Saturday, 7 June 2014

チュト寺院

5日目の夜、ガイドブックで知りうる限りのところだけれども、
ジョグジャカルタで行ってみたいと思っていたところは大体行ってしまったな、
と思って、
明後日には飛行機に乗らねばならないので、
実質最終日の明日、どんなところだったら行けるだろう、と考えていた。

少し、遠くなるけれども、隣町ソロの郊外に、気になる遺跡があった。
イスラムでも、ヒンドゥーでも、仏教でもなく、
土着の自然信仰が、それらの宗教の影響を受けて15世紀に建てられた遺跡だという。
ガイドブックには、山を登り詰めた場所にあって、マヤ文明のようだとか、書かれていて、
写真を見ると、確かにそれまでに見た遺跡とは雰囲気が全然違っているように感じられた。

奏さんは、その夜の内に、それまでに出会ったタクシーのドライバーにメイルをして、
朝早く家を出られるように手配をしてくれた。
タクシーは12時間貸し切りということで、
どんな場所に行くかによって、いくら、という交渉をすることができたのだった。

たどり着けるかな、、、行けると良いな、、、行けたとしても、どんなところなんだろうな、、、心配になりながら眠った。

いままでのタクシーのおじさんは、都合が悪かったので、別のお兄さんを紹介してくれたようだった。
お兄さんが、朝9時に時間通り、顔を出してくれて、すぐ、心配なことを聞いてみた。
「実は、このCandi Ceto(チュト寺院)というところに行きたいんです。あとできれば、その側にあるという、Candi Sukuh(スクー寺院)にも行けたらいいと思っています。でも、今日中に帰ってこなければならない。可能だろうか。」
「しかも、もしも、可能だったら、夜には、ジャワダンスとか、人形劇をこのジョグジャカルタで見たいと思っているんだけれども・・・・」

「片道3時間半はかかるね。」という返事だった。
そんなに遠くまで行くとは思っていなかったようで、
ちょっと詰め込みすぎだし、何かはあきらめてくれよ、というお兄さんのことを
もっともだと思って、
とにかく、チュトに向かってもらった。

最初は、話がちがう!といらいらした様子だったお兄さんも、
走っている内に、話がまとまってきて、
トイレとか、写真撮りたい所があったら、とまるからいつでも言って。
あれが、何々だよ。
と、なんだか優しいお兄さんになっていった。

隣町のソロまでジョグジャカルタから二時間、
そこから更に一時間半みたいな感じらしかった。

ソロは、なんだか大都会だった。
みたことのある企業の建物がいっぱいあって、
ショッピングモールなんかもおっきいのがどーんとあって、
ジョグジャカルタとは随分ちがうなあ、と思った。
ジョグジャカルタの人達が、すごく自分たちの街を愛している様子を思い出した。

でも、そこから遠ざかって、いくつもの田んぼを通り過ぎて、
いつのまにか雲にとざされ全貌がまったくわからない程の山の近くに来て、
景色は茶畑に変わっていた。
これは、ジャワティーだよ、とお兄さんが教えてくれた。
坂が急で、車に負担がかかるから、クーラーを消していいかい?といって、
窓を開けると、
茶畑からなのか、ものすごく良い匂いがしていた。


保護地域なのかなんなのか、車の通行料が必要な地域に入って行った。
山村、という感じである。


ぶるん、ぶるん、がたがたがた、と苦労しながら、車がのぼっていく。
自分たちの登っている山の、奧に見えているあの山はなんなんだろうな。
もう随分登ったのに、はるかかなただ。

道がどんどん細くなって、斜面はどんどんきつくなるのに、
窓から見えるその急激な斜面には、水田や畑が作られていて、人が作業をしている。
それに、ふっときずけば、車の横を、
大きな大きな籠を担いだおばあさんが歩いて登っていく。

おおお、と前を向き直って、
フロントガラスを下からのぞき込むと、その坂の上り詰めたところに、
尖った山を半分に割ったような、あるいは、
ぎざぎざとしたするどい角のような門が、本当に姿良く聳えていた。

チュトについたのだった。

車を降りて、その坂を登って、階段を一段一段門に向かって上がる。
あと二段、というところで、門の間から、全貌が見えた。
あの、道からずーーっと見えていたあの山は、
日本でいうところの、ご神体だったんだ。
あの山のふもとに、この、遺跡が立っていて、
なんて、無駄のない、簡潔な作りだろう。
私の頭の中から、石や、木という違いがまったく消えていった。
ものすごく、親しい風景が広がっていた。

勇気を出して、門を入ってみる。
足元には土の感触。
草が綺麗に刈り込まれていて、
トンボが舞う。
一歩、一歩がうれしかった。

私が今までに見た中で、最も、美しくて、清らかな、場所だと思った。

小さくて、かわいい、化石のような彫り物が石に彫られて、
土の中に埋まっている。
例えば、蟹。カブトガニ。ナマズ。
それから、大きな亀の石像。

ここはいったい何処なんだろう、と思う。

ここで、インドネシア人の、男の人3人と、若い女の人1人とすれ違って、
挨拶を交わした。
良く見れば、女の人だけ、裸足だった。


また、少しの階段を上って、
山を半分に割ったような門をくぐって、
次の段に向かう。


小さな小屋に、神様の像が、道を挟んで左右に一体ずつおさまっている。
そこで、さっきの女の人が、お線香を持って、お祈りをしていた。
男の人は後ろで見守りつつ、一度、神様の像のお腹に両手で手を当てて目をつむった。

ああ、この人達は、きっと夫婦で、
赤ちゃんができたんだな、と思った。

あっちの人はお父さんで、もう一人の男の人は神主さんみたいな人だろうと思った。

彼らは左右の神様の両方にお祈りをして、
また、その先にある、例の形の門をくぐって静かに静かに上に向かっていった。

私は邪魔にならないように、すこし時間をあけてから、上にのぼっていった。

その上にもやっぱり、左右に一体ずつ神様がいて、
多分彼らは、さっきと同じように両方にお祈りをした後、
右に作られた小屋に入っていったようだった。
戸が開いていて、
彼らが座って祈っているのが見えた。
真ん中には白い布をかけられた像のような物があった。
しばらくすると、神主さんのような人と、おだやかな会話が始まった。

場所がそうさせるのだろうか、
私は全く言葉は分からないけれども、ほんとうに穏やかな、あたたかい会話だと思った。
私は、
お腹に赤ちゃんが出来たら、お母さんは、無事に生まれてきて欲しいと願うだろう、
そういうすごく当たり前の、お祈りがささげられていることに、
なんだかものすごく感動してしまった。

自然信仰って、こういうこと。
誰でも持ってるお祈りの気持ち。

私と奏さんはそれぞれのリズムで随分長い時間この場所を過ごし、
蟹やかぶとがにのレリーフのところで合流すると、
奏さんが言った。
「どうみても海だねえ。」

その通りだな、と思った。


















遺跡と廃墟(Water castle)


あるデザイナーの若い夫婦?のおうちでお茶をごちそうになっているときに、
リースがこんなことをいった。
「あなたたちの家にくると、毎回驚かされるわ。毎回、新しい物ができていて、
それが超絶すてきなんだもの。
あなたたちのようなのを、アートの中で暮らしている、っていうのね。
アートと、生活とにまったく隔たりがなくて、
アートをやります、って力んでないの。」

この人達のおうちは、まるで、原生林の中のお家のようで、
家の中に木を生やし、気持ちの良い風を通わしている。
その二階にあたらしくベランダを増築したようで、
そこで、日没という最高の時間帯に、
こだわりのお茶を出してもらったのだった。
私は、この人達のように、家を設計したり、庭を造ったり、
こだわりのお茶を作ったり、ということはもしかしたらできないかもしれないけれど、
言葉の精度、ということで、
「作品と、生活とが離れていない」「生活の中にアートがある」暮らしができたらいいな、と思った。

色んな人が、気持ちよく存在できるようにすること。
自分も、一つの場所を作っている、構成要素であるということ。
ーーーーー

4日目は、寝不足と、疲れが溜まっていて、朝はゆっくりとすごすことにした。
それで、なおかつ、スパとかいっちゃう?みたいな感じで、
3時間コースとかいうのに挑戦した。
(私は、スパは、沖縄での兄の結婚式の前の日に、宿泊したホテルで調子に乗って、
30分ほどやってもらったのが初めてで、これは人生二回目のスパなのだった。)
インドネシア語しか通じないので、
担当のお姉さんは途中で私達と話すことをあきらめてしまったようで、
無言でどんどん行われていくのだが、
ある瞬間に、パカっとまぶしいライトをあてられたと思ったら、
強烈な痛みが鼻に走って、なんだなんだ、なんなんだ!!と叫びそうになって、
だけど、これって、スパに慣れた人には当たり前のことなのかも知れず、
手をぎゅっと握りしめて耐えに耐えた。
どうも、ひとつひとつの毛穴から金属のピンセットのような物でなにかをとりだしているようで、おそろしい、
シンジラレナイ時間帯を過ごしたのだった。

全てが終わって、かなでさんに合流したら、
「あれ、痛かったねーーーー!!!!私、涙流しちゃったよ」
というのだった。
やっぱり、フツウじゃないらしい。
「インドネシア語でいいから、やる前せめて、一言いってほしかったよねーー。
ビックリしたねーー!」
「うん、介護とかではさ、なにかアクションする前、語りかけるのが鉄則です。」

体験を共有し、結束を強めて、私達は、スパを後にした。
しかし、全身がさっぱりしていて、
「お湯につからないお風呂に入った」という感じがまさにして、
スパってそういう意味だったのか、って気がした。
人にやってもらうのは、なんだかちょっと気後れするんだけれども、
なんとなく銭湯の帰りのような気分で、
すっかり夕方になって、涼しくなった帰り道を歩いていた。

そのうち、壊れた城壁のようなものが見えて来た。
「あ、これ、リースが登れるっていってたな。」
「登ろう、登ろう」

迷路のような小道を少し入ると、階段が見えて来た。
「water castle」という名前らしい。
王様が、女の人を囲っておく場所だった、みたいなことを、
客引きのおじさんが横で話してくる中を、
ありがとうと思いながら振り切る。

いつだって、実際に入って見ると、想像を超えることがあるんだな。
天井が崩れ落ちた廃墟、空が大きく割れていて、
大きな大きな窓だった場所には、風が吹き抜けて、
若者達が集う場所になっていた。
壁に腰掛け、本を読む人、
雑誌か何かに使うために、撮影をしている民族衣装の若者、
彼女にポーズをとらせて写真を撮る彼氏。
サッカーをする子供達。

遺跡、というには新しすぎる、廃墟。
「世界遺産にはなれないような場所でも、なんだかすごくいいところってあるね。」
とかなでさんがいった。

私達も、あまりにも気持ちがよいので、そこに腰掛け
気になっている作品や、自分たちの考えていることの話をした。
自分たちの地面の同じ高さに、民家のオレンジ色の屋根瓦が続いていて、
その下から凧がいくつもあがって、鳥のように飛んでいた。
私達は、やっぱり、ビールがあるといいな、と思った。




Friday, 6 June 2014

ボロブドゥール

丘からタクシーで、ボロブドゥールに向かった。

もう日は高く上がっていて、炎天下。
全てが石でできた灰色の大きな大きな構造物。
その壁に、これもまた石でできた大きな仏陀が何体も、何体も、埋め込まれている。
心なしか、日本で見る仏陀よりも、力強い感じがする。
石像というのは、なんだか、固いというか、強いというか、独特な印象を与える物だな、と思う。

日本では、こういう石でできた、石丸出しの構造物って、お墓ぐらいじゃないかな、という気がする。
遺跡をまわっていて、特に仏教の寺院では、実際、なんども頭の中に日本のお墓が浮かんできた。

ただ、ボロブドゥールは、本当に、はじめて見る質感だった。
奈良のひろびろとした空間に、仏像が堂々と何体も並んでいるのを、
思い出さないわけでもなかったけれど、
やっぱり、この全てが灰色の、硬い石の、莫大な感じ、
炎天下で、石からの照り返しもあっては、すぐに疲れてしまうし、
(寝不足や、旅疲れもあったのかもしれないけれども)
この広大な空間は茫然とするというか、砂漠にいるような感じすらした。
そして、
壁面のレリーフだろうと、なんだろうと、
自由に触ったり、登ったり、座ったりがかなり許されていて、
色々、全然分からない、と思った。
でも、遺跡に腰をかけられるというのは、嬉しいし、実際助かることだった。

そんな風にして、日陰になっているところをみつけて、腰をかけて、遺跡の真っ直中で休んでいると、
二人の制服を着た少年に声をかけられた。

高校生で、英語の授業の一環で、ボロブドゥールに来て、
外国人を見つけて英語で喋ってみましょう、という課題で、
私達に声をかけてくれたらしい。

「僕たちは、英語を勉強しています。会話をさせて下さい。」
「あなたたちは、どこから来ましたか?」
「ここに来たのは、はじめてですか?」
「どんな印象を持ちましたか?」

私は、印象というものを、聞かれたことにどきどきして、
たどたどしく、自分は日本から来て、日本にも寺院があるんだけど、
共通点を見つけて嬉しく思ったり、まったく石の質感におどろいたり、している、
ということを話してみた。

「日本にも、仏教のお寺があるんですか。」

そうなんです。木でできていることが多いです。

「あなたたちは、仏教徒ですか?」

一応、そうですね。あなたたちは、どうですか?

「僕たちは、イスラム教徒です。」

かなでさんが、ここで
あなたたちには、この寺院はどう見えますか?と聞くと、

「僕たちは、他の宗教に敬意を持って接したいと思っています。」

といった。

話はたどたどとしながらも、ゆったりとした時間がながれはじめ、
彼らも私達の横に腰を下ろしての、会話となっていった。
私達の職業の話になった。
私は、科学者。奏さんは、アーティスト。
アーティスト、といった瞬間に、一人の子の目が輝いた。

「歌を歌うんですか!?僕は、日本の歌手で好きな人がいます!あやかさんが好きです」

奏さんは、めんくらったようだったが、
アーティストというのは、歌手のことだけをいうのではなくて、実は、ものすごーーーく広い概念で、
絵を描いたり、写真を撮ったり、映画を撮ったり、色んな人がいるんだよ、
説明がとっても難しい色んな人がいるんだよ、
ということを一生懸命説明していたのが、なんとなく素敵だった。

そして、あなたは何になりたいの?
と聞いたら、

「My ambition is...」
といって、

エジプトの大学で、アラビア語を勉強することです、と教えてくれたのだった。

もう一人の子もやはり、
「My ambition is」
といって、
さっきの男の子と同じことを目指していることを教えてくれた。
でもお金がかかるし、ここを離れるのもいやだから考えてる、
ということも教えてくれたのだった。

この石の上で、高校生の男の子が、伏し目がちな目をして言った、
My ambition is、というのと、
それが、エジプトの大学で、アラビア語を学ぶことだったというのは、
私はきっとずっと忘れないだろうと思った。

科学者と、アーティストと、おそらくはコーランに関わる職業と、というように、
あるいは、
石と、木と、というように、
なんだか、
それぞれの国が、人間が生まれてから、同じだけの時間を過ごして、至っている形が、
全て、並列に見えて来た、というか、それぞれに本当にすごいような気がして、
インドネシアも、日本も、エジプトも、アメリカも、
同じ時間だけ流れてきて、今こうなんだ、という感じがじりじりとしてきたのだった。
























インドネシア旅行記 前編

5月28日から、6月4日の、6泊8日で、インドネシアの古都ジョグジャカルタに行ってきた。
今回は、ジョグジャカルタのアーティスト・イン・レジデンスに入ったばかりの奏さんを訪ねて、
一緒に観光しようという目的だった。

そこでまず驚いたのは、ジョグジャカルタがものすごくアートが盛んで、
アーティストの街みたいな存在であったこと。
そして、そのアーティスト同士のつながりがものすごく密だということ。

アート・マネージメントをしているリースさんが、
奏さんを、色々な人に会わせていく感じがとても印象的だった。
ジョグジャにいるアーティストのおうちを尋ねて、お茶を出してもらって、
のんびり話して、帰って行く。

とくに、お互いにどんな作品を作っているか、とかいう話はしないで、
その人のおうちという空間の中で、もちろんそこにはその人の作った物があって、
その人の質感に囲まれながら、ただ、気持ち良く会話をする。
私も横にいさせて頂いて、
私はアーティストではなくて、サイエンティストなんだ、というと、
「neuroscientistなんて、本の中の存在だと思っていたわよ。これが実物!!」とか言って笑って、
あとは、
それぞれの人が、今どんなことを気持ちよく思っているか、
どんな気持ちでこの空間を過ごしているかということを、
非常にあたたかく思いやっている、という感じだった。

そもそも奏さんが、そのレジデンスに入ることになったのも、
書類を出して、どんな作品を作ってきたか、何をやりたいのか、で審査されて、
ということではなくて、
フィリピンに以前行っていたときに出会った人とのつながりを通して、
こんなところがあるよ、と紹介してもらって、
行ってみたいなと思ったら、相手も受け入れてくれた、ということらしかった。

「面白くなければ、素晴らしいことが出来なければ、ここに入ることは出来ない、それを証明しろ」
そういうような雰囲気はまったくないのだった。
私がこのインドネシアの旅全体を通して、感じたのは、
「人を理解するのには、ものすごく時間が掛かる」
という当たり前だけど、日本ではしばしば忘れられているかもしれない、大切なこと。
ゆっくり、つきあっていけばいい、そういう在り方だった。

Independentな人を応援する、という雰囲気が、リースさんにはあって、
「あなたが誰だか知らないけれども、安心して、好きな物を作りなさい。」
そんな風に迎えているように見えたのだった。
何でもお見通しの目で、この子にとって、今はどういう状況なんだろう、ということを見て、
できないことはできないし、できることはやってあげる、みたいな感じで、
アート・マネージメント、ってそういう意味なんだ、と思ったし、
その何でもお見通しの目と、懐の深さを、ものすごく感謝したい気持ちになったのだった。


ーーーーーー
私は、今年の二月にシンガポールに行って以来、
私の中にアジアを育てたいと思っていた。
対欧米、ということで、自分を卑屈に思うところがどうしても私にはあって、
日本の昔の神像のように、
もっと、おおらかに、もっとふっくらとした存在になりたい、と思っていた。
それで、奏さんがインドネシアに二ヶ月行くというので、
すこしだけ、時間を共有させてもらって、一緒に色々みたいと思ったのだった。

そして、観光、ということになると、私がどうしても見たいと思うのは、
遺跡や寺院なのだった。
それで、一つ、どうしても行きたいと思ったのは、ボロブドゥールという
8〜9世紀に存在した仏教の王朝の遺跡だった。

今は、ジョグジャカルタは、イスラム教の人が多く、それに次いで、
ヒンドゥー教、仏教という人達が多いようなのだけれども、
インドネシアってどういうところなんだろう、ということを思った時、
そのままの質感を受け取りたいと思いつつ、
どこかで、自分と似た質感を探し求めていて、
最初に、インドネシアと握手できるとしたら、ボロブドゥールなのかもしれないと思っていた。

それでも、他にもたくさん遺跡があるから、
行けるところは全部行ってみようということで、ボロブドゥールの前に、
プランバナンというヒンドゥー教の遺跡で、
やっぱり世界遺産になっているところを訪ねたり、
奏さんが地元の人に情報収集してくれて、
Candi Ijoや Candi Barongというところ(Candiというのは寺院という意味で、
その後ろに付いているのが名前である。)をまわったりした。
一つひとつが、ものすごく違っていて、
Ijo寺院は、どうも地元の人がおやつをもって、くつろぎに来たり、
日没を見にデートをしたりという場所になっているようで、
私達は不謹慎かも知れないけれど、ビールを持ってここで飲めたら最高だね、とこっそり話して、
Barong寺院は、なんとなく沖縄の首里城を思い出す雰囲気があって、素敵だった。
プランバナンは、ものすごく敷地がひろくて、その中にいくつもの寺院があった。
私が一番素敵だと思ったのは、もうほとんど崩れてしまっていた仏教の寺院で、
(プランバナンはヒンドゥー教の遺跡だけれども、ヒンドゥー教の中では、
仏教は、ヒンドゥー教の一部として組み込まれている。)
草の中に石が埋もれている、そこが蝶々の天国みたいになっているところだった。
とはいっても、どの寺院も石を組み合わせてできていて、
プランバナンのロロ・ジョングラン寺院という、とげとげと聳える寺院は圧倒的だった。

蝶々の寺院




























そんな風に巡っている内に、いつも見えている山があることに気がついた。
ムラピ山という火山らしかった。
富士山のような形をしていて、
日本人だったら、これを絶対に神様だと崇めるなあ、というくらい
はっきりとした形をしていた。

気がつけば、その山は私達の滞在先のベランダからも見えていて、
いつもその山を見ながら、そのベランダで朝ご飯を食べるのが日課になった。
朝ご飯は、おいしいパン屋さんでかったパンに、
バターを塗って、バナナや、林檎や、梨をのせたもの
(奏さんが毎日素晴らしい組み合わせを思いついて作ってくれるのだった)と、
リースの庭でとれるjambuという赤い果物。
シャリシャリと非常にかるく、果物というより野菜という感じで、
毎日食べても全然飽きなかった。
私は料理はへたくそなので、もっぱらコーヒーをいれることに徹した。
(粉を入れてお湯を入れるだけ。)

そんな風に巡ってきて、私がジョグジャカルタについて3日目に、ボロブドゥールに行くことになった。
ガイドブックやら、インターネットやらを見ていて、
ボロブドゥールの日の出を見たいな、と思っていたら、
リースが、それはツアーに入らないと見られないようになっているから、
タクシーを1日借りて、丘の上から、街を見下ろす形で、
ボロブドゥールに日が差すのを眺める方がいいんじゃない?といってくれて、
朝3時45分にお家の前にタクシーに迎えに来てもらって、ずんずんどこどこと、丘に連れて行ってもらった。

一時間くらい走っただろうか、
ここからは車は入れないから、歩いて行ってね、ということになって、
まだまだ真っ暗な細い山道を登っていった。
ひんやりしている。
細い道のところどころに、ランプを持って、照らしてくれる人達が立っていた。
大きな大きな葉っぱの背の低い木々。
山頂まで辿り着くと、遥か下の街がひろびろと見渡せて、
でもあつい霧が立ちこめていた。

だんだん明るくなってくるのとともに、霧もゆらゆらと姿を変えていくのだけれども、
一体どれがボロブドゥールなのか、どこに見えるのか、どんなサイズなのか、
皆目見当が付かない。
ぼーっと光の変化、霧の変化に身を任せていると、
隣で奏さんのはっと息を呑む音が聞こえた。
今まで全然見えていなかったのに、街をまたいだ地平線上に、おおきなおおきな山が姿を現した。
ムラピ山だと思った。
うわあ、すごいなあ、、
私達の足元の植物、この丘の稜線、そして遠ざかるに連れ、幾重にも重なる山の稜線、
そしてふもとの街、
それらを霧が手で覆ったり、顕したり、を繰り返し、
一番向こうにムラピ山。
そしてこのどこかに、ボロブドゥールがある。見えているのかいないのか。

そんなことをおもっていたら、
ムラピ山のすぐ隣に、突然、もう一つの山が、姿を現し始めたのだった。
ムラピ山とほぼ同じ高さ、だけど、もっと傾斜の緩い、太った、大きな大きな山。
ぎざぎざと、段々と登るような不思議な稜線をしていて、
私は、これがボロブドゥールでも構わない、と思った。

ガイドブックで見たボロブドゥールの写真は横に太って段々とした姿をしていたから、
それにとてもよく似ていると思ったのだった。
だけど、人間が作るには、確かにあまりにも大きすぎた。
多分、違うだろうと思った。3000メートルに近いと思われる山のような遺跡を、
作るのは無理だろう。
だけど、
町中で、一度も見かけなかった山が、いつも見ていたムラピ山のすぐ横に現れたのだから、
これがボロブドゥールだよ、と私が思うのは仕方がないような気がしたのだった。

この二つの山は、雄山と、雌山、のペアの神様だと思うのは当たり前みたいな感じで、
しかも、その二つの山の間から、太陽が姿を現したときには、
もうだめだ、と思った。

すっかり明るくなった後、
奏さんとふたりで、やっぱり、ボロブドゥールはあそこに見える、あれだよね、という話になったのだけど、
それは、やっぱり、街の中に埋まった山、みたいだった。

でも、それはともかく、ここにある山の形や、木々の形は、
私がそれまでにまわった遺跡の姿にとてもとてもよく似ていて、
土地というものと、人間が作るものと、
この場所で生きるということをほんのほんの少しだけ、感じられたような気がした。

ボロブドゥール(真ん中)