Sunday, 30 December 2012
名前がなくなる日
12月20日。茂木ラボのクリスマススペシャルでの出し物。
私はクリスマスなので、なんちゃって牧師となって
(冒涜であったらほんとうにごめんなさい。)
お話をするということをしました。
その原稿を公開します。
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名前がなくなる日
遠野でこんな話を聞きました。
遠野というのは、岩手県にある山間の場所です。海側は釜石、山側は花巻を結ぶ釜石線という電車に乗っていくことができます。釜石からも、花巻からも、ちょうど、同じくらいの距離にある場所で、昔は交通の要所だったそうです。
私が遠野に行こうと、釜石線の駅のホームに立っていると、女の人が二人で座っていました。楽しそうに話しているので、私は少し離れたところに立っていました。小さな単線のホームから見える山が紅葉していて、とても美しく、これからいく遠野はどんなところなのだろうと、私が思いを馳せていると、津波、津波、という単語が、風に乗ってきこえてきて、ああ、ここは、岩手なのだな、となんとなくはっとしてしまいました。
よくよく耳を澄ましてみますと、私は母を亡くしました、と一人の人が一段低い声で言うのがきこえました。もう一人の人は、息をのんで、かわいそうにねえ、と涙ぐんでいいました。その人の反応は、あんまり素直な反応で、やはり同じ境遇の、見知らぬ人同士なのだろうと推測されました。
電車に乗っている間、私の心はとても動揺していました。今の状況は、どうしていいかわからないというしかなかったからです。今ここは、ほんとうにどうしていいかわからないような場所だというような気がしてきました。旅行なんかで、のんきにきて、どのように立っているべきか、私は、よくわからなくなってしまいました。
そんな日の夜におばあさんから聞いたのが、
今日お話ししたい話です。
遠野物語として収録された、明治に起こった、大津波に纏わるお話です。
その大津波で、海岸近くに住んでいたある男の人の家では、奥さんと子供一人が亡くなって、その人と子供二人だけになりました。再びその場所に小屋をたててから一年が経った頃、その男が夜トイレにいくため海岸に出ると、二人の男女が見えました。
なんとなく気になってよくよく見てみると、女の人は亡くなった奥さんにとてもよく似ています。しばらくこっそりついていきましたが、どうしても、どうしても、奥さんに見えるので、男は勇気を出して、声を掛けました。おまえじゃないかい?
振り向いた女の人は、にこりと笑いました。
どうしてこんなところにいるんだい。なにをしているんだい。子供がさびしがっている、一緒に帰ろう。
女の人は、いいました。私は、いまはこの人と一緒にいるから帰れない。この人はあなたと一緒になる前に別れさせられた、心の底から愛していた人です。
男は食い下がって、子供がかわいくないのかというと、女はさっと表情を変えたけれども、泣きながら、足早に別の男の人と去っていってしまいました。
男は追いかけていきましたが、はっとあの二人は死んだのだと気付いて、夜明けまで道にずっと立ちつくし、その後長い間患うことになりました。
これを聞いて、 私は、
どれくらいの時間が経って、これは物語になったのだろう、と思いました。
そのことがずっと、
私の頭を占めています。
「今」に直面した日に、私はこの物語を聞きました。
物語になるなんて、とても想像できないことでした。
だから、 今は分からないけど、
私は一つだけ確信したことがありました。
それは、どんなに深い悲しみでも、いつか、物語になる、ということです。
いつか自分の母親を亡くすことも、
現実にならなかった夢も、
自分の顔が人から誉められるようなことのない顔に生まれてしまったことも、
性格が悪いことも、
ありとあらゆる人の、とるにたりない、小さな哀しみでも、いつか物語になる。
物語とは、繰り返すことである。
小さなものを、繰り返し、繰り返し、人に対して、あるいは、頭の中で、語るうちに、
どんなものでも物語になる。
物語とは普遍である。
個人の、名前の落ちた、普遍である。
どうかみなさんの哀しみが、物語となって、消えていきますように。
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