新年二日、あまりの混雑に故宮展に挫折し、国立西洋美術館に移動して、ゴヤ展とウィリアム・ブレイク展をみた。
その帰りに友人と会ったとき、彼女が、
「子供の頃は、教科書に載っている人とか、全部今ここにあるものだったよね。
夏目漱石も、山田詠美も、区別無く、全部今ここにあるもの、みたいな感じだったよね。」
と言った。
本当にその通りだと思った。
今も私は、特に、絵画を見ている感じ、芸術を見ている感じというのは、そういう感じなのかもしれなかった。
未分化で、完全で、系統だってない感じ。
プラトンや、ニーチェや、マリーナや、劉生が、私の中で現実の友人のように存在している。
そういえば、誰もかも同様に、教科書に載ってる人は全員死んだ人だと思っていたなあ。
なんだか夢の中にいるような気がした。
それにしても、誰か一人の人の展示をみるというのはすごくいいなあ。
行列に挫折したばかりの私には、すごく、やさしい展示だった。
こんなにそばで、こんなにじっくり、一人の人についてみられるなんて。
説明書きには、
死の谷を人が流れ、闇がそれを眺めている。
闇に近づいていく女の人は、人間の思考の象徴であるとあった。
闇の姿は見えない。
国立西洋美術館『ウィリアム・ブレイク版画展』にて撮影
(エドワード・ヤング 『夜想:嘆きと慰め』のための挿絵, 第54項)
Wednesday, 4 January 2012
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