Tuesday 5 May 2020

三、四、五月の本


 最近下巻が出版され、完結したばかりの角田光代さんの新訳『源氏物語』(上、中、下)(河出書房新社)。角田光代さんの新訳はとても読みやすく、巣ごもりして仕事もなかった四月でなければ読めないようなボリュームのある源氏物語だけれども、これを読んでいる間は不安も忘れる、というほど没頭した。どんなひとにでもいいところを見つけて、一度関わったらずっと付き合い続ける光君と、女君、それぞれの諦め、苦悩、ほんのちょっとの喜びを、一気に駆け抜けてみると、素晴らしくカラフルな人間の魂が見えてきた気がした(ほんとうにカバーの色のとおり!)。



 これをきっかけに、分厚い本を読み通す、という快楽に目覚めてしまった。それで、実は一度も読んだことがなかったファーブル昆虫記を読み始める。これもカバーが本当に綺麗だ。モンシロチョウとツマキチョウの見分けができるようになりたいばかりに、毎日歩き回っていたからか、祖父母の家に、ファーブル昆虫記がずらっと昔は並んでいた気がする・・・と思い出す。だけどいまや祖父母はどこか空の上。書物も叔父が持っているかどうか。いまは叔父にも会いに行けないから、奥本大三郎さん訳の『ファーブル昆虫記』第一巻(上)(集英社)を注文して読み始める。昆虫との関わりが、まったく「観察」「分類」という冷たいものでないどころか、独特で、笑ってしまう。そうでなければ、続くはずなんかないんだよなあ、と思う。
 p.273より「生き物の秘密ーーその解剖学的な構造の秘密でなく、生きて動いている生命の秘密、それも本能の秘密ーーを解くとなると、観察者の前に、無生物の場合とは別の意味で、ひどく厄介で微妙なもろもろの条件が派生する。自分の時間が思いのままになるどころか、彼は季節や日や時間、そして瞬間の制約をさえ受ける。チャンスが現れたら、迷うことなく、その場で摑まえなければならない。おそらく長いことかかってももう二度と再び現れないかもしれないからだ。そしてチャンスというものは、ふつう、そのことを夢にも考えていないときに現れるので、それをうまく利用できる用意はまったくできていないものである」好き。。。


 そうそう、こういうふうにブックカバーを紹介しようと思い立ったのは、沖縄在住の写真家、武安弘毅さんから、ブックカバーチャレンジをいただいたことがきっかけだった(うれしかった!)。武安さんからのバトンということで、本当は紹介したかった本がある。与那原恵さんの『首里城への坂道』(中公文庫)だ。ゴールデンウィークだけれども、今は沖縄に行くことができない。心の中だけで沖縄へ旅をする、そして。去年の秋に焼けてしまった首里城へ思いを馳せるという意味でもぴったりの本だと思った。だから読み返して、ここに載せたい、と思ったのに、家の中で行方不明になっている。。。悲しい。。。もう一度買ってしまおうか。


というわけでAmazonからイメージを拝借。
(https://www.amazon.co.jp/首里城への坂道-鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像-中公文庫-与那原-恵/dp/4122063221

 感染症に関わる本ということで、読んだ本の中で、とても好きだったのが平川祐弘さん訳のマンゾーニの『いいなづけ』(河出書房新社)。感染症は、まったく予想もできないタイミングでやってきて、おさまるときもまた、そうなんだなあ。「ペスト塗り」なんて存在を人々が想像していることも、めちゃくちゃこわい。登場人物達が、みんなそれぞれの切実な動機を持っていて、それに従って動いていて、こういう人いるよなあと、ずるい人の気持ちに入り込めるところがほんとうにすごくて、一方でほんとうに清浄な人がいて、一つのものすごく大きな世界を感じた。


イタリアの質感にすっかり虜になって、もう一冊。平川さんの訳がとても好きだったので、こちらも平川祐弘さん訳のダンテ『神曲』(河出書房新社)。ほぼ一ページめくる毎にドレの挿絵がついていて、すごい。絵本の様に読める。『神曲』は、情景を頭に思い描かねばならない作業が多すぎて、何度挫折しただろう。しかし、その絵が、思ってもない迫力でページをめくる毎にせまってきて、文章に没頭できる。どうしてこの人物(たとえばプラトン!)が地獄にいなきゃいけないのか、一方どうしてこの罪を犯していてなお、この人は煉獄にいられているのかと、私の感覚からするとまったくわからないことがあって面白い、あれこれと思いをめぐらして、今煉獄編の途中にいる。



 この巣ごもり中に、はまっていた番組と言えば、netflixで公開されている『Tiger King』。虎やライオンという猛獣を飼う人たちのドキュメンタリー。オーストラリアの友人が、「見た人いる?この人について話さずにはいられないよ!」とfacebookで話題にしていて気になって見始めた。出てくるどの人も強い信念を持っていて、強い疑惑にさらされている。一話があんまり過激だったので、見るのを中断したほどだけれども、こわいものみたさでもう一話だけ、と見てみると、話を追う毎にもっと思いも寄らない疑惑にさらされる。正直、どうしていいかわかりませんでした。一方同じ頃、NHKのドキュメンタリーで『ヒグマと老漁師』がやっていて、動物との関わりということで、ほんとうに私の心に触れるのはやはり、後者でした。そんな流れで、動物物が読みたくなって、ずっと積ん読していた濱野ちひろさん著『聖なるズー』(集英社)を読みました。動物と肉体関係を持つ動物愛の人たちのノンフィクション。動物愛護と言っても、実は、動物をコントロールするという思想になってしまっている人と、動物には性欲があるということを込みで愛することを選ぶ人がいる。自分の思い込みが、どんどん剥がされて行きました。動物を愛する人たちは、いつもパートナーの動物が誰を、何を見てるか、視線を意識していて、家の中に動物がいる、という気配がそういう意味で色濃い、という話がとても好きでした。
(この画像もAmazonから拝借致しました。https://www.amazon.co.jp/聖なるズー-濱野-ちひろ/dp/4087816834)
 そして、濱野ちひろさんが開高健ノンフィクション賞を受賞していたので、開高健が読みたくなって、吉行淳之介さんと開高健さんの対談『美酒について』(新潮文庫)を読みました。正直、なにを言っているかわからなかったです笑。お二人が常識としていることを、自分がまったく共有していない、ということで、わからないことが多すぎて、一ページを読むのが、どの本よりも遅かったです。一行に掛かっている元手(人生経験)というものを感じました。ほんとうに身の毛もよだつ話をされていて、たとえば駅の痰壺からストローでチューーと吸う、とか。そして、そんなのこわくないね、「我々はかなり地面に近く暮らしてたからね」とか言っている。私は、この感染症の不安の中散歩しているときに、すれ違うおじさんが、私の横で痰をペッと吐き出したとき、「それだけはやめて〜〜〜。なんでいまなの〜〜〜」とほんとうに泣きたくなりましたが、そんなの甘かった、と思いました。スノッブになりかけていた自分をぴしゃりとたたかれて、くらくら目がまわってしまう本でした。

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