これから先私はどんなことをやっていくんだろうとか、
海のものとも山のものともつかない自分に焦って、
なんとかしなくちゃと必死にたどり着いた先が、
自分に自信をつけるだけだったらどうしよう。
誰かに、
できるだけ多くの人に、
できるなら、
どんな国の言語をしゃべる人にも、
普遍的な、
何か素敵なことができたらいいのに、と思うけれど
それってどんなことだろう。
「わかる」とか「愛する」とかいいながら、
他人の中に、ただ”自分と同じ”をみつけて喜んだり、
なんて”自分”から離れられないことだろう。
一方で、
できるだけ多くの人と仲良くいようとすればするほど、
濃度は薄まって薄まって。
なんて簡単に、”自分”は失われてしまうものだろう。
根拠なく信じるということのなんて険しいことだろう。
この間、京都の相国寺の美術館で
「横川景三墨蹟 巫山神女賛」を見た。
内容は、(正確じゃないけど、大体)
ある日男の人の夢枕に、女神が現れて
”私は朝には雲となって夕方には雨となって大地を潤しているのに、誰もわかってくれない”
といってしくしく泣くので、その女神の賛を書いた、
というものだった。
なんだか、大変人生が愛しくなった。
Monday, 8 October 2007
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