この間、内田樹さんらの『現代人の祈り』という本を読んだ。
祈りというのはそのままを記述することだ、というようなことを内田さんがおっしゃっていた。
「「国誉め」という儀礼がありますけれど、あれも別に美辞麗句を並べ立てるわけではないんです。
ただ「ここに高い山がある。その横に深い河がある。そのかたわらには大きな森がある・・・」
というふうに、そこにあるものをただ列挙的に記述してゆくだけなんです。
祝福するというのは、本来そういうことだと思うんです。別にことごとしい形容詞を並べ立てる必要なんか無い。
目に見える一つひとつのものを「その名で呼ぶ」ということが祝福なんだと僕は思います。」
「仮面を被る人というのは、自分自身の素顔に対して、一種の劣等感があるんですよ。
その人自身が、自分の素顔を愛せない。それに対してはその人自身の現実、具体性を読み上げてあげる。
「右に見える競馬場、左はビール工場」でいいんです。
「あなたのこのへんが、こういうふうに、こうです」と、具体的に「あなたはこういう人でしょう」と言ってあげる。
僕はそれだけで「呪い」は部分的に解除できると思います。」
その時、その場所にあったものを、ただ記述するだけで、
それがなくなった後から見た時、
具体性を与える手がかりとなる、
ということも書かれていて、
なんだか、そうか、と思った。
今ここにはこれがあって、これがある。
おじいちゃんはいついつに、これこれをした。
確かにすごい祝福に思えた。
わたしは今、とても文章を書きたくて、
それが人にはどう届くのかを知りたがっている状態にあって、
あなたのこのへんが、こういうふうに、こうです、というのを実際すごく欲しているから、
なんだかよくわかる、という気持ちがしたのも確かである。
事実を言うことってとても難しいことだけれども、
この辺にわたしがもし科学的精神をもっているとするなら、それが関わる余地もある気がして、
私の道は、「讃」だと思った。
私は震災後、『北の国から』のDVDを全巻買って、
今に至るまでほぼ毎日見ている。
こんなにも必要としたのは、
「ただこうなる」ということをいっぱいみたかったからじゃないかと言う気がする。
Wednesday, 21 December 2011
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2 comments:
え!ほぼ毎日!!すごい!続きをかしてください、正月に家でみます。。。。
あっ。わかった。31日忘れないようにする−!!
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