Wednesday, 22 May 2013

山寺


思い立って、今日、日帰りで、山形県の山寺に行ってきた。
松尾芭蕉の、俳句、
「静けさや、岩にしみいる蝉の声」
で知られる山寺である。

山の奥へ奧へと、1015段もの階段を登る。
登りながら、何度も、何度も、胸が詰まる感じがした。

その一番のふもとのところでは、
ちょうどいま、50年に一度ということで、
この山を開かれた慈覚大師の作られたご本尊、
薬師如来像がご開帳になっている。
拝観しようと人々が何時間もの列をなしていた。

困ったなあと思って、ふらふらとしていたら、
このお堂の外に立っている柱に、綺麗な四色の紐が垂れていた。
人々が入れ替わり立ち替わり、
その紐を握って何やら拝んでいるのだった。

結局、
その紐の反対端は、薬師如来様の挙げられた右手の薬指に結びつけられていたのだった。
事情があって並ぶことが出来なくても、お姿を拝見できなくても、誰でも、
外の紐を握って、薬師如来様の御手と間接的につながることができるようになっていたのである。
(*もし薬指じゃなかったらごめんなさい。私の記憶の責任です。)




入山するとごつごつした切り立った岩に、若緑が美しかった。
遠くの上方には藤の咲いている紫が見える。
千数段の階段を一段一段あがっていくと、
岩の隙間に、あちらこちら、小石が積まれ、風車が回り、
塔婆のような、名前の書かれた木片がおかれ、それには木のわっかがついている。
わたしは、そんなわっかを初めて見た。

若くして亡くなってしまった人が、
早く人間界に戻ってこられるように、
回してあげるためのものだという。

なくした人に与える形、
それはどうしても胸を打つ。

険しい岩ぺきには、自然の風化で出来た無数の穴があって
そのいくつかには、骨が納められているそうである。
なんであんな高い場所の、奇妙な岩穴に骨壺を、
どうして、ここに、集まってくるのだろう、
どうしてなんだろう、
この山を開いた人はどんな気持ちだったんだろう、
そんな理屈の付けがたい景色にさらされながら、上へ上へと登り、
五大堂という場所に辿り着いて、眺めると、
理屈の付けがたさも極まり、もうとにもかくにも美しい。

ガイドさんの話を盗み聞きしたところによると、
行者さまが、何メートルもある岩の裂け目を、飛び越えるなどの修行をしていたそうである。
ぴょんぴょんと、真っ白な着物の行者さまが、天狗のようにあっちこっち飛び回る姿が見えるようだった。

木のわっか




















観音様の形をした岩のふもとにも

























五大堂からの眺め。

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