以下、小林秀雄さんの編集者をされていた、池田雅延さんの塾にて、
昨日私が発表した内容です。
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小林秀雄さんの『本居宣長』を繰り返し読んできて、
今の私に、最後まで残った言葉がありました。
それは源氏物語について書かれている16章に出てくる
「外部に見附かった物語の准拠を、作者の心中に入れてみよ」
という言葉でした。
この言葉はどんな文脈の中で出てくるかというと、
16章では、物語の准拠説というものが扱われています。
准拠説というのは、どういうものだったかというと、
例えば、源氏物語の作中の誰々は、現実にいた誰々がモデルである、とか、
源氏物語の中のこの部分の話は、これこれこういう故事がもとになって作られた話だ、
というように、
物語を外部の出来事に対応づける、というもので、
宣長以外の批評家達はみんなそればっかりをやっていた、
そういうことが書かれた上で、
「外部に見附かった物語の准拠を、作者の心中に入れてみよ」といわれるのです。
この言葉はこんな風に続いていきます。
外部に見附かった物語の准拠を、作者の心中に入れてみよ、その性質は一変するだろう。
作者の創作力のうちに吸収され、言わば、創作の動機としての意味合いを帯びるだろう。
宣長が、「源氏」論で採用したのは、作者の「心ばへ」の中で変質し、
今度は間違いなく作品を構成する要素と化した准拠だけである。
彼のこのやり方は、徹底的であった。
(小林秀雄全作品27 『本居宣長(上)』p179)
ここに書かれているとおり、
物語に対応する出来事が例えば全て集められたとする。
でも、その出来事の集団だけがあれば、
まったく同じ物語になるのかというと、そんなことはない。
その出来事が作者の心の中を通る、作者の心に映る、ということがなかったら、
物語になることはない。
ここではっとさせられたのが、
では、宣長のやった、その、作者の心に映った出来事だけを追っていくことというのは、
本当のところ、どういうことなのか、ということでした。
何かについて語るとき、
自分はいつもどんな地平に足を置いて、話しているだろう、と
すごくドキっとさせられたということがありました。
そしてこの言葉は、それだけではなくて、こんな風に続いていきます。
「日記」を書いたのも、「物語」を書いたのも、なるほど同一人物だが、
「物語」に現れた作者の「心ばへ」は、「日記」に現れた式部の気質の写しではない。
(小林秀雄全作品27 『本居宣長(上)』p180)
すなわち、物語を書いた作者自身の性質、作者自身すら、
物語の准拠としては、認められていないということです。
私はここを読んだとき、すべての糸が切られたような、
最後の拠り所をなくしたような気持ちになって、
逆に言うと、
それほど物語というものは、完全なんだ、と思わされました。
紫式部だから、源氏物語が書けた、
その糸さえ切れて、
逆に、完全な源氏物語の中から、紫式部を作れ、といわれたように思いました。
外にあるものも、自分自身も、物語ができる准拠じゃない。
だからこそ、
心に映るということ自体というか、
今ここにいる私、今ここにあるものから、物語になる、ということが
ものすごく不思議なことに思われてきたのです。
今が物語になる不思議、
そして、自分以外の誰かの、心の中に入った出来事だけを辿っていくことが、
どんなことなのか、ということを自分でつかんでいきたいと思いました。
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去年の発表は、池田塾でのある発表 (2012).
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