神像をはじめてみて、度肝を抜かれた。
中でも、夫須美大神坐像を見た時は、思わず吹きだしてしまうくらいだった。
神様というと、キリストのようなぎちぎちの姿や、
いくつかの仏像のような、厳しさしか知らなかった私にとって、
(私は、そういうものをどちらかというと愛してきた。)
そして、繊細さ、というものが自分の心の中で価値あるものだった私にとって、
昔の日本の人の心にあった神様というのは、
こんなにもおおらかな、ふっくらとした、やわらかい、どーんとしたものだったのか、と知ったら、
本当にびっくりして、
なんだか力が抜けたのだ。
痩せてなくてはならない気がしてた。
(肉体的には痩せられなかったんだけど。)
こんなにおおらかな神様なんて世界中他のどこにもいるわけないよ、
と思ってしまうような、
本当に絶対的なおおらかさに、目をぱちくりするしかなかった。
日本って、こういうものだったのか、
昔の人の心はこんなにおおらかで、ふくよかで、強くて、やさしいものだったのか、と思ったら、
なんだか誇らしく、
不思議と解放されていくような気がした。
自分の中には、きっと、こういうものが生きている、
いままで、神経質こそいいような気がしてたけど、それは違ったんだな、と
目が覚めるような思いだった。
私は、このとき、こんなふうにふくよかになりたい、と思った。
私の心の中に、憧れの像として、どーんと座った。
そういう意味では、
まさに、神の像を得たような気がしている。
(建築マップFORES MUNDIより拝借いたしました。) |
2 comments:
ふきだすきもち、わかった!
あなたは、あなたね!ぜったいあなたね。
でしょー。うれしー。ちょーうれしー!ao
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