両親とまた裏山に入る。
母は、一週間前に裏山に入ってから、すこし腰の調子が悪化したようではあった。
母はいつからか背骨がかなり曲がっていて、腰がよくなかったのである。
しかし、あんまり良い天気なので、今週もやはり、
父のストレス解消をかねて、三人で散歩する時間を持ちたい、
どうせ散歩するなら山に入りたい、と
母の様子を見ながら登ってみよう、ということになった。
母も、「山に行く?」と言うと、「いいよ、じゃあいこうよ」と言うのだった。
最初は、「大変なことは無言でちゃっちゃとやり通してしまうがよし」といわんばかりに、母はいつもよりはやいペースで、先頭切って登っていった。
折角山にいるのに、周りを見渡す様子がぜんぜんなく修行僧のように歩いて行く。
いつもだったら、あの花がどうだの、おしゃべりをするのに。
どんどん体が動いていることは、楽しんでいない証拠といえた。
気分を変えてもらおうと、さんさんと照る太陽避けに母は帽子をかぶっていたのだけれども、山の中に入るともはや木の陰でひんやり涼しくなっていたので、帽子をはずして、さらに腕まくりもしてもらい、こちらから色々と話しかけていくうちに、
ペースが落ちて、
しばらくすると、いつもの母に戻って見えた。
道の途中、誰かが小枝を立てて守っている植物 |
家を出て一時間ほどで頂上へ着いた。
もう夏に入った証拠に、霞が出ていて、素晴らしい天気なのに、かえってこの前にははっきり見えていた大島が見通せない。
夏の蝶、モンキアゲハがツツジの上を何頭も飛び交う。
木のベンチに腰を下ろして、レモンティーを口に含んで、母は「あーここはいいところだね」と言った。
無理して来てもらって、やっぱりよかったと思った。
四月から五月にかけて、この山に来るのはほんとうに最高。
暑すぎないし、蛭もいない。
ちょっと今日はもう暑すぎるだろうかと心配したが、
まだ大丈夫だった。
一週間前に登ったときは、鬱蒼としていてなんとなく嫌だった道が、今日のようなかんかん照りの日にはちょうど良い木漏れ日の道となり、すばらしく気持ちが良かったし、
大島は見えなくなっていたけれど、富士山が見えた。
「最高」は、移り変わっていくなあ、そしたらいつでも最高は見つけられるということか。
一時間ほど、頂上でゆっくりとする。
下り。
前回腰を痛める原因となった岩場のごつごつした道を避けて帰ることにする。
そのかわり距離は長くなるが、なだらか、なめらか、な道である。
家に着いたら、お昼は何にしよう、パンケーキにしようか。
りんごやキウイやヨーグルトもある。
そんな話をしていたら、母が私の目の前で転んだ。
つるっとすべっておしりから落ち、腰を打った。
あっというまだった。
父が振り向き、母は尻餅をついていて、私は体が固まったまま。
何秒間かが過ぎて、「ママ、大丈夫?」と後ろから声を掛ける。
母は動かない。
おそろしいが、顔を見ない分にはと、細い道だがなんとか回り込む。父も登ってくる。
母は目をぎゅっとつぶっていた。
「ママ」
「・・・もういいですから」とても小さな声だ。
「転んじゃったね。痛かったね」と触ろうとすると、
「もういいですから。やめてください、もうだめですから」と小声で言う。
「ちょっとこのままゆっくりしていようね、大丈夫だからね」
「ごめんなさい、もういいですから。大丈夫ですから。もうなにもしなくていいんです。わかっていますから。ごめんなさい。これはわたしのうちの問題で、もうなにもされたくないんです、だからやめてください」
目を閉じたまま、完全に拒絶して、何かを完全に諦めて、顔面蒼白で、小声でくり返す。
「おかあさんのところにいくつもり、おかあさんもそれがいいんじゃない、っていったから」
完全なショック状態だった。
どうなることかと思った。
骨が折れていたらどうしよう。このまま歩けなくなったらどうしよう。本当にこんなところで動けなくなったら。
入山禁止の山に入って、コロナ感染の疑いがあってニュースになった人がいた。
それを読んだばかりだったのに、入山禁止になりようがないような、小さな、そして、慣れた山だけれども、無理に連れ出して、母が転んで、どうやって助けを求めたら良いんだろう。
おかあさんのところにいくつもりって、母は祖母がなくなったことが本当はわかっているんだろうか、そして、確かに祖母は転んで骨折して・・・そのつづきは一ミリも考えたくない。
「大丈夫だよ。ちょっとゆっくりしようね」と笑って父を見る。
父も「ちょっと心が衝撃をうけちゃったみたいだね」と笑っている。
母が「もういいんです」をくり返すので、「ツツジがさいているねえ」と返す。
どうしたら、気がそれるだろう。どうしたら。どうしよう。
腰が悪くなっていたから、足に力がうまく入らなかったのだろう。
「わたしが悪かったね。無理をさせちゃった。ごめん」
「もういいですから。」
そこはちょうど木陰がとぎれたところで、太陽があつい。
母に帽子をかけなおす。
「あついね、帽子かぶろうね、わたしが悪かったよ」
どれくらい時間がたったのだろう、
母の目があいたので、少し立ってみようか、ともちかける。
なんとか立てたのだった。
そこからは、もう降りるしかない。狭い道だが、父がしっかり手を握って横で歩いて、
私が前を歩き、ときどき笑いかけるが、顔面蒼白。どこが痛いのかもわからなくなっているようだった。
お腹が痛いという。
おしりを打って下からの突き上げがあったのか、また、ショックでお腹を下すということもあるのかもしれない。
トイレは下山するまでないし、だからといって早く歩けるわけじゃない、どんどん私の気持ちが焦ってペースが上がってしまう。もう駆け出したいが、
何度も止まって、戻って、何度も痛い場所を聞いて、腰を触ったり、お腹を触ったり。
どこまでいったらトイレにたどり着けるのか、そこまで母は歩けるのか、生きた心地がしなかったが、降りられた。
歩いて降りられたということは、骨は折れてないと言うことか。
でもお腹が痛いのはどうしてか。
病院に行きたいけれど、土曜日だし、コロナの心配もある。
家で様子を見ることにした。
母の腰の悪さに気が付いていたのに、山に登りたいというこちらの気持ちを優先したことでこんな風になってしまった。
母にも刺激が必要で、無理をさせてみるのもときには良い、能力を見限って、活動を限定しては良くない、それは確かだが、
これで、母が動けなくなったら。
もし、母の状態が悪化したら。
祖母のようにはならない。絶対ならない。何度も心の中でお願いをする。
楽しみからの急降下。
眠れない夜を過ごした。
1 comment:
胸に迫ります。
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