汽車が出るとき
老人は「いよいよ御別かれか」といい
その女は「死んで御出で」という。
汽車が動き出していとこの顔が小さくなっていく。
するともう一つの顔が現れる。
その恐ろしい列車に別れた夫の顔。
その時画家は女の顔に「憐れ」を見ていう。


   窓は一つ一つ、余等の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、 
   最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、又一つ顔が出た。
   茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜しげに首を出した。
   そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合わせた。鉄車はごとりごとりと運転する。 
   野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。
   その茫然のうちには不思議にも今までかつて見たことのない「憐れ」が一面に浮いている。
   「それだ!それだ! それが出れば画になりますよ。」
   と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。
    (p.178)

こういう男の人の態度が、私に最も足りない物の気がする。

斎場御嶽の植物ばかりが頭の中に浮かぶ。

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